カストルとポルックス
「……お父様」
「久しいな、ミア」
「……お久しぶりです」
クロエに連れられて応接間へ行くと、そこにはお父様がこちらを一切見ることなくソファに腰掛けていた。私は緊張しながらも、お父様に向かって頭を下げる。
「……クロエ、ごめんなさい。席を外してもらえる?」
「承知いたしました」
クロエに出ていってもらい、応接室には私とお父様、そしてもう一人……。
お父様の後ろで、控えているメイドの三人だけになる。メイクで顔を隠してはいるけれど、それが誰なのか、私はすぐにわかった。
「お元気そうで何よりです。長旅、お疲れではありませんか?お父様、ミアお姉さま」
「はぁ……疲れただなんてものではないわ!もうクタクタよ!」
そう言って、メイドに扮したお姉さまは、すぐさまソファに横になった。
「ミア、はしたないぞ」
「良いでしょう?ここにはお父さまとニアしかいないんだから」
むすっと、お姉さまは横になったままお父様を見つめて頬を膨らませる。
会うのは半年ぶりになるけれど、お姉さまらしい。
「それにしても、ニア!あなた、こんなに素敵なお屋敷に住んでいるの?これだったら、私が最初からヴォルフラム様と婚約するんだったわ!あ、でも、もう少し内装は派手でもいいんじゃない?王宮の方はもっと煌びやかだったわよ?」
お姉さまはつい先ほど横になったばかりだというのに、すぐに立ち上がると、話をしながら部屋の中をぐるりと一周する。そしておもむろに調度品の花瓶をまじまじと見つめると、指先でそっとその表面を撫でた。
「……急に王都に来られたので驚きました。いかがされたのですか?」
そんなお姉さまを横目に、私はお父様に話しかけた。
お父様はなおも私を見ることなく、出されていた紅茶に手を伸ばすと、ゆっくり中身を嚥下する。
「……娘の結婚が決まったんだ。私が王都へ来ないわけにはいかないだろう?」
「そう……ですか」
お父様の言う結婚の相手は、もちろんヴォルフラム様ではないのだろう。
つい、私は下唇を噛み締めた。
きっとレグルス様は私の知らないところで、すでにお父様に結婚の話を持ちかけていたのだろう。
第二王子のヴォルフラム様と、第一王子のレグルス様。
ましてや、誰しもがヴォルフラム様との婚約を嫌がっていたことを考えれば、答えなど最初から決まっている。
そして、それがわからないレグルス様ではない。
あの方は、ミアを手に入れるためだったら、きっとなんでもする。
「そうよ!ニア、ご苦労様!まさかあなたがこんなに気が利くなんて思わなかったわ!まさかあのセシリア様から、第一王子を奪っちゃうだなんて!」
「奪うだなんて、私はそんな……」
思わず、ミアの言葉を訂正する。
けれど浮かれるお姉さまの耳には、私の言葉など全く届いていなかった。
「あとは私に任せておいて!しっかりと、レグルス様の妻としての役割を果たしてみせるわ!やっぱり、私にはレグルス様みたいな方でないとつり合わないわよね」
上機嫌で、お姉さまはくるりとその場で一回転した。ふわっと、スカートが膨らむ。
よほど、レグルス様との結婚が嬉しくて仕方がないらしい。
「……そういうことだ。お前は早く、ミアと服を入れ替えろ」
「えっ……」
突然のお父様からの指示に、一瞬思考が止まる。
お姉さまと、服を入れ替える?
「聞こえなかったか?お前の役目はもう終わったと言ったんだ」
「ッ……!」
口を開きかけたものの、私はすぐにやめた。
……そうか。
そうよね。
私は、ヴォルフラム様との婚約を嫌がるミアお姉さまの代わりであって、レグルス様との結婚を喜ぶお姉さまの代わりではない。
お姉さまがレグルス様との結婚を望んでいるのなら、私は早く誰も知らないニアに戻るべきだ。
静かに、私はお父様に向かって「わかりました」と、声を発しようとした時だった。
「あ、待ってお父様!」
きゅるんっと、再びスカートを揺らして、ミアが私とお父様の会話に割って入った。
「わたし、もうしばらくこのままでいるわ!」
「何……?」
思いもよらないミアの言葉に、お父様は驚いているようだった。
「王都に来たのだから、あちこち見て回りたいの!ね、いいでしょうお父様?」
「し、しかしミア……」
「お願い。今ニアと入れ替わっちゃったら、自由に遊べないもの。今だけ、ね?元に戻ることなんて、いつだってできるんだから」
上目遣いで、ミアはお父様にお願いする。
お父様は眉間に皺を寄せるものの、ミアからの願いは今まですべて叶えてきた。
だから今回も、答えは分かりきっている。
「お前がそこまで言うのなら……だが早めに、元に戻るんだぞ?」
「もちろんよ!ね、ニア!」
「はい……わかりました」
二人がそう言うのであれば、私はそれに従う他ない。
まだレグルス様には返事を保留にしている。
けれどこれでは、すぐにでも伝えなければならないだろう。
(結局、レグルス様の思惑通りね……)
でも、よくよく考えてみたら、これでいいのかもしれない。
レグルス様が結婚を切望しているのは、ミアだ。
ニアではない。
このまま、ミアと結婚して幸せになってくださるのなら……それに越したことはないのではないだろうか。
そんな考えが、脳裏をよぎる。
(まさか、神父様が流れに身を任せるようにと言ったのは、このため……?)
……わからない。
けれど、すでに塞は投げられている。
私はただ、神父様の言葉を信じて、流れに身を任せるしかない。
「ねえニア、明日、街を案内してくれないかしら?」
「街を?」
「えぇ!田舎とは違って、王都はどこを見ても美しいんですもの!今どんなものが流行っているのか知りたいし、これから住むことになる街を見ておきたいわ!」
「……わかったわ」
「くれぐれも、頼んだぞ」
お父様は最後まで、私と目を合わさずにそう言った。
二人をゲストルームへ案内した後、自室へ戻った私はおもむろに机の引き出しを開ける。
そして一番上に置いていたハンカチを取り出した。
それは先日、神父様が私に貸してくださったものだ。
上等な純白の絹でできたそれには、とても丁寧な刺繍でWの文字が縫い取られている。
全く汚れのないその様は、まるで神父様の清廉さのようだ。
これも、早く返しに行かなければならない。
でも、返したくない。
「神父様……」
祈るように私はハンカチを、胸に抱き締める。
手に、心臓の鼓動が伝わってくる。
きっと、きっとこれでうまくいく。
何もかも、綺麗に収まるはずだ。
「そう……ですよね?ウィリアム神父様」
私にはもう、祈る他、できることが何もないのだから。




