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ライブラは静かに傾く

 用意されたドレスに身を包んで、私は再び舞踏会会場へと戻る。

 廊下を移動する途中で、女性のヒステリックな声が聞こえた。



(私がいない間に、いったい何が……?)



 足早に広間へ戻ると、私は周囲に気づかれないようにその視線の先を追った。



「なぜッ?!なぜなの……?!なぜ、わたくしがっ!!!」


「……君の、そういうところだよ」



 甲高い声をあげていたのは、セシリア様だった。

 セシリア様は私がいた時のまま、膝をついてレグルス様を見上げている。

 そしてそんなセシリア様を、レグルス様は氷のように冷ややかな眼差しで見下ろしていた。


 その視線は、どう考えても婚約者に向けるものではない。



(これは……どういうこと?)



 けれどその疑問の答えは、すぐにわかった。



「もう一度言う、セシリア。正式に、君との婚約を破棄する」


「ッ……!」


「えっ……」



 突然のことに、レグルス様の言葉が、一瞬理解できなかった。

 今、なんておっしゃったの?


 セシリア様との婚約を……破棄?



「ご冗談を……!そんな簡単に、わたくしとの婚約を破棄できるわけが……」


「もちろん、簡単になど決めていないよ」



 踵を鳴らしながら、レグルス様はセシリア様に近づいていく。

 そしてセシリア様のすぐ近くまで来ると、レグルス様は膝を折って屈み、セシリア様の頬を片手で乱暴に掴んだ。

 周囲から、小さな悲鳴が上がる。



「これまで、君が僕の名前を使ってしてきたことを……僕が知らないとでも?」


「ッ……!」



 レグルス様が何をおっしゃっているのか、私にはわからなかった。それはおそらく、私だけではない。他の招待客も、皆同じだ。

 けれど、セシリア様にはそれだけで十分伝わったようで、一瞬にして表情が曇った。



「そんな……わ、わたくしは、レグルス様のために!」


「いつ、僕が君に頼んだ?」


「それはッ!」


「それに……本当に君が僕のことを思ってくれているのなら、最後くらい潔く、婚約破棄を受け入れてくれ」


「待って、レグルス様……!それだけは……ッ!!!」


「そうですわ、レグルス様!!!」



 レグルス様に縋り付くセシリア様。

 その間に、思わず私は、割って声をあげた。


 周囲の視線が、二人から一気に、私へと移動する。

 視線が、再び矢のように私に刺さった。


 けれど、これぐらいで怯んではいられない。


 背筋を伸ばして、胸を張る。


 それでも震える足で一歩を踏み出すと、私は二人の元へと向かった。



「レグルス様、なぜセシリア様との婚約を破棄するだなんて、そのようなことをおっしゃるのです?」


「あぁ、ミア……!」



 私の姿を見るなり、レグルス様は表情を緩ませると、セシリア様から手を離して立ち上がった。



「仕方ないんだよ。あれは少し図に乗りすぎたんだ。……僕の婚約者であることをいいことに、ね。あのような振る舞いを続けられたら、民に示しがつかない。彼女は国母の器ではなかった。……それだけの話さ」


「そんな……そのようなこと、嘘に決まっておりますわ!セシリア様はそのようなお方ではありません!」


「ミア、なぜそんなにセシリアの肩を持つんだい?君だって、セシリアのせいで散々な目にあっただろう?」


「ッ……!」



 そう言ってレグルス様は私に近づくと、そっと私の髪に触れる。

 

 ……いいえ、違う。

 髪、ではない。


 レグルス様が触れたのは、傷口だった。

 以前、セシリア様とのお茶会の折に、バラの棘が刺さって傷ができた。レグルス様が触れているのは、まさにその場所だった。



「……そんなこと、ありませんわ!」



 否定をするものの、思わず声が上ずる。

 けれどそれは、セシリア様のことで嘘をついているからではなかった。


 レグルス様が、この傷のことを知っていたからだ。

 この傷のことは、シリウスと傷をみてくださったお医者様しか知らないはず。



(それなのに、なぜレグルス様は、傷のことをご存知なの……?)



 全てを見透かしているような黄金の双眸が怖くて、私は咄嗟に一歩後ずさった。



「……ミア、あなた……」



 その時だった。

 今まで口を閉じていたセシリア様が、静かに私の名前を呼んだ。


 セシリア様に目を向ければ、頭を垂れて床に手をついている。

 その細い腕は、微かに震えていた。



「あなた……なんなの……?なんなの、そのドレスはッ!!!」


「こ、これは……」



 かと思えば、セシリア様は急に顔を上げると大きな声で私を怒鳴りつけた。


 普段の穏やかな様子からは想像もつかない形相に、言葉が出ない。

 そんな私に代わって、冷静にセシリア様に答えたのは、レグルス様だ。



「僕がミアのためにあつらえさせたんだよ。……やっぱり、このドレスはミアによく似合うね」


「ッ……!」



 セシリア様の問いかけに答えたはずなのに、レグルス様にはまるでセシリア様が見えていないかのように私に近づくと、私の両手を優しく握りしめた。このようなことをしては、火に油を注ぐようなものだ。それがわからないはずがない。


 案の定、こちらを見つめるセシリア様は顔を真っ赤にして、肩を震わせている。


 無理もない。

 だって私が着ているドレスは、白……なのだから。


 純白の絹を幾重にも重ねて、腰から大きく広がったスカートには銀糸の刺繍が施されている。ドレスが揺れれば、まるで星屑のように輝いた。


 通常、舞踏会で白を着るのはデビュタントだけだ。

 けれど、それ以外にも白を着ることが許されている人がいる。


 それは……。



「そんな……ッ!なぜあなたが、そのドレスを着ているの?!それは、王妃様にしか許されないというのに!!!」



 ……そう。

 王妃様だ。



「だからだよ。君の送ったドレスより、こちらの方が何倍も、ミアに似合うとは思わないか?」


「ッ……!」



 私の手を取って、レグルス様はセシリア様にドレスを見せつけるように腕を開く。


 その様を見て、セシリア様は項垂れた。

 けれど、すぐに顔を上げる。



「……うそ……嘘よッ!あなたなんかが、似合うわけ……ッ!!!」



 そう言うや否や、セシリア様は恐ろしい形相で、私に掴み掛かろうとした。

 レグルス様が、すぐさまセシリア様から私を遠ざける。


 一方で、シリウスが即座にセシリア様の腕を掴んで、その体を拘束した。



「おやめください、セシリア様」


「放しなさいッ!第二王子の補佐ごときが、わたくしに触れるだなんて、不敬ですわ!!!」


「ミア様に掴み掛かろうとするあなたの方が、よほど不敬かと」


「ッ……!!!ミアが、あの女がいけないのよ!レグルス様に色目を使うだなんて!」



 自由にならない体を捻りながら、セシリア様は私を罵る。



「違います、セシリア様!私とレグルス様は何も……!」



 咄嗟に、私の口からは否定の言葉が出ていた。

 こんなことを言っても、セシリア様には届かないというのに。



「何も?」



 けれど、レグルス様には違ったらしい。

 とても強い力で、レグルス様は私を抱き寄せる。



「何もない……なんてことはないだろう?ミア。ウェストリアの下で……忘れてしまったかい?」


「ッ……!」



 ……ウェストリアの、下。

 それだけで、私の脳裏には、最も思い出したくない情景がフラッシュバックする。


 一面の藤色の波。

 その中で私を狙う黄金の瞳。


 そして、レグルス様の吐息。


 その様を生々しく思い出してしまって、ひゅっと、私は息を呑む。

 気づいた時には、私はレグルス様を突き飛ばしてしまっていた。けれど、私の力ではレグルス様はびくともしない。それどころか、レグルス様はあの黄金を輝かせながら、不気味なほど優しく、私に微笑みかけていた。



「ミア……」



 獲物に最期を告げる時のように、レグルス様はうっとりと、私の名前を呼ぶ。

 その声に、体の震えが止まらなかった。



「僕が愛しているのは、ただ一人だよ」


「ッ……!?」



 今……なんとおっしゃったの?

 自分に向けて発せられた言葉が信じられず、思考が止まる。



「待って、レグルス様ッ!!!」



 セシリア様の制止を無視して、レグルス様はそっと、私の頬に触れた。

 触れられた箇所から、一気に体温が奪われていくのがわかる。


 さらりと揺れる金の髪が、まるで牢のように私を覆う。

 そして次の瞬間、何かが……私の唇に触れた。


 触れられた唇が、熱をもつ。

 そこだけが熱くて、体はどんどん冷えていく。

 

 あぁ、そうか。

 私は……。



(私は、今……レグルス様にキスをされているのか)



 凍える思考の中で、それだけがはっきりと理解できた。

 誰かとキスをするだなんて、これが初めてだったのに……。


 頬を、何かが伝う。

 それがなんなのか、今の私にはわからなかった。


 しばらくして、ゆっくりとレグルス様の唇が離れていく。

 するとようやく、私の体は熱を取り戻していった。


 視界が霞む。

 その中でも、レグルス様の黄金の双眸は、いつも以上に輝いているのがわかった。



「……ミア」



 再び、レグルス様は私の名前を呼ぶ。

 いいえ……。私、ではない。

 

 レグルス様は、ミ(・)ア(・)を呼んだ。



「僕と……結婚してくれないか?」


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