ピクシスが指し示す先
「ミア様の髪、本当にお美しい……!このようなプラチナブロンド、私初めてです!」
「そう?ありがとう、クロエ!お母様も同じ髪色だったと聞いているわ。お母様に感謝しないといけないわね!」
鏡越しに、私は専属のメイド、クロエに向かって笑顔を作る。
けれど、たったそれだけのことで、私の頬には痛みが走った。
頬だけではない。
しなやかに首を傾け、感情をわかりやすく表現するミアらしい動き、そんな細かい仕草を繰り返すたび、体のあちこちが軋む。
幸い、クロエは私の疲労に気づいてはいないようで、鼻歌を歌いながら私の髪をとかしていた。
(けれど、これがずっと続くのね……)
つい、ため息を漏らしそうになる。
その時だった。
「あ……」
不意に、ヘアブラシを持ったクロエの手が止まったのだ。
それだけのことで、私の心臓は大きく跳ねた。
「そうです、ミア様!いかがでしょう、今日街へ行かれてみては?」
「街へ?」
外出の誘いを思いついただけだとわかって、私はほっと息をつく。
(けれど、なんでまた急に街へなんて……)
クロエの意図が分からず、私はミアがするように首を傾げた。
「はい!こちらへ来られてからというもの、ずっと屋敷の中にいらっしゃるんですもの。それでは息が詰まってしまいますわ」
「うーん……でもなぁ……」
……なるほど、そういうことか。
それなら、きっとミアだったら……喜んで街へ行く。
『せっかく王都へ来たんだから、流行りのものを見て回らなきゃ!』
そう言って、王都へ着いた翌日には、街へ繰り出していたに違いない。
けれど、私にはそれができなかった。
できることなら、屋敷から一歩も出ないで、一人で過ごしたい。
どうすればそれが叶うだろう、と考えていた時だった。
「そうおっしゃらずに!それに、今日は礼拝の日ですし」
「……あぁ、そうだわ!私としたことが、礼拝のことを忘れてしまっていたなんて!」
ミアの演技をしながらも、本当に私は礼拝の日を忘れてしまっていた。
あの部屋の中にいた時であっても、この日は必ずお祈りをしていたというのに……。
どうやら私は、自分で思っている以上に、余裕がないらしい。
「でしたらなおのこと、教会へ参りましょう!」
「……でも、まだここでの生活にすら、慣れていないのよ?」
礼拝の日であったとしても、やっぱり外出はできるだけ避けたい。
なんとかクロエに諦めてもらえないかと、ミアがよくやっていた上目遣いで懇願してみる。けれどクロエは諦めるどころか、さらに身を乗り出してきた。
「だからこそ、です!せっかく王都へいらしたのですから、外の空気を吸いに参りましょう!私もご一緒しますから!」
「……本当に?一緒に来てくれる?」
「はい!ご一緒させていただきます!」
少し興奮気味に、なおもクロエは私を教会へと誘う。何が何でも、私を外へ連れ出したいらしい。
「……そう?そこまでクロエが言うんだったら、行ってみようかしら?でも絶対、一緒についてきてくれなきゃイヤよ?」
「はい!もちろんですとも!!」
ここまで言われては、断る方が不自然だ。
私は渋々クロエの提案にのって、街の教会へと向かうことにした。
***
馬車に揺られながら、小さく切り取られた外を見る。
先日王宮入りした際にも見た景色ではあるけれど、夕方だったあの時とは違って、今は陽が高い。行き交う人々は、皆、生き生きとしている。商人の呼び声も聞こえてきて、街は活気に満ちていた。
「ここへ初めて来た時も思ったけれど、王都はとても賑やかね。私の故郷とは大違い」
「そうですね。前王妃様が、街の発展にとても力を入れていらっしゃったそうです。それで今でも国から教会への寄付が続いていて……。ほら、もう着きますよ」
そうクロエが言うと同時に、馬車が止まった。
すぐに従僕がステップを下すと、馬車の扉を開ける。クロエが先に降りるのを確認して、私も続いて馬車から降りた。
やっぱり、外の光は眩しい。
けれどそれ以上に、目の前にある建物の圧倒的な存在感に、思わず目を細めた。
「……ここが、教会?」
「左様でございます」
少し胸を張りながら、クロエは答えた。
目の前にある教会は、象牙のように真っ白な建物だった。中央には、天まで届きそうなほど高い塔がすっと伸びている。
「……すごい」
「そうでしょう!王都の観光名所でもありますから。さぁ、ミア様。中へ参りましょうか」
けれどクロエにとっては見慣れた光景のようで、教会の外観など気にする様子もなく、私も中へ入るように促した。
本当は、もう少し見ていたい。けれどミアだったら、そのようなことは決してしない。
仕方なく、私はクロエの後を追って、教会の中へ向かった。
「ッ……!」
外観もさることながら、教会の中も、息を呑むほど美しかった。
周囲を囲むステンドグラスは、七色に輝いている。そしてどこまでも高い天井からは、白い優しい光が筋になって注がれていた。
もしも天界が存在するというのなら、このような光に包まれているのかもしれない。
(──綺麗……)
あまりの美しさに、声が出ない。
いつまでも、この輝きを浴びていたい……。
そう思った瞬間、急に背筋がぞくっとして、思わず目を背けた。
……早く、お祈りをすませてしまおう。
私は急いで、礼拝堂に置かれた長椅子のひとつに腰を下ろした。
首から下げていたロザリオを手に取って、私は指を組むと、そっと目を閉じる。
祈ることは、決まっていた。
(……神様……私は罪人です)
祈る指に、力がこもる。
(ですが、願わくば……私がミアお姉さまではないと、誰にも気づかれませんように……)
ロザリオを握る手が、自然と震えた。
止めようと思っても、止まらない。
震えを隠すように、私はより一層手に力をこめて、身を縮めた。
***
「……さあ、帰りましょうか」
手の震えがおさまるのを待って、私は先に祈りを済ませていたクロエに声をかける。
「はい。ミア様」
クロエは短く返事をすると、真っ直ぐ、教会の出口に向かって進んでいった。その後ろを、私は黙ってついていく。
……そのとき、ふと視界の端に、何かが映り込んだ。気になって焦点を合わせると、そこには人が入れるほどの大きな木箱が置いてあった。
(あれは……何?)
思わず、礼拝堂を出て行こうとした足が止まる。
そんな私に気がついて、クロエも立ち止まると、不思議そうに私を見つめた。
「いかがされましたか?」
「あっ……」
一瞬、私は言い淀んだ。
だってこれは、ミアらしくない。
でも──
「……ねぇ、クロエ」
「なんでしょう?」
「あの箱は、なあに?」
好奇心に負けて、私はクロエに訊ねた。
「あぁ、あそこですか。あそこは懺悔室ですよ」
「懺悔室?」
思わず、私は聞き返す。
「はい。神父様に自身の罪をお伝えする場所です」
「罪、を……」
その言葉だけが、不思議と耳に残った。
「……今日は、空いているのかしら?」
口に出してから、はっとする。
だってミアは、絶対にこのようなことを訊かない。
思わず、私は口元を手で覆った。
けれどクロエは懺悔室の方を向いていて、私の様子を見てはいなかった。
「そうですね。今日は礼拝の日ですから、中に神父様がいらっしゃるはずです」
「そう……」
クロエに気づかれなかったことに、私は胸を撫で下ろす。
(……できることなら、私の罪も……)
そう、思った瞬間。さっと背筋が凍りついた。
(……何を、考えているの?)
私の罪は、赦されていいはずがないのに……。
「さあ、行きましょうか。ミア様」
「……え、えぇ」
横目で懺悔室を見ながら、私は礼拝堂を後にする。
教会を出て、私は馬車に乗るために手すりを持つ。ステップに片足をのせ、あとはもう片方の足も、地面から離すだけだ。それだけで、馬車に乗って王宮へ帰れる。
……なのに。
それなのに、足が、地面から離れてくれない。
なぜか足が、とても重い。
私は、下唇を小さく噛み締めた。
「……ねえ、クロエ……」
「何でしょう?」
きょとんと、クロエは私を見つめた。
「少し、ここで待っていてもらえる?」
「ミア様?」
わかっている。
こんなことを、してはいけない。
その証拠に、頭の中では、ずっと警鐘が鳴っている。
でも、それでも私は、いつものミアの笑顔を作った。
「私、こんなにすごい教会は初めてなの!だから、もう少しこの礼拝堂を見ていたくて……ダメかしら?」
それらしい理由を、クロエに伝える。
私の言葉を聞いたクロエは、一瞬驚いた表情をしたかと思うと、すぐに今までになく目を輝かせた。
「いえ、ぜひお好きに見て回ってきてくださいませ。私は、こちらでお待ちしております」
そう言って、クロエは私に頭を下げた。
「ありがとう、クロエ」
私はステップに乗せていた足をすぐに下ろすと、再び教会の中へ戻った。
はやる気持ちを抑えながら、向かう先は、一つだ。
先ほど、クロエに聞いた大きな箱。
懺悔室。
入り口を通って、小さな廊下を進んだ、その先。
礼拝堂の端に、私は目を向ける。
よくよく見てみると、懺悔室の周りにだけ、灯りがない。
けれど、私にはなぜかそこが、柔らかい光を纏っているように見えた。
淡い期待を胸に、私は懺悔室の扉に手を伸ばす。けれど急に手が震えてしまって、私は一旦手を引っ込めた。
震える手を、もう片方の手でさする。
そのせいで、変に考える時間ができてしまった。
本当に、この扉を開けてしまっていいのだろうか。
本当に、私の罪を話してもいいのだろうか。
本当に、私の罪は……神に赦していただけるのか。
そんな躊躇が、どろりと淀みを作って広がっていく。
でも、でも……。
一人で抱えるには、この罪はあまりにも……。
重すぎる。
ぎゅっと、私は引いた手を強く握って、今度こそ、懺悔室の扉に手をかけた。




