偽りのアンドロメダ
この婚約は全て、偽りでできている。
ナヴィガトリア国、第二王子の婚約。
それは本来、国を挙げて大々的に行われるはずだった。けれども、実際は式典もなければ、誰からの祝福もない。王都に住む一部の貴族に、手紙で知らせがあっただけ。
私自身、いまだに婚約者の顔すら知らない。
これだけを聞けば、私はきっと被害者なのだろう。
けれど私は、被害者ではない。
むしろ──。
加害者だ。
(……申し訳ありません)
神様。
国王様。
そして、ヴォルフラム様。
何度も、何度も、私は繰り返し赦しを乞う。
けれどいくら謝罪をしても、赦されることはない。
そもそもこの罪は、赦されてはいけない。
「……ですから、ここに参りました。神父様、私の懺悔を、聞いてくださいますか?」
「もちろんです。ここはそのための場ですから」
「ありがとうございます。でも、何から話せば良いのか……」
少しだけ考えてから、私は再び口を開いた。
「そう、ですね。まずは名前を……私の名前から。私はニア……ニア・エアレンデル・シルビアス。ミア・ソレイユ・シルビアスの、いてはならない双子の妹です」
***
「こちらが、今日からあなた様の住むお屋敷です」
「ありがとう、素敵なお屋敷ね!」
そう言って、私はミアの笑顔を作った。
外は、夕焼けの淡いオレンジ色に包まれている。けれど私の目には、それさえも眩しかった。
目を突くような光に耐えながら、王宮の北側に位置する屋敷の中へ、足を踏み入れる。
急いで手入れをしたようで、屋敷の中は王宮の華やかな装飾とは違って、とても簡素だ。
私はそのまま屋敷のエントランスまで進むと、あえてドレスの裾を翻して、くるりと周囲を見渡した。
「中もとても綺麗!私のために、わざわざありがとう!大変だったのではなくって?」
表情を崩すことなく、私は回った勢いでメイドの方を向く。
仕草、顔の角度、声の高さ……十八年間、何度も繰り返して、身体に染み付いてしまっている。
今更、間違えるわけがい。
人前でのミアは、このような懐っこい笑顔をよく見せる。
(けれどきっと、一人になったら……)
『なぁに?あの古い調度品。ここは王宮なんだから、もっと新しいものがあったのではなくて?……でも、いいわ。おいおい新しいものと交換していけばいいだけなんだから』
近くに置いてある適当な調度品を指先でなぞりながら、眉を顰めるに違いない。
つい、私は胸の中でも、ミアを再現してしまう。そこまでする必要はないのだけれど、これはもう癖だ。
「いいえ、ヴォルフラム様から仰せつかっておりますので。お気に召したようで何よりです」
私を見ながら、メイドは柔らかく微笑んだ。
「えぇ、とても気に入ったわ!」
私もまた、メイドに向かってにっこりと微笑む。
だってミアだったら、そうするだろうから。
「ではこちらへ、ミア様のお部屋に案内いたします」
メイドの後ろについて階段を上がると、扉の開いている部屋へ通された。案内された部屋も、全体的に落ち着いた雰囲気で、少しほっとする。私には、これくらいがちょうどいい。
「長旅で今日はお疲れでしょう?お部屋でゆっくりお休みください。また夕餉の際にお呼びいたします。それまでに何かあれば、何なりとお申し付けくださいませ」
用件だけ伝えて、メイドは部屋を出ていった。
気配がなくなったことを確認して、私は倒れるようにベッドに体を預ける。
「はぁ……」
柔らかい絹でできた布団が、優しく体を覆う。それに反して、体はとても重い。ほんの少しの間、陽の下に出ただけだというのにこの疲労だ。
「この先ずっと、これが続くというのに……」
手の甲を、目元に当てる。
さらに目を閉じて、私はぼんやりとベッドに横になった。すると急に、誰かが私を見ているような気がして、足元がざわつく。
誰も、見ているはずなどないのに。
気味が悪くなって、私は急いで体を起こした。
視線を上げた先にあったのは、小さな窓だ。
何気なく窓へ近づいて、外へ目を向ける。四角に切り取られた遠くまで続く青い空、それを遮るように、高い塀が王宮を囲っている。
「……まるで鳥籠ね」
檻の中と、どちらがマシかしら。
しばらく外を眺めてから、私は部屋の中へ視線を戻した。
事前に荷物は送り届けられていて、全てあるべきところへ綺麗に片付けられている。と言っても、この中に、私のものは何一つない。あるのは全て、ミアのものだ。
唯一、私が持ってきたものといえば、古い手帳と万年筆が一本。そして、お母様のロザリオ……それだけだった。
けれど、私が私である証拠は、これだけで十分事足りる。
私はデスクに腰掛けると、おもむろに手帳を開いた。長年、ずっと書き溜めてきたそれは、文字で真っ黒になっている。そんな字の塊を、何気なく目で追ってみる。
(これは、六、七歳の頃に書いたものかしら……)
指先でそっと、拙い文字をなぞる。
「星屑の妖精が、狼に恋するお話……か」
空から落ちてきた星屑を、深い森に住む狼が見つけて恋に落ちるだなんて……なんてありきたりな物語だろう。
(……でも、残念ね。あの頃の私)
星屑は、狼に見つかる前に消えてしまうみたい。
私は文字から手を離すと、そっと手帳を閉じた。
その時、コンコンと、扉を叩く音が室内に響く。
「どなた?」
急いで手帳を引き出しにしまって、私はミアのような無邪気で明るい声で訊ねる。
「お休みのところ失礼致します。第二王子補佐、シリウスと申します」
「どうぞ」
静かに立ち上がって、私は客人を部屋に通した。
「はじめまして、ミア様」
シリウスと名乗った人物は部屋に入るなり、私に深々とお辞儀をする。
「こちらこそ。ところで、何かご用?」
「えぇ、こちらを預かって参りました」
そう言ってシリウスが懐から取り出したのは、一通の手紙だった。
第二王子の補佐が預かってきた手紙……ということは、差出人はあの方なのだろう。
「まぁ、わざわざ私に手紙を書いて下さるだなんて、嬉しい!」
両手を胸の前で合わせ、私は喜ぶそぶりを見せながら、シリウスから手紙を受け取った。
「届けてくれてありがとう!ねぇ、せっかくのお手紙なんですもの、私一人でゆっくり読ませていただきたいわ」
「承知いたしました」
私に言われるがまま、シリウスは恭しく一礼すると、すぐに部屋を出ていった。
再び一人になったことを確認して、私は封筒の裏を見る。そこには王家の紋に、狼をあしらった印章でしっかり封がされていた。そして右下には、端正な文字でヴォルフラム・レウコス・ナヴィガトリアと丁寧に署名までされている。
どうやら、本物で間違いないらしい。
「……実在は、していらっしゃるのね」
正直、手紙を受け取るまでは半信半疑だった。
相手は、誰も会ったことのない王子だ。
実は存在しなかった……と言われても、驚きはしない。
そっと封筒を開け、中の手紙を取り出すと、私は目で文字を追う。
そこには第二王子自ら、謝罪と感謝、そして今後のことについて、やはり端正な文字で書かれていた。
『この度は私との不本意な婚約を受け入れていただいたこと、心より感謝する』
『私はこの婚約にあたり、今後一切あなたに関わらない』
『会うつもりもない』
『なので今まで通り、ここではあなたの好きに過ごして欲しい』
とのことだ。
「今まで通り、あなたの好きに過ごして欲しい……か……」
声に出してみて、思わず笑ってしまう。
そのようなことを言われても、私は生まれてこの方、自分の好きなように過ごしたことなど、一度もない。
そしてそれは、これからも変わらない。
(……だって、私はミアだから)
そう。
私はミア・ソレイユ・シルビアス。
ニアなんて人間は、元からこの世界に存在しないのだから。




