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エウロパを乗せてタウラスはどこへ行く

 観劇のことをクロエに話すと、クロエはすぐシリウスに連絡を取ってくれた。

 さらにシリウスは、さも当たり前という風に、当日は一緒に来てくれると言ってくれた。



(シリウスが一緒なら、大丈夫よね?)



 この日まで、私は自問自答を繰り返していた。


 私のせいで、レグルス様に変な噂が立つことだけは、どうしても避けたかったからだ。

 神父様に相談できなかったことだけが、少し心残りではあるけれど、こればかりは仕方がない。



「行こうか、ミア」


「はい、レグルス様」



 わざわざ部屋にまで来てくださったレグルス様に、頭を下げる。

 私はシリウスの手を取って、レグルス様の少し後ろを歩いた。


 馬車に揺られ、向かう先は劇場だ。

 ちらっと、窓から外の景色を見る。切り取られた空は、少しだけいつもよりも雲が多い。


 ミアは何回か観劇を見に行ったことがあるようだったけれど、私はこれが初めてだ。



(王都へ来てからというもの、初めてのことばかりね……)



 けれど、どれもこれも楽しくてたまらない。

 ミアに隠れて、ほんの少し自分を出すだけで、同じものがまったく違った意味を持つ。


 それを教えてくれたのは、他でもない神父様だ。

 本当に、神父様には感謝してもしきれない。


 だから今日は、思いっきり観劇を楽しもう。

 そう決めていた。



「ミア、どうかした?」


「えっ?」



 対面に座るレグルス様が、頬杖をついて長い脚を組みながら私に話しかける。


 何か、心配されるようなことをしただろうか?

 私は驚きながら、レグルス様の顔を見つめた。



「いや、すまない。まだ劇場にもつかないというのに、楽しそうにしているようだったから、ついね」


「す、すみません。久しぶりの観劇なので、その、楽しみで……顔に、出ていましたか?」


「気にしないでくれ。それに、そんなに楽しみにしてくれていたとわかって、僕としても誘って良かった」



 嬉しそうなレグルス様に、私は恥ずかしくなって顔を背けそうになる。


 けれど、だめだ。

 ミアはそんなことはしない。


 あくまで私は、ミアとしてここにいるのだから、ミアらしく振る舞わなければ。



「私もです。誘ってくださって、ありがとうございます」



 そう言いながら、私はミアの笑顔を作った。

 私の顔を見て、レグルス様はさらに満足気に口角を上げる。


 そのような話をしていたら、ゆっくりと馬車が止まった。

 どうやら劇場へ着いたらしい。


 シリウスに手を引かれながら馬車を降りると、そこにはすでに護衛が数名待機していた。

 一般客の姿は見えないので、ここはより高貴な方専用の入り口なのだろう。



「こっちだよ」



 レグルス様に言われるがまま、私は再びシリウスにエスコートされて、後ろを付いて歩く。普段からよく来られるのか、レグルス様はとても慣れた様子だ。


 けれど、私はそうではない。

 床に敷かれた真っ赤な絨毯は、ただ歩いているだけだというのに、その上質さがわかる。

 壁や天井の装飾も、舞踏会があった広間と同じように輝いていて、目がチカチカしてきた。


 あまりの自分の場違いさに、脚が震えそうになる。けれど、それに気づかれるわけにはいかない。私は震えを抑えるためにも、舞踏会の時のように脚に意識を集中させた。

 ついうっかり、シリウスの手を強く握ってしまったけれど、シリウスは何も言わなかった。


 階段を登り、廊下を進む。

 すると扉の前に、二人の護衛が立っていた。


 レグルス様が近づくと、護衛はその扉を開ける。

 どうやら中は、ボックス席になっているらしい。



「どうぞ」



 そう言って、レグルス様は私を中に促した。

 小さくお辞儀をして、私はシリウスの手を持ったまま中へ入ろうとする。



「……失礼。ここから先は、王家の方専用です。お付きの方はご遠慮ください」


「えっ?」



 思わず、護衛の顔を見つめてしまった。



(お付きの方……というのは、シリウスのこと?)



 私だけ、中に入れということらしい。


 てっきり、シリウスも私のすぐ側にいるものだと勘違いしていた。

 それがまさか止められるとは思わず、私は慌ててレグルス様の方を見る。


 それに気がついたレグルス様は、そっと目を細めた。



「かまわん。こいつはヴォルフラムの補佐だ。通せ」


「承知いたしました」



 そうレグルス様に促されると、護衛は一歩引いて道を開ける。

 改めて私は会釈をすると、シリウスと一緒にボックス席へ入った。



「ありがとうございます、レグルス様」


「良いよ。食事の時に約束していたし、君もこの方が安心だろう?」


「お心遣い、感謝いたします」



 レグルス様にとっても、私と二人きりというのは気になることなのだろう。

 こうしてシリウスも同席することを許してもらえて、とてもありがたい。


 けれど、なぜレグルス様はこれほどまでに、私によくしてくださるのだろう?



「……僕の顔が、どうかした?」


「い、いえ……!すみません、レグルス様」



 つい、レグルス様の顔をじっと見つめてしまっていたらしい。


 ミア……であっても、そうしそうだけれど、粗相があってはいけない。

 私は少しだけ顎を引いて、ミアがおねだりをするときによくしていた表情を作った。

 


「気にしなくていいよ。そんなことより、今日は楽しもう」


「そうですね」



 そう言って、私たちは席へ向かった。

 広いボックス席の中には、舞台側の開口部に椅子が二脚、そしてカーテンを隔てて扉側にソファとローテーブルが置かれている。


 私はカーテンの手前でシリウスの手を離して、レグルス様が待つ劇場の中、舞台が見える方へと進んだ。



「先に言っておくけど、この席は観劇自体は見にくいんだ。それだけは謝っておくよ」


「そうなのですね。……ッ!」



 そう言われて、私はボックス席から舞台を見下ろした。

 けれど見下ろせたのは、舞台だけではなかった。観客席に座る人の姿が、ここからははっきり見ることができたのだ。


 それもそのはずで、私たちがいる場所は舞台の右すぐ横……観客に姿が丸見えになる席だった。



「あまり顔を出すと、向こうから見えてしまうよ。ミア」


「え、えぇ……」



 レグルス様に言われ、私はすぐに下がってボックス席の後ろのソファへ腰掛けた。



「すまないね。観劇が見にくい席で」


「いいえ、そんなことありませんわ。開演が今から楽しみです」



 笑顔を作って、私はなんとかミアを演じる。


 けれど、問題は見えにくいことではない。

 他の観客に、私達の姿が見えてしまうかもしれない。それが問題だった。


 けれど、先ほどレグルス様は私にすぐ下がるように言ってくださった。ここまで下がれば、観客から私の姿は見えないのだろう。

 それになまじ見えていたとしても、すぐ近くにはシリウスの姿もある。

 変に思われることは、まずない……と思う。



「開演したら、こっちの椅子の方へおいで。観客席は暗くなるから、他の客からは見えにくい。シリウスといったか、君はカーテンの後ろでも?」


「承知いたしました、レグルス様」



 そう言って、シリウスは頭を下げると、カーテンの裏に控える。


 やはりレグルス様も、他の観客からどう見えているのかは気にされているらしい。

 私も、気をつけなければ。

 


「そういえば、演目を伺っていませんでしたわ。今日は何をなさるの?」


「あぁ、言ってなかったね。今日の演目は……」



 そう、レグルス様が言いかけたとき、会場の明かりが落ちた。

 ゆっくりと、赤い幕が上がっていく。


 レグルス様は私の手を取ると、椅子までエスコートしてくださった。ゆっくり、真っ赤なベルベットの椅子に腰を下ろす。


 舞台を見ると、庭園のようなセットが組まれていた。

 そこへ、王子と思われる男性が従者を引き連れて現れる。


 これって……。



「白鳥の湖、だよ」



 そう、レグルス様が教えてくださる。


 あぁ、やっぱり。

 セットと登場人物で、なんとなくそう思っていたけれど、やっぱりそうだった。


 美しい楽器の音に合わせて、舞台の上で役者達が舞う。



(セリフがない……。けれど、踊りと所作で、ストーリーがわかる。それに、登場人物の感情も痛いほど伝わってくる……)



 身を乗り出しそうになるのを堪えて、それでも視線は、舞台から離さなかった。

 瞬きさえも、惜しい。


 こんな表現の仕方があるなんて、知らなかった。


 気がつけば、物語はもうクライマックスだ。


 オデットに、王子が許しをこう。

 あとは……。



「……ミア」


「えっ?」



 暗いボックス席の中で急に、レグルス様が私にしか聞こえないほどの小さな声で、名前を呼んだ。

 思わずそちらを見れば、レグルス様は椅子から腰を浮かせていた。


 顔が、近い。

 なぜ……レグルス様の顔が、こんなに近くに?



「動かないで」



 低い声が、耳元で囁く。


 私が考えるよりも早く、レグルス様は手を伸ばす。

 その先にあるのは、私の首筋だ。


 髪と首筋の間に手が通って、指先が耳の後ろに触れる。

 

 びくりと、体が強張った。

 体が、急に冷たくなる。



「……紙吹雪が、付いていたよ」



 そう言って、レグルス様は何もないように笑った。



「ありがとう、ございます……」



 私もなんとか、ミアの笑いを作る。

 けれど、胸の奥だけが、まだ冷たくてたまらない。



(……紙吹雪だなんて、いつこんなところに?)



 演出にはそのようなもの、なかったはずなのに……。


 先ほど、レグルス様に触られた耳の後ろに、自分でも手を伸ばしてみる。

 そこにはまだ、レグルス様の指の感覚が残っていた。


 それが気になってしまって、内容が全く入ってこない。


 すると突然、拍手が会場内に響き渡った。

 客席を見下ろせば、皆、立ち上がって拍手をしている。


 私も慌てて立ち上がると、レグルス様を見ないようにしながら拍手を送った。


 そのせいで、私はまったく気がつくことができなかった。

 暗がりで輝く、レグルス様の金色の双眸に。


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