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「世界中のごはんを食べ尽くす!」——追放令嬢の食い倒れ世界制覇、始めますわ  作者: 歩人


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第7話: みんなの食卓

 マリカが村に駆け込んだ時、トマスが鍬を担いで畑に出ようとしているところだった。


「トマスさん! 皆さんを集めてください。今すぐ」


 息を切らしたマリカに、トマスが目を丸くする。


「何があったんだ?」


「丘の倉庫に、皆さんの食材が残っていました。七割は駄目でした。でも三割——まだ生きている食材がありますの。ルカが選別しています。今日中に調理しなければ、残りも死にます」


「俺の……蕪が?」


「芯はまだ生きています」


 トマスは鍬を地面に突き立てた。


「——ヨルグ爺さん!」


 向かいの家から、白髭の老人が顔を出した。


「何の騒ぎだ、朝っぱらから」


「爺さんの茸が見つかったんだ!」


 ヨルグは家の中に引っ込み、十秒後に帽子をかぶって出てきた。


「早く行くぞ」




 倉庫前の広場に、村人が集まり始めた。


 ルカは倉庫から運び出した食材を、広場の中央に並べていた。まだ使える蕪の山、芽を取れば食べられる芋、表面を削れば問題ない干し肉、保存処理をやり直せば復活する漬物。


「これが全部か」


 ヨルグが食材の山を見下ろした。


「春茸は……」


「駄目だ。茸は全滅だった」


 ルカの声は短かった。ヨルグは黙って頷いた。木こりの目に、一瞬だけ光るものがあった。


「……そうか。まあ、森に行けばまた採れる」


「爺さん——」


「いいんだ。蕪と芋が残ってるなら上等だ。——で、これをどうする」


 ルカは広場に集まった村人を見回した。農夫、木こり、猟師、その妻たち、子どもたち。二十人ほど。全員がルカの前に立つ食材の山を見ている。


「調理する」


 ルカが言った。


「全部、今日中に。——火を使える場所と、水と、刃物が要る」


「待ってくださいませ」


 マリカが前に出た。


 走ってきた息はもう整っている。琥珀色の瞳が、広場を——食材を——村人を——一巡した。


 その目は、昨夜の怒りとは違う光を帯びていた。冷静で、鋭くて、速い。何かを見抜こうとしている目だ。


「ルカ」


「何だ」


「食材の内訳、教えてくださいませ」


「蕪が木箱四つ。芋が三つ。干し肉が樽半分。漬物の残りが甕二つ。あとは木の実が袋一つと、チーズの塊がいくつか」


「調理器具は?」


「酒場の厨房が使える。鍋は大中小、釜が一つ。包丁は三本。——まともに切れるのは一本だけだがな」


「火は?」


「竈と焚火。石窯が一つ、村はずれにある」


 マリカの目が動いた。食材を見て、器具を数えて、火を確認して、人を見て——。


 三秒。


「わかりましたわ」


 マリカが振り返った。朝日を背にして、二十人の村人に向かった。


「皆さん。これから、この食材を全部使って料理を作ります。——ルカが」


「俺か」


「あなた以外にこの量を捌ける料理人がいますの?」


「……勝手にしろ」


「ありがとうございます。では、人員を配置しますわ」


 マリカが広場の中央に立った。声が通る。お嬢様の声は、こういう時にこそ武器になる。


「トマスさん。あなたは蕪の皮剥きをお願いします。農夫のあなたが一番、蕪の状態を見極められますわ」


「お、おう」


「皮は厚めに剥いてください。表面の傷んだ層を落とせば芯は使えます。——ルカ、蕪はスープに使いますわね?」


「ああ。根菜のスープだ。蕪と芋を合わせる」


「ヨルグさん。あなたは薪を。石窯の火入れをお願いしたいんですの。パンを焼きます」


「パンだと? 粉はあるのか」


「チーズの塊を削れば、チーズパンになりますわ。粉はなくても——ルカ、芋を潰して練れば生地の代わりになりますわね?」


「……なるな。芋と干し肉を練り込んだフラットブレッドなら石窯で焼ける」


「ですわ。ヨルグさん、石窯は何度まで上がります?」


「薪を選べば、そこそこ出せるぞ」


「お願いしますわ」


 マリカの指示が続く。猟師の妻に干し肉の下処理を頼み、子どもたちに木の実の殻割りを任せ、年配の女性に漬物の塩抜きを指示する。


 一人一人に、声をかけていく。


「あなたは力がありますわね。芋を潰す係をお願いします」


「あなたの手つき、丁寧ですわ。チーズを薄く削ってくださいませ」


「あなたたちは足が速いですわね? 井戸から水を運んでくださいませ。大鍋三杯分ですわ」


 誰一人、断らなかった。


 マリカの声には、命令の響きがなかった。「あなたにはこれが向いている」という確信だけがある。農夫に蕪を任せ、木こりに火を任せ、力のある者に力仕事を、器用な者に繊細な仕事を。


 人と仕事の最適な組み合わせを、マリカは三秒で見抜いた。


 ——美食の指揮グルメ・コンダクター


 料理人を最適に配置する能力は、料理の現場だけに限らない。人が動くところであれば、どこでも機能する。


「ルカ」


「何だ」


「全員の持ち場が決まりました。あとは、あなたの仕事ですわ」


 ルカは広場を見回した。二十人の村人が、それぞれの持ち場で動き始めている。混乱はない。無駄もない。トマスが蕪を剥き、ヨルグが石窯に火を入れ、子どもたちが木の実を割っている。


「……お前、いつの間にこの村の人間の顔と腕を覚えた」


「三日ですわ。皆さんの手を見れば、何が得意かわかりますの。トマスさんの手は蕪を育てた手。ヨルグさんの手は斧を振った手。あの奥さんの手は、干し肉を何百回も切った手」


「……化け物だな」


「褒め言葉として受け取りますわ。——さあ、料理長。指揮は終わりましたの。あとはあなたの厨房ですわ」




 ルカが動き始めた。


 酒場の厨房から大鍋を持ち出し、広場の焚火にかけた。まな板を据え、唯一まともに切れる包丁を研ぐ。


 トマスが剥いた蕪を受け取り、断面を一瞥する。


「いい蕪だ。芯が生きてる。——厚めに切る。形を残す」


 包丁が動いた。速い。正確。無駄がない。スープを仕込みながら串焼きの下味を付け、合間にフラットブレッドの生地を整形する。三つの工程が同時に進行する。


「トマス、蕪をもう一箱。——おい、干し肉は塩を振ってから串に刺せ。そのままだと焦げるだけだ」


 ルカの声が、厨房のそれに変わっていた。ぶっきらぼうだが、的確。村人たちが指示に従って動く。


 マリカはその光景を、少し離れた場所から見ていた。


 広場全体が一つの厨房になっている。焚火がコンロ。石窯がオーブン。井戸が水場。倉庫が食品庫。——そしてルカが、その全てを統べる料理長。


 マリカの唇が、小さく弧を描いた。


「……わたくしの舌で見えたものを、ルカの手が形にしてくれる」


 誰にも聞こえない声で、呟いた。




 昼過ぎ。


 広場に、匂いが満ちていた。


 根菜のスープが大鍋で煮立っている。蕪と芋がとろりと崩れかけ、干し肉の旨味が出汁に溶けている。表面に浮く脂の粒が光を受けて輝いている。


 石窯からは芋と干し肉のフラットブレッドが焼き上がり、チーズが溶けて香ばしい匂いを立てている。ヨルグが窯の口を開けるたびに、熱気と一緒に匂いが広場に流れた。


 焚火の脇では串焼きがじゅうじゅうと音を立てていた。干し肉を薄く削いで串に巻き、木の実を砕いたものをまぶして焼いている。脂が落ちるたびに炎が跳ね、煙が香ばしい。


 漬物は塩抜きして刻み、木の実と合わせた即席の和え物になった。


 広場の真ん中に、ありあわせの板と丸太で長いテーブルが組まれていた。村人の誰かが藁を敷き、誰かが花を一輪飾った。


 テーブルの上に、料理が並んでいく。


 根菜のスープ。芋と干し肉のフラットブレッド。串焼き。漬物の和え物。木の実のチーズ和え。


 五品。


 腐りかけの倉庫から救い出した食材で、ルカが作った五品。


「……できたぞ」


 ルカの声は低かった。コートの袖口が汗で湿っている。髪が額に張り付いている。


 村人たちが、テーブルの前に集まった。


 誰も座らなかった。


 食材を——自分たちが育て、採り、獲り、そして奪われた食材を。腐りかけていた食材を。こんな姿で戻ってくるとは思っていなかった。


 トマスがスープの椀を見つめていた。蕪が浮いている。自分が剥いた蕪。自分が育てた蕪。


「……食うぞ」


 ヨルグが最初に座った。木こりの老人は無造作にフラットブレッドを手で千切り、口に運んだ。


 噛んだ。


 二回噛んで、止まった。


「……うまいな」


 それだけ言って、もう一口。


 トマスが座った。子どもたちが座った。猟師の妻が座った。一人、また一人と、長テーブルに人が集まっていく。


 スープを啜る音。パンを千切る音。串焼きに齧りつく音。


 そして——。


「あの」


 マリカが、テーブルの端に立っていた。


「わたくしも、座ってよろしいですの?」


 トマスが椀を置いた。


「座んなよ。あんたが見つけてくれた食材だろ」


 マリカが座った。


 目の前に、根菜のスープの椀が置かれた。湯気が立っている。蕪と芋が溶けかけて、スープが琥珀色に濁っている。干し肉の脂が表面に浮いて、小さな虹を作っている。


 マリカは椀を持ち上げた。匂いを嗅いだ。一口、啜った。


 スープが舌に触れた瞬間、マリカの目が閉じた。


 温かい。温かくて、優しくて、どこにも尖ったところがない。蕪の甘みが芋のとろみに支えられて、舌の上でゆっくり広がる。干し肉の旨味がその下から追いかけてきて、最後に塩が全体をまとめる。


 三層。たった三つの素材で、ルカは三層の味を組み立てた。


 目を開けて、次はフラットブレッド。手で千切ると中からチーズが糸を引く。串焼きに齧りつく。漬物の和え物で舌を洗う。次から次へ。止まらない。


 全部を、一周、食べ尽くした。


 そして——マリカが目を閉じた。深く。長く。


 テーブルの向かいでトマスが椀を止めた。ヨルグが手を止めた。子どもたちが串焼きを持ったまま、マリカの顔を見ている。


 お嬢様の仮面が、静かに崩れていく。目を閉じたまま、マリカの顔が——。


「——んまぁ〜〜〜っ!!」


 叫んだ。


 テーブルが揺れた。椀のスープが跳ねた。トマスが椅子から半分落ちかけた。


「これ——! この蕪のスープ——! 蕪が! 芋が! 干し肉が! 三つしか入ってないのに三層ですわ!? 最初に蕪の甘味、次に芋のとろみ、最後に干し肉の旨味——全部が順番に来ますの! しかも塩が0.9%! 朝から働いた人が飲む完璧な濃度ですわ!」


 マリカが立ち上がった。椀を持ったまま。


「このフラットブレッド! 粉がないのに、もちもち——ルカ、あなた石窯の温度を途中で変えましたわね!?」


「……お前、食ってる最中にそこまで分析するな」


「串焼き! 木の実の衣がカリッ、中からじゅわっ——口の中で三幕構成ですわ!」


 マリカの目が爛々と輝いていた。琥珀色の瞳に火が灯っている。お嬢様の所作は完全に消え失せて、食べることの歓喜だけが全身から溢れ出している。


「ここに来なければ知らなかった味ですわ……!」


 マリカが椀を両手で包んだ。


「この蕪は、トマスさんが育てた蕪。この芋は、この村の畑の芋。この干し肉は、この村の猟師さんが獲った肉。——この村でしか揃わない食材で、ルカがこの村の人たちのために作ったスープ。これは、ここでしか飲めない味ですわ」


 声が、少しだけ震えた。


「……おいしいですわ。とても、とても、おいしいですわ」


 テーブルの向こうで、トマスの妻が涙を拭いていた。子どもが串焼きに齧りつきながら笑っている。ヨルグが黙ってスープを啜り、目を細めた。


 長テーブルの上に、小さな光が灯った。


 料理の上に浮かぶ、淡い、金色の光。


 食魔法——家庭級。心を込めた家庭料理が人を癒す、最も原初的な魔法。


 ルカの技術が食材を生かし、マリカの指揮が人を動かし、村人の手が食材を繋いだ。三つが重なった結果、スープに精霊力が宿った。


 トマスが椀を見下ろした。


「……光ってるな、これ」


「食魔法だ」


 ヨルグが静かに言った。


「昔、婆さんが風邪をひいた時に作ったスープが光ったことがある。——こいつは、そういう味だ」


 子どもたちが「光ってる!」と声を上げた。女たちが微笑んだ。男たちがスープを見て、少し照れくさそうに笑った。


 テーブルを囲む二十人の顔に、同じ表情が浮かんでいた。


 腹が満ちている。体が温かい。——ここに、自分の食卓がある。




 ルカは厨房の釜の前に立っていた。


 追加のスープを仕込みながら、広場のテーブルを見ている。


 マリカが食べている。スープの二杯目を飲みながら、フラットブレッドを千切っている。頬が緩んでいる。食べるたびに体が揺れている。子どもに串焼きの食べ方を教えながら、自分の分をもう一本追加している。


 ——あの食い方。


 ルカの手が、止まった。


 鍋の中のスープが、ぐつぐつと煮立っている。かき混ぜなければ底が焦げる。わかっている。わかっているのに、手が動かない。


 マリカが三杯目のスープに手を伸ばしている。椀を持ち上げて、匂いを嗅いで、一口啜って——また目を閉じた。さっきと同じスープなのに、また目を閉じた。そして、ふわりと笑った。


「ルカさん、焦げるよ」


 トマスの声で我に返った。


「——っ」


 慌てて杓子を掴み、鍋底をかき混ぜる。ぎりぎり間に合った。焦げてはいない。


「……うるせぇ。わかってる」


「いや、結構長いこと止まってたぞ」


「わかってると言ってるだろ」


 ルカは鍋に向き直った。スープの味を確認する。蕪の甘みが出きっている。芋がちょうどいい柔らかさ。塩は——もう一つまみ。


 トマスが隣で蕪を剥きながら、何か言いたそうにしている。ルカはそれを無視した。




 食事が終わる頃には、日が傾き始めていた。


 誰が言い出したわけでもなく、村人たちが片付けを始めた。鍋を洗い、テーブルを拭き、残った食材を保存用に処理する。ルカが指示を出し、マリカが配置を整え、流れるように作業が進んだ。


 トマスが、マリカの隣に来た。


「お嬢さん」


「マリカで構いませんわ」


「じゃあ、マリカさん。——ありがとうな」


「わたくしは何もしていませんわ。食材を見つけて、人を並べただけですの」


「それが全部だろ」


 トマスは畑の方を見た。


「あの蕪、俺が春に植えたやつだ。芽が出た時は嬉しかったんだ。子どもに食わせたかった。——それが領主に持っていかれて、もう戻ってこないと思ってた」


「……トマスさん」


「今日、あんたが皮を剥けって言ったろ。蕪を持った時、手が震えたよ。俺の蕪だって、すぐわかった」


 トマスが笑った。目が赤い。


「うまかったな、あのスープ」


「えぇ。とても」


 マリカも笑った。昨夜の怒りの残像は、もうどこにもない。代わりに——食べ物が人の腹に届いた安堵が、琥珀色の瞳に静かに灯っていた。




 日が沈みかけた頃。


 マリカは広場の端に座っていた。膝の上に、開いていない包みがある。


 ルカが夜明け前に作った弁当。あの倉庫に向かう前に渡されて、一度も開けなかった弁当。


 包みを開いた。


 中身は、握り飯だった。蕪の浅漬けを芯にして、干し肉を薄く巻いた握り飯が二つ。小さな漬物が添えてある。


 冷めている。朝から半日以上経っている。干し肉が少し硬くなっている。蕪の浅漬けの水分が米に移って、外側がしっとりしている。


 マリカは一口齧った。


 冷たい握り飯が、歯を受け止めた。蕪の浅漬けの塩気が、冷めた米の甘みを引き立てる。干し肉の旨味が遅れてやってくる。


 ——温かくはない。出来たての美味しさはない。


 でも。


「……おいしいですわ」


 マリカの声は、誰にも聞こえなかった。


 ルカは弁当を、夜明け前に作った。マリカが倉庫に行くと知る前に。マリカが怒りで食事を忘れると知る前に。ただ「朝飯が要る」と思って、作った。


 その弁当が、半日遅れでマリカの腹に届いた。


「ルカ」


 振り返ると、ルカが釜の片付けをしていた。


「あの弁当、おいしかったですわ」


「……冷めてただろ」


「冷めていても、おいしいものはおいしいんですの」


 ルカは何も言わなかった。釜を磨く手が、少しだけ強くなった。



最後まで読んでいただきありがとうございました。


前回、食事シーンがゼロだった反動で、今回は食べまくりです。マリカの「んまぁ〜〜〜っ!!」を書いている時、作者自身がお腹が空きました。


蕪と芋と干し肉の三品しかないスープが、なぜあんなに美味しそうに感じるのか。それは食材が「この村の人たちのもの」だとマリカが知っているからだと思います。食べ物の味は、素材と技術だけでは決まらない。誰が作ったか、誰のために作ったか——それも味の一部なんだと、マリカに教えてもらいました。


ルカの弁当、マリカは結局半日遅れで食べました。冷めた握り飯でも「おいしい」と言える。それがマリカの舌の凄さであり、ルカへの信頼なのだと思います。


次回、ルカとマリカの旅立ちです。まだ食べたことがない味を求めて——。


◇◆◇ 歩人の連載作品 ◇◆◇


▼ 「捨てられ令嬢は最後に笑う」シリーズ

婚約破棄・追放・裏切り——捨てられた令嬢たちが、それぞれの方法で最後に笑う短編シリーズです。


・「お前は道具だった」と笑った婚約者が〜【知略型】

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・毒が効かない体になるまで〜【断罪型】

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