第59話: あの味をもう一度
大宴会の、前夜だった。
王都の広場に、六つの種族分の仕込みが並んでいた。
ルカが、巨大な窯に火を入れている。ガルムが、運び込まれた食材を仕分けている。サリムが、保存の利く順に並べ替える。フィリアが、一つひとつの食材に手を当てて、状態を確かめている。マリカは、その全部に、目を配っていた。
忙しい、夜だった。
その時。
広場の入口に、人影が立った。
「……マリカさん」
マリカが顔を上げた。
日に焼けた農夫だった。うしろに、妻と、子供が二人。
「トマスさん!?」
マリカの目が丸くなった。
辺境の村の、トマスだった。マリカとルカが、いちばん最初に食卓を立て直した、あの村の。
「どうして、ここに」
マリカが駆け寄った。
「噂を、聞いてな」
トマスは、照れたように頭をかいた。
「王都で、すげえ宴があるって。あんたたちが、やるって。——それで、いてもたっても、いられなくてな」
トマスは、うしろの家族を見た。
「あんたたちが作った、あの飯が。——忘れられなかったんだ。家族にも、食わせたくてな。だから、来た」
マリカは、言葉が出なかった。
あの村を出てから、二年が経っていた。トマスは二年、あの一皿を覚えていた。
その後ろから、小さな影が駆けてきた。
「マリカおねえちゃん!」
子供だった。痩せていた頬が、今は、ふっくらと色づいている。
「ミカ?」
マリカがしゃがんだ。
南部の村の、ミカだった。飢えた村で、おかわりという言葉を知らなかった子。
「おねえちゃん。ぼく」
ミカが、息を切らして言った。
「おかわりを、しに来ました!」
マリカの息が、止まった。
あの日、空の椀を抱えて俯いていた子。もう一杯ほしいと言ってはいけないと諦めていた、あの子。
その子が今、自分の足で、王都まで来て。
「おかわり、いいの?」
ミカが見上げた。あの日と、同じ言葉で。
マリカは、ミカの頭を撫でた。
「……ええ」
マリカの声が揺れた。
「いくらでも。——明日は、いくらでも、ありますわ」
「ぼくね」
ミカが、にっこり笑った。
「ずっと、おねえちゃんに、おかわりって言いたかったんだ」
それから、人が止まらなかった。
アペティアの屋台の、店主たち。南部の村の、住民たち。鍛冶町のドワーフ。海辺で出会った、漁師たち。
次々と、広場に集まってくる。
誰も、マリカが呼んだわけではなかった。
「あんたの作った飯、もう一回食いたくてな」
「あの炊き出しの味が、忘れられなくて」
「噂を聞いて、三日歩いてきた」
「あんたが食ってる顔が、夢に出るんだよ。あれ見てると、腹が減ってな」
みんな、自分の足で来ていた。
マリカは、広場の真ん中で立ち尽くした。
集まってくる人々を、ただ見ていた。
「……どうして」
マリカの声が掠れた。
「どうして、みなさん、来てくださったの? わたくし、呼んでいませんわ。手紙も、出していませんもの」
トマスが笑った。
「呼ばれてねえよ」
トマスは、広場を見回した。
「——でも、来たかったんだ。あんたの食卓が、忘れられなくてな。それだけだ」
マリカの目から、涙がこぼれた。
マリカはいつも、自分のために食べてきた。
知らない味を、知りたくて。おいしいものを、食べたくて。
その旅の途中で、ただ誰かと一緒に、ごはんを食べてきた。飢えた村で。砂漠で。森で。海で。
その一回ずつの食卓を、人々は覚えていた。
マリカが、世界に蒔いた種が。
今、一斉に芽吹いていた。
英雄になったわけでは、なかった。女王になったわけでも。
ただ、おいしそうにごはんを食べる令嬢を、人々は忘れられなかった。
それだけのことが、世界中から人を呼んでいた。
ルカが、マリカの隣に来た。
「……すげえ人数だな」
「ええ」
マリカが涙を拭った。
「ルカ。明日は、忙しくなりますわよ」
「ああ」
ルカが窯を見た。
「六種族分どころじゃ、ねえな。——全員分、作るぞ」
ガルムが食材を担ぎ直した。サリムが保存樽を数え直す。フィリアが、新しく届いた食材に手を当てる。
誰も、何も、言わなかった。
言う必要が、なかった。
明日、世界中の食卓が、ひとつになる。
その準備が、静かに進んでいた。
広場の篝火が、集まってきた人々の顔を照らしていた。
どの顔も、明日を待っていた。
あの味を、もう一度。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「あの味をもう一度」、大宴会前夜の回です。
この回は、マリカが「呼んでいない」ことが、いちばん大事でした。手紙も出していない。なのに、人が集まってくる。辺境のトマス、南部のミカ、アペティアの屋台仲間、ドワーフ、漁師。みんな、自分の足で、王都まで来る。
マリカは、英雄になったわけじゃありません。女王にもなっていない。ただ、おいしそうにごはんを食べる令嬢を、人々が忘れられなかった。それだけで、世界中から人が集まる。マリカが旅の途中で囲んだ、一回ずつの食卓。その種が、ここで一斉に芽吹きます。
ミカの「おかわりを、しに来ました」。南部の飢えた村で、おかわりという言葉を知らなかった子です。一杯だけだと諦めて、空の椀を抱えて俯いていた。その子が、自分の足で王都まで来て、「おかわりをしに来た」と言う。書いていて、泣きそうになりました。
トマスの「呼ばれてねえよ。でも、来たかったんだ」。これが、この物語の、いちばん伝えたかったことかもしれません。マリカは、誰も巻き込んでいない。人々が、勝手に、来たくなった。食卓って、そういうものだと思うんです。
次回、いよいよ、最終話。六つの種族と、世界中の人々が、ひとつの食卓を囲みます。「世界の食卓」。マリカの旅の、集大成です。
ここまで読んでくださったすべての方に、深く感謝します。次回、最終話「世界の食卓」。
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