第58話: 今度はわたしが
エルフの氷雪の里に、雪が降っていた。
フィリアが里の門をくぐった。
この冬のはじめ、二十七年ぶりに帰ったあの門。今はもう、誰も「壊れたエルフ」とは呼ばなかった。
長老が迎えに出ていた。
「よく来た、フィリア」
長老は穏やかに笑った。
「だが、お前の用件は、わかっている。あの人間の、宴の話だろう」
「はい」
フィリアは頷いた。
「長老。里を、宴に。六つの種族が、ひとつの食卓を囲む宴に、エルフの里も」
長老の顔から笑みが消えた。
「できぬ」
長老は静かに言った。
「エルフは数百年、隠れて生きてきた。人間に見つかれば里は焼かれる。それが我らの歴史だ。人間の食卓に里を出すなど、危険すぎる」
マリカが口を開きかけた。
その時。
フィリアが、一歩前に出た。
「マリカさん」
フィリアは静かに言った。
「——今度は、わたしが話します」
マリカは何も言わずに、引いた。
フィリアが長老の前に立った。
味を失い、里を追われ、二十七年さまよった、そのエルフが。
「長老」
フィリアは、まっすぐ長老を見た。
「わたしは、味を失いました。里にいた頃は、それがすべての終わりだと思っていました。味のわからないエルフに価値はない、と」
フィリアの声は震えていなかった。
「でも、里を出て知りました。——味のない自分にしか聴こえないものが、あると」
フィリアは持ってきた包みを開いた。
中には、一皿の料理があった。
「これは、わたしが作りました」
長老が目を見開いた。
味のわからないエルフが料理を作る。それは里の常識では、ありえないことだった。
「味は、わかりません。だから味では作っていません。——この食材たちが、何と出会いたがっているか。それを聴いて、組みました」
フィリアは、その皿を長老の前に置いた。
「召し上がってください」
長老は、しばらくその皿を見ていた。
それから、ひと匙口に運んだ。
長老の手が止まった。
もう一匙。
また、止まった。
長老の目から、雫がこぼれた。
「……これは」
長老の声が掠れていた。
「里の薬草と、外の香草が——喧嘩していない。手を繋いでいる。こんな組み合わせ、わしは二百年、考えたこともなかった」
長老はフィリアを見上げた。
「お前は——味を失って、味より深いものを、得たのだな」
フィリアの目に、涙がにじんだ。
この冬のはじめ、この里で流した涙とは、違う涙だった。
「長老」
フィリアは、涙を拭って言った。
「わたしは、味がわかりません。でも、これだけは、聴こえるんです」
フィリアは、皿の上の料理を見た。
「この食材たちは——世界中の食卓と、出会いたがっています」
雪の降る里に、フィリアの声が、静かに響いた。
「里の薬草は、砂漠の香辛料と出会いたがっている。エルフの果実は、人間の窯と出会いたがっている。何百年も閉じてきた里の味が——外の味と手を繋ぎたがっているんです。わたしには、その声が聴こえます」
長老は、長いあいだ黙っていた。
それから、ゆっくりと立ち上がった。
「……わかった」
長老は雪の空を見上げた。
「数百年、わしらは隠れることで里を守ってきた。だが、お前は——開くことで里を生かす道を、見つけたのだな」
長老はフィリアに向き直った。
「行こう。エルフの里も、その食卓に座る。お前が、開いた道だ」
里を出る時。
マリカがフィリアの隣に並んだ。
「フィリアさん」
マリカが笑った。
「素敵な一皿でしたわ。わたくし、食べていないのに、わかりますの」
「マリカさんでも、わからないでしょう。味は、めちゃくちゃかもしれません」
「ええ。味は、わかりませんわ」
マリカは空を見上げた。
「でも、あの長老が泣いたんですもの。——味より深いものが、入っていたんですわ」
フィリアは、フードの下で笑った。
笑うのが下手なエルフが、いつのまにか自然に笑えるようになっていた。
これで、六つの種族が、揃った。
獣人。ドワーフ。マーフォーク。エルフ。人間。そして、ナジールの民。
六つの神の食材と、六つの種族。
すべてが、ひとつの食卓に向かおうとしていた。
「では」
マリカが王都の方角を見た。
その目が、いつものように輝いていた。
「帰りましょう。世界の食卓を、始めるために」
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「今度はわたしが」、フィリアの回です。
最後の壁は、エルフの里でした。数百年、隠れて生きてきた里。人間の食卓に出るのは、危険すぎる。長老が渋るのは、当然です。マリカが口を開きかけた時、フィリアが前に出ます。「今度は、わたしが、話します」。
この一言が、書きたかった。かつて「壊れたエルフ」と呼ばれ、味を失って里を出た者が、今度は里を動かす側に立つ。この冬のはじめ、この里で泣いていたフィリアが、です。
フィリアが初めて「作った」料理。味はわかりません。だから、味では作っていない。「この食材たちが、何と出会いたがっているか。それを聴いて、組みました」。長老が、それを食べて泣く。「お前は、味を失って、味より深いものを得たのだな」。フィリアの成長が、ここで結実します。
そして、フィリアの言葉。「この食材たちは、世界中の食卓と、出会いたがっています」。里の薬草は砂漠の香辛料と、エルフの果実は人間の窯と、出会いたがっている。閉じてきた里の味が、外と手を繋ぎたがっている。——この言葉が、次の最終話で、文字通りの意味を持ちます。覚えておいてください。
六つの種族が、揃いました。六つの神の食材と、六つの種族。すべてが、ひとつの食卓に向かいます。
次回、いよいよ、人々が集まり始めます。マリカが呼んだのではなく、人々が、集まる。
ここまで読んでくださったすべての方に、深く感謝します。次回、「あの味をもう一度」。
◇◆◇ 歩人の作品 ◇◆◇
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