第57話: あなたの料理を食べに来ました
六つの神の食材が、揃った。
森の心臓茸。溶岩蜜酒。深海真珠貝。黒胡椒。精霊の雫果。黄金小麦。
だが、マリカはレシピの最後の一行を、声に出して読んだ。
「『心を一つにして食す者のみ』」
マリカは顔を上げた。
「六つの種族を、ひとつの食卓に集めるんですの。——獣人も、ドワーフも、マーフォークも、エルフも、人間も、ナジールの民も。全部、一緒に」
「無理だろ」
ガルムが低く言った。
「種族ってのは、何百年も互いを避けてきた。同じ食卓なんて、誰も座らねえ」
「あら」
マリカが、にっこり笑った。
「では、行脚ですわ。わたくしが、会いに行きますの」
最初に向かったのは、ドワーフの鍛冶の里だった。
溶岩蜜酒を分けてくれた、ハルドの里。
ハルドは、マリカたちを見るなり、太い腕を広げた。
「おお! あの令嬢に、あの料理人か! また来やがったな!」
以前、ルカと飲み比べをした鍛冶頭だった。ルカの底なしの酒に惚れ込んだ男だ。
「ちょうどいい。蜜酒の新しい煮込みが、できたところだ。——食っていけ」
マリカは、出された蜜酒の料理を一口食べた。
その瞬間。
「——んまぁっ!」
マリカの全身が跳ねた。
「この蜜酒の煮込み! 火の通し方が、変わりましたわね!? 前に食べたときより、コクが深いですの! 溶岩の温度を、少し下げましたわね!? それで、糖が焦げずに、奥まで——ああ、もう、おかわりですわ!」
ハルドが、豪快に笑った。
「がっはっは! 嬢ちゃんは、相変わらずだな!」
マリカは、二杯目をかき込みながら言った。
「ハルドさん。実は、お願いがありますの。——王都で、宴を開きますの。六つの種族が、ひとつの食卓を囲む宴ですわ。ハルドさんにも、来ていただきたいんですの」
ハルドは、髭をしごいた。
それから、にやりとした。
「……あの料理人の酒が、また飲めるのか?」
「ええ。いくらでも」
「なら、行くに決まってるだろうが!」
ハルドは、空の杯を、どんと卓に置いた。
「人間も獣人もエルフも、みんな来るんだろう? ——面白え。そういうのは、嫌いじゃねえ」
マーフォークの珊瑚の宮殿でも、同じだった。
深海真珠貝の料理を食べたマリカが、全身で叫ぶ。珊瑚姫が呆れて、そして笑う。
「あなた、本当に、食べることしか考えていないのね」
「ええ」
マリカは胸を張った。
「それが、わたくしの取り柄ですの」
行く先々で、同じことが起きた。
マリカは口説かなかった。ただ、その種族の料理を、誰よりもおいしそうに食べた。
食べてくれる人間を、誰も追い返せなかった。
そして、獣人の里。
ここだけは、マリカが行かなかった。
ガルムが前に出たからだ。
「嬢ちゃん」
ガルムが、里への道を見ながら言った。
「ここは、俺が行く」
マリカは何も言わずに、頷いた。
ガルムは一人で、石の門をくぐった。
長老は、奥の岩屋にいた。
ガルムを見て、片眉を上げた。
「戻ったか。——頭目猟師の話、考え直したか」
「いや」
ガルムは首を振った。
「あの話は、断った。今も、断る」
長老の目が細くなった。
「では、何をしに来た」
ガルムは、しばらく黙っていた。
それから、まっすぐ長老を見た。
「頼みに来た。——嬢ちゃんの、代わりにな」
ガルムは息を吸った。
「人間の王都で、宴がある。六つの種族が、ひとつの食卓を囲む宴だ。——長老。食いに来い」
岩屋が、静かになった。
「獣人が、人間の食卓に座る、と」
「ああ」
「何百年、誰もやらなかったことだぞ」
「わかってる」
ガルムは引かなかった。
「俺は、里の血だ。同時に、あいつらの食卓の一員だ。その両方を繋げるのは、俺しかいねえ。だから、俺が頼みに来た」
長老は、長いあいだガルムを見ていた。
かつて、頭目猟師の座を蹴った男。里と仲間の、両方を選んだ男。
長老が、ふっと息を吐いた。
「……変わったな、お前は」
「ああ」
「いや」
長老が首を振った。
「変わってない。お前は、昔から、欲張りだった。——二つとも、欲しがる」
長老が立ち上がった。
「お前がそう言うなら。行こう。獣人の里の長老として、その食卓に座ってやる」
ガルムは頭を下げた。
追放された帰還では、なかった。
自分の意志で、二つの世界に、橋を架けた瞬間だった。
里を出たガルムを、サリムが待っていた。
「うまくいったかね」
「ああ」
ガルムが短く返した。
サリムが、にやりと笑った。
「では、忙しくなるな。六種族分の食材だ。——俺が保存と輸送を組む。お前は、獲って、運べ」
「ああ」
ガルムが頷いた。
「俺が獲って、お前が保つ。最初から、そうだっただろ」
サリムが肩をすくめた。
「違いない」
砂漠の商人と、森の猟師。出会った頃は、犬猿の仲だった二人が。
今は、言葉少なに背中を預け合っていた。
残るは、一つ。
エルフの、氷雪の里。
マリカが、地図を見ながら唸った。
「エルフの長老だけは、まだ渋っていますのよね。人間の宴に里を出すのは危険だと」
その時。
フィリアが、静かに前に出た。
「マリカさん」
フィリアが、フードを少しだけ上げた。
「——今度は、わたしが、話します」
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「あなたの料理を食べに来ました」、各種族への行脚の回です。
六つの食材が揃っても、最後の条件が残っていました。「心を一つにして食す者のみ」。六つの種族を、ひとつの食卓に。でも、種族は何百年も互いを避けてきた。同じ食卓なんて、誰も座らない。
マリカの外交は、口説きません。ただ、その種族の料理を、誰よりもおいしそうに食べる。「説得に来たのではありませんの。あなたの料理を、食べに来ましたの」。これが、マリカのやり方です。理屈じゃない。食べてくれる人間を、誰も追い返せない。マリカが最後まで「食べる天才」として物語を動かす、その集大成です。
そして、獣人の里。ここだけは、マリカが行きませんでした。ガルムが前に出たからです。かつて頭目猟師の座を断り、「いつか帰る」と言った男。その男が、今度は自分の意志で里の門をくぐり、長老に頼む。「嬢ちゃんの代わりに、俺が頼む。長老、食いに来い」。
長老の「変わってない。お前は昔から欲張りだった。二つとも欲しがる」が、好きな台詞です。ガルムは、受け入れられたんじゃない。自分で、二つの世界に橋を架けた。それが、この猟師の成長の形です。
サリムとの「俺が獲って、お前が保つ。最初からそうだっただろ」。出会った頃は犬猿の仲だった二人が、今は背中を預け合う。旅は、こういうものを残していきます。
次回、最後の里——エルフの氷雪の里へ。今度は、フィリアの番です。
ここまで読んでくださったすべての方に、深く感謝します。次回、「今度はわたしが」。
◇◆◇ 歩人の作品 ◇◆◇
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