第53話: 暴食令嬢、帰還する
王都ロワイヤルの門は、二年前と同じだった。
白い城壁。行き交う人々。けれど、マリカの鼻は二年前と違うものを嗅ぎ取っていた。
「……匂いが痩せていますわ」
マリカが門をくぐりながら、呟いた。
「二年前はもっといろんな匂いがしましたの。パン屋の窯。肉屋の燻製。屋台の油。——今は、どれも薄いですわ」
五人は、市場に足を踏み入れた。
活気が、なかった。
屋台の数は減り、並ぶ人の列も短い。マリカは、いちばん近い焼き鳥の屋台で一本買った。
ひと口かじる。
「……油の質が落ちていますわ」
マリカが、眉を寄せた。
「古い油を継ぎ足し継ぎ足し使っていますの。それに、串の打ち方が雑ですわ。火の通りが均一じゃありません。——二年前の王都は、もっとおいしかったのに」
ルカが、その焼き鳥を横から一口もらった。
噛んで低く言った。
「……ひでえな。宮廷が、こんな味を放置してるのか」
王都の食が、痩せていた。
マリカが去ってから。
宮廷からの使者が、五人を迎えに来た。
追放された令嬢が堂々と王都に戻ってきた、という噂は、もう宮廷じゅうに広まっていた。
謁見の間で、エドモンドが待っていた。
二年前より、髪が薄くなっていた。
「マリカ・ベルモント」
エドモンドは、咳払いをして言った。
「君に伝えることがある。——王命により、君の追放令を、本日をもって正式に撤回する」
謁見の間が、静まり返った。
追放された令嬢の名誉回復。それが、どれほど異例のことか。居並ぶ貴族たちが、息を呑んだ。
マリカは。
「あら」
きょとんと、首をかしげた。
「どうでもいいですけど、ありがとうございますわ」
エドモンドの口が、半開きになった。
「……どう、でも」
「ええ。だって、わたくし戻りたくて戻ったわけじゃありませんもの。——黄金小麦を、いただきに来ましたの」
マリカが、にっこり笑った。
エドモンドは、しばらく言葉を失っていた。
二年、悔いてきた。追放した自分を。マリカが帰れる国を作ろうと、必死に、動いてきた。その撤回令を——マリカは、「どうでもいい」と、一蹴した。
けれど、不思議と腹が立たなかった。
むしろ安心した。
マリカは、何も変わっていなかった。
その夜、エドモンドはマリカたちを晩餐に招いた。
形だけの礼儀だった。けれど、エドモンドには、ひとつ確かめたいことがあった。
宮廷料理が、運ばれてくる。
その中に、あの一皿が、あった。
豚肉と鶏レバーのテリーヌ。二年前、マリカが「火入れが甘い」と言って断罪劇の引き金になった、あの料理だ。
マリカは、それを見た。
懐かしむようにフォークを取る。
ひと切れ口に運ぶ。
目を閉じる。
そして——首をかしげた。
「あら」
マリカが、静かに言った。
「前より、ひどくなっていますわ」
エドモンドのフォークが止まった。
「……ひどく?」
「ええ。二年前は、火入れが甘いだけでしたの。素材はよかった。だから惜しかったんですわ。——でも、今は」
マリカは、テリーヌの断面を見た。
「素材から崩れていますの。レバーの鮮度が落ちている。豚肉の部位も間違っていますわ。火入れ以前の問題ですの。——作っている人が、何を目指しているのか、わからなくなっている味ですわ」
謁見の間が、しんとした。
エドモンドは、自分の皿のテリーヌを見下ろした。
二年前、この料理はマリカに「火入れが甘い」と、たった一点だけ指摘された。それ以外は完璧だった。
その料理が、今や素材から、崩れている。
「……なぜだ」
エドモンドが、掠れた声で言った。
「宮廷料理人は、変わっていない。腕も落ちていないはずだ。——なのに、なぜ、味が」
「目印が、消えたからですわ」
マリカは、静かに言った。
「料理人は、誰かの『おいしい』を目印に作りますの。その目印がいなくなると——どこを目指せばいいか、わからなくなる。少しずつずれていく。二年かけて、ここまで」
マリカは、エドモンドを見た。
責める目では、なかった。
「わたくしがいなくなって、王都の食卓には『おいしい』の目印が、いなくなりましたのね」
エドモンドの肩が落ちた。
崩れ落ちるように、椅子の背にもたれた。
「……私が」
エドモンドの声が、震えた。
「私が、追い出したせいだ。——王都の食が、こうなったのは」
マリカは、その姿をしばらく見ていた。
それから、ふと立ち上がった。
ルカを振り返る。
「ルカ。ちょっと厨房を、見てきてもよろしくて?」
「……宮廷の厨房を、か」
ルカの声が、わずかに硬くなった。
かつて、ルカが追われた場所。
「ええ」
マリカが、頷いた。
「王都の食を、立て直すには。——まず、厨房からですわ」
エドモンドが、顔を上げた。
「……立て直す? 君が、王都の食を?」
「あら。立て直すなんて、大層なことは、言っていませんわ」
マリカが、笑った。
「ただ、おいしいものを食べたいだけですの。——王都には、まだわたくしの知らない味が眠っていますわ。それを起こすだけ」
マリカは、謁見の間を出ていった。
その背中を、エドモンドが見送った。
追放した令嬢が、自分の国の食を、立て直そうとしている。
その背中は、二年前と何ひとつ、変わっていなかった。
変わったのは、王都のほうだった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第五章「世界の食卓」、完結編の始まりです。
マリカが、ついに王都へ帰ってきました。二年前、彼女は「火入れが甘い」とテリーヌに一言だけ言って、追放されました。その同じテリーヌが、今や「素材から崩れている」。これが、この回でいちばん書きたかった回収です。
マリカがいなくなって、王都の食が痩せていく。それは、宮廷料理人の腕が落ちたからじゃありません。「おいしい」の目印が、いなくなったからです。料理人は、誰かの「おいしい」を目指して作る。その誰かがいなくなると、どこを目指せばいいか、わからなくなる。マリカは、世界中で「おいしい」を言い続けてきた人です。彼女がいない王都が、味を見失うのは、当然のことでした。
エドモンドの「私が追い出したせいだ」。彼は、二年間、悔いてきました。追放令の撤回も、本心です。なのにマリカは「どうでもいいですけど、ありがとうございますわ」と一蹴する。これは冷たさではありません。マリカにとって、過去はもう、どうでもいいのです。彼女はいつも、次の味を見ている。
次回、ルカが、宮廷厨房に戻ります。かつて追われた場所へ。
ここまで読んでくださったすべての方に、深く感謝します。次回、「この厨房、汚いですわ」。
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