第43話: 溶岩蜜酒
ドワーフの町は、火の匂いがした。
火山の裾野に、鍛冶場がひしめいている。あちこちで槌の音が響き、煙突から橙色の煙が立ちのぼっていた。空気そのものが、熱く乾いていた。
その町のいちばん奥、地熱の湧く岩窟に、溶岩蜜酒はあった。
「飲み比べだ」
鍛冶頭のハルドが、太い腕を組んで言った。背は低いが、横幅がマリカの倍はある。赤い髭が胸まで垂れていた。
「神の酒を、ただでくれてやる気はねえ。——おれと飲んで、最後まで立っていられた奴に、ひと樽くれてやる。飲めない奴は、帰んな」
マリカは岩窟の奥から漂う、蜜酒の匂いを、一口、嗅いだ。
甘い。蜂蜜の深い甘さ。けれど、その奥に火が潜んでいる。
「……これは、強いですわね」
マリカは眉を寄せた。
「蜂蜜の甘さで、舌が騙されますの。でも、喉を通った後で火が来ますわ。——わたくし、お酒は一滴も飲めませんのよ」
「じゃあ、お前は失格だ」
「いいえ」
マリカはにっこり笑った。
それから振り返って、ルカを見た。
「ルカが、飲みますわ」
「は?」
ルカが眉を上げた。
「なんで、俺が」
「あなた、お酒に強いでしょう?」
「……だから、なんでわかるんだ。俺は、酒の話なんか、一度もしてないぞ」
「血管の膨張速度ですわ」
マリカは当然のように言った。
「旅の初めに、見ましたの。あなたの体は、お酒を水みたいに流しますわ。——たぶん、この町でいちばん強いですの」
ルカは口を半分開けて、閉じた。
それから、深いため息をついた。
「……俺の体のことを、俺より知ってるの、やめろ」
「あら。料理人の体は、いちばんおいしい食材ですもの」
「それ、褒めてんのか」
ルカは上着を脱いだ。
腕を、まくる。
ハルドの前の岩の卓に、どっかと座った。
「……ひと樽だな。約束だぞ、ドワーフ」
ハルドがにやりと笑った。
「人間が、おれと飲むか。——いいだろう。後悔するなよ」
勝負は、あっけなかった。
ハルドが一杯。ルカも一杯。
ハルドが三杯目で顔を赤くした。ルカはまだ、涼しい顔だった。
ハルドが五杯目で呂律が怪しくなった。ルカは、肴の干し肉をつまんでいた。
ハルドが七杯目で、卓に突っ伏した。
ルカは八杯目を飲み干して、椀を置いた。
「……まだ、やるか」
ルカが低く言った。
岩窟が、静まり返った。
ドワーフたちが、信じられないものを見る目でルカを見ていた。鍛冶頭が、酒で負けた。それも、人間に。
「……ば、化け物か、お前は」
ハルドが、卓に突っ伏したまま呻いた。
「おれの蜜酒で、八杯……一滴も、乱れねえとは……」
ルカはついでに、九杯目を飲んだ。
それから十杯目も。
ぷはっ、と息を吐く。
「……うまい酒だ」
ルカがぽつりと言った。
「火が、まっすぐでいい。——料理に使ったら化けるな、これは」
その一言で、ドワーフたちが、どっと沸いた。
その夜、鍛冶町は宴になった。
ハルドが、ひと樽どころか三樽出してきた。「あんな飲みっぷりは、十年ぶりだ」と上機嫌だった。火山パンが焼かれ、ジビエが炙られ、蜜酒が際限なく注がれていく。
マリカは、蜜酒は飲めない代わりに火山パンを山ほど食べていた。
「んまぁ——! 外はカリカリ、中はもちもち。火山の熱で、一気に焼くから、こうなりますのね。——ルカ、この食感、覚えました?」
「……俺は、酒で手一杯だ」
ルカは、ドワーフたちに囲まれてまだ飲まされていた。耳が、少し赤い。けれど、その顔はまんざらでもなさそうだった。
その様子を、ハルドが、にやにやと眺めていた。
それから、赤い髭を撫でて、酔った勢いで言った。
「なあ、嬢ちゃん」
「はい?」
「この料理人。——嫁に、どうだ?」
ルカの動きが、止まった。
手にした椀が止まり、肩が固まる。
その耳が、見る間に赤く染まっていった。
「……勝手に、しろ」
ルカが、絞り出すように言った。誰のほうも見なかった。
一方のマリカは。
火山パンをもぐもぐ食べながら、きょとんと首をかしげた。
「嫁? ルカが?」
マリカは本気で、不思議そうだった。
「——誰の、ですの?」
岩窟が、しん、と、静まった。
ハルドが目を丸くした。
ルカが片手で顔を覆った。
そしてフィリアが。
フードの下で、ぼそりと呟いた。
「……鈍い」
サリムが蜜酒の椀を片手に、笑っていた。
それから、星のない火山の夜空を見上げて、しみじみと言った。
「砂漠では、言うんだがね」
誰にともなく。
「こういう二人を——『同じ水袋の仲』と呼ぶ」
「水袋?」
マリカが首をかしげた。
「砂漠で、いちばん大事なものだ。命綱だよ。——それを、分け合う相手のことさ」
「あら。素敵ですわね。——ルカ、わたくしたち、同じ水袋の仲ですって」
「……サリム」
ルカが顔を覆ったまま、低く唸った。
「余計なこと、言うな」
「いや、今作った」
サリムがにやりと笑った。
「だが——外れちゃ、いないだろう?」
ルカは答えなかった。
答えずに、十一杯目の蜜酒をぐっと呷った。
その耳は、まだ赤かった。
酒のせいか、それとも——マリカには、やっぱりわからなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「溶岩蜜酒」、二つ目の神の食材の回です。今回は、ぐっと砕けて、お祭りの回にしました。
ルカの酒の強さ。実は、前に一度、マリカが見抜いています。「血管の膨張速度」で。その伏線が、ここで効きます。マリカの観察眼は、食材だけでなく、仲間の体も、勝手に読んでしまう。ルカの「俺の体のことを、俺より知ってるの、やめろ」は、たぶん、彼の本音です。
そして、嫉妬ビート。ハルドの「嫁にどうだ?」に、ルカは耳まで赤くなる。なのにマリカは「誰のですの?」と、本気できょとん。フィリアの「鈍い」の一言が、この物語のマリカ×ルカを、ぜんぶ言い表しています。じれったい、と思っていただけたら、作者としては大成功です。
このシリーズで、二人の関係は、絶対に「恋」と名付けません。名付けた瞬間に、たぶん、この温度は壊れてしまう。だから、サリムも「いや、今作った」と、わざとはぐらかします。気づくのは、いちばん最後。二人が、自分たちで。
ここまで読んでくださったすべての方に、深く感謝します。次回、海。マーフォークの食卓で、マリカのリアクションが、過去最高潮に達します。
◇◆◇ 歩人の作品 ◇◆◇
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