第40話: 珍しくまともな計画
出発の前の日、宿の裏庭は、いい匂いに満ちていた。
ルカが保存食を作っていた。
干し肉を仕込み、堅パンを焼き、根菜を蜜と塩で煮含める。鍋が三つ、同時に動いている。長旅のあいだ、五人の腹を支える食料だ。
その横でサリムが、出来上がった保存食に香辛料をまぶしていた。
「こいつをかけておけば、ひと月は持つ」
サリムが小袋を振りながら言った。
「砂漠の知恵だ。腐るより先に、辛さで虫が逃げる。——料理人が作って商人が守る。悪くない組み合わせだろう」
「……勝手にしろ」
ルカは鍋から目を上げずに言った。けれどサリムの香辛料が振られた順に、保存食を並べ替えていた。辛いものは下、そうでないものは上へ。マリカが取りやすいように。
その手つきを、サリムが横目で見ていた。
何も、言わなかった。
その夜宿の一室で、マリカが地図を広げた。
六つの食材の旅の、役割分担を決めるためだ。
「獣人の里は、ガルムさん」
マリカは指で順に押さえていった。
「これは当然ですわね。あなたの故郷ですもの。森のことは、あなたがいちばんわかりますわ」
「……ふん」
「ドワーフの火山は——ルカ、あなたですわ」
ルカが眉を上げた。
「は? 俺が、なんで」
「溶岩蜜酒の入手条件は飲み比べですの。わたくしはお酒が飲めませんでしょう? でも、あなたは飲める。それも、かなり強い」
「……俺は、酒の話なんか、一度もしてないが」
「血管の太さと、肝臓のあたりの体温ですわ。あなた、お酒に強い体質ですの。一目でわかります」
ルカが口を半分開けて、閉じた。
サリムが噴き出した。
「砂漠の海でも、マーフォークは、わたくしが」
マリカは地図の南の海を、指で叩いた。
「海の食は、まだ食べたことがありませんもの。三日でも四日でも食べ続けて、好きになってみせますわ。——食べることなら、誰にも負けませんの」
「砂漠は、おれだな」
サリムが当然のように言った。
「黒胡椒は、おれの庭だ。嵐の谷の歩き方は、ナジール族しか知らん」
「ええ、お願いしますわ。——そして、エルフの里は」
マリカはそこで、少しだけ、声を落とした。
フィリアを見る。
フィリアは部屋の隅で、フードを被ったまま、膝を抱えていた。
「……フィリアさんに、無理はさせませんわ。ただ、あなたがいてくれたら、心強いんですの。それだけです」
フィリアはすぐには、答えなかった。
それからフードの下で、小さく頷いた。
「……行きます。わたしの、里ですから」
マリカは地図から顔を上げた。
「これで、決まりですわ。誰が、どの里で、いちばん力を出せるか。——全部、繋がっていますの」
部屋が、静かになった。
ルカが地図を、しばらく見ていた。
六つの土地。六人の——いや、五人の役割。一つの綻びもない配置だった。各人の長所が、いちばん効く場所にきちんと置かれている。
「……珍しく、まともな計画だな」
ルカがぽつりと言った。
「失礼ですわね」
マリカが頬を膨らませた。
「わたくしは、いつもまともですわ」
「……どの口が」
ルカが低く言った。
「書庫で干し杏を食って、司書に睨まれてただろうが。道で珍しい木の実を見つけるたびに隊列から消えるだろうが。昨日も香辛料の匂いを追って、三本も道を間違えただろうが」
「あれは、まともな寄り道ですわ」
「まともな寄り道、ってのは、矛盾してるんだよ」
サリムが肩を震わせて笑っていた。フィリアの口元も、わずかに緩んでいた。
ガルムだけが窓の外を、見ていた。
北東の、夜空を。
森のある方角を。
翌朝五人は街を出た。
北東へ。獣人の里のある、深い森を目指して。
歩くほどに、木が高くなっていった。空を覆う枝が増え、日の光が緑に濾されて落ちてくる。土の匂いが濃くなる。鳥の声が、知らない響きに変わっていく。
マリカはその森に、夢中になった。
「ガルムさん、この木の実、食べられますの?」
「……渋い。火を通せば食える」
「この苔は?」
「食うな。腹を壊す」
「この、紫のきのこは——」
「触るな」
ガルムの返事が、だんだん短くなっていった。
マリカはそれに気づいた。
いつものガルムなら、無口でも、もう少し間があった。今日は言葉が、刃物のように短い。
森が深くなるほど、ガルムの口数が減っていく。
故郷が、近づいていた。
昼を過ぎた頃、ガルムが足を止めた。
森の奥に、苔むした石の門が立っていた。
二本の古い石柱。その間に太い縄が渡され、獣の骨と色あせた布が、いくつも吊るされている。風が吹くたびに、骨が、かたかたと鳴った。
人を、拒む門だった。
ガルムはその門の前で、しばらく、動かなかった。
広い背中が、いつもよりわずかに強張っていた。
「……ここから先は」
ガルムが低く言った。
振り返らずに。
「俺の、里だ」
マリカはその背中を、見ていた。
森を駆ける時は誰より自由なあの背中が、今は重そうに見えた。故郷に帰るというのに。
「ガルムさん」
マリカは静かに言った。
「わたくしたちが、ご迷惑なら——」
「いや」
ガルムが遮った。
それからゆっくりと、振り返った。
その目は、いつもの無愛想な目だった。けれどその奥に、何か覚悟のようなものが灯っていた。
「来い。——俺が、連れて行く」
ガルムが石の門を、くぐった。
骨が、かたかたと、鳴った。
人間を四人連れて、追放されたわけでもない男が、自分の意志で故郷の門をくぐっていく。
その背中を追って、マリカたちも門をくぐった。
森の奥から、獣の遠吠えが一つ、聞こえた。
歓迎の声では、なかった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「珍しくまともな計画」、獣人の里へ向かう回です。
この回で書きたかったのは、二つです。一つは、マリカの「まとも」と「まともじゃない」が同居しているところ。役割分担は完璧。誰がどの里で力を出せるか、一つの綻びもない。なのに、書庫で干し杏を食べて睨まれ、香辛料の匂いで三本も道を間違える。ルカの「どの口が」は、読者のみなさんの気持ちでもあると思います。
ルカが、サリムの辛い保存食を「マリカが取りやすいように」並べ替える場面。本人は無意識です。料理人として当然のことをしているだけ。それを横目で見て、何も言わないサリム。このシリーズの「匂わせ」は、だいたいこの温度でやっていきます。言葉にしたら、たぶん、壊れてしまうので。
そして、ガルム。森が深くなるほど、口数が減っていく。彼にとって故郷は、単純に懐かしい場所ではありません。獣人の里は、人間を拒む里です。そこへ、人間を四人も連れて帰る。それでも彼は、「俺が連れて行く」と言って、自分の意志で門をくぐります。追放された者の帰還ではなく、自分で選んだ帰還。次回、その里で、マリカが一口、伝統料理を食べます。
ここまで読んでくださったすべての方に、深く感謝します。次回、百年守られた味と、マリカの舌が、ぶつかります。
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