第38話: 世界で最後の一皿
出発の朝、村の広場に、料理が並んだ。
立派な料理ではなかった。
焼いた芋。塩を効かせた豆。干した果実。誰かが大事に取っておいた、卵が一つ。村人たちがなけなしの食材で作った、恩返しの料理だった。
マリカはその前に立った。
「いただいても、よろしいんですの?」
「全部、食ってくれ」
村の年寄りが、皺だらけの顔で笑った。
「あんたが来るまで、おれたちは、客に出す食い物なんて、一つもなかった。——今は、ある。あんたに食ってもらう分が、ちゃんと、ある。それが、どれだけ嬉しいか」
マリカはひとつ頷いた。
そして食べはじめた。
「マリカ様、これ、うちの蕪の漬物だ。塩しか効いてねえが」
「あら——」
マリカは、ひと切れ口に入れて、目を見開いた。
「この酸味、いい仕事してますわ。冬を越して、角が取れていますの。——んまっ」
「こっちは、ばあちゃんの干し杏だよ。固いけど」
「固いのが、いいんですの。噛むほど、甘くなりますわ」
焼き芋を頬張り、豆をすくい、干した果実を噛みしめる。卵は半分に割って、大事に味わった。ひと皿、またひと皿。村人の顔を、ひとつずつ見ながら。
全部、食べた。ひと皿も残さなかった。
「……んまぁ——っ」
マリカは最後のひと口を飲み込んで、目を閉じた。
「ぜんぶ、おいしいですわ。——ぜんぶ、ちゃんと、味がしますの」
村人たちが笑った。泣きながら、笑っていた。
荷をまとめて、五人は街道に立った。
見送りに、村じゅうの人が出てきた。
その中にミカがいた。
あの、配給の列のいちばん後ろで空の椀を抱えて俯いていた子だ。今は腹がふくれて、頬に少し肉がついていた。痩せて大きく見えた目が、今はただ、子供の目だった。
「マリカおねえちゃん」
ミカが走ってきた。
「また来る?」
マリカはしゃがんで、ミカの目を見た。
マリカの胸の奥で、遠い村の別の子の声が重なった。あの辺境の村で焼いた芋を頬張り「おかわり!」と叫んだ、最初の子。あの子もこうして、手を振っていた。マリカの旅は行く先々で、「おかわり」の言える子を、ひとり、またひとり増やしてきた。
「来ますわ」
マリカは笑った。
「あなたが、大きくなって。自分の手で、誰かにごはんを作れるようになった頃に。——その時は、あなたのごはんを、食べさせてくださいまし」
「……ぼくの?」
「ええ。楽しみにしていますわ。世界一、楽しみに」
ミカがこくん、と頷いた。
それからぐっと、唇を結んだ。泣くまいと、している顔だった。
マリカは立ち上がった。
そして歩き出した。
振り返らなかった。
うしろで、声がした。
「ありがとう——!」
「達者でな!」
「また来てくれよ、マリカ様!」
たくさんの声が、背中に降ってきた。
マリカは前を向いたまま、歩いた。
振り返れば、足が止まる。止まれば、泣いてしまう。泣いてしまえば、この子たちに、笑って見送らせてあげられない。
だから、振り返らなかった。
マリカの目から、それでも熱いものがこぼれた。
「前、見ろ」
横で、ルカが、低く言った。
ルカも前を向いていた。マリカのほうは、見なかった。
「……見ていますわ」
マリカの声が、震えた。
「ちゃんと、前を、見ていますわ」
ルカは何も言わなかった。
ただ歩く速さを、ほんの少しだけ、マリカに合わせた。
冬の街道に、五人の足音が重なっていた。
その夜街道沿いの林で、火を焚いた。
南部の村を出て、初めての野営だった。
マリカは夕食のあと、焚火のそばで、こくりと舟をこいだ。全部の料理を食べて、全部の別れを終えて、気が抜けたのだろう。膝を抱えたまま、すうすうと、寝息を立てはじめた。
ルカが立ち上がった。
自分の外套を脱いで、眠ったマリカの肩にそっとかけた。
それから何事もなかったように、火の番に戻った。
その一部始終を、サリムが火の向こうから見ていた。
サリムは頭布の下で、口を開きかけた。
砂漠では言うんだがね、と。眠る者に、自分の衣を掛ける男ってのは——と。
「……いや」
サリムは口を閉じた。
それからにやりと笑って、星を見上げた。
「やめておこう。——野暮ってもんだ」
ガルムが火のそばで、ふん、と鼻を鳴らした。フィリアはもう眠っていた。
焚火が、ぱちりと爆ぜた。
マリカが目を覚ましたのは、夜明け前だった。
肩に、見覚えのない外套がかかっていた。
マリカはそれを、しばらく見ていた。
それから火の番をしているルカの背中を見て、何も言わずに、外套を、もう一度、肩に引き寄せた。少しだけ、深く。
マリカの膝の上に、あの古書があった。サーラがくれた、村の伝承の本だ。
マリカはまだ薄暗い焚火の明かりで、もう一度、その一文を読んだ。
——大いなる宴。六つの神の食材を集めし時、世界で最後の一皿、現れん。
六つの神の食材。世界で最後の一皿。
マリカはまだ、それを食べたことがない。
この世界には、まだマリカの知らない味が、いくらでもある。追放された令嬢が、たった一人で歩き出した旅は、いつのまにか五人になっていた。行く先々で、「おかわり」の言える食卓が増えていった。
けれど旅は、まだ終わらない。
「……食べてみたいですわ」
マリカは誰にも聞こえない声で、呟いた。
琥珀色の目の奥で、火が灯っていた。あの、いつもの火だった。何が起きても決して消えない、好奇心の火だ。
東の空が白みはじめていた。
冬の終わりは、まだ遠い。けれどその光の中に、次の街道が、まっすぐに、延びていた。
まだ食べたことのない味へと。
世界で、最後の一皿へと。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「世界で最後の一皿」、南部編——Arc3の、最終話です。
長い、重いアークでした。マリカが初めて「飢え」と向き合い、初めて「論理で追い詰められ」、初めて「自分の出番がなくなる」喜びを知った。彼女の万能感に、ひびが入って、そのひびから、新しいものが芽生えた——そんなアークだったと思います。
最後の別れの場面。マリカは、振り返りません。振り返れば泣いてしまうから。子供たちに、笑って見送らせてあげたいから。ルカの「前見ろ」は、彼にできる、精一杯の優しさです。彼は、マリカの涙を、見ません。EP33でもそうでした。「泣くなら裏行け」。見たら、自分も、つらくなるから。
夜営でマリカに外套をかけるルカと、それを見て「やめておこう」と口を閉じるサリム。このシリーズで、マリカとルカの関係は、恋とは呼びません。呼ばないまま、こうして、少しずつ、温度だけが伝わっていきます。気づくのは、たぶん、二人がいちばん最後です。
そして、「大いなる宴」。まだ食べたことのない、世界で最後の一皿。マリカの旅は、ここから、新しい味へと続いていきます。次のアークで、五人は、もっと遠くへ行きます。
ここまで、南部編にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。マリカの「おかわり」の旅は、まだまだ続きます。次の味で、またお会いしましょう。
◇◆◇ 歩人の作品 ◇◆◇
▼ 「捨てられ令嬢は最後に笑う」シリーズ
婚約破棄・追放・裏切り——捨てられた令嬢たちが、それぞれの方法で最後に笑う短編シリーズです。
・「お前は道具だった」と笑った婚約者が〜【知略型】
→ https://ncode.syosetu.com/n5906lu/
・毒が効かない体になるまで〜【断罪型】
→ https://ncode.syosetu.com/n6633lu/
・公爵家の家政を10年回した私が〜【静かな離脱型】
→ https://ncode.syosetu.com/n5918lu/
・「お前の取り柄は計算だけだ」と笑った公爵家が〜【知略型】
→ https://ncode.syosetu.com/n6262lu/
☆評価・ブクマ・感想をいただけると次作の励みになります!




