第32話: わたくしは食べますわ
朝、マリカは泉のほとりにしゃがんでいた。
手元の地面に、小枝で図を描いている。南部の村が十二。連合の倉。禁猟区の森。塩害の泉。改良配給が広まった近隣の村々。その全部を土の上に並べていた。
昨夜、決めた。明日から反撃だと。
反撃といっても、刃を持つわけではない。マリカの武器はひとつしかない。
「炊き出しですわ」
マリカは顔を上げた。琥珀色の目が、火を宿している。
「連合がこの村の配給を止めたなら、配給のいらない食卓を作りますの。連合の倉に頼らない一杯を、村ぜんぶに」
マリカは、図の中央を小枝で囲った。
「明日ここで、いちばん大きな炊き出しをしますわ」
四人とサーラが、その横顔を見ていた。
「百十二人だ」
ルカが言った。
「兎一羽と薬草で倒れかけた村だぞ。配給も止まってる。何で、百十二人分を作る」
「ありませんもの。だから、集めますの」
マリカは立ち上がった。
「足りないものを足りないまま嘆くのは、連合の思う壺ですわ」
マリカは図の上に、十の点を打った。
「足りないものは、五人と村人ぜんぶでかき集めますの。ひとつの倉に頼らない。十の手から、ひと掴みずつ」
マリカの小枝が、図の上を走った。
いつもの指揮だ。だが、村ひとつ分の指揮だった。
「ガルムさん」
「……ああ」
「禁猟区は、もう探りましたわね。今度は、その外へ」
マリカの小枝が、森の図の外を指した。
「一日かけて遠出してくださいまし。網の届かない谷の奥に、大物がいますわ。あなたの鼻なら、見つかります」
「一日か。——間に合わせる」
「サリムさん。保存食を全部、棚卸しを。少ない肉を最大限おいしくするのが、あなたの仕事ですわ。干し肉一切れを、十人分の出汁に変えてくださいまし」
「砂漠の得意技だ。任せな」
「フィリアさん。解毒茶を、もっと。塩で寝込んでいる人を、明日までに立たせたいんですの。それから——」
マリカは、塩害の泉の図を指で叩いた。
「解毒した一畝の野草と、森の薬草。食べられるものを、ひと束でも多く。味のわからないあなたが、いちばん土の生きた声を聴けますわ」
「……はい」
フィリアが、静かに頷いた。
「ルカ」
「調理統括だろ。分かってる」
「ええ。あなたが要ですわ。集まった食材がどれだけ雑多でも、一つの鍋にまとめる」
マリカは、ルカをまっすぐ見た。
「獣肉も薬草も保存食も、近隣の麦も。種族も産地もばらばらのそれを一杯にまとめられるのは、あなただけですの」
ルカは内ポケットから小刀を取り出した。
「……近隣の村の麦、だと? あの村は配給を止められて、自分の分もないだろう」
「来ますわ」
マリカは、にっこり笑った。
「賭けてもよろしくてよ」
その賭けは、昼を待たずに勝った。
村の北の街道に、人影が現れた。荷車を引いた隣村の人々だった。改良配給を、この村から教わった村だ。荷車には、麦と、干した野菜と、少しの卵が積まれていた。
「あんたらの作り方で、うちの村も息を吹き返した」
隣村の老人が、荷車の縄を解きながら言った。
「連合に、うちも配給を絞られた。だが、あんたらに教わった『化けさせる』やり方でなんとか食えてる。——その恩返しだ。たいした量じゃないが、持ってきた」
次の街道から、また荷車が来た。別の村だった。その次も。
改良配給は、この数日で南部のいくつもの村へ広がっていた。連合に逆らった村が、ひとつ、またひとつと、互いに食材を持ち寄り始めていた。
マリカは、その荷車の列を見ていた。
「ご覧なさい、サーラさん」
マリカは、隣のサーラに低く言った。
「連合は、見せしめにするはずでしたわ。逆らった村を飢えさせて、後悔させる」
マリカは、荷車の列に目をやった。
「——でも、逆らった村が互いに食べ物を分け合い始めましたの。連合にとって、これ以上都合の悪いことはありませんわ」
サーラは、荷車の列を見ていた。
十五年、配給の券が減るのだけを見てきた女が、今、食材が村へ集まってくるのを見ていた。
「……こんな日が、来るなんてね」
サーラの声が、掠れた。
「来ますわよ。何度でも」
マリカは、サーラの肩を軽く叩いた。
「あなたが底まで浅くすくって、十五年、誰も死なせなかったからですわ。だから、村がまだ生きているんですの」
夕暮れ、作戦会議はなお続いていた。
サリムが棚卸しの途中で、干し肉を一切れマリカに差し出した。携行食だ。働きづめの頭に、糖と塩を入れろという顔だった。
マリカは、それを口に入れて目を見開いた。
「……サリムさん。この干し肉、三日前よりおいしくなっていますわ」
「は?」
「熟成が、進みましたわね。脂が内側で、もう一段丸くなっている」
マリカは、もう一度舌で確かめた。
「三日この村の冷えた空気に置いたから——低温で、ゆっくり。砂漠の鞍の下とは違う熟成ですわ。面白い!」
サリムが、しばらくマリカを見ていた。
それから、頭布の下でため息をついた。
「……嬢ちゃん。村を飢えから救おうって朝に、干し肉の熟成で目を輝かせる奴は、大陸であんた一人だよ」
「あら。だって、おいしいんですもの」
マリカは、もう一切れ口に入れた。
その顔が、ふいに笑った。明日の絵が、頭の中でもう出来上がっている顔だった。百十二人が、おかわりを言う絵だ。
サリムが、その笑みを見て肩をすくめた。
「……嬢ちゃん。今のその笑顔が、いちばん怖いんだがね」
「あら、怖い?」
マリカは、首をかしげた。
「楽しいんですの。だって明日——この村の竈に、いちばん大きな火が入りますのよ」
その夜、フィリアが泉のほとりで、土に手を当てていた。
マリカは、その隣に立った。
「何か、聴こえますの?」
「……はい」
フィリアは、目を閉じたまま低く言った。
「明日、たくさんの手がひとつの竈に集まります。村人も、五人も、隣村の人たちも。——その時、何かが起きそうな気がします」
フィリアは、目を開けた。
「食材の声を聴いてきました。料理の声も。でも、これだけの手と想いがひとつの鍋に集まるのは——わたしも、初めてです」
マリカは、夜の畑を見渡した。
家庭級。あの辺境の村で、ルカのポトフに金色の光が宿った日。職人級。アペティアの屋台で、種族を超えた一皿が灯った日。食に込められた想いが力に変わる瞬間を、マリカは何度も見てきた。
けれど、明日のは、それより大きい。
飢えた村ぜんぶの、生きたいという想い。それを一つの鍋に集めて、ルカの手で一杯に変える。
「戦場級、ですわね」
マリカは、誰にともなく呟いた。
「極限で総力を結集したときにだけ、灯る火。——明日、見られますわ。きっと」
泉の水面に、月が落ちていた。
その水の底で、塩はまだ溶けている。けれど、岸辺の小さな緑は、確かに根を伸ばしていた。
明日、この村にいちばん大きな火が入る。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「わたくしは食べますわ」、反撃の準備回です。
この回は、あえて「動かない回」にしました。次回、村でいちばん大きな炊き出しが始まります。その日を、まるごと歓びの回にしたくて、段取りも、人員配置も、食魔法の話も、ぜんぶ今回に集めました。土台を、先に作っておく回です。
マリカの反撃が「刃」ではなく「炊き出し」なのが、この物語のいちばん好きなところです。連合が配給を止めて村を飢えさせようとした。その答えが、もっと大きな食卓を開くこと。足りないものを嘆くのではなく、十の手からひと掴みずつ集める。マリカの戦い方は、最初から最後まで、これです。
隣村が荷車を引いてくる場面は、EP28でマリカが「見せしめにするはずの村が、いちばん笑っている」と言った、その答え合わせでした。逆らった村が、互いに食を分け合い始める。連合にとって、いちばん都合の悪い光景です。
そして、明日を前に、干し肉の熟成で目を輝かせるマリカ。サリムの「今のその笑顔がいちばん怖い」は、たぶん、読者のみなさんの気持ちでもあります。次回、その笑顔の意味が、村ぜんぶの「おかわり!」になります。
ここまで読んでくださったすべての方に、深く感謝します。次回、村でいちばん大きな火が、入ります。
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