表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「世界中のごはんを食べ尽くす!」——追放令嬢の食い倒れ世界制覇、始めますわ  作者: 歩人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/60

第25話: 食は身分で決まる

 止まっていた竈に、火が戻った。


 マリカは村の中央にしゃがみ、立ちのぼる細い煙を見上げていた。煙はまっすぐではなかった。冬の風に何度も折れて、それでも消えずに空へ昇っていく。


 昨日まで、この竈は冷えていた。今朝、火を入れたのはマリカたちだ。ガルムが禁猟区の網の外で仕留めた野兎が一羽。フィリアが傷んだ土の隙間から掘り起こした薬草がひと束。サリムが供出した保存食が二日分。それが、今日の村の持ち物のすべてだった。


 少なすぎる。村には、まだ百を超える腹が並んでいる。


 それでも、火は戻った。


「……火が、入るのね」


 すぐ横で女の声がした。


 昨日、配給の柄杓を握っていた女だった。痩せた頬。まっすぐな背筋。女は冷えた竈に火が戻ったのを、信じられないものを見るように見ていた。


「ずっと、薪を惜しんでいたの。煮炊きは一日に一度きり。火を絶やすと、もう熾せないかもしれないと思って」


「あなた、お名前は」


「……サーラ。配給を任されてる」


「サーラさん」


 マリカはその名を一度、口の中で確かめた。


「昨日のお粥、いただきましたわ。薄かった。でも、手は抜いていなかった。——あなた、長く、人に食べさせてきたでしょう」


 サーラの肩が、わずかに動いた。


「十五年。村の婚礼も、葬式も、わたしが鍋を振ってきた。……今は、薄い粥を、減っていく券と引き換えに配るだけ」


 サーラは竈の火に、両手をかざした。冷えた指が、火を求めていた。


「それでも、火が入ると——少し、思い出すわ。鍋を、ちゃんと振っていた頃を」




 冷えた作業だった。


 兎一羽と薬草ひと束では、村の全員には行き渡らない。マリカは竈の前で、限られた食材をどう配分するかを、頭の中で何度も組み直していた。煮るか、出汁を取るか、薬草を先に入れるか。指の先がかじかんで、思考まで冷えてくる。


「まあまあ、嬢ちゃん。少し、手を止めな」


 サリムだった。


 いつのまにか小さな土鍋を、火の端にかけている。鍋から、湯気と一緒に複雑な香りが立ちのぼっていた。


 マリカの鼻が、勝手に動いた。


「——これ」


「砂漠のスパイス茶だ。冷えた身体には、これがいちばん効く。腹は膨れんが、指は動くようになる」


 サリムは木の椀に茶を注ぎ、一同に配った。ガルムにも、フィリアにも、サーラにも。最後に、自分の腰の袋から薄く削いだ干し肉を一切れずつ添えた。


「これは、おれの私物の分だ。村の二日分には手をつけてない。安心しな」


 マリカは干し肉を口に入れた瞬間、目を見開いた。


「……ん」


 次の瞬間には、立ち上がっていた。


「んまぁ——っ! サリムさん、これ熟成が進んでいますわ! 旅に出たときより確実に! 脂が内側で丸くなって、塩の角が取れて、旨味が奥に一段落ちた——これ、馬の鞍の下で揺られたでしょう!? 体温と振動で発酵がゆっくり進んだんですの!」


 サリムが目をまるくした。それから頭布の下で、声を立てて笑った。


「……当てるのかい、そこまで。鞍の下に入れてたのは、本当だ。砂漠の古い保存法でね」


「素晴らしいですわ! 移動が、そのまま熟成になるなんて——旅をする民の知恵ですのね!」


 サーラが、その様子をぽかんと見ていた。


 飢えた村の真ん中で、よそ者の令嬢が干し肉一切れに全身で歓喜している。サーラの口元が、十五年ぶりかもしれない角度でゆるんだ。


「……変な人たちね」


「ええ。よく言われますわ」


 マリカは胸を張った。指の先に、もう、いつもの熱が戻っていた。




 その熱が、ふいに外から冷やされた。


 村の入口に、馬が一頭。よく肥えた馬だった。痩せた村で、その馬だけがつやつやと毛並みを光らせている。


 馬から降りたのは、上等な外套をまとった男だった。腰に革表紙の帳簿。指に銀の指輪がいくつも光っている。


 男は竈の煙を見て、足を止めた。それからゆっくりと、こちらへ歩いてきた。


「火を、入れたのか」


 男の声は、咎めるというより、呆れていた。


「誰の許しを得て? この村の薪は、配給の煮炊き以外に使ってはならん決まりだ。——わたしはドラン。美食貴族連合の、この区域の徴発官だ」


 サーラの顔が、強張った。柄杓を握る手が、わずかに震えた。


 ドランは竈の火を一瞥し、薄く笑った。


「いいか。よく覚えておけ。——食は、身分で決まる」


 ドランは、自分の肥えた馬を指でさした。


「あの馬は、わたしが食わせている。だから、つやつやしている。お前たちは、連合が食わせる分しか食えん。だから、痩せている。それだけのことだ。理不尽でも、不公平でもない。世の中の、順序だ」


 マリカは、何も言わなかった。


 ただ、ドランの外套の襟元を見ていた。襟に、わずかに油の染みがある。今朝、上等な肉を食べてきた男の襟だった。村の誰も、今朝は肉など食べていない。


「徴発官殿」


 声をあげたのは、サリムだった。


 いつもの軽さが、声から、すっかり消えていた。


「砂漠では言うんだがね。『飢えた者の前で食べ物を隠す奴は、いつか砂に呑まれる』って」


 ドランの目が、サリムへ向いた。そして、その顔にゆっくりと笑みが広がった。


「サリム・アル=ナジールか。——ちょうどいい。お前にも、用があった」


 ドランは、腰の帳簿を開いた。一枚の紙を、抜き出す。


 マリカにも、それが何かすぐに分かった。借用証だった。サリムの名と、連合の紋。膨れ上がった利子の数字が、几帳面な字で並んでいる。


「お前の借金、まだ残っているな。利子も毎月、膨らんでいる」


 ドランは、その紙をひらひらと振った。


「村の連中を助けるのは勝手だ。だが、余計な手出しで連合の配給を乱すなら——この紙の取り立てを、明日にでも早める。砂漠の一族は今どうしている? お前の仕送りが止まったら」


 サリムの手が、握られた。けれど、何も言わなかった。言えなかった。


 村に、沈黙が落ちた。


 冬の風が、竈の火を低く撫でていった。


「——徴発官殿」


 その沈黙を破ったのは、マリカだった。


 ドランが振り向いた。痩せた村に立つ旅装束の小柄な令嬢を、初めてまともに見た。


「あなた、今朝、お肉を召し上がりましたわね。襟に、染みがありますもの。脂の匂いから察するに、仔牛。それも、結構な部位ですわ」


「……何だ、貴様は」


「わたくし、マリカ・ベルモントと申しますわ」


 マリカはにっこりと笑った。けれど、琥珀色の目だけは笑っていなかった。


「あなたの言う『順序』、ひとつだけ、間違いがありますの。——食を独り占めできるのは、力ではありませんわ。ただ、まだ誰にも、ひっくり返されていないだけですの」


 ドランの笑みが、わずかに固まった。


「……たかが、流れ者の小娘が」


「ええ。たかが、小娘ですわ。お腹を空かせた小娘が、ひとり」


 マリカは竈の火を振り返った。細い煙が、まだ、空へ昇り続けている。


「明日、ご覧に入れますわ。同じ食材でも、扱い方ひとつで、人がどれだけ笑えるか。——あなたの『順序』が、どれだけ、薄っぺらいものか」


 ドランはしばらくマリカを睨んでいた。それから鼻を鳴らし、肥えた馬に戻った。


「明日、また来る。せいぜい、薄い粥でも、立派に飾ることだな」


 馬の蹄が痩せた土を蹴って、遠ざかっていった。


 あとに残ったのは、細い煙と、握りしめられたサリムの拳と、サーラの強張った横顔だった。


「……嬢ちゃん」


 サリムが低く言った。


「おれの借金だ。あんたらを巻き込む話じゃない。手を引くなら、今のうちだぜ」


「サリムさん」


 マリカは振り向いた。


「あなた、さっき、わたくしの椀にいちばん良い干し肉を載せましたわね」


「……それが、どうした」


「飢えた者の前で、食べ物を隠さない人。——あなたがそういう人だから、わたくしは手を引きませんの」


 サリムは、何か言いかけて、やめた。やめて、頭布の下でひとつ、息を吐いた。


「……かなわねえな、嬢ちゃんには」


 マリカは、その全部をぐるりと見回した。


 そして両手を、ぱんと打ち合わせた。


「さあ、仕込みですわ。——ルカ。明日の朝までに、この村の全員を笑わせますわよ」


 ルカは火の前で、小刀を取り出していた。


「……無茶を言う」


 言いながら、その刃はもう、薬草の根を丁寧に削ぎ始めていた。



最後まで読んでいただきありがとうございました。


「食は身分で決まる」、書きました。


徴発官ドランの「食は、身分で決まる」という台詞は、この作品でいちばん書きたくなかった台詞であり、いちばん書かなければならない台詞でした。彼は悪人ですが、言っていることは、現実の半分くらいは当たっています。食べられる者と食べられない者がいる。それを「順序だ」と言い切る人間は、どの時代にもいました。


マリカの反論は、「それは間違っている」ではありません。「ただ、まだ誰にもひっくり返されていないだけ」です。世の中の理不尽を、運命でも正義でもなく、「まだ誰もやっていないこと」として見る——これがマリカという人間の、いちばんの強さだと思っています。


サーラの「変な人たちね」と、十五年ぶりにゆるんだ口元。配給を守り続けた人が、久しぶりに誰かの笑顔を見る瞬間を、静かに置きたかったのです。


サリムの干し肉が「鞍の下で熟成していた」というのは、実際にある遊牧民の保存法から借りました。移動そのものが調理になる。マリカが真っ先に気づくのが、こういう「旅の知恵」なのが、彼女らしくて好きです。


ここまで読んでくださったすべての方に、深く感謝します。次回、薄い粥が、ごちそうに化けます。


◇◆◇ 歩人の作品 ◇◆◇


▼ 「捨てられ令嬢は最後に笑う」シリーズ

婚約破棄・追放・裏切り——捨てられた令嬢たちが、それぞれの方法で最後に笑う短編シリーズです。


・「お前は道具だった」と笑った婚約者が〜【知略型】

 → https://ncode.syosetu.com/n5906lu/

・毒が効かない体になるまで〜【断罪型】

 → https://ncode.syosetu.com/n6633lu/

・公爵家の家政を10年回した私が〜【静かな離脱型】

 → https://ncode.syosetu.com/n5918lu/

・「お前の取り柄は計算だけだ」と笑った公爵家が〜【知略型】

 → https://ncode.syosetu.com/n6262lu/


☆評価・ブクマ・感想をいただけると次作の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ