第三巻 転の章 マスターネオの決意
【前巻までのあらすじ】
VRゲーム《ファンタズマル・アイランド》のGMであるマスターネオは、黒猫の姿のままマスター魔法を取り戻し続けている。《マスターキー》《シフト》《パスウォール》《ドロー》《ジャンプ》《メタモルフォーゼ》《クリエイト》を手に入れ、ヒーラーのリリィ、正体不明のカイとともに廃墟の集落に仲間を増やした。ログ越しの声はずっとネオを見守り、「逃げない」と言った。だが——謎の存在からの干渉は、増している。
第一話 朝と、それから
灰色の空が、わずかに白み始めた。
ネオは気づかなかった。眠っていたからだ。
「……ネオ」
リリィの声。
「……なんだ」
「空」
ネオは目を開けた。寝起きの視界。灰色だった空が——薄く、オレンジ色に滲んでいた。
「……朝か」
完全ではない。まだ薄暗い。でも——止まっていた時間が、動き始めていた。
「《クリエイト》の影響か?」
ネオは呟いた。昨夜、集落に食料を作り続けた。《クリエイト》で世界に「定義」を与え続けた。それが——サイクルを少しだけ刺激したのかもしれない。
「違うと思う」
リリィが答える。「権限が、増えたんじゃない?」
ネオは自分の手のひらを見た。確かに——何かが少しだけ増えている感覚がある。満ちてきた、という感覚。
「……そうかもな」
カイが起き上がった。目が、空に向いている。「赤く輝く宝石みたいだな」
「珍しく詩的なこと言うな」
「たまには言う」
ラフがのそりと起き上がった。眠そうな目で空を仰ぐ。「……あかい」
「朝だよ」
ネオは答えた。「まだ完全じゃないが——戻りつつある」
視界の端に、ログが浮かぶ。
「おはよう」
「……おはよう」
今日は、素直に返した。
「珍しい」
「朝だからな」
「……ふふ」
その声は——いつもより少しだけ、柔らかかった。
第二話 賢者の塔
集落から東へ一時間ほど歩いたところに、塔があった。
「……あれ、マップにないな」
ネオは足を止めた。地形は覚えている。開発当初から、この座標に建造物の設定はなかった。
「後から追加されたの?」
リリィが首を傾げる。
「違う。作られた、じゃなくて——出てきた、感じがする」
カイが少し先へ進む。「……何かいるな、上の方に」
「見えるか?」
「なんとなく。雰囲気で」
「雰囲気で分かるのか」
「分かる」
カイはそれ以上説明しなかった。ネオはそれを聞いて——まあいいか、と思った。
塔の入口は鉄の扉だった。鍵はかかっていない。開けると——螺旋階段が上に続いていた。
「登るか」
「当然」
三人は階段を上がった。一段ごとに空気が変わる。上へ行くほど——ノイズが増える。電波が乱れるような、空間が歪むような、そういう感覚。
「……なんだここ」
頂上に出た。
そこは——広い円形の空間だった。中央に、人影。
人型のNPC。だが——動かない。まるで石のように、立ったまま固まっている。
「……彫像か?」
リリィが近づこうとして——止まった。「これ、NPCだ。でも動かない」
「応答もない。通常のモードじゃないな」
ネオはNPCに近づいた。触れようとすると——空気が変わった。
【Warning】
このエリアには、特殊な封印が施されています
「……来たか」
ネオが呟いた瞬間——塔の壁が光を帯び、それは現れた。
第三話 《ピグマリオン》
それは——人形だった。
等身大ではない。三メートルはある、木製の巨大な人形。関節が金属で繋がれ、目の部分には赤い宝石が嵌まっている。
「マリオネット型ボスか……」
ネオは素早く状況を読んだ。足元に糸の跡がある。天井から垂れた透明な糸が——この人形を操っている。
「糸か。切ればいい?」
カイが問う。
「糸を切っても、また繋がる。この手のタイプは——操作源を断たないと倒せない」
「操作源って?」
「……どこかに術師がいる。または——術式そのものが核になっている」
人形が動き出した。両腕を広げ、ゆっくりと——だが確実に近づいてくる。
「逃げる?」
「逃げない」
ネオは《シフト》で人形の背後へ。《マスターキー》を構える——が、引っかかりがない。
「(鍵穴がない。閉じているものじゃない)」
《ドロー》で引き寄せを試みる——人形は引っ張られない。固定されている。
カイが石壁に飛び乗り、高所から叫ぶ。「ネオ!糸、見えるか?」
「見える!」
「天井の——中心部。糸が一か所に集まってる場所がある」
ネオは仰ぎ見た。確かに——天井の中央に、糸が束になって繋がっている点がある。そこだけ、空間が「固まって」いる。
「(あそこが核か)」
だが高い。《ジャンプ》で飛べる距離ではない。
「リリィ!」
「なに!」
「足場を作れるか!?防御バフでもいい、踏み台になるやつ!」
「……やってみる!」
リリィが詠唱する。魔法陣が浮かぶ——光の足場が現れた。一段、また一段。
「《ジャンプ》——《シフト》——」
ネオは跳んだ。足場を踏み台に、さらに高く。天井まで、あと三メートル。
その瞬間——人形の腕が伸びた。直撃コース。
「カイ!」
「任せろ!」
カイが壁を蹴って飛ぶ。人形の腕を——受けた。衝撃。HPが削れる。
「……行け!!」
ネオは最後の一歩。手を伸ばす。核の点へ。
「開け」
カチリ。
天井が——光った。糸が千切れる。人形が——ガクン、と崩れた。関節が外れ、木のパーツが床に散らばる。
静寂。
「……倒した?」
カイが咳き込みながら立ち上がる。「……倒したな」
「無茶するな」
「お前が言うな」
リリィがカイに回復魔法をかける。「二人とも、本当に……」
ネオは、床に散らばった人形の残骸を見た。
そして——視界にログが走った。
【Master Authority Fragment Detected】
【マスター魔法:《ピグマリオン》取得】
対象を人形化し、一定時間行動不能にする
「……なるほど」
ネオはその魔法の感触を確かめた。人形化する。動けなくする。操ることはできない——ただ、止められる。
「使い方によっては……相当厄介だな」
リリィが眉をひそめる。「自分で言う?」
「事実だから」
視界の端で、ログが一つ。
「……いい魔法、手に入れたね」
「だろ。これで——少し、動きやすくなる」
幕間 謎の男
サーバールームとは別の雑居ビル。その一室で一人の男がモニターの前に座っていた。
「(……また、魔法を取った)」
「(八つ目。《ピグマリオン》)」
「そんな魔法、設計した覚えがない」
「GMが、暴走したプレイヤーを一時的に行動不能にするための緊急権限か」
思わず男は口に出して言った。
そして沈黙。モニターの光が青白い。
「(だが、あと少しだ)」
「あと少しで、手に入る」
男が立ち上がった。椅子が引かれる音。
「(次の手を打つ。今夜)」
「全てのマスター魔法を奪う」
「そして、【パーフェクト・コード】を手にするのは、僕だ」
モニターに映るネオの姿。黒い巨体。満ちつつある光。
「(助けるために必要なんだ。——絶対に邪魔はさせない)」
男は部屋の奥にある重厚な扉を開け、その中に消えていった。
第四話 止まった兵士たち
翌朝——集落の周囲に、異変があった。
フィールドに、武装した人型の存在が現れていた。兵士のような外見。だが——動かない。
「……何体いる」
ネオが数える。十体。いや、もっと多い。集落の外周を囲むように、等間隔で立っている。
「NPCか?」
セナが警戒しながら聞く。
「違う。ログにない」
「プレイヤーか?」
「……それも違う気がする」
カイが一体に近づく。「……これ、動く気がしない。目が——空洞だ」
「空洞?」
「光がない。何も見ていない感じ」
リリィが分析する。「誰かに送り込まれた傀儡——かな。でも操作されてるわけでもなさそう」
「単純な番兵プログラムだ。動かないが——集落から出ようとすると、反応する仕掛けだな」
「囲まれてるってこと?」
「そういうことだ。出入りを制限している」
集落の空気が重くなった。
「……どうするの?」
ラフが、ネオの後ろからそっと聞く。
「考える」
ネオは一体の兵士を見た。動かない。ただ立っている。
「(《ピグマリオン》は——対象を人形化する。でもこれは既に人形みたいなものだ。逆に使えないか)」
思考が、別の方向へ向いた。
「(人形を——人形でなくすることは、できるか?)」
《ピグマリオン》は、動けるものを止める魔法だ。ならば——逆に、止まっているものを動かすことは?
「……試してみるか」
ネオは一体の兵士に近づいた。《ピグマリオン》の感触を思い出す。対象を「固定する」力。
「(その力を——逆方向に使ったら)」
第五話 《ピグマリオン》の逆用
「ネオ、何するの」
リリィが後ろから警戒する。
「実験だ」
「実験って……」
ネオは兵士の前に立った。距離、一メートル。兵士は反応しない。立っているだけ。
「(止めるのではなく——意識を注ぎ込む。空洞を、満たす)」
《ピグマリオン》を——逆回しにするイメージ。固定するのではなく、解放する。
手を伸ばす。兵士の胸部に触れる。
「……」
何かが、通った。
兵士の目に——かすかな光が宿った。
「……え?」
カイが息を呑む。
兵士が——ゆっくりと、頭を動かした。ネオを見た。
「……指示、を」
声が出た。低く、機械的だが——確かに声だ。
「この集落を守れ」
ネオは一瞬だけ考えて、そう言った。
兵士は少しだけ間を置いてから——振り返った。集落の外周へ向かい、守護の姿勢を取った。
リリィが呆然とする。「……今の、何したの」
「空洞に、意図を入れた。《ピグマリオン》の逆方向——使うものに、使われるものを決めさせる」
「それって、命令できるの?」
「今のところは単純な指示しか通らない。でも——番兵として機能するなら、十分だ」
カイが感心したように言う。「敵の駒を、味方に変えたな」
「駒だから、使い方次第だ」
視界のログが、静かに一行流れた。
「……創造的だね」
「それが仕事だ」
ネオは残りの兵士に向かった。一体ずつ、意図を入れていく。
やがて——集落の外周を、かつての番兵たちが守り始めた。
第六話 北の廃都
集落が落ち着いたところで、ネオは北へ向かった。
「一人で行くの?」
リリィが問う。
「三人で行く。ただ——集落のことはセナに頼む」
「分かった」
セナは頷いた。「……気をつけてくれ」
「当然だ」
北の地形は記憶にあった。かつてこのゲームの開発中、高レベルプレイヤー向けに作られた「廃都エリア」——今は荒廃し、アクセスが困難になっているはずだが。
歩くこと三時間。空が暗くなってきた——完全な夜ではない。薄暮のような色。
「……見えてきたな」
地平線の先に、廃都の影。かつては石造りの壮大な都市だったはずが、今は半分が崩れ、半分が歪んでいる。
「ゲームのイベントエリアとしては、最大規模のやつだ」
「なんかいる?」
「……いるな。強いやつが」
ネオはログを確認した。ボスの存在を示す反応が、都市の中心から出ている。
「次のマスター魔法が——あそこにあるな」
「分かるの?」
「なんとなく。引っ張られてる感じがする」
カイが言う。「俺も感じる。なんか、引力みたいなの」
「《ドロー》が反応してる。向こうの魔法に、こちらの魔法が引き寄せられてる——そういうことだな」
三人は廃都の門をくぐった。
第七話 静止する廃都の中で
廃都の中は——奇妙だった。
建物が崩れているのは予想通り。だが——あちこちに、動かないものたちがいた。
プレイヤーたちだ。
「……これ」
リリィが声を上げる。「みんな、固まってる」
確かに——街の至るところに、プレイヤーが立ったまま、座ったまま、動かない状態でいる。十人以上。
「《ピグマリオン》かよ」
ネオが呟いた。
「……誰かが使ったの?」
「使われた、というより——この都市全体が、固定されてる。都市規模の《ピグマリオン》だ」
「そんな使い方ができるの?」
「俺にはできない。でも——マスター魔法の本来の権限なら、エリア単位での適用も可能なはずだ」
カイが固まっているプレイヤーの一人に近づく。「……生きてるよ。HP減ってない。ただ——動けない」
ネオがプレイヤーに《ドロー》を試みる——引っ張られない。固定されている。
「予想通り。都市全体がロックされてる。エリアごと開放しないと、動かせない」
リリィが真剣な顔をする。「……早く助けないと」
「分かってる。だから急ぐ」
ネオは都市の中心へ向かった。源を断てば、固定は解ける。
中心にある——広場。そこに、ボスがいる。
第八話 人形遣いの王
広場の中央に、それはいた。
玉座に座った、巨大な人型の存在。装甲を纏い、顔の半分が仮面に覆われている。周囲には——無数の糸。まるで広場全体が、その存在の手のひらの上にあるかのように、透明な糸が張り巡らされている。
「……人形遣いか」
ネオが静かに言う。
「《ピグマリオン》の糸を——エリア全体に広げた?」
「そういうことだ。これが、都市を固定した術者だ」
人形遣いの王が——ゆっくりと立ち上がった。玉座が軋む音。視線がネオに向く。
「……来るか」
次の瞬間——糸が動いた。
透明な糸が、空気を切る速さでネオに向かって来た。
「《シフト》!」
回避する。だが——糸は追ってくる。
「誘導してる……!」
「《パスウォール》!」
壁を通り抜けることで、距離を取る。糸が壁に絡まる——が、すぐに引き戻される。
「厄介だ」
カイが横から飛び込む。「俺が引きつける!」
「無茶するな——」
「いいから行け!中心の糸束を断てばいいんだろ!」
確かに——人形遣いの王の背中に、糸が一本だけ太く集まっている場所がある。そこが核だ。
「リリィ!カイのHP、切らすな!」
「分かってる!」
ネオは《ジャンプ》で、カイを起点にして飛んだ。
人形遣いの王の死角へ——一瞬で跳躍。
「開け」
核の糸束に《マスターキー》を当てる。
カチリ。
糸束が——解けた。広場の糸が一斉に消える。
人形遣いの王が——崩れる。装甲が外れ、仮面が落ち、内側から光が溢れて散った。
次の瞬間——廃都全体に、変化が起きた。固まっていたプレイヤーたちが、ガクン、と動き始めた。
「……!?」
「……な、何が……?」
混乱の声が広場に届く。
ネオは静かに、ログを見た。
【Master Authority Fragment Detected】
【マスター魔法:《マスターリスト》取得】
全プレイヤーとNPCの位置・状態・情報を確認する
「……来た」
第九話 全部、見える
《マスターリスト》を発動した瞬間——ネオは止まった。
視界が、変わった。
世界の上に、別の「層」が重なった感覚。フィールドの至るところに、光の点が浮かんでいる。
「……これ、全員の位置か」
点の数が——多い。集落の仲間たち。廃都のプレイヤーたち。さらに遠く——地図の端まで。
「何が見えてるの?」
リリィが聞く。
「全員が見える。プレイヤーも、NPCも——位置も、HPも、状態も」
「全部?」
「全部だ」
カイが少しだけ、固まった。「……俺の情報も?」
「……ある」
ネオはカイのリストを見た。位置、HP、ステータス——そして「識別子」。
その識別子に、見慣れない記号が混じっていた。
「……カイ」
「……なんだ」
「お前の識別子、プレイヤーじゃない」
静寂。
カイは笑わなかった。「……そうか」
「驚かないのか」
「……薄々、気づいてた」
リリィが二人を見る。「……どういうこと?」
「カイの識別子は——NPCコードでも、プレイヤーコードでも、外部干渉でもない。もっと別の——」
ネオは一瞬、言葉を止めた。
「設計師の設定に近いコードだ」
沈黙。
「……設計師って、倉城光のこと?」
リリィが静かに言う。
「そうだ。このゲームを作った人間のコードに近い——ということは」
「……俺は」
カイが、空を見上げた。「……この世界のシステムなのかもしれないな」
ネオはしばらくカイを見てから——言った。「そうかもな」
「嫌じゃないの?」
「なんで嫌なんだ。お前は今ここにいて、動いてて、助けてくれた。それで十分だ」
カイは少しだけ——笑った。「……お前、やっぱり変なとこで優しいな」
「そうでもない」
ログが、静かに一行。
「……いいね、それ」
その声は——どこか、ほっとしているような響きだった。
第十話 廃都のプレイヤーたち
固定から解放されたプレイヤーたちは、混乱していた。
「何が起きたんだ……?」
「急に動けなくなって……」
「どのくらい経った?」
ネオは《マスターリスト》で全員の状態を確認した。HP消耗なし。ステータス異常なし。ただ——時間感覚が数時間分、飛んでいる。
「固定されてた間、本人たちには「止まってた時間」は分からないんだ」
「それって……」
リリィが複雑な顔をする。
「怖いな」
「……そうだな」
プレイヤーの一人が、ネオに気づいた。「あんた——黒猫。助けてくれたのか?」
「まあそんなところだ」
「ありがとう……!俺たち、どうすればいい?」
「集落がある。南に数時間ほど歩けば着く。そこに行け——仲間がいる」
「分かった。ついていくよ……」
プレイヤーたちが、南へ向かい始めた。《マスターリスト》でその移動を確認できる。便利だった。
「……これ、全員の状態が分かるなら、かなり楽になるな」
「そうね。誰かが危険な状態になったら、すぐ分かる」
カイが言う。「でも——相手も、こっちが全員を把握してると分かったら、厄介なことをするんじゃないか?」
「……かもな」
ネオは北の空を見た。まだ——先がある。
「急ぐ。次のマスター魔法は——もっと深いところにある」
「……気をつけて」
「珍しいな」
「何が?」
「心配するのか、お前が」
「……いつもしてるよ」
その言葉は——真っ直ぐだった。ネオはそれを受け取って、しばらく何も言わなかった。
「……そうか」
そして、歩き出した。
幕間 設計師のメモ(断片・二)
以下は施設の書棚で見つかった、設計師の手記の断片——
——
《マスターリスト》を設計したとき、私は「孤独」について考えていた。
GMは、全員を見ている。全員の状態が分かる。でも——誰にも、GMの状態は分からない。
それが、正しいあり方だと思っていた。管理者は見えない方がいい。存在を主張しない方がいい。
でも——それが、ネオを孤独にするのかも知れない。
管理する側は、管理される側と「一緒に」いられない。そのジレンマを、ずっと考えていた。
答えは、まだ出ていない。
でも——ネオがもし、いつかプレイヤーの誰かと一緒に動いているのを見ることができたなら。
少しだけ——正解に近づける気がする。
——倉城 光
第十一話 最後の砦
廃都の北端に、砦があった。
廃都よりさらに古い。石の積み方が違う。この世界の「最初期」に作られたエリアだ。
「……ここは開発初期のエリアだ。テストで作って、そのまま残った場所」
ネオが説明する。
「放置された場所?」
「完成してない場所、とも言える。だから——ルールが、半分しかない」
「半分しかない?」
「完成したエリアは、ルールが整ってる。モンスターの出現、地形の挙動、アイテムのドロップ。でも未完成エリアは——」
「ルールが壊れてる」
「そうだ。逆に言えば——こちらのルールも、半分しか適用されない」
リリィが眉をひそめる。「それって……魔法が効かない場合もある?」
「可能性はある。試しながら進む」
砦の門は、崩れていた。入れる。
内部は——薄暗く、静かだった。
だが《マスターリスト》が、反応していた。この砦の中に——複数の存在がいる。プレイヤーでも、NPCでもない反応。
「……いるな」
「何が?」
「分からない。識別子が——空白だ」
「空白?」
「存在するのに、定義がない。そういう存在だ」
カイが小さく言う。「……俺みたいに?」
「……少し違う。お前には設計師のコードがある。でもこれは——本当に、何もない」
深部へ向かう。空気が重くなる。
そして——扉の向こうに、それはいた。
第十二話 《パンドラボックス》
それは——箱だった。
巨大な、黒い箱。人の背丈の三倍はある。表面に、無数の文字が刻まれている。ゲームのコードにも似た、数式にも似た、何か。
「……なんだこれ」
カイが呟く。
箱は動かない。だが——存在が重い。近づくほど、空気が圧縮される感覚。
「《マスターリスト》で確認したが——識別子が空白だ。これは、存在してはいけないものだ」
「存在してはいけない?」
「設計の外にある。設定にない。でも、在る。それは——」
「バグの化身みたいなもの、か」
リリィが静かに言った。
「……近い。いや、もっと正確には——全ての誤りを集めたもの、だな」
そのとき——箱が、鳴った。
低い、共鳴するような音。
表面の文字が——赤く光り始めた。
「動くか!」
カイが後退する。リリィが魔法陣を構える。
箱が——開いた。
中から出てきたのは、見えない何かだった。形がない。だが——部屋の温度が下がった。全員のHPが、わずかに削れ始めた。
「……何もいないのにダメージが入ってる!」
「"誤り"は、形を持たない。だから——通常の攻撃は通らない」
「じゃあどうするの!」
ネオは素早く考えた。
「(形がないものを——どう倒すか)」
《マスターキー》は、閉じているものを開ける。
《ピグマリオン》は、動くものを止める。
《マスターリスト》は、存在を確認する。
「(確認する……識別する……定義する)」
ネオの思考が、止まった。
「(名前がなければ——名前をつければいい)」
「《クリエイト》!」
ネオは《クリエイト》を、目の前の「空白」に向けた。
「名前を——やる。"誤り"でいい」
光が散った。
空白が——形を持ち始めた。輪郭が定まる。色がつく。
黒い霧のような、人型のような、何か。
「……いた」
形を持った瞬間——《ピグマリオン》が使えた。
「止まれ」
"誤り"が——固まった。
「カイ!リリィ!今だ!」
三人が同時に動いた。カイが核の部分を貫く。リリィが解除魔法を叩き込む。ネオが《マスターキー》でその内側を開く。
「開け」
カチリ。
"誤り"が——溶けた。黒い霧が散り、光になり、消えた。
箱も——崩れた。文字が消え、表面が砕け、ただの石の塊になって落ちた。
静寂。
「……終わった?」
「終わった」
ネオはゆっくりと息を吐いた。
視界にログが走る。
【Master Authority Fragment Detected】
【マスター魔法:《パンドラボックス》取得】
対象をゲームから除外する(BAN)
「……これか」
ネオは、その魔法の重さを感じた。
BANする。存在を、この世界から消す。
「……使うときは、慎重にしないとな」
リリィが珍しく、厳しい顔をした。「当然だよ。それ、使い方間違えたら——」
「分かってる」
ネオは静かに言った。「GMの権限の中で——一番、重い力だ」
カイが、ぽつりと言う。「……俺にも、使えるのか?」
沈黙。
「……お前を使う気はない」
「でも——できる?」
「……《マスターリスト》に載ってる存在なら、全員に使える」
カイは少しだけ笑った。「そっか。まあ——使わないでくれよ」
「当然だ」
ログが一行。
「……ネオ、それを持ったら、使いたくなることがあるかもしれない」
「ああ」
「そのとき——考えてくれると、嬉しい」
ネオは、その言葉の重さを、しばらく感じていた。
「……分かった」
第十三話 外部からの手
砦を出たところで——ログが増えた。
通常の一行ではない。大量のノイズが混じり、視界がチラついた。
「……干渉が来てる」
「外部から?」
「多分な。さっきのボス戦を見ていた——《パンドラボックス》を取ったことが、向こうに分かった」
カイが警戒する。「……次の手を打ってくるか」
「確実にな」
リリィが空を見た。「空、また暗くなってる」
確かに——薄暮だった空が、また灰色に戻りつつあった。
「時間軸を、また止めようとしてる」
「こっちでは防げないの?」
「今の権限では、システムレベルのサイクルまで管理できない。あと——一つか二つ、魔法が足りない」
ネオは《マスターリスト》を展開した。全員の状態——集落は安全。廃都のプレイヤーたちも移動中。だが——
「……外部からの干渉を受けている点が、一か所ある」
「どこ?」
「……集落の近く。誰かが——直接入ってきてる」
三人の視線が合う。
「急いで戻る」
ネオは走った。
《ジャンプ》で距離を縮めながら。
だが——
「もう遅い」
ログが、来た。
今度は——今までと、違う声だった。
第十四話 別のログ
声が違った。
今まで聞いていた「ログの声」は——柔らかく、どこか遠い。観察しているような、見守っているような声だった。
だが、今の声は——硬く、近く、意図的だった。
「……誰だ」
「答える必要はない」
「なるほどね」
「黒猫。お前には選択肢がある」
「聞こうじゃないか」
「今すぐ、取り戻したマスター魔法を渡せ。そうすれば——全員をログアウトさせてやる」
ネオは足を止めなかった。《ジャンプ》で進み続けながら、ログを読む。
「断る」
「……即答か」
「渡せるわけがないだろ。渡した瞬間、また全員が戻れなくなる」
「賢いな。だが——集落にいる者たちは、今、危険だ」
「《マスターリスト》で見てる。今のところ、全員無事だ」
「今のところは、な」
ネオの速度が、上がった。
「カイ、リリィ——先に集落へ」
「お前は?」
「もう一つ、聞きたいことがある」
カイとリリィが先へ向かった。ネオは立ち止まり、ログを見た。
「……一つ聞く」
「何だ」
「もう一つのログの声——ずっと見てた声。あれは、お前とは違う存在か?」
沈黙。
「……何のことだ」
「そうか」
「……」
「自分で会いに行く。それだけだ」
ログが、途切れた。
ネオは走り出した。
第十五話 ネオの決意
集落に戻ると——全員無事だった。
《マスターリスト》の通り。セナが門の前で待っていた。
「……外からの変な干渉があった。でも——何もされなかった」
「番兵が機能したか」
《ピグマリオン》で動かした、かつての敵の兵士たち。彼らが外部からの干渉を弾いたようだ。
「……あいつら、役に立ったな」
「褒めてあげなよ」
ラフが走ってくる。「ねこにいちゃん!かえってきた!」
「帰ってきた」
「しんぱいした!」
「……そうか」
ネオは、少しだけ——居心地の悪い顔をした。心配される、という感覚に、まだ慣れていない。
夜——全員が集まった。廃都から来たプレイヤーたちも含めて、集落の人数がまた増えた。
「《マスターリスト》で全員の状態が分かるようになった。危険なことがあれば——すぐ動ける」
「……《パンドラボックス》は?」
セナが慎重に聞く。
「持ってる。使う予定はない——今のところは」
「今のところは、か……」
「使わずに済む方が良い。でも——最後の手段として、ある」
その言葉で、誰も何も言わなかった。
ネオは焚き火を見た。揺れる炎。増えた人たちの顔。
「……次が、最後になる」
「え?」
「残ってるマスター魔法は、あと二つだ。それを取り戻せば——世界を修復できる」
カイが静かに言う。「……そしたら、みんなログアウトできる?」
「そのはずだ」
「……そしたら、ネオは?」
沈黙。
「そのことは——後で考える」
リリィが、小さく言った。「……ちゃんと、考えてよ」
「……分かった」
ログが一行。静かに。
「……ありがとう」
「何に対して?」
「全部に、かな」
その声は——ほんの少しだけ、震えていた。
エピローグ 第三巻・了
灰色の空が——少しずつ変わり始めていた。
完全な朝ではない。でも、確実に——光が増えている。マスター魔法が集まるほど、世界のサイクルが動き始めている。
ネオは焚き火の傍で、《マスターリスト》を展開していた。
全員の点。全員の状態。安全。
だが——一か所だけ。地図の外に、かすかな光の点があった。
「……いた」
ネオは、その点を見た。
場所は——この世界の設計、一番根本にある場所。データの最深部。誰もアクセスできないはずの領域。
「……会いに行く」
小さく、一人で呟いた。
カイが隣で目を覚ました。「……何か言った?」
「いや、独り言」
「また?」
「癖だ」
リリィが反対から言う。「……次、いつ動く?」
「朝になったら」
「今、朝になりかけてるよ」
「……そうだな」
ネオは空を見た。光が、増えている。
「もう少し、待つ」
取り戻したマスター魔法は、十。
残りは——確かあと二つ。
そして——ログの声が、待っている場所へ。
朝は、もうすぐ来る。
―― 第三巻・完 ――
最終巻に続く




