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マスターネオはネコまない ―黒猫GMのマスター魔法奪還ログ―(全四巻版)  作者: Master NEO


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第二巻 承の章 マスターネオの奮闘

【前巻までのあらすじ】

 VRゲーム《ファンタズマル・アイランド》のGMであるマスターネオは、ある日ログインすると巨大な黒猫の姿になっており、GM権限を失っていることに気づく。壊れた世界を取り戻すため、マスター魔法マスターキー《シフト》を手に入れ、ヒーラーのリリィ、正体不明のプレイヤーとパーティを組んだ。謎の声が、ずっとログ越しに見ている——

第一話 朝が来ない世界で


 《ファンタズマル・アイランド》に夜明けはない。

 正確には——来るはずの朝が、来ていない。

 空は薄暗い灰色のまま止まり、星も見えず、月もない。時間軸そのものが誰かに握られているかのように、世界は黄昏れたまま凍りついていた。

「……日の出、止まってるな」

 ネオは空を見上げ、ぽつりと呟く。

 隣でリリィが目を覚ました。焚き火はとっくに燃え尽き、灰だけが白く残っている。彼女は髪を手でざっとまとめながら、同じ空を仰いだ。

「時間、動いてないの?」

「動いてはいる。でもサイクルが止まってる。夜のまま固定されてる感じだ」

「誰かが弄ってるってこと」

「まあな」

 男——昨日からついてきているプレイヤー——はまだ眠っていた。丸まった背中が、規則正しく上下している。

 ネオはその背中をしばらく見てから、視線を外した。

 人間らしすぎる。それが、逆に引っかかる。

 視界の端に、ログが浮かぶ。

  「おはよう」

 ネオは目を細めた。「……朝じゃないぞ」

  「そうだね。でも起きたでしょ」

「見てたのか」

  「ずっと」

 一言。それだけ。

 リリィがネオを見る。「また来てる?」

「ああ。ずっと見てたって」

「……気持ち悪い」

「俺もそう思う」

 だが——その声に、どこか別のものを感じていた。ネオはそれを、まだうまく言葉にできない。

 地面が、ゆっくりと揺れた。

「来るな」

 ネオが立ち上がる。黒い巨体が、静かに戦闘態勢をとる。

「起こせ、あいつを」

「名前も知らないのに?」

「……そういえばそうだな」

 ネオはちらりと男の方を見た。

「名前、聞くか」

 その言葉と同時に——男が目を開けた。ゆっくりと。まるで最初から起きていたかのように。

「……おはよう」

 ネオはしばらくその顔を見てから、言った。「名前」

「……カイ。俺の名前、カイだ」

「覚えた。行くぞ、カイ」

「え、いきなり?」

「朝が来ない世界で、ゆっくりしてる理由はない」

 黒猫は歩き出す。リリィがため息をついてその後に続く。カイが慌てて立ち上がる。

 灰色の空の下、三人は進んだ。



第二話 廃墟の市街地


 地平線の向こうに、街が見えた。

 《ルーメン市街》——プレイヤーの拠点となる主要都市のひとつ。本来なら活気に満ちた商店街、行き交うNPC、至るところで飛び交う取引のチャット。

 今は——廃墟だった。

「ひどいな」

 リリィが、小さく呟く。

 建物の半分は崩れ、道には亀裂が走っている。石畳は剥がれ、至るところにノイズの残滓が浮いていた。まるで消えかけたデータの破片のように、光の粒子が漂っている。

「大規模イベントの煽りか」

 ネオは冷静に分析する。「エリアが崩れたあと、自動修復が働くはずなんだが——」

「働いてない?」

「管理者がいないからな」

 つまり、自分のことだ。ネオは一瞬だけ苦い顔をして、すぐに元に戻した。

 街の中心へ向かう。人影はない——はずだった。

「いる」

 カイが呟く。

 崩れた建物の影に、複数の人影があった。プレイヤーではない。NPCだ。座り込んで、動かない。

「NPCが残ってる……?」

 リリィが首を傾げる。

「普通、エラーが起きたら消えるか再起動するはずだが」

 ネオは近づく。NPCの一体——初老の男性の姿をした存在——が、ゆっくりと顔を上げた。

「……旅の方」

 声が出た。ネオは止まった。

「街が、壊れてしまいました」

 淡々とした口調。感情が設定されているのか、それとも——

「なぜあなたは残っているんだ」

 NPCは少しだけ間を置いた。

「……分かりません。消えようとしたのですが、消えられなかった」

 空気が変わる。リリィが眉をひそめる。「NPCって、普通そういうこと言わない……でしょ?」

「言わない」

 ネオは即答した。「NPCは状態を報告するが、自分の意志で『消えようとした』なんて言葉は持たない」

 視界の端に、ログ。

  「面白いでしょ?」

 ネオは空を見上げる。「……お前がやったのか」

  「違うよ。世界が、勝手に変わり始めてる」

  「壊れたから、変わった。それだけ」

 ネオはその言葉を、しばらく咀嚼した。

 壊れたから、変わった。それはバグの副産物か。それとも——意図されたものか。

 NPCの老人が、再び口を開く。「……旅の方。この街の奥に、入れない場所があります」

「入れない?」

「壁が——できているんです。見えない壁が。街の半分が、そこから先へ行けない」

 ネオは立ち上がる。

「見に行く。案内してくれるか」

「……はい。ヴェルナルと申します。お連れします」

 老人のNPCは、ゆっくりと立ち上がった。



第三話 見えない壁の正体


 ヴェルナルに連れられて街の北側へ向かうと——確かに、あった。

 何もない空間。しかし、そこで足が止まる。前へ進もうとすると、見えない何かに押し返される。

「……なるほど」

 ネオは手を伸ばす。指先に、微かな抵抗を感じる。透明な壁。ガラスよりも薄く、しかし鋼鉄よりも固い。

「触れるのか」

 カイが試してみる。同じだった。手のひらが、空中で止まる。

「完全な不可視の壁ね」

 リリィが分析する。「どの角度から見ても、何もない。でも確かにある」

「鍵で開けられないか?」

 カイがネオを見る。

「試した」

 ネオは短く答えた。「《マスターキー》を当てても、カチリとも言わなかった。これは——閉じているものじゃない」

「じゃあ何だ」

「壁だ。扉じゃなくて、壁」

 沈黙。

「……違いは?」

「扉は開く前提で作られてる。壁は、そもそも通れないことが前提だ」

「じゃあどうするの」

 リリィが聞く。ネオはしばらく、その壁を見つめた。

「抜ければいい」

「抜ける?」

「開けるんじゃなくて——通り抜ける」

 ヴェルナルが、静かに言う。「……昔、こういう話を聞いたことがあります。設計師の伝承で」

「設計師?」

「この世界を作った方の、話です。『壁は壁のままでいい。ただし、壁の意味を変えれば——壁は壁でなくなる』と」

 ネオの眉が、わずかに動いた。

「壁の意味を変える——」

 視界の端に、ログが流れる。

  「面白くなってきた」

「……お前、知ってるな」

  「知らないよ。でも、ネオが考えてる方向は、たぶん合ってる」

「答えを教えてくれる気はないか」

  「ないよ」

「だよな」

 ネオは笑った。それから、もう一度壁に向かった。

 壁の意味を変える。壁は遮るためにある——ならば「遮る対象」を変えれば。

「(この壁は、何を遮っているんだ?)」

 物体か。プレイヤーか。あるいは——どちらでもない何かか。

 ネオはゆっくりと考え始めた。



第四話 《パスウォール》


 三十分、考えた。

 ネオとしては珍しく長い時間だった。その間、リリィは壁の周囲をぐるりと探索し、カイは石段に腰掛けてネオを眺め、ヴェルナルは静かに立っていた。

「分かったか?」

 リリィが戻ってくる。

「だいたい」

「だいたい、か」

「試してみないと確信は持てない」

 ネオは壁の前に立つ。今度は鍵を取り出さない。代わりに——ゆっくりと、自分の手のひらを見た。

「この壁は、プレイヤーとしての俺を遮ってる」

「そうじゃないの?」

「GM権限の一部は、まだ戻ってる。《マスターキー》で取り戻した分だけ。俺は今、プレイヤーでもあってGMでもある」

「……どういう意味?」

「壁はプレイヤーを遮る。でもGMは——この壁の管理者側だ。管理者として通れば、壁は壁じゃなくなる」

「なるほど……でも、どうやって?」

「自分が何者かを、決める」

 カイが首を傾げる。「決める?」

「そう。権限の問題じゃなくて——認識の問題だ。俺がGMとして壁に向かえば、壁は俺を通すかもしれない」

 リリィは少しだけ眉をひそめた。「……かもしれない、か」

「試してみる」

 ネオは深く息を吸った。

 プレイヤーとして、ではなく。この世界の管理者として。かつてそうだったように——今もそうであるように。

 一歩、踏み出す。

 抵抗がある。壁の感触が、手のひらに返ってくる。だが——今度は、前より薄い。

「(いける)」

 もう一歩。

 ずぶり、と。まるで水の中に足を踏み入れるような感覚があった。

 そして——抜けた。

「……!」

 リリィが息を呑む。ネオは壁の向こう側に立っていた。

「マジか」

 カイが呟く。

 視界に、ログが走る。

  【Master Authority Fragment Detected】

  【マスター魔法:《パスウォール》取得】

  あらゆる壁を通り抜ける

「……よし」

 ネオは振り返る。壁の向こうから、リリィたちの顔が見える。

「来れるか?」

「……私たちも通れるの?」

「今は俺だけだろうな。でも——」

 ネオは壁に手をかける。GM側から触れると——感触が違う。

「開け」

 カチリ。今度は鳴った。

 壁が、ゆっくりと薄れていく。やがて——消えた。

「……なるほどね」

 リリィが、静かに言う。「内側から開けることができた」

「GM側からなら、管理できる。外からじゃ無理でも」

 カイが笑う。「面白い発想だな」

「GMの仕事はそういうもんだ。外からじゃなくて、中から管理する」

 ヴェルナルが、深く頭を下げた。「……街の奥へ、進めます。ありがとうございます」

 ネオはそれを軽く受け流して、壁の跡を越えた。

 街の奥へ。まだ誰も踏み込んでいない場所へ。

 視界の端で、ログが一つ。

  「上手い。でも——もっと先がある」

 ネオはそれを読んで、小さく笑った。「知ってる」



幕間 サーバールームの夜


 サーバールームでは、無機質にキーボードを叩く音だけが鳴り響いていた。

 サーバーが制御不能に陥って、既に数時間が経過していた。

 全く解決策が見えない中で、彼らの顔はすっかり疲れ切っていた。

「残ってるプレイヤーは、何人だ」

「……確認できているのは、十数名。だが——」

 キーボードを叩く音が止まる。

「確認できていない個体が、いる」

「識別不能か」

「そう。ログにない。ログインの記録もない。しかし映像には、確かに映っている」

 画面が切り替わる。そこには——カイ。男の後ろ姿。

「これは……誰だ」

「不明。追跡しようとするたびに、ログが途切れる」

 もう一人が、低い声で言う。「考えられる可能性は?」

「三つだ」

「……言え」

「一——我々の観測系に問題がある」

「二——向こう側が意図的に隠している」

「三——」

 また、言葉が止まる。

「三は」

「……もともと、ゲームの外側から来た存在ではない」

 その言葉の意味を、全員がゆっくりと理解する。

「ゲームの内側から、生まれた——?」

「可能性として、だ。否定はできない」

 モニターの光が、青白く揺れる。

 そのとき。一台の端末が——静かに、ログを吐き出した。

  「聞こえてるよ」

 部屋の全員が、凍りついた。

 それは——こちら側のシステムから、出力されていた。



第五話 旧市場の混乱


 壁の向こうは——予想以上に荒れていた。

 建物の崩壊が激しく、道が塞がれている場所が多い。まるで誰かが意図的に、入れないようにしたかのような散らかり方だ。

「……これ、自然に崩れたわけじゃないな」

 ネオが立ち止まる。

「どういうこと?」

「崩れ方のパターンが一定だ。ランダムな崩壊じゃない——何かが繰り返し通った跡がある」

 カイが周囲を見回す。「何かって?」

「でかいやつ」

 その言葉と同時に——遠くから、地響きが来た。

「……来た」

 ネオが低くなる。

 崩れた市場の奥から現れたのは——巨大な、石造りのゴーレムだった。だが、以前に倒したものと同じではなさそうだ。このゴーレムは二体。しかも——動き方がおかしい。

「連携してる」

 リリィが即座に分析する。「一方が攻撃して、もう一方が退路を塞ぐ動きだ。ただのモンスターじゃない」

「プログラムか、それとも——」

「誰かが操ってる」

 カイが言い切る。

 ネオは素早く状況を読んだ。逃げ場がない。正面に二体。背後は細い路地。

「リリィ、後ろに下がれ。回復に徹してくれ」

「分かった」

「カイ、右のゴーレムを引きつけろ。攻撃しなくていい、ヘイトを集めるだけでいい」

「了解。俺は何で引きつければいい?」

「何でもいい。声でも、石でも」

「……シンプルだな」

「シンプルな方が確実だ」

 ネオは左のゴーレムへ向かった。《シフト》で距離を詰める。《マスターキー》を構える。だが——

「(鍵穴がない)」

 以前に倒したゴーレムとは作りが違う。関節に鍵穴がない。全身が、均質な石で作られている。

「……厄介だな」

 ゴーレムが腕を振る。ネオは《シフト》で回避する。だが——回避した先に、もう一方のゴーレムが来ていた。

「っ!」

 挟み撃ち。狙っている。

「カイ!」

「引きつけてる!でもこっちも来てる!」

 ネオは歯を食いしばった。このままでは——じり貧だ。

 そのとき。ログが一行。

  「ねえ。引っ張れないの?」

「……は?」

  「ゴーレムを。こっちに引っ張ってきたら、ぶつかるじゃん」

 ネオの思考が、一瞬止まった。

「……なるほど」

 ぶつける。二体を、互いにぶつける。

「(引っ張る——どうやって)」



第六話 引力という名の力


「(引っ張る。距離を縮める。呼び寄せる)」

 ネオは考えながら動く。《シフト》でゴーレムの背後に回る。ゴーレムが振り向く。ネオはさらに逃げる。

「(《シフト》は俺が移動する魔法だ。相手を動かすものじゃない)」

 では——何が「引っ張る」に近い?

 ゴーレムが追ってくる。ネオは路地を曲がる。もう一体が別の方向から来る。挟み込む気だ。

「(待て。ゴーレムは今、俺を追っている。俺に向かって来ている。それは——俺が引っ張っているのと同じことじゃないか?)」

 そうじゃない。今は俺が逃げているから追ってくるだけだ。俺が止まれば、ゴーレムも近づかない。

「(でも——もし俺が「目標」として、ゴーレムを固定したまま、俺だけ移動できたら)」

 目標を俺に固定したまま——俺が移動することで、ゴーレムを誘導する。

「(それは操作か。引力か)」

 違う。もっとシンプルだ。

「(引っ張るというのは——距離が縮まることだ)」

 ネオは立ち止まった。ゴーレムが迫る。リリィが叫ぶ。「ネオ!?」

「大丈夫」

 ネオは右手を上げた。ゴーレムを見る。距離を測る。

「(来い)」

 イメージする。ゴーレムと俺の間の距離が——縮む。

 何かが、指先で引っかかった。

「……!」

 ゴーレムの動きが、わずかに前のめりになった。

「(ある)」

 もっと強く。もっとはっきりと。来い、ここに。

 ゴーレムが——引っ張られた。

「なっ!?」

 カイが驚く。一体のゴーレムが、まるで見えない綱で引かれるように、急加速でネオの方へ滑った。

 ネオは即座に《シフト》で横へ。

 ゴーレムが——もう一体のゴーレムに、正面から激突した。

 轟音。石が砕ける。二体は互いに崩れ、倒れ込んだ。

 静寂。

「……何した今」

 カイが呆然とする。

「引っ張った」

「引っ張った……?」

「そう。だいたいそういうことだ」

 視界に、ログが走る。

  【Master Authority Fragment Detected】

  【マスター魔法:《ドロー》取得】

  プレイヤーまたはNPCを自分の元へ強制移動させる

「……面白いな、これ」

 ネオは手のひらを見た。引力。距離を縮める力。

「使い道、色々ありそう」

「ゴーレムぶつけるだけじゃないの?」

「それだけじゃない」

 ネオは笑った。「敵を引き寄せる。味方を救う。逃げようとするやつを捕まえる。何でも使える」

 リリィが少しだけ眉をひそめる。「……使い方によっては、怖いね」

「何でもそうだ」

 ネオはそれだけ言って、前を向いた。

 視界の端で、ログが一つ。

  「今度は、引き寄せられる側にならないようにね」

 ネオは少しだけ笑った。「お前は俺を引き寄せようとしてるんじゃないか、ずっと」

 返事は、なかった。



第七話 ヴェルナルの記憶


 旧市場の奥に、広い倉庫があった。

 崩れた建物の残骸が積み重なっているが、奥の空間だけは不思議と無事だった。その中に、ヴェルナルが案内してくれたのは——小さな部屋だった。

「……ここは?」

「かつて、商人たちが集まる場所でした。交渉や、情報交換のための」

 今は誰もいない。だが、テーブルが残っている。椅子が残っている。まるで、昨日まで誰かがいたかのように。

「ヴェルナル」

 ネオが、老人を見る。「一つ聞いていいか」

「はい」

「お前は——消えられなかったと言っていた。なぜだと思う?」

 ヴェルナルは、少しの間を置いた。

「……分かりません。ただ——消えようとしたとき、何かが引き止めた気がしました」

「引き止めた?」

「はい。街を見なさい、と言う声がしたような——いえ、声ではないかもしれません。感覚、に近いものが」

 リリィが小声でネオに言う。「……NPCにしては、随分と複雑な話をするね」

「ああ」

「あれ、NPCなの?」

「分からない」

 ネオは正直に答えた。「普通のNPCじゃないことは確かだ。でも——プレイヤーでもない」

「じゃあ何?」

「そういうものが——できてきてるのかもしれない」

 カイが、椅子に座りながら言う。「世界が壊れたから、変わったって……さっきのログが言ってたやつ?」

「そうかもしれない」

 ヴェルナルが続ける。「……私には、記憶があります」

「記憶?」

「この街が賑やかだった頃の。プレイヤーが行き交い、笑い声が聞こえた頃の。それが——まだ、ここにある気がして」

「だから消えられなかった」

「……そうかもしれません」

 沈黙が、部屋に広がる。焚き火の音も、外の風も聞こえない静かな時間。

 ネオは立ち上がる。「次へ行く。この先に——何があるか教えてくれるか」

「……北の区画に、かつて宿があったはずです。今は——何があるか分かりません。壁が閉じてからは、誰も行けなかった」

「行ってみる」

「気をつけて」

 ヴェルナルの言葉は、プログラムされた台詞とは思えなかった。

 ネオはそれを受け止めて——頷いた。



第八話 引き寄せてはいけないもの


 北区画への道は、細く、暗かった。

 建物が迫り、空が見えない。魔法灯の光だけが、足元を照らしている。

 ネオは《パスウォール》で二箇所ほど崩れた壁を抜け、ようやく宿の前に出た。

「……宿か」

 看板が残っていた。《渡り鳥亭》という名前。窓に明かりはない。だが——扉は、半分開いていた。

「誰か、いる?」

 カイが前に出ようとする。ネオが腕で止めた。

「待て」

「なんで?」

「中に何かいる」

 気配がある。プレイヤーでもなく、NPCでもない——何か。

「……モンスター?」

「違う。もっと静かなやつだ」

 ネオは扉を《パスウォール》で通り抜けた。

 中は——薄暗かった。テーブルが倒れ、椅子が散乱している。宿の一階、食堂スペースだ。

 そして——角に、何かがいた。

 影のような存在。人型に近いが、輪郭が揺れている。ノイズの塊が凝集したような、あるいは——

「(データの残骸、か)」

 プレイヤーのアバターが、ゲームから切り離されたまま残った痕跡。完全には消えず、かといって戻れず——漂っている何か。

 影が、ネオを感知した。わずかに向きを変える。

「(攻撃は——してこないな)」

 ただ、そこにいる。

 ネオは近づく。影の輪郭が、より鮮明になる。——人型。女性のシルエットに近い。

 引き寄せるか、と考えた瞬間——

  「ダメだよ」

 ログが走った。

「……なぜ」

  「ドローは、意志のある相手を引き寄せる。でもあれは——意志が、ない」

  「引き寄せたら、壊れる」

 ネオは手を止めた。

「意志がない、か」

 影は揺れ続けている。ここにいることも、どこかへ行くことも——できない。

「……どうしてやればいい」

 独り言のように呟く。

 返事が来た。ログではなく——ヴェルナルの声が、後ろから。

「……その方は、ここの常連さんだったかもしれません」

「ヴェルナル、ここまで来たのか」

「ついてきてしまいました。申し訳ありません」

 老人は影を見つめる。「……記憶が、残ってしまっているのでしょうか。帰れない、と思いながら——ここにいる」

「帰れない」

 ネオは繰り返す。「ログアウトできなかったプレイヤーの、残骸か」

「……そうかもしれません」

 しばらく、沈黙が続いた。

「ネオ」

 リリィが、静かに言う。「今は、どうにもならない。でも——権限が戻ったら、できることがあるかもしれない」

「……そうだな」

 ネオは影に向かって、一言だけ言った。

「待っててくれ」

 影は、答えなかった。ただ——揺れ方が、少しだけ変わった気がした。

 ネオは踵を返す。

「次へ行く」



幕間 ログの中で


 ネオたちが《渡り鳥亭》を離れた後、しばらくして——

 宿の中に、静寂が戻った。

 影は、同じ角に立っている。

 ただ、揺れている。

 ルーメン市街の空気は、相変わらず灰色だった。

 ——ずっと、こうしていた。

 どのくらいの時間か、分からない。ゲームの中に時間があるなら——かなり経った。ゲームの外でも——どのくらい、だろうか。

 誰かが来た。ネオというGMが。

 最初に感じたのは——近い、ということだった。

 何かが近づいてくる感覚。久しぶりに感じる、そういうもの。

 引き寄せようとした。でも、やめた。

 やめたのは——意図して、ではなかったと思う。ただ、何かがそうさせた。

 待っていてくれ、と言われた。

 その言葉を、ここで転がしている。

 待つ、ということを——まだ、できていると思うことにする。



第九話 森の外縁


 ルーメン市街を出て、森へ向かった。

 情報源は——ヴェルナルだった。「市街の外、森の中に——人が集まっているという話を聞きました。壁が閉じる前、ここを逃げ出したプレイヤーたちが、向こうで生き延びていると」

「プレイヤーが生き残っていた、か」

「ここより安全だったのかもしれません。外部のアクセスが届きにくい——」

「だから狙われなかった、ということか」

 ネオは考える。市街地は拠点で目立つ。森の奥は、おそらく優先順位が低い。

「行ってみる価値はある」

 三人で森へ入る。ヴェルナルは来なかった——「街を、見ていなければならないので」と言った。

 森の中は、市街地とは別の意味でおかしかった。

「……木が、多い」

 カイが言う。

「それは普通だろ」

「そうじゃなくて——多すぎる。マップのデータが圧縮されてる感じ。本来こんなに密じゃないはず」

「よく分かるな」

「直感だけど」

 ネオは周囲を観察する。確かに——木と木の間が狭い。光が届かない。方向が分かりにくい。

「《シフト》で上に出られるか?」

「木の枝ならいける」

 ネオは一気に跳ぶ。《シフト》で木の頂上へ。見渡す。

「……見えた」

 森の奥。かすかに煙が上がっている。焚き火か、それに近い何か。

「煙がある。南南東、五キロメートルくらいか」

「遠いな」

 カイが言う。「《シフト》で一気に行けない?」

「届かない。《シフト》の射程は目視範囲内だ」

「じゃあ歩くしかないか」

「そうなる」

 ネオは木から降りる。三人は南南東へ向かった。

 視界の端に、ログ。

  「そっか。届かないんだ」

 ネオは歩きながら答える。「お前には、届くのか?」

  「私はどこにでもいるから。距離、関係ない」

「羨ましいな」

  「そう?でも——どこにでもいるって、どこにもいないのと同じかもしれない」

 ネオは少しだけ足を止めた。その言葉が、妙に引っかかった。

 だが——深く考える前に、前を向いた。

「行くぞ」



第十話 集落と、そこにいる人たち


 煙の出所は——小さな集落だった。

 崩れた木材と石で作った、急ごしらえの建物が数棟。その周囲に、プレイヤーたちが集まっていた。

「……十二、三人か」

 ネオが数える。装備はバラバラだ。前衛職、後衛職、生産職——様々なジョブのプレイヤーが、入り混じっている。

「猫!?」

 最初に声を上げたのは、若い男のプレイヤーだった。「でかい猫がいる!?」

「猫じゃない。元GMだ」

「嘘つけ!」

「まあ無理だな」

 ざわめきが広がる。ネオたちを囲む人の輪ができる。全員が、戸惑いと警戒と——微かな安堵の混ざった顔をしている。

「……本当にGMなのか?」

 一人が前に出た。女性のプレイヤー。前衛装備を着ているが、かなりくたびれている。

「元GMだ。今は権限の一部しかない」

「それでも——来てくれたのか?」

「通りかかった、が正確だ」

 少しだけ、空気が揺れた。それでもいい、という気配が広がる。

「状況を教えてくれ」

 ネオが言うと、女性——自分をセナと名乗った——が話し始めた。

「……ログアウトできない。ここへ来てから、ずっと。市街地が壊れてからこっちに逃げてきたけど——もう丸一日、外に出られていない」

「食料は?」

 このゲームでは、食料の補給が不可欠だ。

 空腹も感じるし、身体の動きも鈍くなる。睡眠時間も同様だ。

追求されたリアリティがこのゲーム最大の特徴であり、他と一線を画するシステムだ。

 生命の危機とまではいかないにしても、長引けば精神に異常を来してしまう恐れは高い。

「ゲーム内のアイテムがまだある。でも——減っていく一方で、補充できない」

「モンスターに襲われたことは?」

「ある。二回。でも、ここは比較的安全だ。何かが守ってくれてる気もする」

「守ってる?」

「上手く説明できないけど——こっちにモンスターが近づくと、何かに弾かれるみたいに去っていく」

 ネオはリリィと目を合わせた。リリィが首を横に振る——知らない、ということだ。

「分かった。お前たちの状況は把握した」

「……何かできることがあるか?」

「ある」

 ネオは即答した。「時間はかかる。でも——やれることはやる」

 セナは、少しだけ目を細めた。「……信じていいのか、猫」

「元GMだ。信じるかどうかはお前が決めろ」

「……分かった」

 短い答えだった。だが——それで十分だった。



第十一話 届かない距離


 集落に一晩、世話になることにした。

 焚き火を囲んで、プレイヤーたちとの情報交換。市街地の様子、モンスターの動向、ゲーム内の変化——色々なことが分かった。

 だが、夜中に——問題が起きた。

「猫!起きろ!」

 セナが叫ぶ。ネオは即座に跳ね起きた。

「何だ」

「子供が——あのNPCの子供が、森の奥に入っていった!」

 集落には、NPCが数体混じっていた。先ほど話したヴェルナルと同じように——壊れた世界で消えられなかったNPCたちだ。その中に、子供のNPCがいた。

「なぜ森に?」

「分からない!気づいたら消えていた!」

 ネオは立ち上がった。「方向は」

「北東。でも——暗くて、どこまで行ったか」

 これは何かのイベントなのか、それとも——。

「探してみよう」

「俺も行く」

 カイが立ち上がる。

「俺一人で十分だ」

「二人の方が早い。それに——」

 カイは真顔で言った。「子供のNPCが心配だ」

 ネオはしばらくカイを見た。

 所詮NPCだ。放っておいてもプレイヤーは困らないだろう。

 そこに脱出の糸口があれば話は別だが。

 ただ、カイは心底NPCの子供を心配しているように見えた。

「……付いてこい」

 二人は森へ入った。《シフト》で木の上に出て、視界を確保する。闇の中——かすかに、小さな光が見えた。

「あそこだ」

「遠い。三キロメートルくらいか?」

「《シフト》の射程を超えてる」

 カイが言う。「走るしかないか?」

「……あるいは」

 ネオは手を伸ばした。《ドロー》を使う。NPCを引き寄せる——しかし。

「(遠すぎる。《ドロー》も射程がある。届かない)」

 距離が、壁になっている。

 そのとき。視界にログ。

  「届かないんだね、やっぱり」

「……ああ。《シフト》も《ドロー》も、射程がある」

  「じゃあ——逆に行けばいいんじゃない?」

「逆?」

  「自分が行くんじゃなくて。相手の場所に——飛ぶ」

 ネオの思考が、止まった。

「……飛ぶ、か」

 《シフト》は座標へ飛ぶ。座標が見えなければ使えない。

 では——「人」へ飛ぶとしたら?



第十二話 《ジャンプ》


「(座標ではなく——存在に、飛ぶ)」

 ネオは暗闇の中で考えた。

 《シフト》は自分の身体を、指定した座標に移動させる。だから目視範囲内でしか使えない。

 だが——もし、座標ではなく「対象」を指定できたら?

「カイ。あのNPCの子供——名前は分かるか」

「ラフと言うらしい。さっきセナが教えてくれた」

「ラフ、か」

 ネオは目を閉じた。NPCの識別情報。名前。存在。

「(ラフ、という存在が——今、あの光の場所にいる)」

 イメージする。名前ではなく、存在そのもの。この世界に存在する、ラフという個体。

「(そこへ、飛ぶ)」

 何かが、指先で引っかかった気がした。

 細い糸のような感覚。ラフという存在へと繋がる、見えない線。

「……あった」

 その線を、掴む。手繰り寄せる——のではなく。その線を、辿る。

 《シフト》とは違う。座標ではなく、存在へ向かう動き。

「いく」

 一歩、踏み出した。

 視界が——飛んだ。

 気づいたときには、暗い森の中にいた。足元に、小さな存在が丸まっていた。

「ラフ!」

 子供のNPCが顔を上げる。年齢にすれば五、六歳に相当するくらいのサイズのアバター。目が赤くなっている——泣いていたのか。

「おにいちゃん……?」

「猫だけどな」

「……ねこ?」

「そう。迷ったか?」

 ラフはこくりと頷く。「……光が見えたから、ついていったら、帰れなくなっちゃった」

「光?」

「きれいな光。でも——消えちゃった」

 ネオは周囲を見回す。モンスターの気配はない。ただ——木の間に、かすかにノイズが漂っていた。

「連れて帰る。掴まってろ」

「……ひっかく?」

「しない」

 ラフは恐る恐る、ネオの背中にしがみついた。小さな手が、毛並みを掴む。

 ネオは《ジャンプ》を使う。今度は、カイへ向かって。

 瞬間移動。

 カイの目の前に、ネオとラフが現れた。

「……え?今どこから」

「飛んだ」

「飛んだ!?」

「そう。《シフト》とは違う。存在に向かって飛ぶ」

 視界にログが走る。

  【マスター魔法:《ジャンプ》取得】

  特定のプレイヤーまたはNPCの元に瞬間移動する

「……なるほど。射程、ないのか?」

「存在が分かれば、どこでも飛べる。たぶん」

「たぶん、か」

「今試したとこだからな」

 カイは笑った。「強くなったね、また」

「まだ足りない」

 ラフが、ネオの背中から顔を出す。「おにいちゃん、ありがとう」

「猫だって言ってる」

「……ねこにいちゃん」

 カイが噴き出す。ネオは一瞬だけ表情を崩して——また、真顔に戻った。

「集落に帰るぞ」

 三人は、森を抜けた。



幕間 三つの視線


 その夜、集落の焚き火の周りで——三人は、それぞれに考えていた。

——リリィ——

 ネオは強くなっている。

 分かる。魔法が増えるたびに、できることが増えて、視野が広くなる。

 あのパーティが壊れたとき——私は、何もできなかった。

 今も、前に出るのはネオで、私は後ろにいる。回復して、守って、見ている。

 それでいいと、思っている。でも——

 (あのNPCの子供が、戻ってきたとき。ネオが「連れて帰る」と言ったとき)

 少しだけ——羨ましかった。

 なぜだか、まだ分からない。

——カイ——

 俺はここに、なぜいるのか。

 ログインした記憶がない。でも、ここにいる。

 ネオは俺を「使える」と判断した。それは分かる。

 でも——俺自身は、なぜここにいることを、悪くないと思っているのか。

 (ラフが戻ってきたとき。泣き止んで、「ねこにいちゃん」と言ったとき)

 何かが、胸の中で動いた気がした。

 俺に、胸があるのかは——分からないけど。

——ネオ——

 《ジャンプ》は——思ったより、ずっと使える。

 存在に向かって飛ぶ。座標ではなく、誰かへ飛ぶ。

 そのイメージは——引き寄せることとも、移動することとも、違う。

 もっと直接的な何か。

 (「どこにでもいるって、どこにもいないのと同じかもしれない」)

 あの声が、そう言っていた。

 《ジャンプ》は、どこにでも飛べる。ならば俺は——どこにいるのか。

 ……まあ、今は。

 ここにいる。それで十分だ。



第十三話 研究施設の入口


 集落から東へ三時間。

 地図にない場所に、それはあった。

 情報をくれたのは、集落のプレイヤーの一人——生産職のキタという男だった。「開発初期のエリアらしき場所がある。昔一度だけ迷い込んだことがあって——その後は入れなかったんだが、あの黒猫なら入れるかもしれない」

「なぜ俺が入れると?」

「なんとなく」

 根拠のない直感だったが——ネオはそれを信じることにした。

 施設は——かなり古かった。石造りではなく、金属とコンクリートに近い素材で作られている。ゲームの世界観からは浮いている。間違いなく——開発段階のテストエリアだ。

「《パスウォール》で入れるか?」

 リリィが聞く。

「試す」

 ネオは扉に向かった。金属製の重い扉。鍵穴がない。ノブもない。

 《パスウォール》で通り抜けようとした。

「……入れない」

「え?」

「この扉は、壁じゃなくて——何か別のものだ。物理的に存在しているんじゃなくて、設定として存在してる」

「設定として?」

「ここがテストエリアなら——この扉は、開発者が意図して閉じたものかもしれない。それは俺の権限でも、今の段階では——」

 ログが、割り込んだ。

  「その扉、識別コードがある」

「識別コード?」

  「うん。特定のIDで開く。試したことある?」

「俺のIDは、GM権限が剥奪されてる。使っても——」

  「全部が剥奪されてるわけじゃないでしょ。欠片は戻ってきてる」

 ネオは少しだけ考えた。確かに——マスター魔法を取り戻すたびに、権限の一部は戻っている。

「試してみる価値はあるか」

  「私には分からない。でも——面白そうだよ」

 ネオは苦笑した。「面白いかどうかで判断するなよ」

  「じゃあ何で判断するの?」

「やれるかどうかだ」

 ネオは扉の前に立った。GM権限——現在の認証レベルで、何が通るか。

「開け」

 カチリ。

 扉が、重い音を立てて開いた。

「……やれたな」

 リリィが小さく笑う。「不思議と信頼できる、その言い方」



第十四話 記録の部屋


 施設の内部は——図書館のようだった。

 棚が並び、棚には——光の板が収まっている。ログの記録か、それとも設計のデータか。

「……すごい量だ」

 カイが圧倒されたように呟く。

「開発ログだろうな。テストデータ、バランス調整の記録——」

 ネオは一枚を取り出す。薄い光の板。触れると、文字が浮かぶ。

 【フィールドモンスター強度テスト:第三次】

 【ドロップ率調整:プレイヤーフィードバックを反映】

 「普通の開発記録だな」

 別の棚へ。別の板。

 【GM権限設計について:メモ】

「……これは」

 ネオは読み込む。

 【GMは「管理者」であると同時に「世界の一部」であるべきだ。権限を持つが、プレイヤーと同じ目線に立てる存在。完全な神ではなく、完全な参加者でもない——その中間に位置する存在として設計する】

「……俺が猫になったのも、設計の一部か」

 呟く。

 リリィが覗き込む。「何が書いてある?」

「GMというものの、設計思想だ」

「どんな?」

「管理者でありながら、プレイヤーと同じ目線に立つ存在——だそうだ」

「……なんか、ネオっぽい」

「そうか?」

「うん。実際そうなってるじゃない。猫だし」

 ネオはその言葉を、しばらく考えた。

「……まあ、そうかもな」

 カイが別の棚から板を引き出す。「こっちは違う種類みたいだ。——ステータス設計について、とある」

「見せろ」

 ネオは受け取る。

 【ステータスは「現在の状態」であり、「固定された本質」ではない。プレイヤーは成長し、変化する。GMもまた——状況に応じて変化できるべきだ。ただし変化には「意図」が必要である】

「意図が必要——」

 ネオは繰り返す。

 そのとき。奥の部屋から、光が漏れた。

「……何かある」

 カイが前に出る。

「待て。俺が行く」

 ネオは先に進んだ。



第十五話 ステータスを変えるということ


 奥の部屋に——鏡があった。

 大きな、縦長の鏡。枠は金属。表面は光を反射しているが——映っているのは、普通の反射ではなかった。

 ネオが近づくと、鏡の中に——ステータスが表示された。

 HP、MP、攻撃力、防御力、速度——全ての数値が、並んでいる。

「……自分のステータス?」

「ここは、ステータスを設定する部屋だったんじゃないか」

 リリィが言う。「開発段階のテストで——キャラクターのパラメータを直接いじれる場所」

「デバッグ用か」

「そう。本来はプレイヤーがアクセスできる場所じゃない」

 ネオは鏡の前に立った。自分のステータスが、目の前に浮かんでいる。

「触れると、変えられるかもしれない」

「試すの?」

「試さないと分からない」

 ネオは一つの数値に手を伸ばした。防御力の項目。触れると——数値が動いた。

「……動く」

「どこまで変えられるの?」

「分からない。やってみる」

 防御力を、少し上げてみる。感覚が変わる。身体が、少しだけ重くなる気がした。

「(意図が必要——さっきの設計メモに、そう書いてあった)」

 何を意図するか。ただ数値を上げるのではなく——何のために変えるか。

「(今は——移動が重要だ。防御に寄りすぎると、機動性が落ちる)」

 防御力を戻す。今度は速度を見る。

「(《シフト》があれば、元々の速度はそこまで必要ない。でも——《シフト》が使えない状況では)」

 考えながら、少しずつ調整する。

 そのとき。鏡が——揺れた。

「……え?」

 リリィが声を上げる。鏡の表面が波打ち、ネオの反射が歪む。

「何が起きてる!?」

「鏡が、反応してる——」

 ネオは鏡を見つめた。歪んだ反射の中に——別の何かが見えた。影のような形。輪郭が定まらない。

「(これは——)」

 視界にログが走る。

  「気をつけて。その鏡は——外部からアクセスされてる」

「外部から!?」

  「うん。ここが開発施設だから——外部から、直接干渉できる」

 ネオは即座に鏡から離れた。

「全員、後ろに下がれ!」

 鏡が——割れた。光が弾ける。その中から、何かが出てくる。



第十六話 《メタモルフォーゼ》


 鏡から出てきたのは——プレイヤーの形をした何かだった。

 だが顔がない。身体の輪郭はある。装備も一応ある。でも、内側が——空洞だ。まるでアバターだけが動いているような、そういう存在。

「……なんだこれ」

「外部からの干渉が、形を持ったのか」

 ネオは瞬時に分析した。「外部から操作されてる傀儡だ」

「倒せる?」

「やってみる。——《シフト》」

 距離を詰める。一撃。だが——相手は《シフト》で位置をずらした。

「……同じ魔法を使ってくる?」

「外部が、俺の魔法データを読んでる」

 相手は《シフト》と同等の速度で動く。《ドロー》を使っても——相手も《ドロー》で引き戻す。

「コピーされてる……!」

 リリィが叫ぶ。

「ネオの魔法を全部コピーされたら、どうするの!」

「コピーできないものを使う」

「何があるの!」

「……まだ持ってない魔法だ」

 その瞬間——ネオの思考が繋がった。

「(《メタモルフォーゼ》——ステータスを変える。数値を変えるだけじゃない。自分の「在り方」を変える)」

 相手は今の「ネオ」をコピーしている。ならば——「ネオ」を変えてしまえばいい。

「(攻撃型の大型黒猫——ではなく)」

 ネオは鏡の破片を見た。そこに反射した自分の姿——巨大な黒猫。

「(これが今の俺だ。でも——別の俺になれるとしたら)」

 意図する。何に変わるか。目的は何か。

「(速度。最大限の速度。攻撃力は捨てていい。防御も要らない。ただ——速く)」

 ステータスが、変化する感覚。身体が——細くなる。小さくなる。

 普通の、黒猫のサイズに。

「え?」

 カイが呆然とする。

 ネオは動いた。相手の動きが——追いつかない。コピーが更新されていない。

「(そう。コピーは今の俺を基準にしてる。俺が変わった瞬間——コピーはズレる)」

 相手の懐へ。一撃。

 相手が《シフト》で逃げる。だがネオも《ジャンプ》で追う——存在を捕捉して飛ぶ。

「!」

 相手が初めて、反応が遅れた。《ジャンプ》のデータが、まだコピーに反映されていない。

「ここだ」

 《ドロー》で引き寄せ、《マスターキー》で——その内側にある、外部の接続点を開く。

「開け」

 カチリ。

 接続が切れた。傀儡が、崩れる。光の粒子になって、散っていく。

 静寂。

 ネオは——元の大きさに戻った。

 視界にログが走る。

  【マスター魔法:《メタモルフォーゼ》取得】

  自由にステータスを変更する

「……格好良かった」

 カイが言う。

「うるさい」

「格好良かったって言ってるのに!」

 リリィがため息をつく。「……この人、本当に素直じゃないよね」

「素直に生きてたら、GMなんてやってられない」

 ネオはそれだけ言って、散った光の粒子を見ていた。

 外部からの干渉。——段々と、向こうも本気になってきている。

「急がないとな」

 小さく、一人で呟いた。



幕間 設計師のメモ(断片)


 以下は施設の棚に残されていた、設計師の手記の断片——

 ——

 GMというものを、どう設計するか。長い時間をかけて、考えた。

 最初のアイデアは、完全な管理者だった。神に近い存在。何でも見え、何でもできる。

 でも——それでは、世界が死ぬと思った。

 完全な管理者がいれば、世界は完璧に動く。でも、誰も本気で生きない。危機もない、成長もない、驚きもない。

 だから——欠点を設計した。

 GMは強いが、万能ではない。権限は持つが、使い方を覚える必要がある。失敗もする。迷うこともある。

 そういう存在が——世界と一緒に動く。

 このゲームを作るときに、僕はそういうことを考えていた。

 「なんとかなる」と思いながら、「なんともならない」と知っている。

 そういう存在が——一番、面白い。

 ——倉城光



第十七話 食料の問題


 集落に戻ると——空気が重かった。

「どうした」

 セナが、難しい顔で言う。「食料が——あと二日分しかない」

「外から持ち込めないのか?」

「無理だ。生産職がいるけど、材料がない。ゲーム内のリソースが枯渇してる」

「フィールドのドロップは?」

「モンスターが出ない。出るはずの場所が、ことごとく空になってる」

 ネオは状況を整理した。

「マップのリソース生成が止まってる、ということか」

「そう。ゲームのサイクルが壊れてるから——食料も、アイテムも、自然に湧いてこない」

「GM権限があれば、直接生成できるんだがな」

「今は?」

「今は——できない。まだ権限が足りない」

 沈黙が落ちた。

「……どうするんだ?」

 プレイヤーの一人が言う。不安が、声に滲んでいる。

「考える」

 ネオは即答した。「解決策がないわけじゃない。時間をくれ」

「どのくらい?」

「一日以内に答えを出す」

 それだけ言って、ネオはカイとリリィを連れて集落を出た。

「……どこ行くの?」

 リリィが聞く。

「考えるのに適した場所を探す」

「歩きながらでも考えられるでしょ」

「歩くとアイデアが出る、という奴もいる。俺は止まった方が出る」

「どっちなの」

「両方だ。状況による」

 三人は、集落の外縁に腰を下ろした。灰色の空。静かな森。

「……考えを聞かせてくれよ。一人より三人の方が出る」

 カイが言う。

「整理する。問題は食料だ。生成が止まっている。外部からの補充はできない。プレイヤーの力では材料がない」

「ないものを、どうするか、だね」

「ないものを——作るか」

 ネオは呟いた。「GM権限の中に、アイテム生成という機能がある。完全な権限があれば、コマンドでアイテムを出せる」

「今はできないの?」

「今のレベルでは——できない、はず」

「はず、か」

「試したことがなかった。今まで、その必要がなかったから」

 リリィが言う。「試してみたら?」

「試して、できなかった場合——プレイヤーたちの希望を削ることになる」

「できた場合は?」

「……全員助かる」

「じゃあやるしかないじゃない」

 ネオはしばらく黙った。

「……そうだな」



第十八話 廃工場の記憶


 ヒントを求めて、集落の近くを探索した。

 見つけたのは——廃工場だった。

 石造りの大きな建物。内部には、機械のような構造物の残骸がある。ゲームの世界観では「精錬炉」や「製造台」に当たるもの——生産職が使う、アイテムを作るための設備の跡だ。

「……生産設備の廃墟か」

「ここでも、リソースが枯渇してるの?」

「稼働してない。電力か、魔力か——供給が止まってる」

 カイが内部を歩き回る。「これ、直せるか?」

「設備自体は壊れていないかもしれない。ただ——動かすためのエネルギーが」

 ネオは設備を観察した。大きな製造台。触れると——かすかに反応がある。完全には死んでいない。

「(もしかして)」

 ネオは《マスターキー》を当ててみた。

「開け」

 カチリ——しかし、扉は開かなかった。代わりに、設備がわずかに輝いた。

「……起動した?」

「部分的に、だな。動いてはいるが——材料がなければ、何も作れない」

「材料を用意すれば、動くの?」

「そういうことだ。でも材料がないから困ってる」

 三人でしばらく黙った。

 そのとき——ログが入った。

  「ねえ。作るって、材料が必要なの?」

「当然だろ」

  「GMは——材料なしでアイテムを出せるんじゃないの?」

「それができれば苦労しない。今の権限じゃ——」

  「本当に?試した?」

 ネオは止まった。

「……試してない」

  「じゃあ——やってみたら。最悪、何も起きないだけじゃない」

「最悪、何も起きない——か」

  「うん。できないと分かることも、情報だよ」

 ネオはその言葉を、しばらく転がした。

「……珍しく、建設的なことを言うな」

  「普段から言ってるつもりだけど?」

「聞こえてない」

  「ひどい」

 カイが笑う。「何話してんの?」

「試せ、と言われた」

「そうしろよ」

 ネオは製造台の前に立った。



第十九話 名前がすべてを作る


 製造台の前に立って——ネオはまず、考えた。

「(アイテムを作る。GM権限で。材料なしで)」

 普通の生産は、材料を入れて、レシピ通りに作る。それがゲームのルールだ。

「(でも——GMは、ゲームのルールの外側にいる)」

 ルールを管理する側は、ルールの外側にいることもできる。

「(問題は——何を作るかだ)」

 作るものを指定する必要がある。何もないところからは、何も作れない。

 材料の代わりに——何が必要か。

「(名前、か)」

 ネオはその考えに行き着いた。名前。アイテムの名称。それが、アイテムを定義する。

「(《パンをクリエイト》——と意図したら、パンが現れるか?)」

 荒唐無稽に思えた。でも——

「(この世界は、データで動いている。データは、定義から始まる。定義は——名前から始まる)」

 ネオは製造台に手を乗せた。

「パン」

 呟く。それだけ。

 何も起きなかった。

「……やっぱり——」

 諦めかけた、その瞬間。製造台が——輝いた。

「え?」

 リリィが息を呑む。台の上に、小さな光が集まる。凝縮される。形を持つ。

 小さな、パンのかたまりが——現れた。

 三人が、しばらく固まった。

「……できた?」

「……できた、な」

「なんで?」

「名前が——定義になった。定義から、アイテムが生まれた」

 カイがパンを手に取る。「本物だ。ちゃんと食べられる」

「HPが回復したか?」

「……うん。してる」

 視界にログが走る。

  【マスター魔法:《クリエイト》取得】

  自由な名前でアイテムを生成する

「……すごい」

 リリィが珍しく、素直に言った。

「名前だけで、ものが作れる」

「名前がすべてを定義するなら——名前が、すべてを作る。この世界では」

「それって——」

 リリィがゆっくりと言う。「言葉が、世界を作るってこと?」

「そういうことだ」

 ネオは製造台を見た。

「もっと試す。集落に持って行けるだけ、作る」

「何でも作れるの?」

「何でも、というわけにはいかないだろう。大きすぎるもの、複雑すぎるものは、たぶん今の権限じゃ無理だ。でも——食料程度なら」

「十分だ」

 カイがにやりとした。「集落の人たち、喜ぶよ」

「食料を持っていけばな」

 ネオは製造台に向かった。パン、水、肉——次々と名前を呼ぶ。

 その度に、小さな光が集まり、形を持ち、アイテムになった。

 視界の端で、ログが一つ。

  「……ネオって、本当に面白いね」

「お世辞は要らない」

  「本当のことだよ」

 その言葉は、珍しく——真剣だった。

第二十話 灰色の空に、光が

 集落に食料を持ち込むと——反応は、予想以上だった。

「……本当に、あるのか」

 セナが呆然とする。

「今のところは、食料程度しか作れない。武器や防具は、まだ無理だ」

「十分だ。十分すぎる……!」

 プレイヤーたちが集まってくる。NPCたちも、その様子を静かに見ている。ラフが、ネオの足元にまとわりつく。

「ねこにいちゃん、すごい!」

「ねこにいちゃんって言うな」

「でもすごい!」

「……まあ、そうだな」

 珍しく、ネオが素直に答えた。

 リリィが小声でカイに言う。「ちょっと柔らかくなった気がする」

「成長じゃない?」

「どうかな。このくらいがちょうどいいと思うけど」

 食料を配り終えた後、ネオは集落の外縁に出た。灰色の空を見上げる。

「……《クリエイト》で、空は変えられないか」

「試してみれば?」

 リリィがついてきていた。

「朝は、システム上の問題だ。名前で定義できるものじゃない。ゲームのサイクルそのものを修正しないと」

「それは——権限が全部戻らないと?」

「そうなる」

 リリィは空を見た。「……まだ、朝が来ないね」

「ああ」

「いつ来るんだろう」

「権限を全部取り戻した後——だ。そう、なるはずだ」

 「なるはず」という言葉に、リリィは何かを感じた。

「……確信はないの?」

「確信はない」

「でも——やる」

「当然だ」

 少しの沈黙の後——リリィが言う。

「……ちゃんと戻れるといいね。外の世界に」

「そうだな」

「ネオは——帰りたい?」

 ネオはしばらく考えた。本当に、少しだけ。

「……どっちでもいい、が正直なところだ」

「え?」

「外の世界に帰るより——この世界を、ちゃんと動くようにしたい。帰るのはその後でいい」

「……順番が逆だと思う、普通は」

「普通のGMじゃないからな」

 リリィはそれを聞いて——少しだけ笑った。

「……そうね」

 そのとき。視界にログが入った。

  「ねえ。一つだけ、聞いていい?」

「珍しいな。お前が聞くのか」

  「うん。ずっと聞きたかったんだけど——ネオは、私が何者か、気にならない?」

 ネオは少しだけ間を置いた。

「気になる」

  「じゃあなんで聞かないの」

「聞かなくても——会いに行けるからな」

  「……どういう意味」

「《ジャンプ》で飛べる。存在が分かれば、どこにでも。だから——逃げられないぞ」

 しばらく、ログは返ってこなかった。

 やがて、一行だけ。

  「……逃げないよ」

 その声は、少しだけ——揺れていた。

 灰色の空は、まだ続いている。朝は、来ていない。

 でも——どこかで。光が、少しだけ滲み始めているような気がした。



エピローグ 第二巻・了


 その夜——集落に、久しぶりの賑わいが戻った。

 食料があって、仲間がいて、焚き火がある。それだけで、人は——プレイヤーもNPCも——少し、息ができる。

 ラフが、ネオの隣で眠っていた。

 ネオはそれを見て、起こすこともできず——仕方なく、そのままでいた。

「猫だからな」

 小さく呟く。「暖かいんだろう」

 カイが隣に座る。「……ネオ」

「何だ」

「俺、やっぱり——プレイヤーじゃないかもしれない」

 ネオは顔を向けなかった。「そうかもしれないな」

「気にならないの?」

「気になる。でも——今は、一緒に動いてる。それで十分だ」

「……いつか、知りたいと思う?」

「なるようになる」

 カイは少しだけ、笑った。「適当だな」

「そうでもない。お前のことは、ちゃんと見てる」

 その言葉に、カイは少し驚いたように——黙った。

 リリィが反対側から来て、座る。「……不正アクセス、またされているみたい」

「どこで分かった」

「ログに、ノイズが混じり始めてる。外部からの干渉が、また増えてきてる」

「そうか」

「次は——どこへ行くの?」

 ネオは空を見上げた。灰色の空。朝の来ない世界。

「もう少し先に——マスター魔法の残りがある。それを取り戻す」

「それが全部揃ったら?」

「世界を、ちゃんと修復する。朝を、来させる」

「……それだけ?」

 ネオは少しだけ考えた。

「あと——一つ、会いに行きたい場所がある」

「どこ?」

「ログの声の、場所へ」

 リリィは静かに言った。「……分かってるの?」

「なんとなく、だ。《ジャンプ》があれば——存在が分かれば、飛べる」

「存在、分かるの?」

「……だいたい、な」

 そのとき。ログが一行、流れた。

  「……楽しみにしてる」

 ネオはそれを見て——小さく、笑った。

「俺もだ」

 焚き火が揺れる。灰色の空が続く。ラフが寝息を立てる。

 三人と、無数の声と——壊れた世界で、夜は続く。

 でも——朝は、もうすぐ来る。

 そう、信じることにした。


―― 第二巻・完 ――

第三巻に続く


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