最終巻 結の章 マスターネオの帰還
【前巻までのあらすじ】
マスターネオは更に《ピグマリオン》《マスターリスト》《パンドラボックス》を手に入れ、廃都のプレイヤーたちを解放し、集落の仲間を守った。外部——謎の存在からの干渉が強まり、別の「声」が接触してきた。ログ越しの声は「逃げない」と言い、ネオは《マスターリスト》で、その存在の居場所を、なんとなく掴んだ。残るマスター魔法は、あと二つ。世界の修復と、ログの声との対話——すべての決着が、もうすぐ始まる。
第一話 最後の朝に似た夜
空が——変わっていた。
灰色ではない。かといって、完全な青でもない。でも——確かに、光が混じっている。
「……夜明け前、みたいだ」
ネオは空を見上げた。
集落は静かだった。廃都から来たプレイヤーたちも、ようやく眠れた様子だ。焚き火が低く揺れている。
「眠れなかったの?」
リリィが隣に来た。
「眠ってた」
「何時間?」
「……三時間くらい」
「少なすぎる」
「猫だから」
「それは関係ない」
ネオは笑った。
視界の端に、《マスターリスト》を展開する。全員の状態——安全。だが——
「……外部の動きが、また増えてる」
「例のログが?」
「そうだ。昨日の交渉を断って以来、ずっと何かしようとしている。でも——なぜか、手を打ってこない」
「なぜ?」
「……分からない。待ってる、という感じがする」
「待ってる?何を?」
「……俺が、最後の魔法を取りに行くのを」
リリィが少し、眉をひそめた。「……罠?」
「かもしれない。でも——行かなきゃいけない。残り二つを取らないと、世界は直らない」
カイが後ろから来た。「……聞いてた。どこへ行けばいい?」
ネオは《マスターリスト》の「地図の外の点」を見た。
「……世界の底、だな」
第二話 最深部へ
世界の底、というのは比喩ではなかった。
ゲームの地形において——最も深い座標。海底よりさらに下。開発ドキュメントには「コア領域」と記されていたエリア。本来プレイヤーはアクセスできない。GMでさえ、通常は入らない場所。
「《パスウォール》でいけるか?」
カイが問う。
「壁というより——境界の問題だ。コア領域に向かうには、《ジャンプ》で存在を認識してから飛ぶしかない」
「存在は認識できてる?」
「……なんとなく」
ネオは一瞬だけ、間を置いた。
「……ずっと、なんとなく分かってた。でも——確かめたくなかっただけだ」
リリィが、静かに聞く。「……何か、知ってるの?」
「まだ確信がない。会えば分かる」
それだけ言って、ネオは《ジャンプ》を構えた。
地図の外れの、かすかな光の点。
ずっと見ていた声の、場所へ。
「飛ぶ」
次の瞬間——世界が切り替わった。
第三話 コア領域
そこは——白かった。
完全な白ではない。光の密度が高すぎて、色が飽和しているような白。
地面はある。足がある。でも——どこを見ても、境界がない。
「……すごいな」
カイが静かに言う。
「コア領域だ。この世界の、データが集まる場所」
「この世界の中心?」
「そうだ。心臓みたいな場所だ」
ネオは、《マスターリスト》を展開した。
ここでは全員の情報が「濃い」。集落の全員、廃都のプレイヤー、遠い場所にいる存在も——全部、ここに集約されている。
そして——一点。
地図の外れにあったはずの光が、今は——すぐ近くにある。
「……いる」
ネオが呟いた。
カイが気づく。「……感じる。さっきより近い」
「ああ」
リリィが、ネオの横顔を見た。いつもと少し——違う顔をしていた。
「……ネオ?」
「大丈夫だ」
でも——足が、一瞬だけ止まった。
ネオはゆっくりと息を吸って、また歩き出した。
白い空間の奥に——光が、集まっていく。
第四話 光の中の人
光が——人の形を取った。
輪郭が定まり、色がつく。
小柄な女性の形。髪が長い。目が——光を持っている。
その存在が、ゆっくりとネオを向いた。
笑っていた。
「……来たね、音央」
その瞬間——
ネオは、動けなくなった。
「……」
「……え?」
リリィが、二人を見た。
「音央、って……」
ネオは、黙っていた。
カイが小さく言う。「……知ってるのか、その人のこと」
「……ああ」
ネオは、静かに答えた。
「……知ってる。ずっと、知ってた。でも——信じたくなかった」
光の中の女性が——ゆっくりと近づいてくる。
「ごめんね。驚かせるつもりじゃなかったんだけど」
「……驚いてない」
「嘘だ」
ネオが——初めて、笑った。苦しそうな、でも確かな笑顔で。
「……嘘だな」
リリィが、静かに聞く。「……ネオ。この人は、誰?」
ネオは少しだけ間を置いた。
「……設計師だ」
「倉城光?」
「そう……俺の、妻だ」
空気が、止まった。
第五話 倉城光
光——倉城光は、静かに言った。
「びっくりした顔、してるね。カイちゃん」
「……カイちゃん」
カイが思わず繰り返す。「……俺のこと、知ってるの?」
「知ってるよ。だって——私が作ったんだもの」
カイが少しだけ、固まった。「……そうか」
「カイはね、音央を守るために作ったの。ゲームシステムの一部として——でも、ちゃんと考えて動けるように」
「……それを、俺は知らなかったのか」
「知らなくていいと思ってた。知ってたら——きっと、自由に動けなかったと思うから」
カイは少しだけ笑った。「……複雑だな」
「ごめんね」
「いや——いいよ。俺、ここにいて良かったと思ってるから」
光は、リリィに向いた。「リリィちゃんは——知らなかったのに、ずっとついてきてくれたんだね」
「……別に」
リリィが目を逸らす。「信用してたわけじゃないし」
「でも、離れなかった」
「……それとこれとは別」
光が、また笑った。「ありがとう」
それから——ネオに向いた。
「音央」
「……なんだ」
「怒ってる?」
沈黙。
「怒ってない」
「嘘だ」
「……怒ってる」
ネオは言った。低い、静かな声で。「どうして——ここにいるんだ」
「……話すね。長くなるけど」
「聞く」
第六話 光が残したもの
光は、ゆっくりと話した。
「私は——このゲームを作ったとき、もう分かってた。長くはないって」
ネオは何も言わなかった。
「音央がGMをやってくれることも決まってた。だから——もし私がいなくなっても、音央がこの世界を守ってくれると思ってた」
「……それで、なんで」
「なんで、残ったのか?」
「ああ」
光が、少しだけ笑った。
「……残したかったんじゃない。勝手に残ったの。設計の一番奥深くに——私の、全部を注ぎ込んで作ったから」
「……設計師のコードが」
「そう。コア領域に、私そのものが混ざってた。だから消えられなかった。消えるはずだったのに、消えられなかった」
ネオは、一言だけ言った。「……馬鹿だ」
「知ってる」
「そんな作り方をするな」
「でも——音央がGMをやってる姿、見たかったから」
沈黙。
「ずっと見てたよ。最初から、ずっと」
「……知ってた。だから——怖かったんだ、会いに来るのが」
「なんで」
「……会ったら」
ネオは、一瞬だけ声が止まった。
「会ったら——本当にいなくなってしまったことを、ちゃんと知ることになるから」
白い空間が、静かに揺れた気がした。
光は——何も言わなかった。ただ、ネオの前に立っていた。
幕間 謎の男、再び
雑居ビルの奥の部屋には巨大な装置が設置されていた。
その装置に男は横たわっている。
「(……コア領域に、侵入している)」
「(音央が、既にいる)」
「(光の残滓が——顕現している。やはりデータとして残っていたのか……)」
「(しかし、まだ残り二つのマスター魔法が現れていない)」
「(……音央がそれを手に入れてからでも遅くない)」
長い沈黙。
「(……全てのマスター魔法がなければ、【パーフェクト・コード】は解き放たれない)」
モニターには、コア領域の映像が映っていた。
白い光の中に——黒猫と、女性の影。
男は静かに目を瞑った。
装置が大きな音を立てて動き出し、男はネットワークの世界に溶け込んでいく。
目的の達成はすぐそこにある。
後は、タイミングだけだ。
第七話 《エビルウィンド》
そのとき——空間が歪んだ。
外部からの干渉。敵が——コア領域へのアクセスを試みている。
「……来るか」
ネオが呟いた。
光が、静かに言う。「……ここへの干渉は、私が感じてた。でも——今は、止まってる」
「止まってる?」
「さっきまで来てたのに——急に、来なくなった。向こうが、止めたのかも」
ネオは《マスターリスト》で外部の状況を確認した。干渉の波が——確かに、引いている。
「……なぜだ」
「分からない。でも——今は、それより」
光が、空間の奥を見た。「……ここに、まだボスがいる」
「まだいるのか」
「うん。コア領域を守るための番人。外部の干渉が本物の敵だとしたら——こっちは、内側の敵」
「……どんな姿だ?」
「嵐、かな。形がない。コア領域全体を侵食しようとする、悪いデータの塊」
その言葉と同時に——空間に変化が起きた。
白い光が、黒く染まり始める。ノイズが走る。音がしない嵐が、内側から押し寄せてくる。
「……来た」
ネオが立った。カイとリリィが構える。
「光——下がってくれ」
「でも——」
「俺がやる」
ネオは嵐に向かった。
《シフト》で渦の中に入る——ノイズがHPを削る。
「(中心に、核がある)」
渦の奥に、固まりがある。ここが根だ。
「(止める——《ピグマリオン》)」
「止まれ」
渦が——わずかに、鈍った。
「(今だ——《マスターキー》で、逆に閉じる)」
「閉じろ!」
開けるのではなく——嵐を、内側に押し込める。
ガチャン、と重い音がした。
渦が内側に縮んだ。圧縮される。そして——
爆発した。
白い光。全員が吹き飛ばされる。
「……!」
着地する。HPが削れた。だが——ノイズは消えていた。
視界にログが走る。
【Master Authority Fragment Detected】
【マスター魔法:《エビルウィンド》取得】
全プレイヤーを強制ログアウトさせる
「……全員を、強制ログアウトできる」
リリィが息を呑む。「使ったら——全員が出られる?」
「そうだ。でも——使い方を間違えると、データが壊れる可能性もある。だから——最後の手段だ」
光が、ネオに近づいた。「……怪我は?」
「ない」
「嘘だ。HP、見えてる」
「……かすり傷だ」
光が、少しだけ呆れた顔をした。「音央は昔から、そうだった」
「……うるさい」
リリィが、その様子を見て——小さく、笑った。
第八話 設計師の試練
嵐が消えた後——コア領域の奥に、扉が現れた。
小さな、木の扉。錆びた金具。どこにでもある、普通の扉。
「……これが最後だ」
ネオが近づく。光が、隣に立った。
「……この扉、私が作ったの」
「お前が?」
「うん。最後のマスター魔法を置いておくための、試練の扉」
「どんな試練だ」
「一つだけ、答えてもらう」
ネオは扉に手をかけた。《マスターキー》を当てる——カチリ、とは鳴らなかった。
代わりに、文字が浮かんだ。
「GMよ。一つだけ、答えてみせろ」
「お前は——この世界を、壊せるか?」
沈黙。
カイが息をのむ。リリィが、じっとネオを見る。
ネオは——扉を見た。
「……お前が書いたのか、これ」
光が、少しだけ頷いた。「私が書いた」
「なんで——そんな問いを置いた」
「……壊せる、と言える人間に渡したくなかったから。でも——壊せない、と言う人間にも渡したくなかった」
「……どういう意味だ」
光が、静かに言う。「壊す覚悟がなければ——守れない。でも、壊したくて持つ人間には、渡せない。どちらでもない答えを——ちゃんと言える人に、渡したかった」
ネオはしばらく、その言葉を転がした。
それから——扉に向かって、言った。
「……壊せる」
沈黙。
「でも——壊したくない。だから取り戻してきた。壊す力を持っているから——壊さずに済む方法を選べる。それが、俺の仕事だ」
光が——笑った。
「……正解」
扉が、開いた。
第九話 終わりの番人
扉から出てきたのは——GMの姿をした、何かだった。
ネオに似ていた。黒い猫の形。大きさも同じ。ただ——目が光っていない。空洞だった。
「……俺の複製か」
「設計師が——GMという存在の、もう一つの可能性として作ったもの」
光が静かに言う。「全力で壊すGM。権限を暴走させた先にある姿。これを越えた人間だけに——《エビルウィンド・フロム・ハデス》が顕現する」
空洞の目がネオを見た。そして——動いた。
《シフト》——同じ速度で動く。
《ドロー》——互いにキャンセルされる。
《ピグマリオン》——相手も同じ魔法で打ち消す。
「全部同じ魔法を使ってくる……!」
「当然だ。これは俺自身だからな」
ネオは笑った。
「でも——一つだけ、違うものがある」
空洞の目には——誰もいない。
「カイ!」
「任せろ!」
「リリィ——補助頼む!」
「やってる!」
光が——静かに、ネオの隣に立った。
「私も、いる」
「……下がれ」
「嫌だ。音央が戦ってるのに、私だけ見てるのは——」
「危ない」
「知ってる。でも——いる」
カイが相手を引きつける。リリィが速度を上げる。光が——コア領域を安定させる。
そしてネオが——一瞬の隙に、相手の核に触れた。
「……お前は、俺じゃない」
ネオは静かに言った。「壊すだけのGMは——GMじゃない」
「開け」
カチリ。
空洞が——満たされた。光が入る。目が光る。そして——崩れた。
静寂。
第十話 最後のマスター魔法
扉の向こうに——何もなかった。
でも——空気が違った。ここだけ、密度が違う。これが、世界の原点。
ネオは一歩、踏み込んだ。
その瞬間。
【Master Authority Complete】
【マスター魔法:《エビルウィンド・フロム・ハデス》取得】
強制サーバーシャットダウン——世界を終わらせる
そして。
【全マスター魔法:取得完了】
【GM認証:完全回復】
【管理者権限:全解放】
ネオは、止まった。
「……戻った」
光が、隣に来た。「……そうだね」
「全部——戻った」
「うん」
ネオは空を見上げた。コア領域の白い天井を。
「……お前が壊したのか。最初から、権限を俺から奪ったのは」
光は、少しだけ——黙った。
「……違う。あれは、本当に外部の仕業だよ。私が望んだことじゃない」
「でも——お前は、気づいてた?」
「……気づいてた。だから——ずっと見てた。音央が、ちゃんと取り戻せるか」
「信じてたのか、俺を」
「当然でしょ」
迷いなく、言った。
「……音央が取り戻せないなら——誰も取り戻せない。そのくらい、私は知ってる」
ネオは、しばらく黙った。
「……馬鹿だ、お前は」
「知ってる」
「信じすぎだ」
「知ってる」
「……ありがとう」
最後だけ——静かに言った。
光が、笑った。
第十一話 《パーフェクト・コード》
その時、空間の一部が歪んだ。
黒い意志とでも言うような邪悪な存在。
黒い塊が集積し、人の形を取り始める。
敵だ。
それはよく知っている。倉城音央、現実でのネオ、自分の姿。
「……音央、マスター魔法を渡せ」
ネオは、ニヤリと笑う。
「やはり来たか。しかし、趣味が悪い。俺の姿を真似るとは」
「音央、渡しては駄目」
光はネオの身体にしがみつく。
「……お前の目的はなんだ」
敵は静かにそういった。
「……《パーフェクト・コード》。全てのネット空間を統べる究極のプログラム」
「そんなものがあるのか」
ネオは光の方を向いて尋ねた。
「偶然産み出された危険な力よ」
「それをこのゲームに隠した」
「どうやっても消去できないコードだった。だから封印したの。音央はその番人ってことね」
「そのコードを知っているのは、誰だ」
「私と、ヒカルだけ」
「姉さん」
倉城音央の形をした存在が呟くと同時に、姿が変化する。
そこには倉城光と同じ顔をした短髪の青年がいた。
「なぜ、音央に力を渡した」
彼は倉城光、クラシロヒカル。倉城光、クラシロヒカリの弟。同性同名、全く同じ漢字の名前を持つ珍しい姉弟。そしてこのゲームの共同設計師だ。
「ヒカルが相応しくないからよ」
ヒカリはヒカルの方を向いて言い放った。
「姉さんも解っているだろ。あのコードがあれば巨万の富を得られる」
「その金さえあれば、姉さんの病気は治せた。いや、今からでも治せるんだ」
現実のヒカリは今、眠り続けている。死んではいないが、永遠に目覚めることはない。
この時代の奇病、ピグマリオン病。ヒカリはそれを煩い、もう数年目覚めていない。治すには特殊な薬が必要だ。今は一握りの金持ちが独占し、法外な価格で取引されている。
「人間、いつかは死ぬの」
「ヒカル、あのコードが悪意ある人間に渡ったら、世界が大混乱に陥るわ」
そして、ヒカリはネオに告げる。
「さあ、音央。《パーフェクト・コード》を消し去って。今の貴方ならできる」
ヒカルが叫ぶ。
「駄目だ。音央、姉さんを永遠に失ってもいいのか」
ネオはヒカリを見つめる。
「ヒカリが望むなら、俺はその意志を壊さない」
ネオは《マスターキー》を取り出した。空に掲げると、頭上に鍵穴が出現する。
そして、空間にできた鍵穴に差し込むと同時に、
「《パンドラボックス》を《クリエイト》で合成」
「待ってくれ——」
ネオは宣言する。
「《パーフェクト・コード》をBANだ——」
空がシャットダウンするように、光を失っていく。
「ああ——」
ヒカルの声を掻き消すかのように轟音を立てて空は光を失い、ヒカルのアバターと共に《パーフェクト・コード》はこの世界から消滅した。
ヒカリはネオに軽く微笑み、
「ありがとう——」
と呟いた。
第十二話 世界の修復
ネオはコア領域の中心に立った。
GM認証が完全に戻っている。全てのマスター魔法が揃っている。管理者権限が、満ちている。
「……まず、時間軸の修復から始める」
ヒカリが隣で案内する。「このコードが、時間サイクルを管理してる部分だよ」
「分かった」
ネオは《マスターキー》を構えた。管理者として——時間サイクルの制御に触れる。
「開け」
カチリ。
世界が、震えた。
コア領域の外——遠く——集落の空が変わり始めた。
「……!」
《マスターリスト》で確認できた。集落のプレイヤーたちが、空を見上げている。ラフが駆け回っている。セナが立ち尽くしている。
空に——光が差した。
「……朝が来てる」
リリィが、小さく言った。
「次——フィールドのリソース生成」
「こっち」
ヒカリが案内する。一つずつ、修復していく。
モンスターの挙動。NPCの意識。マップの整合性。アイテムのドロップ。
一つ直るたびに——世界が少しずつ、正常な音を取り戻していく。
「……ログアウト処理は?」
「ここ」
ネオはログアウトシステムを確認した。壊れていた部分を——丁寧に、直す。
「全員、正常にログアウトできるようになった」
ネオは《クリエイト》で——全プレイヤーへの通知を作った。
「《ファンタズマル・アイランド》ゲームマスターより。ログアウト機能が回復しました。各自、安全にログアウトしてください」
その通知が——世界中に届いた。
第十三話 帰る声たち
《マスターリスト》に——変化が起きた。
点が、消え始めた。
一つ、また一つ。プレイヤーたちが——ログアウトしていく。
「……帰ってる」
リリィが、静かに言う。
「ああ」
廃都のプレイヤーたち。集落のプレイヤーたち。フィールドを彷徨っていたプレイヤーたち。あの壊れたプレイヤーデータの影もデータを復旧して、無事に送り届けた。
全員が——一人ずつ、光になって消えていく。
セナから通信が来た。
「……ネオ。全員、正常にログアウトしてる。体に異常はないって」
「そうか」
「……お前は?」
「まだここにいる。最後に、やることがある」
「分かった。待ってる」
通信が切れた。
ラフが、ネオに近づいた。「……ねこにいちゃん。みんな、かえってく?」
「そうだ」
「ラフも?」
ネオはラフを見た。
「ラフは——ここにいてくれ。この世界を、守っていてくれ」
「……ねこにいちゃんは?」
「……戻る。でも——また来る」
「やくそく?」
「約束だ」
ラフが、ネオの足元に頭を押しつけた。それから——走って集落に戻っていった。
ヒカリが、その様子を見ていた。「……可愛い子だった」
「NPCだ」
「それでも、可愛い」
「……そうだな」
第十四話 残る者と、帰る者
集落のプレイヤーが全員ログアウトした。フィールドの者たちも、廃都の者たちも。
残ったのは——ネオ、リリィ、カイ、そしてヒカリ。
「……リリィ、お前も帰れ」
「あなたは?」
「俺は最後に確認してから出る」
リリィはしばらくネオを見てから——ヒカリに向いた。
「……一つだけ聞いていいですか」
「どうぞ」
「……ヒカリさんは——ずっと、ここに閉じ込められてたんですか」
ヒカリが、少しだけ考えた。
「閉じ込められてた、とは少し違う。私が好きでここにいた。でも——音央と話せるようになるまで、ずっと一人だったのは、本当かな」
リリィが、少しだけ目を細めた。
「……それは」
「寂しかったよ。でも——音央が頑張ってる姿、ずっと見てたから。それで十分だった」
リリィは何も言わなかった。
ただ——ヒカリに、深く頭を下げた。
「……ありがとうございました。この世界を作ってくれて」
ヒカリが、静かに笑った。「こちらこそ。来てくれて、ありがとう」
リリィが——ログアウトした。
カイが残っていた。
「俺は……どうなる?」
ネオは《マスターリスト》でカイを確認した。設計師のコード。この世界のシステムの一部。
「……《エビルウィンド》を使えば、お前も外に出られるかもしれない。でも確証はない」
「そっか」
カイは、ヒカリを見た。「……俺、ここに残っていい?」
「もちろん」
ヒカリが答えた。「ここに残ってくれると、私も嬉しい。一人より、誰かいた方がいい」
「じゃあ——そうする」
ネオが言う。「頼む。ヒカリの傍にいてくれ」
「任せろ」
カイが——この世界に溶けるように、静かに存在の形を変えた。ログアウトではなく、世界の一部に。
ヒカリと、ネオだけが残った。
第十五話 ネオとヒカリ
コア領域に——ネオとヒカリだけが残った。
静かだった。
「……聞きたいことが、ある」
ネオが言った。
「なんでも」
「……お前は、このままここにいるのか」
ヒカリは少しだけ間を置いた。
「……いる、しかない。私はもう——外には出られない。コア領域に混ざってしまってるから」
「……そうか」
「でも——」
ヒカリが笑った。「音央がログインするたびに、会えるから。それで、十分だよ」
「お前は——いつも、そういうことを言う」
「何が?」
「十分だ、って。足りなくても、十分だって言う」
「……だって、十分なんだもの」
ネオは、少しだけ——黙った。
「……俺は、足りない」
「音央」
「足りない。お前がいないのは——ずっと、足りなかった。このゲームのGMをやっていたのも——ここにお前の痕跡があるから、だったと思う」
ヒカリが、黙って聞いていた。
「……分かってたよ。だから——ちゃんと会いに来てくれて、嬉しかった」
「……俺が来るの、待ってたのか」
「待ってた。でも——来なくていいとも思ってた。音央には、外の世界がある。ちゃんと、そっちで生きてほしかった」
「……どっちだよ」
「どっちも、本当」
ネオは笑った。おかしくて笑ったのか、それとも別の理由で笑ったのか、自分でも分からなかった。
「……また来る」
「うん」
「毎日は来ないかもしれない」
「いつでもいい」
「……でも来る」
「待ってる」
ヒカリが——また、笑った。
「……元気でいてね、音央」
「お前もな」
「……私は、元気しかないよ。ここにいる限り」
ネオは少しだけ考えてから——言った。
「……そうか。それなら、よかった」
それだけ言って、《エビルウィンド》を構えた。
自分一人のためだけに——発動する。
「……行ってくる」
「お帰り」
一人残されたヒカリはふと呟く。
「カイはね、音央と私の子供なんだよ。音央の遺伝子データと私の遺伝子データから生まれた——大切なシステム、このゲームそのものなの」
そういうと、ヒカリはコアの奥へと消えていった。
そして、世界が光に満たされていく。
第十六話 現実の朝
目が——開いた。
天井。白い天井。
起き上がろうとして——身体が重かった。長い間、動かしていなかった。
「……起きた!」
誰かが声を上げた。
視界が安定してくる。部屋。個室。窓から——光が入っている。
窓の外——朝だった。
「……聞こえますか」
穏やかな声。医療スタッフらしい。
「……聞こえる」
「体に、痛みはありますか」
「……ない。重い、だけ」
「少しずつ、慣らしていきましょう」
ゆっくりと体を起こした。
窓の外に、朝の光がある。青い空。雲。
「……朝、か」
思わず呟いた。
ゲームの中でずっと——灰色だった空。やっと来た朝。
外の朝は、当たり前に来ていた。
「……いいな」
ドアが開いた。
「……起きた?」
知らない顔がドアの隙間から覗いていた。だが、見覚えのある声。
「お前、リリィか」
「そう、初めまして、私、莉理。時松莉里。待つって言ったから。ゲーム会社に問い合わせて押しかけちゃった。ちゃんと許可取ってるからって」
「……そうか」
莉里が部屋に入ってくる。「カイは……来なかったけど」
「……そうだな。来ない」
「何があったの?」
ネオは少しだけ考えた。
「……後で話す。少し、長くなる」
「聞く」
「……今は」
ネオはもう一度、窓の外を見た。
「朝を、見ていたい」
莉里は何も言わなかった。ただ——隣に来て、同じ窓を見た。
二人で、しばらく。朝の光を見ていた。
第十七話 名前
その日の夕方——スタッフの一人が、資料を持ってきた。
「……倉城さん。一つ、確認させてください」
「何だ」
「ゲーム内のGMアカウントについてです。正式名称は"マスターネオ"ですが——本名との紐付けを更新したいと思っておりまして」
「……倉城音央でいい」
「はい。倉城音央様、ですね」
スタッフが書類にメモをして、下がっていった。
莉里が、聞く。「……音央、ね」
「……そうだ」
「倉城光さんの——」
「夫だ」
「俺は、婿養子なんだ。意外だろ」
静かな部屋。窓の外は、まだ明るかった。
「……ゲームを作ったの、奥さんなんだね」
「ああ」
「それで——GMになったの?」
「……妻が作った世界だから。俺が守りたかった」
莉里は、しばらく何も言わなかった。
それから——静かに、言った。
「……ちゃんと、守れたね」
音央は、窓の外を見たまま——答えた。
「……まあ、な」
少しだけ。その声が、揺れた。
第十八話 ヒカリの手紙
翌日——システムのログの中に、埋め込まれたメッセージが見つかった。
倉城光が、残していたものだった。スタッフが発見し、音央に届けた。
——
音央へ。
もし、これを読んでいるなら——あなたは取り戻したということだね。
分かってた。あなたが諦めるわけないって。
私がGMにあなたを選んだのは、管理が得意だからじゃない。この世界が、あなたと一緒に動いてほしかったから。
《エビルウィンド・フロム・ハデス》を手に入れたなら——問いに、答えたね。
壊せる、でも壊したくない。
それが、私の答えでもあった。
この世界は——壊れても、また直せる。直し続けることが、この世界を生きているということだから。
ごめんね、急にいなくなって。
でも——ここにいるから。
いつでも来てね。待ってる。
倉城 光
音央は、その文章を二回読んだ。
それから——
「……待たせるな」
小さく、呟いた。
エピローグ ——そして、明日
《ファンタズマル・アイランド》は——三日後、正式にサービスを再開した。
バグの修正、システムの安定化、ログアウト処理の完全な正常化。全ての対応が、ほぼ同時に完了した。
サービス再開初日——プレイヤーたちが戻ってきた。
廃都は修復されていた。集落は残っていた。NPCたちは正常に動いていた。ラフも、ヴェルナルも、番兵として動くようになった元の兵士たちも。
カイは——世界に溶けるように、いた。フィールドのどこかに、気配として。
倉城音央は、ログインした。
接続した瞬間——視界が低い。前足がある。黒い巨体。
「……やっぱり猫か」
管理画面を開く——
【GM認証:完全】
【管理者権限:全解放】
「……正常だな」
そのとき。ログが一行、来た。
「おかえり、音央」
音央は少しだけ、笑った。
「……ただいま、ヒカリ」
灰色だった空に——今日は、朝の光がある。
壊れていた世界が——動いている。
黒猫のGMは、また——歩き出す。
今度は、最初から。
一人じゃなく。
―― 最終巻・完 ――
マスターネオはネコまない 完結
後書き
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
倉城音央という人間は——最後まで、猫のままでした。
権限が全部戻っても、妻が帰ってきたわけじゃない。ヒカリはコア領域の中にいる。音央は外の世界にいる。
それでも——ログインするたびに、会える。
設計師は、そういう世界を作った。
カイは、音央を守るためにヒカリが遺したものでした。リリィは、音央が閉じていた心の扉を開けた人でした。ラフは、この世界の一番小さくて大切な命でした。
《エビルウィンド・フロム・ハデス》は、結局——使われませんでした。
でも、持っていることに意味があった。壊せる力を持ちながら、壊さなかった。
倉城ヒカリは——そういう人を、愛していたのだと思います。
またいつか、《ファンタズマル・アイランド》の空の下で。
マスターネオはネコまない 了




