3:甘い罠の仕上げ
公式晩餐会まであと三日。
王宮の廊下を歩けば、どこからともなく私の噂が聞こえてくるようになりました。
「聞いたか? アドラー公爵令嬢、ついに第二王子に愛想を尽かされたらしいぞ」
「あんなに尽くしていたのにね。今じゃ、あの男爵令嬢に王子の寵愛をすべて奪われて、貢ぎ物までさせられているとか……」
「お可哀想に。公爵家の権力も、男の心までは繋ぎ止められなかったということか」
ヒソヒソと交わされる同情と嘲笑の視線。
アニカは耳を塞ぎたいと言わんばかりに顔を真っ赤にしていましたが、私はあえて、弱々しく俯いて歩いて見せました。
敵を油断させるには、敗者の振る舞いをするのが一番の近道ですから。
一方、カイル様とミナ様の暴走は、私の想像を遥かに超えていました。
「エルゼ! この宝飾店の請求書、まだ決済されていないぞ。どういうことだ!」
カイル様が私の私室に土足で踏み込んできました。手には、王都でも指折りの高級宝石店の請求書が握られています。
後ろには、すっかり高価なシルクのドレスに身を包んだミナ様が、これ見よがしに首元を飾るエメラルドを光らせて立っていました。
「カイル様、その……先ほどお渡しした倍額の予算も、既に使い切ってしまわれたのですか?」
「当たり前だろう! ミナに相応しい夜会の準備には金がかかるんだ。お前のような地味な女には分からないだろうが、社交界の華にはそれなりの装飾が必要なんだよ」
ミナ様は、勝ち誇ったように私を見下ろし、わざとらしく溜息をつきました。
「エルゼ様、ごめんなさい……。でも、カイル様が『君には世界で一番の輝きを贈りたい』って仰るものですから。……もしかして、公爵家ってお金に困っていらっしゃるの? でしたら、私の実家の男爵家から少しお貸ししましょうか? うふふ」
実家の男爵家?
調査報告書によれば、ミナ様の実家は既に借金で首が回らず、彼女のドレス代すらカイル様が横領した公金から出ているというのに。
「……申し訳ございません。では、この請求書も私が引き受けましょう。ただし……」
「なんだ、条件か?」
「いいえ。……晩餐会の夜、カイル様から『重大な発表』があると伺っております。その際に、私が贈ったあのブレスレットを、必ずお二人で身につけていてください。それが、私の最後の願いですわ」
「ふん、そんなことか。約束してやるよ。どうせ、婚約破棄を言い渡すその瞬間まで、お前には『婚約者』としての義務を果たしてもらうからな」
カイル様は満足げに鼻を鳴らし、ミナ様の腰を引き寄せて去っていきました。
彼らが去った後、私はアニカに合図を送りました。
「アニカ、今の会話……記録できたかしら?」
「はい、お嬢様。完璧です。……しかし、あのお二人、本当に救いようがありませんね」
アニカの手元には、私が用意したもう一つの魔導具がありました。
カイル様に贈った「盗聴器付きブレスレット」との連動テストは、これで完了です。
その日の午後、私はヴィクトール様から届いた「最終確認」の報告書に目を通していました。
「……なるほど。ミナ様、いえ『ミナ・クラーク』という名は偽名でしたのね」
報告書には、衝撃的な事実が記されていました。
彼女の本名は、隣国の没落貴族の娘、マリア。
借金を帳消しにするという条件で、隣国の情報機関に拾われ、王国の第二王子を籠絡して財政を破綻させ、あわよくば王位継承権を盾に内政を混乱させる——。
彼女は、完璧に教育された「毒婦」だったのです。
「カイル様、あなたは私を『冷徹な女』と呼びましたが……本当の冷徹さが何であるか、まだご存知ないようですわね」
私はヴィクトール様への返信を書きました。
『舞台の幕を上げる準備が整いました。当日は、陛下と騎士団の動員をお願いいたします。……蛇の頭を落とす、最高の瞬間を共に』
晩餐会前日の夜。
私は自室の鏡の前で、当日身につける予定のドレスを確認していました。
それは、カイル様が「地味だ」と笑った、アドラー公爵家の家紋である「鷹」が刺繍された深紅のドレス。
「お嬢様、準備はすべて」
影の調査員が、再び現れました。
「カイル様の裏帳簿、横領の証拠、ミナ様の正体を示す隣国の公文書……すべてを『あの場所』に隠しました」
「ご苦労様。……明日の夜、この国の歴史から、愚かな王子が一人消えることになるわ」
私は窓の外に広がる王都を見下ろしました。
カイル様は今頃、明日私を公開処刑し、ミナ様を新たな婚約者として発表するバラ色の未来を夢見ていることでしょう。
ミナ様は、この国を裏から操る自分の才能に酔いしれていることでしょう。
けれど、忘れないでください。
あなたが踏みつけていたその土壌を整えていたのは、私です。
あなたが使っていたその金貨の一枚一枚に、私の血と汗が染み込んでいる。
それを奪われた時、あなたたちに何が残るのか。
……それをじっくりと、特等席で見せていただきますわ。




