7話
目の前に広がる真っ白な天井。
「ここ、どこ?」とジナはぼんやりと呟いた。
傍らには穏やかな寝息を立てるクラリスの寝顔があった。
身体を起こそうとして、全身に走った激痛にジナは小さく呻いて、動くのを諦めた。
静かに、天井を見つめた。
───生きてる。
ゆっくりと手を握ったり、開いたりして感触を確かめる。
死ぬほど痛いが、手も足も動く。
「うん……ジナ?」
むにゃむにゃしていたクラリスが目を擦り、顔を上げた。
クラリスの目の下に残るクマ。
ずっと頑張って看病していてくれたのだろう。
「クラリス、おはよう」と声をかけると恋人の声を聞けて安心したのか、クラリスの涙腺が一気に崩壊する。
「……ジナ!!ジナぁ゙ぁ゙ぁ゙あああ!!」
クラリスの目から滝のように流れる大粒の涙。
ジナの名前を何度も繰り返し叫び、彼女の上に覆いかぶさった。
「ちょっと、痛いって!」
「や〜〜だ〜〜〜!!離れない!!」
ジナにしがみついたまま決して離れようとしない。
どうやら、相当な心配をかけてしまったらしい。
申し訳なく思ったジナは、クラリスの気が済むまで好きなようにさせておくことにした。
「落ち着いた?」
「うん……」
弱々しく頷くクラリス。
痛みを我慢して、その頭をそっと撫でてやると、その手を自分の胸元に置き、ぎゅっと握る。
自分を案じる姿がたまらなく愛おしい。
ジナとクラリスはお互いに、顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。
ジナが目覚めたのはメローペにある軍病院の病室だった。
窓の外は相変わらず暗い。
ペルセポネーの下ろした闇は過ぎ去っておらず、太陽は隠れたまま。それは女神の健在を意味する。
「私、勝てなかったんだ……」
冥府を統べる女神は痛み分けと、笑って去っていった。
しかし、気まぐれに見逃されただけだ。
ジナは敗北を喫した屈辱を噛み締め、天を仰いだ。
◇◇◇
クラリスの話によると、ペルセポネーとの戦いから一週間が経っていた。
その間ずっと、ジナは昏睡状態にあったらしい。付きっきりで看病をしてくれたクラリスには、感謝しかない。
クラリスは安心したのか、ジナが目を覚ましたことを「グレゴリー少佐に伝えてくる」と言って、出ていった。
身体のあちこちに残る生々しい傷、傷、傷。
特に赤黒く変色した胸の矢傷。
その深い傷跡が激戦を物語っていた。
それに、呪詛だろうか。
丁寧に神意が刻まれている───『我が愛しの乙女』
「はあああ!?愛しの乙女!?」
呪詛だと思ったそれは、愛の告白だった。
ジナ・クリシュ・クシャトーリは、女神ペルセポネーの寵愛を得ていたのだ。
理解が追いつかない。
頭の中に響く笑う声。
悪戯の成功を大いに喜ぶペルセポネー。
それに噛みつく相棒の星霊。
(なんで、あんたがいんの!!)
(驚いてくれたかしら?貴女に刻んでおいたの。私との繋がりを)
(ふざけるな、帰れ!陰府に!死臭が染み付いてかなわないんだから)
(お前こそ自分の星に帰ったらどう?エイリアン)
(なんだと腐れアンデット!やんのか、コラー!)
ぎゃんぎゃん、喚く二柱のせいで、頭が割れそうになる。
こっちは怪我人なのだ。勘弁してほしい。
もう耐えられないとジナは叫んだ。
「やめて喧嘩はよそでしてぇぇええ!」
ジナが怒るとようやく、ふたりは口を閉じた。
「私のなかで、最強種がシェアハウスしてる件!?」
これはどういう状況なのか。
ついこの間、殺し合いを演じたばかりの女神が、なぜ相棒と頭の中で喧嘩しているのか。
「お願い。説明して」とジナが要求すると、女神は渋々話し始めた。
(はぁ……疲れた。まず私、まだ貴女の中に住んでないわ)
(なら何で……)
(私と取引しない?貴女のことが気に入ったの)
(取引……?)
(まず……私が地上に出てきたのは、どこかの愚か者が勝手に開けて回っている冥府との通路を塞ぐため)
(じゃあ、あの裂け目も……)
(そういうこと。そしてその愚か者に罰を与える。関わる者は全て、私の名のもとに断罪するわ)
さらっと怖いことを言う。
神の名のもとに断罪とは穏やかではない。
(それで取引とは具体的に?)
(私の依代になりなさい。こちらに顕在していると疲れるし、現世への影響も大きいし)
(……こちらのメリットは?)
(もし冥府との回廊を見つけたら、私が塞いであげる。依代になるなら、太陽も戻してあげる)
ペルセポネーの声色に嘘偽りは感じられない。
ジナが考え込んでいると、カグヤの声が割り込んできた。
(やっと届いた……アンタ、私を念話からわざと追い出したでしょ!)
(エイリアンが出しゃばってくると話がややこしくなるのだけれど)
この女神はすこぶる口が悪い。
おまけに性格も悪い。
心が折れるような毒を平気で吐く。
依代となったとして、一緒にうまくやっていけるのだろうか。
(私は反対!信用なんてできないんだから)
(ふぅん)
急に黙り込んだペルセポネー。
何かを考えている気配がする。
カグヤを黙らせる方法だろうか。
カグヤを排除するというならば、戦うしかない。
(はぁ……貴女とその星霊の契約は?)
(えっ、カグヤとの契約?)
(契約の形態を教えなさい。対等?主従?隷属?それとも、そのエイリアンが優位なの?)
(えっ、えー……カグヤ?)
急にまくし立てられあたふたするジナは、カグヤに助けを求めた。
対等な契約だと思っているが、違うのかもしれない。
うまく説明することができないジナのかわりにカグヤが答えてくれた。
(星霊と人間では対等な契約なんて本来は無理。だから私の霊格を極限まで流し込んで、私の霊格を縮小して、ジナの霊格を膨張させて釣り合いをとったから、主従)
(なら私も貴女と主従契約を結んで依代になってもらう。貴女に従属する。これならどう?)
どう、と言われても困る。
どんな条件ならば、カグヤも納得できるのか。
そもそも納得するのか?
ジナが逡巡していると、心底嫌そうにカグヤは重い口を開けた。
(ジナ……その条件なら契約してもいい……と思う。器としてもジナは問題ない)
そう言いながら、すごく嫌そうにしている。
私の中で、ひとつ屋根の下。同居するってことだもんね。
ジナは二柱が揉めて、耐え切れずに自分が内側から爆ぜるんじゃないかと心配で仕方なかった。
(主導権はジナが持つことになるし、何よりコイツの力を引き出して使えるようになる……)
渋い顔をしながらも、カグヤは契約に賛成するということらしい。
(その代わり、私とクラリスはジナの伴侶なんだから!ただの居候は弁えなさいよね!)
(いやね、嫉妬?みっともない)
(コイツ……言うに事欠いて、おまッ────)
頭の中でブチッとカグヤの声が途切れた。
急激にボルテージの上がるカグヤを邪魔に思い、ペルセポネーは二人だけのチャンネルに切り替えた。
(それで、結論は出たかしら?)
(それは……)
まだジナは迷っていた。
この女神の性質は邪悪とまではいかないが、混沌としている。
嗜虐的で、加虐的。
悪戯好きで、性悪な女神だ。
推せる要素が何一つない。
(ここまで譲歩しても、聞き入れてもらえないのなら、私も手を変えなければならなくなるわよ?)
(どういう意味?)
(いいえ、たいしたことじゃないわ。貴女の恋人、クラリスっていうのね。かわいい子ね)
(それが、何?)
(妬けちゃう。あの子に何かあったら、貴女はどうなってしまうのかしら……)
(何が言いたいの?)
(私と契約をして、協力し合うか。私に靡かないのなら、邪魔だから、まとめて踏み潰してしまおうかしら、って話)
クラリスを出汁にした安い挑発だ。
相手にするべきではない、とジナの理性はそう言う。
だけど───
その瞬間、ジナの中で何かがブチッと音を立てて、弾け飛んだ。
「彼女に……手を、出すな」
ジナから漏れ出る魔力に建物が悲鳴を上げる。
病室中の窓ガラスが砕け散り、壁や天井にいくつもの亀裂が走る。
「クラリスに……私の恋人にッ!指一本でも触れてみろッ?お前を殺す!!神だろうと知ったことか!絶対に殺してやる!!」
逆鱗に触れられたジナは、怒り叫んだ。
怒髪天を衝く形相で、ペルセポネーへの殺意を剥き出しにして。
(あぁ……いいわ。その顔、ゾクゾクする)
ジナの姿に、ペルセポネーは恍惚と嗤う。
女神の発する断じて不快な雑音に、戯れで平然と人間をなぶり殺しにする神の横暴。どちらも反吐が出る。
「唾棄すべき醜悪な化け物めッ……」
ジナの声がより一段と低く、冷たくなる。
腸が煮えくり返る思いの特異点の圧倒的魔力が、病院全土を呑み込んだ。
激情に任せて振り撒かれる威圧。
息の仕方を忘れたように患者や病院関係者が次々と卒倒する。
「今からでも続きをしてやろうか!?───三千世界を遍く照らす日輪!ある朝は微笑みッ、ある昼は嗤うッ!滾れ、燃えよ!恵みの輝きと天地を焦がす閃熱───」
繋がりを辿って、ペルセポネーを補足する。
同時に、ジナはペルセポネーに効果のある【旭日昇天】の詠唱に入っていた。
「───ジナ、お願い!やめて!」
悲痛な声をあげ、クラリスは自分の身も顧みず暴れるジナに飛びついた。
「お願い!ジナ……落ち着いて。病院の人たちが死んでしまう」と言って、クラリスはありったけの力で最愛の女性を抱きしめた。
「でも、でも、こいつを殺さないと、クラリスが……キミに酷いことを───んんっ!?」
「───んっ、んっ……」
クラリスは冷静さを失うジナの唇を思いっきり塞いだ。
「んっ、あう……私のために怒ってくれたのね……私は大丈夫、大丈夫だから。だって、いつもあなたが守ってくれているの知ってるもの……」
そう言って彼女の頭を自分の胸に押し当て、包み込む。
ドクン、ドクン、と規則正しく響く優しい鼓動。
「もう大丈夫、大丈夫」とあやすようにクラリスは囁き、ジナの髪をゆっくり、ゆっくりと撫でてやる。
そっとクラリスの背中に手を回す。
安心する匂いだ。
大切な人の生命の音と自分の音がとくん、とくんと重なり合う。
そうしていると、獰猛な特異点のジナは内側の深いところにさようなら。
代わりに優しいジナがこんにちは、と浮き上がる。
落ち着きを取り戻したジナは、そっとクラリスから離れると、「心配かけてごめんなさい」とクラリスの前髪をかきあげて、額にキスをした。
そう、仲直りとごめんなさいのキスを───
読んでくれてありがとう。
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