特異点、酒に呑まれる
今や、帝都は『酔夢の魔女』の話題で持ち切りだった。
曰く、帝都を血の海に沈めた。
曰く、帝都の西区を焼き払った。
曰く、帝都に巣食う悪をたった一人で滅ぼした。
曰く、帝都を氷漬けにして去った。
曰く、帝国軍を相手に大立ち回りをして、大打撃を与えた。
曰く、魔女は東から人間に化けて入り込んだ古龍である。
ジナがスラムで大暴れした結果、噂に尾ひれに背鰭までついて、瞬く間に帝国を駆け巡っていった。
どこかよく分からない路地裏で、酒瓶を抱えて泥酔していたジナは、そんなことは知る由もない。
酷い頭痛と二日酔いで、死にかけていた。
「おぇぇ、キモチワルイ……ここどこぉ?クラリスぅ、助けてぇ」
すっかり昨晩の記憶は抜け落ち、ただひたすらに込み上げてくるものと格闘するジナ。
「おぇぇ、おぇぇええ」
吐きすぎて最早、固形物はまったく出てこない。
吐瀉物が路地裏を汚す代わりに、出すだけ出して少しスッキリする。
「うぇ、なんでこんなとこに」
大事に抱えていた酒瓶を振る。
残りを迎え酒として呑み干すと、カッと喉が熱くなる。
「カァー!つよっ。喉が灼ける」
喉を押さえ、涙目になりながら瓶のラベルを見ると、アルコール度数70パーセントを超える火酒だった。
「私、こんなのどこから持ってきたの?記憶が……」
いくら頭を捻っても、靄がかかったように何も出てこない。
「う〜、クラリスとデートの約束してたのは覚えてるだけど」
自分でも顔を背けたくなるくらいに酒の匂いが身体中にこびりついている。
吐く息もものすごく酒臭い。
それに焦げ臭くもある。
一体、自分はどうしてしまったのだろうか。
カグヤもまだ目を覚ましていない。
ジナはおぼつかない足取りで、フラフラと路地裏から大通りを目指す。
お風呂上がりで文無しだったはずなのに、懐が信じられないくらいに温かい。
「ナニコレ……うっぷ、キモチワルイ……」
せり上がってくる酸味に口元を押さえ、よろけると、路地裏にカランカランと空き瓶の転がる音が盛大に響いた。
騒音に飛び起きて、シャーシャーと毛を逆立てる野良猫。
「頭に響く……うるさいッ」
苦痛に顔を歪め、ジナが小さく殺気を放つと野良猫は縮み上がり、大慌てで走り去っていった。
何とか大通りに出たものの、人混みが酔いを助長し、耐えきれなくなったジナは道の端に座り込む。
虚ろな目で人の波を見つめ、「クラリス……」と小さく、何度目かの恋人の名を唱えた。
◇◇◇
また記憶が途切れている。
大通りの隅で息絶えてたはずが、今度はまた知らない場所にいた。
そこは薄暗い独房のようなところだった。
牢屋というほど粗末ではないが、部屋というには薄汚れていて、家具なんかも最低限。
ベッドと小さなサイドテーブルと椅子が置かれているだけで、灯りもない。
扉は木ではなく、鉄製で格子窓がついていた。
「うぅ。何なの……」
サイドテーブルにはコップに入った水があった。
「水ぅ……」
この際、毒でもなんでもいい。
最悪、特異点のポテンシャルで毒ぐらいなんとかなる。死に至る猛毒でも半日くらい苦しめば克服できる自信がある。
特異点に成り立ての頃、試しにトリカブトを食べたときはそのくらいで抗体ができた。
「トリカブトは何とかなって、なんでお酒は解毒できないのよぅ」
ジナは覚えていないが昨晩、酒場で暴れたあとワイン樽を二つ空にし、さらに浴びるようにエールやスラム街で用立てた火酒をがぶ飲みしていたのだから仕方がない。
特異点の神秘の身体にも限界がある。
「ここどこ〜、水美味しい……」
ジナはそのままベッドにもう一度倒れ込んで、寝息を立て始める。
ここがどこか考えている余裕も、働く理性もなく、ただただ二日酔いが辛すぎて、寝たかった。
誘拐・監禁されているっぽいこともジナにはどうでもよかった。
神経の図太さも人智を超えた最強種クラスと言える。
『酔夢の魔女』と噂される帝都の都市伝説は、酔い潰れて、夢の中をさまよう酔っ払いの話だ。
◇◇◇
「おい、起きろ!いつまで、寝てる!」
安眠を妨げる無粋な怒鳴り声。
ジナは身体を起こし、大きく伸びをするとジャラジャラとまとわりつく鈍い金属音。
気がつくと手足と首に枷が嵌められ、鎖で繋がれている。
あくび混じりに、厄介な騒音の主を横目で一瞥する。眠気まなこを擦ると、朧気な輪郭がやっと浮かび上がってくる。
「うるさいなぁ……頭に響くだろ〜」
「貴様ッ!どういう神経をしていれば、捕らえられた先でいびきをかいて爆睡できるんだ!なめてるのか!!」
「はぁ!?いびきなんて、かいてないから!
やめてよ!」
「そんなことはどうでもいい!静かにしろ!」
男は怒り、ジナは羞恥でお互いに顔が赤くなる。
知らないうちに監禁されているが、たっぷり寝られたお陰で二日酔いもだいぶ楽になった。
小汚い割にベッドは柔らかく、心地も悪くない。
「よく眠れた。ありがとう」
ジナは正直に頭を下げ、感謝を伝えたい。
「貴様、いい加減にしろ!」
馬鹿にされたと勘違いし、格子窓から除く目が鋭さを増す。
男は沸騰した鍋のように激昂し、ガンガンとドアを蹴ってジナを威圧する。
まったくもって、品がない。
お近づきにはなりたくないと、ジナは静かにため息をついた。
「ここはどこ?あなたは?」
「貴様は質問できる立場にはいない!弁えろ!」
癇癪を起こすかのように唾を飛ばす男。
「何様?もう一度、聞く。ここはどこだ」
ジナの雰囲気が変わり、アイスブルーの宝石のような瞳が妖しく光る。
「あが、あが……」
目が合ったまま男が凍りつく。ジナの瞳に魅入らて、指先一つ動かすことができない。
そして、ジナの声と視線が頭の奥深くへと突き刺さり、五感に感情、そして精神をじわじわと乗っ取っていく。
「やめっ、やめ……来るな、入って来る。私の中に……やめ、やめてくれ……やめてくださいぁぁああ」
ジナのスキル【幻燈身】は、幻影を見せるだけでなく、強力な精神干渉スキルでもある。普通の人間を精神掌握するなど児戯にも等しい。
糸の切れた人形のように項垂れ、男の目から光が消え失せる。自我はおろか魂までジナに握られ、傀儡と化した哀れな中年。
「じゃあ、今度こそ答えてね」
「ハイ……」
「ここは、どこなの?」
「帝都の秘密収容所」
「ふーん、目的は?」
「ワッ……ワカリマセン」
「なんで、分からないの?」
「見張りを命じ、メイジサレタカラ、デス」
「ほんと?」
脳の柔らかいところを引っ掻くように干渉を強め、精神に負荷をかけてやる。
男は小さく痙攣し、舌をだらんとさせる。
「ほん、ほんとでしゅ」
「だらしないなぁ。君に命令したのは?」
「軍の、軍?、アンティゴノス伯爵……」
「誰?どんな人?」
「憲兵隊、隊長、隊長ォを、わわ!」
「うん、わかった。少し静かにね」
精神に若干異常をきたし、興奮し出した男を瞳の魔力を強めて無理やり黙らせる。
「見張り役の下っ端か。操っておいてもあまり旨みはないのかな」
「旨み、ない、ない」
「自分で言ってるよ。でも、囮にはなるよね。扉も開けて。あと、枷も外して」
「あい」
男はカクカクと頷き、重たい鉄製の扉に鍵を差し込む。ガチャガチャと数度音がして、扉が開いた。
中に入ってくると明後日の方を向きながら、手枷と足枷をせっせと外しにかかる。ものの十秒で自由の身となったジナは、最後に自分で首輪を取ってサイドテーブルに置いた。
「じゃあ最後の命令ね。私が出たら、もう一度扉の鍵を閉めて、静かに大人しく扉の前に立ってて。他の誰かがこの扉に近づいてきたら、そいつを殺して、君も自害しろ。おけ?」
「あい」
様子のおかしい男は、命令通りジナが監禁部屋から退散すると、鍵を閉め直して黙って扉の前に立ち尽くしていた。
「これでよし。また見つかったら、逐次洗脳しちゃえばいいよね。数が揃うようなら、憲兵隊の詰所をみんなで襲わせて、なんとかゴノス伯爵を引き摺り出してもらおうかな。楽しみ、楽しみ」
ジナは楽しそうに薄ら笑いを浮かべる。
そして、ふと疑問を持つ。
これって、楽しいのかと。
僅かだが胸に刻まれた傷痕が疼き、ジナは顔を顰めて胸を押さえた。
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