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風と静寂  作者: 佐竹武夫
第十八章
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第十八章 第一節

バタバタバタ


人の走る音が聞こえる—————

物を運ぶ音が聞こえる—————

遠くで指示をする声が聞こえる—————



重い瞼を開けると、朝日に照らされる白いテントの天井が見えた。しばし眺める。それからゆっくりと横を向く。朝日の透き通ったテントの壁には、慌ただしく行き交う兵士のシルエット。その喧騒は戦闘のものではない。何か慌てて次の準備をしているような雰囲気である。自分の体に目を向ける。絹に青い刺繍が入った高級そうな掛け布団が、私の体の上に柔らかく乗っている。頭を整理する。


「昨日、夜・・・・ノクティア軍のグラオ師団長を訪れて・・・・それから・・・開戦に至る経緯を聞いて・・・・」


バタバタバタ


じわりじわりと空気が熱くなってるのを感じる。夏はもうすぐそばまで来ている。私はゆっくりと体を起こし、足を地面につける。ベッドに腰をかける状態になると、ギリギリ足が届く高さがあることに気づく。戦場の簡易ベッドにしては、それなりの高級感を保っている。おそらく高位の人物が寝るためのペットであろう。自軍の視察に来た高等官僚や同盟軍の司令官、時として停戦交渉に臨むための、敵軍使者の宿泊用・・・・


「起きたか!ビル軍師!」


一気に目が覚める声が聞こえた。私が休んでいるテントの入り口が大きく開かれ、グラオ師団長がガハハハッと笑い声を響かせながら入ってきた。まるで朝日の濃い影のように、彼の後ろにぴったりとくっついて入ってきたのが、イリア参謀であった。


「もう朝食の準備はできているぜ!あんたが食い終わる頃には、全軍バラクローナに向けて出発だ!」


私はボーっとグラオ師団長の話を聞いている。


「おはようございます、ビル殿」


グラオ師団長の横にいつの間にか並んで立っていたイリア参謀が、私にやわらく声をかけてきた。


「昨日ビル殿がおっしゃった通りに、各方面に『ビル・フィッツジェラルドの抵抗と交渉により、ノクティア領邦はヘルヒンの攻略を中止。直接ヴァルドリス王国の主要都市にターゲットを変更し、バラクローナに進軍。ビル軍師も軍に同行』・・・・・このような内容で喧伝しました」


イリア参謀の顔を見ても、相手を疑い、もしくは見定めようとする表情は薄い。されど明け透けに、手放しで、という感じでもない。


「昨晩、ビル殿に言われてから私の中でもあなたの言葉を、何度か反芻しました。その言葉はやはり理に筋があり、収まるべきところに其れを入れる袋がある。今の段階で既にこの情報はバラクローナ、及びヴァルドリス王国首都マダレイにも届いているはず。おそらく重鎮を集めて、情報収集と対策に乗り出しているでしょう。ただこの『奇怪な動き』は確実に彼らの焦りを誘発し、会議の浮き足立った混乱を招き、その結果我々の求める交渉の糸口が開ける可能性は高まることでしょう」


私は寝ぼけ眼で黙って聞いたままだ。とりあえずヘルヒンの虐殺は避けられたのだろう。ティモも、その妻のリアンナさんも一安心だろう。リオさんには何となく伝わってるだろうけど、エリアール上官には何も話さずにここまで来てしまった。多少不満をもたれるかもしれない。カイルには・・・『弓隊長』にしていろいろ期待を持たせてしまった・・・・少し申し訳ない・・・・・『青の谷』の人たちも、とりあえず安心だろう。エリナさん、リシア・・・なんだかんだ言ってもセドリックさんのおかげで、ここまで持ち込めた感じはある。やはり感謝をしている。ドゥペル審議官、サビオは街を出てどうなったんだろう・・・カッパー・マグの連中は・・・・・それはまあ・・・


「分かりました・・・」


私は何とも気のない返事を返した。しかしグラオ師団長もイリア参謀も、その返事に『お前の言う通りにしたのに』という不服そうな顔はしなかった。彼らは私の機嫌を取るための行為でなく、そこにあるべき道を認識してくれていたからだと思う。それは2人の目的が決して、南西三国の同盟破棄と関係性の破綻を望んでいるわけではないことを示していた。


「ビル軍師、左足を怪我していたみたいだな。あんたが寝ている間に治療を施しておいたぜ」


私は左足を見る。確かに知らない間に包帯が巻かれていた。おそらく前日の戦闘において、どこかで傷を負ったのであろう。だがそんなこと全く気づかなかった。前線で戦っているのであるから、当然のことかもしれない。


「あ・・・・」


私は思わず、間抜けな音を口から出してしまった。


「どうしました?」


イリア参謀が、何か重大なことがあったのかという表情で聞いてきた。


「え・・・いや、私はシルバー先生と、このヘルヒンに二年間いるように言われました。しかし町から出てしまうことは、先生の指示に背くことになるのか・・・いやどうか・・・・」


グラオ師団長とイリア参謀は、お互いに顔を見合わせる。再び二人が私を見た。


「それは・・・我々には分かりませんが、大丈夫ではないかと・・・・街で暮らすということは、街から一歩も出るなということではないのでは・・・?」

「ああ・・・まあ、そうですよね・・・・」


また間抜けな返事をする。昨日彼等と何を話したか・・・・覚えているようであんまり覚えてない。



私は朝食を頂いた。【ポジョイエヴ】と呼ばれている鳥を煮込んだものと、卵を溶き合わせたものだ。これをとうもろこしで作った生地【ラップ】の上にのせて食べる。ノクティアでは定番の朝食らしい。もちろん階級が上の人たちの朝食だ。私は三色のペイントが施された、やや小さめのテントの中でその味を堪能していると、そのテント以外ほぼ撤去されていた。そこを出た後に気づき、周囲の兵たちがこちらを伺っていたことが、どうにも恥ずかしかった。


「その『月の盾』以外は格好変えた方が良いでしょう」


イリア参謀が出立の最終段階に入ったところで、私に唐突に言ってきた。その場所にグラオ師団長は既にいなかった。彼は先頭に立ち、次に目指すべき場所に導く立場にあった。


「はあ・・・?しかしこれしか持っていないので」

「昨晩の間に準備をしております」


イリア参謀が手を挙げ一つ合図を送ると、長い白い裾が揺れるのに合わせて、奥から文官のような人が、一着の服と鎧を持ってきた。それはイリア参謀が着ているものと同じような白く、裾や袖が大きい絹で出来た服であった。さらにその上から、鉄で編み込んだ特注の胸当てや肩のシールドが、黒革のベルトでつながるようになっていた。私は一度イリアの方を見た。


「これでなんとなく、あなたの軍門に下ったような感じがします」


フフ


彼は少し笑った。


「一年前とは雰囲気が全然違いますね」


イリアは馬にひょいと乗った。周囲は、行軍が始まる雰囲気を醸し出す砂埃が立ち始めている。


「以前は非常に、真面目すぎるぐらい真面目で、言葉の一つ一つがヤイバのようでした。今みたいな『思ったこと』を口にするようなことはありませんでした」


そうだと思う。しかも散々『思ったことは口にしない』という鉄則が最も大事なことの一つとして、体に染み付いているはず・・・・


ガシャガシャ


分かりやすい大きな音を立てて、 三人の兵士に押されながら、後ろ手にされた兵士がひとり、私とイリアの前に突き出された。


ドガ


床に叩きつけられる。


「イリアさま、こいつ敵のスパイです!」


イリアは地面に叩きつけられた男見て、再び三人の兵士の方を見る。報告の続きを促している。


「昨晩軍が撤収および、目標地をバラクローナに変更となった際、急にソワソワし始めて怪しい動きを見せてました。それに気づいた我々が痛めつけたところ、ヘルヒンから潜り込んだスパイだとわかりました」


私も倒れた男の方を見る。命乞いをして喚く様子がない、というか、その気力もないぐらいに打ちのめされている。雰囲気を見る限り、正規軍の訓練を受けたスパイではないだろう。おそらく一般兵が、上官に言われ・・・もしくはヴァルドリス軍の正規兵に命令され、無理やりスパイ活動を行ったのであろう。突然軍がここを離れるとなり、どうすればいいのかわからなく、戸惑っていたところを見透かされたに違いない。


「どうやってここに潜り込んだ」


イリアがスパイに聞く。彼はまるで何もかも諦めているようであった。


「ノクティア兵の鎧を着せられ、負傷兵のふりをして入り込んだ・・・都合が悪いことを言われたら痛みを叫び、気を失ったふりをして誤魔化した」

「傷を負ってないのに、負傷兵の振りができたのか」

「傷は負っている・・・・もぐり込む前に、味方の上官に切られた」

「・・・・・・」


一瞬だけ周囲が静かになる。こんなもんだ。訓練された者が、研ぎ澄ました理性と感性を持って、相手陣営に潜り込む。敵の高度な検索をかい潜り、最高の情報を味方に届けるエージェント—————こんなものは一部の精鋭を除いて、存在しない。それこそ平和な時に存在するだけだ。戦になれば泥仕合。素人と素人、間抜けとバカが素手で殺し合う。第一、この男をしょっぴいた連中も、おそらく今まで全く気付いていなかったのであろう。ところが昨晩急に撤退命令が出た。これは『明日は生き延びられる」ということである。今日死ぬかと思っていたところ、少なくとも次の戦場までは生き残れる喜びに、全員が溢れかえっていたに違いない。ところがヘルヒンから潜り込んでいたスパイは、確実に焦った。つまり真っ白い空間に黒い点が一つ見えたのだ。しかも彼らは、明日の殺し合いから解放された分だけ余裕がある。「なんだ、お前」と言ってあぶり出すだけの充分な気力があったのだろう。


「ビル殿」


イリア参謀は私の方を向いて言った。


「あなたならどうします?」


私はイリア参謀の目を見た。煽っているわけではない。試しているわけでもない。純粋に私がどう判断するのか見たいらしい。私は先ほどもらった服を着替え始めた。イリア以外は「何事か」という表情で見ている。脱いだ半ブリガンダイン仕様のジャック、ケトルハット、軍用片手剣を重ねてその男に渡した。


「これはヘルヒンでこれを借りていた。エリアールというヴァルドリス王国正規軍の隊長がいるので、その人に返してほしい」


地面に這いつくばっていた男は、私の顔見て、周囲を見て、それからその手荷物を受け取った。私はあえて周囲を見なかった。しかし、他の人はどうでもいい。イリアが私を見続けていたのは確かだ。今までの私は、これに対応しようとしていた。相手が納得すること、相手が感嘆すること、相手がその光景を観照すること・・・・・その答えに対応しようとした。しかし今の私は、そのことを横に置き、相手との距離の真ん中(若しくはどこか)にある現実の点を、静かに意識することとした。


「イリア参謀、一つお願いがあります。軍全体に指令を出し、ヘルヒンから侵入していたスパイを皆、街に帰らせてもらえませんか?これからバラクローナに向かうのに、彼ら自身、何の意味もないと思いますし、変に軍の中に不純物があっても良くはないかと」


イリア参謀は一瞬、本当に一瞬だけ思考の間があった。しかし、一般的にはそれを全く感じさせない反射で答えた。


「分かりました。おい!全軍に即通達しろ。ヘルヒンのスパイは逃がしてやると。この男に続いて街に帰れと!」


そこからは早かった。馬を走らせ全軍に伝達。私の鎧を持った男がヘルヒンの街に向かっていると、その後ぞろぞろと兵士がついて行った。五十はいないが、三十は確実にいたのではないか。ノクティアの兵たちはその連中の後ろ姿を見送りながら「なんで無傷で返してやるんだ」という不満の空気が渦巻いていた。だがイリアは違った。


「どうですか・・・?」


白い絹の服に肩シールドと胸当て、馬には『月の盾』を下げている私は、イリアに向かって言った。


「・・・・・あの短期間にこんなに潜り込んでいたのか」

「私も驚きです。いつも現実は想像を超えてますね」


イリアは私を見る。少し間が開く。彼が何か話出そうとする空気を感じる。だがその時


ぶぉぉぉおおおおんんん


大きな音が響き進軍の合図が出た。全軍南西に向けて進む。私はイリアに付いて馬を進める。一度だけ振り向く。先ほどのスパイたちが歩く向こうに、ヘルヒンの街が遠くに見える。勿論追撃してくる空気は全くない。彼らは限界を迎えており、一瞬でも早く日常が戻ることを、すべての市民が望んでいる。それはヴァルドリス王国から派遣されていた数少ない正規兵もである。彼らは一切援軍を送ってもらえなかった。ノクティア軍がここを素通りしても、ヴァルドリス本国はヘルヒンの兵、市民を責める資格を完全に失ってしまった。


「私は・・・・・もう一度帰ってくる。この場所に・・・」


それがシルバー先生との約束・・・・


もう一年は切っていた。




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