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風と静寂  作者: 佐竹武夫
第十七章
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第十七章 第九節

堕ちていくことは心地よい。特別な労力をかけず、高速で移動している。これが本来の生命のあり方ではないかと思えるぐらいだ。私は今まで努力することが善であり、堕ちていくことは悪だと思ってきた。その考え方に基づくと、私が当初シルバー先生と出会ったときの行動思考がまさしく《それ》そのものだった。先生と旅を始め、さまざまな経験をすることで(もちろんその中に、先生の指導も含まれるが)いろいろなものが、かき回された感じがある。赤や青や黄色が、鍋の中でぐるぐる回り、表に見えるものが多色に入れ替わる。しかし私がこの街に残されて、『青の谷』に住み、セドリックとやり取りをし始めたころから、『適当』『いい加減』・・・・いや、違う・・・・自らが感じたことを、もう少し素直に自分に伝え、周りに伝えるよう努力してみることが、さほど悪いことではないのではと思い始めた。(少なくとも自分に嘘をつき続けるよりは)その感覚は、それ以前にシルバー先生に教わっていた『直感を最も大事にしなさい。理論はそれを分析し補助し、伝達するためのもの』と言われたこと、大きく外れていないような気がした。


「落ちていく穴は二つあるな」


その日朝から敵兵と戦い、夜の街の中を巡回したまま、私は敵の帷幕に向かおうとしている。体は悲鳴を上げ、頭は鉛よりも重い。しかし私の中で、今行かないという選択肢が存在しないことを理解している。この理解が私をどんどん落下させる。足が止まることがない。西の門に戻ると、私は一直線にリオ副隊長のところに向かった。


「ビル隊長」


少し寝ぼけ眼で、体を城壁に寄りかからせていたリオが、私に気づいて声を発した。わたしが帰ってくるまで、仮眠室には向かわなかったのだろう。


「リオさん、私と一緒に来てください」

「え・・・あ・・はいっす」


直感がわたしに教える。どこかで必要になると思い、城壁の一つの部屋に置いておいた私の盾『月の紋様』を手に取った。南西三国同盟と一緒に戦った時、武器庫からもらったものである。そのまま何も言わず、門の方へ向かう。


「ビル隊長、リオ副隊長。外に出るのですか?」


門番が私たちに聞いてくる。私は大きくうなずく。一瞬『なぜこんな夜に』と門番は頭によぎったと思うが、私達に対しての信頼が高いのか、一切不信感を表に出さず開閉の歯車に手を伸ばした。


ガガガガガ


門が開く。私はおそらく最短であろう水路を通って、敵陣を目指す。不安な表情をリオはしてるかもしれないが、私はあえて振り向かない。と、目の前に着物の重ね着と、体中装飾をつけたセドリックが現れた。


「!・・・・」


水路を挟んだ左斜め上の建物の上。セドリックはいつものように、口元に自然な笑みを浮かべている。


タッ


私は立ち止まった。頭が重い。今セドリックに何か言われて、私は答えることができるのだろうか。


「ビル、行くんだな?」

「ああ・・・」


私はちらりとだけ後方を見る。後からついて来たリオの目線も、セドリックを見ている。つまり、認識できているということだ。


「君は、道の向こうから来た者が何だったか分かったのかい?」

「ああ・・・」


一見何の脈絡も無い突然の問い。これは討論会の時、私の頭の中で、私が道を歩いていると向こうからやってきた者・・・遠くの道からどんどん近づき、私の目の前に立ち止まった、自分より随分大きなその人物・・・その正体は長い間私の中では分からなかった。


「あれは・・・大きな姿のあれは・・・・」


細い目でセドリックが私を見る。なぜいきなり、この質問をされたか分からない。そしていつの間、私はそれに応えられるようになっていたのかもわからない。


「あれは、私です」


静かに風が水路を吹き抜ける。屋根の上から見下ろしているセドリック。私の後ろに居るはずのリオの息遣いは聞こえない。水路に流れる水の音が初めて聞こえる。


「正確にいうと私の体・・・いや、今話しているのが私の意識とすれば、あれは・・・・あれは私に最も近い『他人』の私・・・」


私は疲れていた。しかしこの話をしないで前に進むことは出来ないと思った。今私は大きな穴の一つ『理』に落ちている。止まらない。止まることが出来ない。セドリックは私を見続ける。私も彼を見続ける。


「私の師であるシルバー先生は、自らは三つ存在すると言った。『自分の思い込んでいる自分』『他人から見た自分』『本当の自分』今もまだ完全にわかりきってるとは言えない。しかしその話を聞いた当初は、単純に『自分の思い込み』と『相手の視点』と『第三者の視点』くらいに思っていた。だが現実は違った」


セドリックがさらに目を細める。


「『自分が思っている自分』とは停滞だった。留まって遅延する・・・・・流れが滞る。落下が緩まる時ひどく苦しむ。だがもう一人の自分は『もっとも身近な他人』・・・体から発する感情を激しく揺れ動かす『他人』・・・・こいつが道の向こうからやって来た。私がこいつを時として《巨大》にし、時として《豆粒》にする。人間の意識が調子に乗ることで『尊大』になるわけではない。自らと最も近い他人である『自分』が溶けて、境界線を失い・・・・・その時に他人の身体を借りて『尊大』の心地よさを感じる。その時人は『欲』の穴に落ち続ける」


水の音が聞こえる。焦りが・・・すぐにノクティア領邦グラオ師団長の帷幕に向かわないといけないと思いつつ、ここでのやり取りを完結させないと、その先は決して存在しないと直感が教えてくれている。


「ではビル、最後の一人の『自分』は・・・・?君の師、シルバーがいうところの『本当の自分』は・・・?」

「存在しない」

「!・・・・」


私が見続ける視線の先のセドリックも反応したが、私の後ろに居るはずのリオの息づかいも、この時感じた。


「全ては落下の最中の一瞬の切り取り。過程ではどんな表現もできるが、どんな分析も説明もできるが、言葉を語る瞬間にそのものが存在しない。過程を過程と位置づける時のみ存在する。国も常識も、制度も真実も、文字や絵に書き記した瞬間全てを失い、現実としての存在を失う。そしてそれは巨大な吸引力ですべてを引き寄せ、歪ませていき、落下の速度を落として行く。セドリック、あなたの存在もそう」


私がそう告げても、彼は何も反応しなかった。しかしその時、以前の私と違って今の私は、その反応を大して求めていなかった。


「私が止まっている時、あなたは高速で落下している。しかし私が落下している時、あなたは私の目の前で停止している。私があなたの存在を意識するとあなたは消え、意識しないとあなたは存在する。しかしお互いが描かれた肖像画のように、同じ次元で動くことなく存在することはありえない。もっとも身近な『自分という他人』が実は『他人』なのだから、それは当然といえる」


私はゆっくりと振り向く。そこにはリオがいる。彼は私を見ていると同時に、屋根の上のセドリック見ている。もっともわかりやすく言えば、私はセドリックをこの世のものでは無いと思っていた。では、リオが・・・第三者が見ることができるそのセドリックが存在するということは、この世に存在するということなのか。いや・・・・そんなことはどうでもいい。全てが揺らめく—————切り刻む事の出来ない一瞬の、全てが過去の状態。それに連続性と整合性を求めるのであれば、目の前のりんごの数とこちらの人数が一致していればいいだけの話。他人が何を言おうと、私ともっとも同期した現実との折衷。そこが一致させることを了とせず、落下することは不可能。後は『理』の穴と『欲』の穴のどちらを落下しているかは、目を開け落ちているのか、目をつむり落ちているか、だけの違い。


セドリックは空を見た。


「ビル・・・時間を使わせて悪かったな。ただ私も少しだけ心配だったんだ。どこかで君が相手陣営に行って殺されるのではと、ほんの少し・・・ほんの少しだけ心配だった。さあ、いきな」


セドリックが振り向き、奥へと消える。私はたいして見送りもせず、水路を歩きはじめた。


「ビルさん、敵陣営に行くんっすか?」

「ああ」

「え!何しに」

「それはリオさん、あなたには言わない」


水路を抜け、足元はでこぼこの土を踏みしめる。遠くの灯りのみを頼りに突き進む。


「黙ってついてこいということですか?」

「違う、あなたを呼んだのは、一つは門を自然に出たかった。あなたが一緒であれば何か不審がられることがない。もう一つは・・・・あなたに感謝を伝えたかった。ありがとう」

「え・・・・」

「ヘルヒンの街に帰ることがあっても、おそらく今の部隊に戻ることはもうない。〈カッパー・マグ〉に行くことももうないから、マーヤさんたちにはよろしく言っておいてほしい」


ざざざざざざ


足音だけが響く。リオの返事が聞こえない。


ざざ


立ち止まる。振り向く。


リオが泣いていた—————


彼はこれが別れだとわかった。不思議だ。本当に不思議だ。私は彼のことをそこまで買ってはいなかった。もちろん《公会堂での一件》では素晴らしい働きをしてくれた。しかし私はどこかで、彼を気持ちよく持ち上げるための・・・私が作業するためにうまく動いてもらうための『彼の機嫌を良くする道具』に使っていた面を否めない。だが途中から彼が見せてくれた誠実さと、努力と、そこから導き出されたあるべき動きは、最終的に私の考えていた範囲を大きく上回る形となった。私はこのまま、私の副将として連れて行きたい気分になってしまう。しかし私も、頭のいい彼もそれが違うことをよく理解していた。


「リオさん、今までありがとう。帰って体を休めて」


こんな真っ暗闇で、彼の頬から流れる涙が、はっきり見えるとは思わなかった。まだまだ知らないことが多い。—————まさか私も、涙を流しているなんてことはないよな・・・・たとえそうだとしても、今の彼は自分の涙でそれは見えないだろうと安心してしまう・・・


ざざざ


私はふりむき、再び敵陣営と向かう。彼がついてきていないのは、振り向かないでもわかる。彼が遠く・・・遠くなっていくのが・・・目に見えるようにはっきりと、しかしぼやけてわかる。


がしゃがしゃ


かなり敵陣営に近づいたとき、向こうから4人くらいの兵がこちらに駆けつけてきた。


「止まれ!止まれ!脱走兵か!」


私は立ち止まる。両手をあげ、武器を持ってないことを示す。


がしゃがしゃ


私を4人の兵が取り込む。


「お前はなんだ!」

「私の名前はビル・フィッツジェラルド。シルバー先生の弟子ビルが来たと、グラオ師団長にそう伝えて欲しい」


兵達が顔を見合わせる。この反応を見る限り、グラオ師団長がいることは間違いない。一人が駆け足で戻り。あとの3人が私を連れて陣営に向かった。それは決して連行的な態度ではなかった。のちに知ったことだが、以前ペソン攻略に参加していた兵もおり、私のことを知っていたらしい。


衛兵を通り過ぎ、柵の内側に入るとどこか懐かしい気持ちに戻り、『軍師ビル』と呼ばれた時のことを少し思い出した。ここで一つ深呼吸をする。


「こちらです」


大きなテントに入ると、目の前の大男が大声を出しながら私に近づいた。


「ビル殿、久しぶりだな!」


強く抱擁され、私は驚いてしまった。彼が顔を上げると間違いなくグラオ師団長だった。


「お久しぶりです」

「いやーーーあの時突然あんたがいなくなったからさ、オレはずいぶん驚いたんだが、みんな『そんなもんだ』みたいな感じでよー、まあそれから俺たちもずいぶんバタバタして」


そう言ってる間に奥から別の男が来た。


「・・・?」

「おい、イリア!やっぱり本物のビル殿だったぜ!」


白い、大きめの布を巻いたような服装。その顔はまさしく、師団長レオナルドに付き従っていた参謀イリア・フェルマー⁉


「お久しぶりです、ビル殿」

「イリア参謀・・・・」


現実は常に、想像もつかないことが起きる。やはり同盟の間で何かが起きた。だから、別の国の参謀が・・・彼らが刃を向けている側にいるはずの知恵者がここにいる。


この和やかな雰囲気の先にあるのは、私の知るところから遠く離れていた『歪み』と『滞り』・・・・それが、人の《存在と意識》であるならば、私はそれらの裾を握り、引っ張り、『理』の穴へ飛び込むしかない。










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