第十七章 第四節
私は自宅に帰った後、すぐに床に着いた。目が覚めると、とても心地よい朝が迎えられていた。すぐさま治安兵の宿舎(現時点では正規軍の拠点となっているが、皆は呼び方を変えてはいない)に向かうと、エリアールは既にきており、私は西門の守備隊長として正式に任命された。副隊長としてリオを任命してくれており、私との約束を反故にしないその姿勢は、上官として信用足りる人物だと思った。
「いやー、よかったっす!ビルさんと一緒なら、この戦なんとか乗り切れそうな気がするっす!」
「そう言ってもらえるのはありがたいですけど、我々が守備する西門は、おそらく敵の明確なターゲットになるでしょう」
「やっぱ、門や城壁を直しているといっても、ほかの所とは違って突貫的だから心もとないっすよね」
私とリオはブリガンダインと、ノーマンの片手剣。後ろから来る二十人の兵は、ギャンベゾン(布鎧)に短槍。旅人からもたらされる情報で、敵はかなり近くまで接近していることは街の噂になっていた。今朝の朝礼にて、三日で到着するところまで来ていることを知り、いよいよもって兵たちは敵を迎え撃つための準備に入ったと言ってよい。西門はおそらく明日には完成させるであろう。実のところ中途半端になっているが、そんなことは言っていられない。今日中に足場を取り外し、足りないところは個別で補足していく。
西門に着くと今まで以上に慌ただしく、作業をしている労働者が動いていた。その中でおそらくリーダー的人物が、駆け足でこちらに向かってくる。
「あの、新しく守備隊長になったビル隊長ですね。何とか今日中に・・・・」
戦時に入ると市民は、常に二段ぐらい下からものを言ってくる。おそらく平時であれば、頭領として堂々と私に語りかけ、正しく現状を伝え、明らかなる不満があるときには、こちらに提言を行っていたであろう。しかし今はそれが許されない。必要以上に兵は尊ばれ、必要な情報や物事が行われる営みは遮られ、その分われわれは死に近づいていく。
「大丈夫。敵が明日すぐに攻めてくるわけではない。明日、いやその先作業を続けていても何の問題もない」
「あ・・・そ、そうですか?」
「無理やり完成したテイを取ったとしても、そこに何らかの未完成な部分があれば、命がなくなるのは我々のほう。であれば、可能な限り作業をしてもらえると助かる」
「あ・・しかし・・」
頭領が不安になるのが分かる。こんな時には言葉の約束度合いが極端に落ちる。そこが反故にされたからといって、彼らは我々を責めることもできない。
「この上官はかなりまともだ。私が許可したと伝えれば、了としてくれる。問題があれば上官は正しく私を問い詰める」
「そ・・・そうですか・・・じゃあ、できるだけやります!」
今の返事は、我々を死から遠ざける答えに感じた—————
私はあくまで、統率者としての命令的な言葉のニュアンスを失わないが、快楽的自己顕示欲を満たすための、圧のかかった言葉の選択はしない。その行為は我々を死へと繋げてしまう。
「ビルさん、あんな余裕のあること言っちゃって大丈夫なんっすか?」
一応小さな声で、リオは私の耳元で言った。
「はい・・・第一、序盤は敵と門の近くではやり合いません」
私たちはそのまま二十人を引き連れて、西の門からすぐ手前にある森の入り口へと向かった。その途中で西門の地面に、セドリックによって描かれた『法図』を見た。改めて注目して見ないと、そこにラインが描かれていることはなかなか気づかず、たとえ意識してみたとしても、誰かの落書きか工事の目印のように見える。私はとりあえず『法図』のことに関しては、意識をしないことにした。セドリックの言葉が正しいとするのであれば、「本当に意識する時に意識すれば良い」ような気がした。現時点では目の前に迫った事案に関して、具体的な対策を講じていくしかないであろう。
「とりあえずクロスボウは五張用意されました。弓が上手な人を五人選抜しておいてもらえましたか?」
「ばっちりっす!中庭でみんなに弓を撃ってもらって、確実に腕のあるやつを選んだと思うっす」
「ありがとうございます」
森の中に入ると急に涼しさが肌に触る。高い木々に日光が遮られ、 視界を隠す影と、視界を遮る光がまばらに自然の迷彩感を出している。まだ緑は生えそろっていないが、周囲が荒野な土地が多い地域から考えると、この森は『鬱蒼と茂る』という表現を使っても間違いではない。私はこの森のずっと奥で倒れていたところを、リシアに発見された。
少しだけそんな物思いにふけり、周囲の高いところを見まわすと、
「弓隊に選抜された者は前に」
森の中でこだまする声。私は後ろに振り向いて言った。
ざざざざ
小走で選ばれた五名が私の前に整列する。私の隊から三人、リオの隊から二人選ばれている。その中にカイル・レンダーが選ばれているのは心強い。この男は物怖じしない。私に対してもズケズケと意見を言ってくる。平時であれば、うざったい存在であるが、 戦時では礼儀よりも実務が優先されることが多い。いや、それが優先されなければ、もう一歩死に近づく。
「カイル、君を弓隊の隊長に任命する」
「・・・・・・」
当然喜びの表情など見せない。この男は自分が指名された責任の重さを知っている。私はノーマンの片手剣を右手に持ち、正確さや正しいニュアンスが伝わるように、動きと言葉をシンクロさせる。
「いくつも幹の太い木がある。君たちはあの木の上に上り、敵を待ち構える。敵はおそらく・・・先遣隊の偵察だと二十名程度。実際攻め込んでくると五百名程度」
一同の顔に不安の表情が過る。この不安の表情は今やっておくべきだ。私の予想だと必ず五百人は下回る。逆に言うと、最大でその人数が押し寄せてくる。『まあ、この狭い森に五百人突っ込ますバカな上官は、そんなにいないだろうけどな』兵たちの表情を見る目線の流れで、森の内部を窺う。
「まずこれだけは理解しておいてほしい。いや、強く思っていてほしい。戦は責めるより、守る方が圧倒的有利だ。逆に攻めるのは、百倍近い〈実質戦力〉の差を持っていないといけない」
〈実質戦力〉とは兵の数だけではない。武器の能力、訓練の度合い、士気の違い、目的に対する信念や怨念の違い・・・
「時間が全くないわけではないが、決して余裕があるわけではない。私が指示する内容は、内容も大事だが順番も大事だ。同じグループで指示をされた者同士、内容と順番が間違っていないかを確実に確認するように。まずは弓隊。いくつかの木の上に上り、狙いやすさ、居心地の良さ、敵から身を隠すことができるのに適しているか調べて欲しい。選んでいる本人以外が、下からどのくらい見えるか言ってやってくれ。そしていくつか自分が登るべき木を選んでおく。それができてから、この森の中を探索し、地形を把握する」
私は五人に言うテイを取りながら、カイルに『頼んだ』と目で言った。カイルは頷き、直ぐに四人を連れて指示の行動を始めた。
「『隠れ隊』、前へ」
ざざざざ
さらに五人、前に出てくる。先ほどよりも不安そうな顔をしている。
「君たちには、敵が来た時奇襲をしてもらう。主な任務は陰に隠れて、背後や側面から敵を攻撃。ヒット&アウェイで直ぐに身を隠す。武器もメッサーを使ってもらう。君たちは私が選抜した。人は協調が得意なタイプとそうでない人がいる。私から見るに君たちはあまりコミュニケーションが得意ではない。その代わり周囲をよく見ている。命令されることや、はじめから作戦が決まっているものより、その場の状況を判断してより良い選択ができるタイプだと思う。そのようなタイプでない人員をこの部隊配置すると、ある者は身を隠してるところから出るのが恐ろしく、またある者はそのまま戦場から逃走する場合がある。しかし君たちは、道理に左右される場合が多いので、自らの役目に徹することを放棄できない性格だと私は考えている」
私の言葉を聞いて、彼らの不安な表情が少し緩んだ。
「君たちに隊長はいない。各自で身の隠し場所を探し、相手をかく乱できる動きがどのようにできるか確認してくれ」
五人は一斉に、それでいてバラバラに自分たちがやるべきところに散った。残った兵に目を向ける。十人。私とリオを合わせて十二人。
「建前上この十二人で敵を迎え撃つ。最大五百の敵を」
残りの十人はそれぞれの表情をする。意気込むもの、不安の表情、硬い顔、少し唇が紫のやつもいる。
「ビルたいちょー」
がらがらがらがら
先ほど私たちが歩いてきた方向から、荷車を引いた男達が来た。一同そちらを振り返る。地域統括所に勤め、水車の建築関係を管轄している、私が宿でも世話になっているティモとその部下たちであった。
「ティモ、本当に助かります」
「いや・・・ビルさんを隊長の肩書で一回呼んでみたかったんですよ」
本当にそれがやりたかったのであろう。、屈託のない笑顔で、私たちの方に近づいてくる。
「それより、こんな感じで大丈夫ですかね?」
荷台に載っているのは兵士の恰好をした、木でできた看板。一つ出してみたが、槍を構えた兵に遠目からは充分に見えそうだ。これが薄暗く、視界を遮る光がある森の中だと、さらに本物に見えるだろう。
「このような感じの物を作ってもらえるのだと思っていましたが、これは本当に素晴らしいです。注文通り、しっかり足場の基礎部分を埋め込めるようになってますね」
これは簡単に『看板兵』が倒れないためだ。そして、かなり分厚い板で作ってもらった。
「これなら矢も通さないし、少々剣で叩いたり突いたりしても割れない」
おおお・・・すごい・・・
他の兵達もその出来栄え、特に表から見た兵の絵がリアルなことに一同驚いていた。
「リアンナの知り合いに集まってもらって、女たちに描いてもらったんだ。けど・・・これはほんとに大丈夫なのか?」
ティモが『看板兵』の裏側を見せる。そこは真っ赤に一面塗られている。
「ああ、実際にそこに立ててみればわかる」
『看板兵』を仮にいくつか設置する。その間に弓隊、隠れ隊も気になって集まってきた。
おおーーーー
歓声が起きる。敵の来る方向から見ると、まるで兵がこちらに向かって構えているように見える。しかし逆側、守備の陣地から見ると、それらの看板はすべて緑の中ではっきりと映る赤い立て看板に見える。
「こちらから見ると、周りの木々から目立つ『赤』で塗られている分だけ、身を隠せる場所が一瞬で認識できる。だから次々と移動しながら敵の方に近づける。相手からすると看板なのか本物的なのかが分からない」
「ちょうど看板の胸あたりに、のぞき窓用の穴があるんですね」
看板をしげしげ見ていた他の兵が質問をしてきた。
「そうだ。敵の弓兵の多くは、最も装甲が厚い胸の部分を狙ってくることはほぼない。顔や防具の明らかに弱い部分を狙ってくる。つまりその窓から矢が通ってくる可能性は少ない。それに剣や槍を用いても板に厚みがあるため、真っすぐに貫かないと、反対側に攻撃は届かない」
「つまり、この覗き穴から見てても安全ってことですね」
おおおおーーーー
再び歓声が沸く。しかし、その盛り上がりに冷水をかけるようにカイルが質問をする
「こんな子供だまし、敵の正規軍が惑わされますかね?」
コンコン
『看板兵』を持っていたスピアで小突く。これこそ、この男の真骨頂。
「カイル、君は何回戦場に立ったことがある?」
「・・・・・・ないですけど」
分かっている質問をするんだ、という顔つきでこちらを睨む。
「では戦場で、十人中何人が正気を保てると思う?」
「・・・・・・・」
少し間が開く。みんなが答えを待つ。
「十人中・・・・・五人くらいですか?」
「十人中、正気を保てる人は一人もいない」
「・・・・・・」
全員・・・息の飲む音だけが聞こえる。
「・・・・・・そんなんで・・・・戦になるんすか?」
「大丈夫、普段から正気でないやつが、もともと軍隊には加わっている。彼らは普段通り、『冷静』に『着実』にとても正気じゃない状態で任務をこなすことができる。考えてみろ、人を殺して正気でい続けられると思うか?」
「・・・・つまり・・・・あんた、いや・・・ビル隊長は普段から正気じゃないってことですね」
「そうだ」
まさにそうだ—————これから戦が始まろうと云うのに。今、目の前で話をしている連中が、何日後に腕を斬られ、断末魔の叫び、わめき泣きじゃくりながら殺されるかもしれない。敵兵が場内に侵入し、〈カッパー・マグ〉ウェイトレスたちが、お世話になったティモや妻のリアンナさんが殺され、その被害が『青の谷』・・・・エリナさんやリシアに及ぶかもしれないのに・・・・・・なのに今の私はまるで悲観や憂鬱がない。次々と戦略が浮かび、対策の手を講じ、その結果が知りたくて仕方がない。ともすれば、期待したほど敵が強くなく、数が小さければ残念に思うのではないか。こんな人物をまともに評価すれば、誰が『正気』だと捺印できるであろう。
兵達には自分たちの有利になる場所に『看板兵』を置くように命じた。相手はこのような仕掛けがある状態を分かって、武器を選んでいない。『隠れ隊』『弓隊』は別だが、真正面から向き合う短槍の部隊は、この『看板兵』を利用すればかなり有利に戦える。頑丈な看板なので、押し倒して行くには難しい。つまり敵兵がこれを避けると、自然にこちらの攻撃動線に入るようにすればよい。しかも、看板の間隔をはじめから意図的に決めることができるので、敵との距離感を見定める(槍が届く)最適な距離を目印として設定できる。さらにこの看板が50体もあるのだから、必ず相手はどこに本物の敵がいるか混乱状態になる。まかり間違って剣を横振りなどしようものなら、木々か看板兵にすぐに当たってしまう。
あまり遅くなると皆疲れてしまうので、適度なところで切り上げ西門の奥の所で解散となった。私は再び足元の『法図』を見た。まだ現時点でもおまじないの類に見えてしまうが、不思議と何か見えない力で守られているような感覚が起きる。本当に人は不思議なものであり、現金なものである。
「あ・・・・」
解散をして、治安所のエリアール上官のところに寄ろうとしていた。もともと弓は十張発注している。それであれば五つは確実に手に入るだろう。後は後援に持たせるか、予備として持っておく。正直私も一つ持っておきたい。そんなことを考えていると目の前にノワがいた。〈カッパー・マグ〉の下働きをひたすらさせられている。この地域の風習〈エアクロ〉(家の不幸を一手に引き受けるための拾われの子)。私は以前彼女に、この街から一緒に連れ出して欲しいと言われた。しかし私は断った・・・・
「・・・・」
一瞬どのような顔をして、どのような言葉をかければよいか躊躇った。しかし意外にも彼女は、ニタリとした今まで見せたことがない、非常に悪意の満ちた満面の笑みでこちらを見て、しかも近づいてきた。おそらく仕入れの荷物を運んでいたようであるが、それもぞんざいに放り投げた。
「ビルさん、久しぶり・・・随分出世したみたいね」
「ノア・・・」
「やだ、名前なんて覚えていてくれたの?もう私のことなんて、とっくに忘れちゃったと思ってた。ハハハハ」
顔がニヤついている。彼女の口の大きさが以前の倍に見える。その奥に真っ黒な酒が漂っているように・・・・もちろん比喩であるが、まるで比喩でないようなビジョンが目の前でちらつく。
「お姉さんたち大変よねえ〜〜〜ヴァルドリス王国の正規兵にお店乗っ取られちゃって、まるで使いっぱしり。上客はヴァルドリスから来た給仕がやってるから、チップもサービス料も貰えない。それでいい料理と酒を出せって言われてるんだから〜〜」
私は何も答えない。彼女は変わった。私が変えたのか?戦が変えたのか?・・・・それともこれが本来の彼女・・・・・・
「こないだなんてリュミナ姉さんが正規兵に乱暴されてて、ティナ姉さんとマーヤさんが泣きながら止めててさぁ〜〜くくくく、なんかマーヤさん髪の毛が最近抜けるらしくて・・・この前廊下にも落ちてて・・・くくく」
彼女は自分が過去に、同じ目にあったことがあるのかもしれない。自分を奴隷のように使ってきた彼女たちの不幸を嬉しくて・・・・嬉しくて仕方がないようだ。
「そっかーー、一応ビルさんも正規軍の隊長さんか・・・・」
私の鎧に着いたワッペンに目がいった。よく階級の事を知っているな・・・・
「でも、私のいいひとは、ヴァルドリス王国の部隊長なの。部下の兵が二百人いるんだって・・・・ふふ・・ふふふふふ」
私は自責の念があったので、どこか彼女から目を逸らしていたところがあったが、注意深く見てみると、以前よりよっぽどいい服を着ていた。いや、指輪も付けている。
そうか・・・彼女は〈カッパー・マグ〉に出入りする上官クラスに取り入ったんだ。どんな手を使ってでも・・・・・彼女の態度からは、かつての献身的な姿は一切見えない。奴隷のように扱われて、献身的であることが良いとは言わないが、少なくとも食べ物を粗末に扱うような人物ではなかった。
「戦争が近づいて楽しそうですね」
彼女は満面の・・・少し狂気じみた最高の笑顔で私に答えた。
「楽しいわ。毎日楽しすぎて、生まれて初めて人生がこんなに楽しい!今までのくだらないものを全部破壊してくれる。ルールも、慣習も、街も家も仕事も全部!」
私は笑顔でひきつる彼女の口角を、その角度を見た。
「奇遇ですね。私も先ほど、『楽しすぎる今の状況』を噛みしめていたところです」
彼女は一瞬だけいやな顔をした。
「では、私は仕事があるので」
「がんばってね、ビルさん」
おそらく彼女がどの正規兵(上官)にでもする、最高の営業スマイルを私に投げた。
はははは
彼女の隠さない笑い声が聞こえる。
これだけ『正』も『負』も大きくエネルギーが動くのであれば、確かに『法図』は何かの力を発揮しそうだなと思った。
私の頭の中は・・・・
とめどなく戦略の海に埋没していく・・・・・




