第十七章 第二節
「リアンナさん、今日の夕食は要りませんから」
「これから出かけるんですか?珍しいですね」
「仕事の関係で、ちょっと呼び出されまして」
ティモの家に夕方帰ると、私はそのまま、少しだけ良さげな服に着替えて玄関口に向かう。
「最近は飲んで帰ることは殆どなくなったから・・・」
ティモの妻であるリアンナさんは、それ以上言葉を続けなかった。ほんの少しだけ困った笑顔を見せ、
「遅くなっても大丈夫ですよ。ドアを叩いてもらえば」
以前は夜でも、家の鍵をかけてないことがあった。しかし最近は、どうしても皆警戒心を高め、町の人々は戸締りを厳しくするようになった。まだ直接この街が何者かに攻められているわけではないが、じわりじわりと拡がる戦に対しての緊張感が、人々にどこか猜疑心を強めさせる。
「すみません、なるべく早く帰るようにします」
私はそういうとポケットの中を一度確認した。そこに普段ほとんど使わない、紋章が付いたワッペンがあることを確認した。
相変わらずヘルヒンの中心街は街の人々、外から来た商売人、旅人などが慌ただしく行き交っている。活気のある声と、もう少しで一日が終わる安堵感に染められた彼らの声に、私は心地よさを感じてしまう。しかしそれと同時に、本来は通い慣れた店、『カッパー・マグ』に向かう足取りの重さが、私の心に違和感の段差を生じさせる。治安兵を主な任務としていた頃は、リオと仕事終わりにしょっちゅう通っていた。いつも奥の指定席で、女主人のマーヤさんに怒られ、看板娘のリュミナ、ティナと楽しく会話をする。そんな日常はいつの間にか消えてしまった。街自体が戦の準備を始め、宗主国であるヴァルドリス王国の正規軍が、今までと比べ物にならないぐらい駐在するようになった今、この街のいたるところにその歪が形と影を作っている。
「この辺でつけておくか・・・・・」
思わず声に出してしまう。私はポケットに入れていたワッペンを取り出すと、その針を洋服の胸に通す。
山を背景に、クロスさせた剣の紋章——————
本来であればヴァルドリス王国の正規軍でないとつけられないこの紋章を、我々ヘルヒンの人間も付けることが許可されている。いやむしろ、必ずつけるようにと言われている。そしていくつかの店では、正規軍を特別扱いするための部屋を用意し、当然そこには紋章をつけた者しか入れない状態になっている。私もリオも、はじめは無視をして『カッパー・マグ』にワッペンをつけず通っていた。しかし、上からの通達で徹底するようにも言われ、さらに同じ治安兵の人たちからも冷たい目で見られるようになったので、われわれは店から足が遠のいてしまった。そのワッペンを付けて店に来ると、マーヤさんたちと会話できず、奥に設置された正規軍の特別な部屋で、全く別の女性たちが私たちをもてなすのである。値段は少しだけ高めになるが、それでもそこに出てくる料理やお酒は、明らかに優遇されたものになっている。かつての飲み仲間を尻目に、そんな部屋に入って飲むお酒など美味しいわけがない。
「こんばんは」
声をかけないわけにはいかない。どうやっても入り口を通らないといけないからである。
「あ!ビルさん!」
はじめにティナに私を見つけられて、店中に聞こえる大きな声をあげられた。
「あ・・・・」
彼女は私の胸につけられた正規軍のワッペンを見る。急に声のトーンが一つ落ちる。
「いらっしゃい、ひさしぶり」
奥から来たマーヤさんが少しだけ影のある感じで、私に声をかけてきた。
「今日はなんか呼び出されたみたいだね。お連れさんが先に部屋に行ってる。5番の部屋だよ」
「マーヤさん、ありがとう」
私は部屋の奥へと向かう。改装されたため、手前のごろつきが飲むためのスペースはかなり狭くなっている。もちろん私たちの指定席だった奥の場所は、すでに正規軍のための部屋に置き換わっている。
「あれだ、別にそんな気使わなくてもいいんだよ、ビルさん。こっちはビルさんやリオが、出世してくれたことが嬉しいんだからさ。私たちは相手できないけど顔を合わせられない方がもっと寂しいからさ」
「ありがとうございます。来れるときは来るようにします」
まるで確約のない返事をしてしまう。相手にもそれが通じているみたいで、マーヤさんもティナも乾いた笑顔を見せる。周囲を見渡したがリュミナはいないようだ。
ノワも—————
なんとなく気まずい空気を残しながら、私は奥に通じる廊下へと向かった。そして、突き当たりの部屋をノックした。
コンコンコン
『はいりたまえ』
少しこもった音が聞こえた。
「失礼します」
私はそう一言言うと、ドアを開けた。中には男が一人。すでにお酒とつまみになるものが置いてあった。
「かけたまえ」
「はい」
頬は少しこけた痩せ型。身長は高そうだと、昨日拝見した時に思っていた。ラメラ―を着ていたので、もう少し体が大きい印象があったが、そうではなかった。そう、建設中の西門で、私に「お前はくだらなそうな男だな」と言ってきた男・・・・私はその男の正面まで移動すると、
「失礼します」
と、もう一度言って席に着いた。
「飲み物は決まっているか」
「・・・・・・」
「遠慮しなくていい」
「ビールを」
「うむ」
男は横に置いてあった鈴を鳴らす。
ちりんちりん
コンコン
「失礼します」
正規兵を接客するために、特別に雇われた女性だ。たぶんこの街の人ではない。確かにマーヤさんたちより品はありそうだが、決してお酒が美味しくなるわけではないだろう。金を払ってこんな個室に連れてこられ、会話もしたいと思わない人に接客されるのは、よっぽど他のメリットがなければ来ないだろう。
「ビールを」
「かしこまりました」
「なにか食べるものは頼むか?」
「お勧めのものがあればお任せで」
「うむ・・・何か適当に見繕って持ってきてくれ」
「かしこまりました」
女性が出て行った。おそらく調理をしているのはマーヤさんだ。五番の部屋からの注文となれば私が頼んだものだと思い、気を使って、いいものを提供してくれるだろう。それがありがたくもあり、申し訳なくもある。
「君の名前は?」
何の前置きもなく聞いてくる。第一私を呼び出したのだ、名前を知らないことはないであろう。そこに何の意図があるかわからないが、従順な部下を演じて素直に回答した。
「ビル・フィッツジェラルドです」
「そうか、私はエリアール・ヴァルモン。ヴァルドリスからこの街を守るために派遣された。そして西の方面を担当する」
エリアールと名乗るその男は、ワインのようなものを一口飲んだ。
「だがその担当する範囲もなかなか広い。それで今、それぞれの区画で担当する副隊長を任命しようとしている・・・・」
つまり・・・私に・・・?昨日私に「くだらなそう」と言い放って・・?
「君は・・・・今のやり方で、部下は強くなれると思っているのか?」
「少なくとも、戦に於いての強さは相対です。同じ人数であれば、あなたの部隊よりも強いでしょう」
「・・・・・・・・」
ここまで無礼な言われ方をしたことは、ないのであろう。冷静さを保とうとしているが、目尻の辺りが引きつってる。少し笑いそうになったがやめた。
「戦場での戯言は命を奪うぞ」
「もちろん戯言ではありません」
「・・・・・戯言ではないと・・・私を説得できるか・・・・」
「はい・・・・私が言っているのは戦場においてのどちらが強いかの話です。言葉に頼っても意味がないので実際にやってみればよいと思います。しかし当然、広場を使って1対1で戦うわけではないですよ。この街の中で行動範囲もルールも時間制限も一切なく、どちらが最後に立っているのか、それでやり合いましょう。あなた方の兵がこの街をどれだけ知り尽くしてるか分かりませんが、私の部下は確実にあなたたちに見つかることがなく、あなたの部下が疲弊と焦りとあきらめと「所詮これは訓練だ」と思い始めた頃に一斉に襲い掛かるでしょう」
「・・・・・・・・・」
「大丈夫です。我々が頼めば町の人たちは皆協力してくれます。多少、家が壊れようと壁に穴が開こうと、文句は言わないでしょう。自分たちの兵が正規軍をコテンパンにするところが見れるのですから」
「・・・・・・・・」
エリアールという男の瞳は、私の話を聞いた直後から急に冷静の色が見え始めた。なるほど、この男は本物の実力者を求めている。どちらかというと人が良い感じだ。おそらく厄介ごとを割り振られているのであろう。このヘルヒンという脆弱な街を守るためも勿論、その中でも非常に防御力が弱い西側を任されている。
「君は・・・・・どこかで軍のことを学んだのか?」
一瞬飲み込んだ。素直に答えていいものか。だがここで隠しても仕方がない。いや隠した表情を読み取られるだろう。
「アカデミーで学びました」
「ほーーー」
急に顔色が変わった。心の距離感を詰めてきた感じだ。
「アカデミーか・・・・なるほど・・・・私の娘も同じアカデミーで学んでいてな、ラトールの寮に入っているんだ」
しめた!ラトールのアカデミーと勘違いしてる。さすがに、敵である中央政権の首都アゼネイエのアカデミーとは、思わなかったみたいだ。当たり前だ。そこの出身者で一兵卒をやってるなどあり得ないからだ。思わぬかたちで、こちらに有利な勘違いしてくれた。
「そうか・・・・実践は?」
「ほんの少しだけ、ペソンで・・・」
「この間のペソン攻略か!・・・・そうか、そこで生き残ってきたのか・・・・あ、いや、あれはレオナルド師団長側が圧勝したんだったな・・・私は本国にいたので参加できなかったが」
当然彼は、私が一兵卒で参加したと思っている。軍師で参加しているとは思ってもいない。
「こちらも一つ聞いていいですか?」
「なんだ?」
随分と素直に答えてくれそうだ。奇妙な感じだ。初めに会った時は、ずいぶん私のことを見下し、苛立っていたように見えた。しかし直接会ってみると、彼は比較的相手を正しく分析しようと努力している。(はじめは感情的になるみたいだが)
「敵は・・・・ノクティア領邦なんですか」
「そうだ、しかもかなり近くに迫っている」
エリアールは一度ドアの方を振り向いた。誰か入ってこないか確認したようだ。
「南西三国の同盟は今もう、ないと思っていい」
「同盟が破綻した理由を知っているのですか」
「正直・・・・分からない」
何かの情報は持っていそうだ。しかしそれが、あまり自分たちに好ましい情況ではないような雰囲気を出していると感じた。ここを深く掘っていくのは危険だ。
「そうですか・・・・ちなみに、今『かなり近くに』と・・・」
「ああ・・・どこで距離を縮めてくるか分からないが、もう3日で移動できるところまで軍隊が来ている。おそらく今、そこで待機をしているのであろう。命令が出たらこの街から敵がすぐ見えるようになるだろう」
・・・・・私はこの街からほとんど出ることがない。しかし旅人や遠くの街と取引をしている人は、この事実に気付いているだろう・・・・それでも明日戦が起こるとは、皆思ってない。それはどこかで現実からの恐怖を、心理的何者かによって自分が破壊されることを防いでいるのであろう。
コンコン
「失礼します」
先ほどの女性が料理を持ってきた。いくつかは少し頑張って、おしゃれをしたような料理と盛り付けあった。おそらくあまり庶民的なものを出さないように、上からのお達しがあったのであろう。それだけでも『カッパー・マグ』の従業員たちの苦労が、痛いほど感じる。しかしその中で、見慣れた料理があった。私やリオがよく頼んでいた『ランタン焼き』少し大きめのマメ科の植物が伸びた茎と、肉を薄くスライスしてたものを、いくつ重ねてフライパンで焼いたものである。その少し焦げ目がついた感じが、香ばしい匂いを部屋の中にいき渡させる。
「・・・・・・・」
エリアールは明確な沈黙を示し、女性に早くこの場から去るように促した。
「失礼しました」
私の目の前に、ビールが置かれている。私はそれに手をつける前に、もっとも大事な質問をした。
「それで、今日私が呼ばれた理由は?」
エリアールは少しだけ不思議そうな顔をした。
「用件は先ほど、はじめに言った。西門の副隊長になってほしい。もうその話は終わったものだと思ってた」
はぐらかされている雰囲気はしない。だがこの流れで、それを理解しろというのは少し酷というものだろう。
「リオの部隊もつけてもらえますか?」
「構わない。昨日一緒にいた部隊だな」
なるほど、部隊や名前など、必要なことはは比較的把握しているようだ。さすが本国正規軍の将。
「ビル、他に必要な物は?」
この流れは重視した方が良さそうだ。
「小弓を10張」
「わかった。他は?」
「とりあえず今は・・・」
「わかった」
それから少しだけ雑談をした。しかし彼の質問は、すべてにおいて軍事行動の関わりを持つ質問だった。敵が目の前に迫っていることはあるが、恐らくそうでなくてもこの男は、同じ質問をしてくるだろう。ちなみに彼はほとんど食べなかった。どうもこの後、引き続きここで、別の人と会合を持たないといけないらしい。が、『ランタン焼き』だけは口にした。
「これは美味しい」
実に素直で喜ばしい感想であったであった。エリアールが疲れないように、私は早めに退室させてもらった。
「ビルさん、もう帰るの、早いね」
店の中で慌ただしく動くリュミナが、私を見つけて声をかけてきた。それを耳にしたマーヤさん、ティナもこちらを向いた。
「マーヤさん、『ランタン焼き』ありがとうございました。久しぶりに食べましたが、相変わらず、すごく美味しかったです」
「そお?よかった・・・・今度はリオも連れてきてね」
「はい」
また約束の確約できない返事。会話はこれ以上続かない。誰と何を話したなど、間違っても口に出してはいけない。いや、こちらが口に出しても罪に問われないが、なぜか聞いた方が罪に問われる場合がある。戦では軍人が優遇され、相対的にそれ以外が落とされる・・・・おそらく場所が変わっても時代が変わっても、このことが変わることはない。
淀んだ空気が嫌で、私はそのまますぐに店を出た。だが右側の自宅には向かわず、左側の西門の方に足を向けた。歩いている途中で、街の人の数人が立ち止まり私に敬礼をしてきた時に、初めてワッペンをつけっぱなしのことに気がついた。慌てて外す。彼らが私に敬意を持って敬礼をしているのではない。これもつい最近街全体に通達されたルールだ。兵・・・特に正規兵に対しては街のものは敬意を示し、民兵に加わっている者は、立ち止まって敬礼をしなければならない。中にはこの自分に対して敬礼をしてもらうことが気持ち良すぎて、ワッペンを付けて町中を歩くやつもいる。飲み屋などの場所も、正規兵のためのスペースが設けられ、明らかに優遇されている提供物を享受することができる。私やリオは、そのことにどうしても馴染めず、ワッペンを外して行動してしまうが(本当はきつく注意を受けている)多くの別の兵が進んでやっているのを見ると、気持ち良い快感を得られるのであろう。もしくは、戦いになれば命をかけなければならない緊張感を、天秤にかけて『これぐらいのいい思いはしてもいいはずだ』という思考のもと、バランスをとっているのかもしれない。
そんなことを思いながら西門に着く。この辺りは誰にもいない。明かりもほとんどなく、真っ暗だ。あと幾日かで敵が攻めてくるかもしれない。工事は急ピッチで進んでいるが、あと5日以上はかかるのではないか。それまで敵が攻めてこないことを願う。
いや、違う—————
明日から私の兵に工事を手伝わそう。リオの部隊も・・・・
そんなことを思いながら、工事中の門と塀を眺めていると・・・・
ざざざざ
足音が聞こえる。そちらを振り向く。
「!・・・・」
あまりにも意外な人物がいた。いや意外ではないかもしれない。黒い長髪を両サイドであみこむように結んでいる。ずいぶん暖かくなってきたのにもかかわらず、模様がある服を重ね着している男。
「ビル、やっぱり来たね」
セドリック—————『青の谷』のコミュニティで一番奥に住んでいる、その家から全く出てくることがなさそうな、浮世離れした男。
「やっぱり・・・?セドリックさん、あんたは私がここに来ることをわかったのか?」
セドリックは私と西門に近づきながら、そしてそれを眺めながら私に返事をしてきた。
「わかってたというより・・・・私が呼び寄せた」
「?・・・・」
どういう意味だ。今私がここに足を運んでいるのは、気まぐれだ・・・・
「今あんた不思議な顔をしたね?先入観を持たないビル様が、まだまだ先入観満載だね」
「・・・・・・・」
思考の混乱を、どうにか抑えようとする。この男が嘘を言っているとは思えない。だが話の前後のつながりが全く見えない。それでも一定の冷静さを保ちながら質問を続けた。
「どんな風に私を呼び寄せた?」
「ハハハハ、そんな疑心の顔を隠せないと言われても・・・・それじゃあ私の言うことは受け止められないな」
「・・・・それは申し訳ない。だがまだそこまで心の修行ができてないんだ。多少は勘弁してくれないか」
「ふふふ・・・・」
セドリックは立ち止まった。そして門の高い位置を見ていた視線を、私の位置まで下げ、そしてそのまま地面を見た。
「ほら、これだ」
「?・・・」
「だから言ったろ、疑心の顔で見ていても見えない、あんたの師匠が言っていなかったか?『目あれど見えず、耳あれど聞こえず』」
ああ、言っていた。私も覚えてるし、そうならないようにいつも心がけている。私は深呼吸をひとつして、再び地面を見る。
「ライン・・・?」
「そう、地面に線が描かれてるだろ。昨日俺が夜中、木の枝で絵描いた。誰にも消されずにまだ残っている」
よく見ると西門を覆うように、地面を棒のようなもので削った跡がある。
「これは・・・・?」
「ほうず・・・」
「ホウズ・・・・?」
「そう、法則の『法』に絵図の『図』・・・・『法図』だ。これでアンタを呼び寄せた・・・」
セドリックが私の顔を覗き込む。『ほら、また疑心の顔してる』と・・・だが、今この顔をさせて欲しい。
私は・・・・私にはまだ、この世界であまりにも知らないことが多すぎる—————




