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風と静寂  作者: 佐竹武夫
第十七章
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第十七章 第一節

現実において、物事が綺麗に整えられた状態に、すべてを保ち続けられることはない。現実的でない状態で作り上げられたものは、非常に美しくなる。その理由は、常に違和感を持ったり、不快感が生じたりするものを削ぎ落としていくからだ。しかし現実は、階段を登ることさえ、一段一段足を踏みしめて登らなければならず、もちろん充分休息を取って、軽い足取りを持って上っていくこともあるが、非常に疲れており困難を極めるときは、そのまだ登らなければいけない段差を恨めしそうに見つめて、ため息まじりに重い足を上げていくことを繰り返す。


あの雨の夜から幾日かたち,ようやくヘルヒンの噂話の中に、ドゥペル審議官が行方不明だという話がポツポツとまじり始めた。この街の中枢にいる人たちも、ある一定の権力を持ち、町の人々の尊敬と畏怖を集めてきた人物が、何の前触れもなく消えてしまうということを認識し始めるのに、それ相応の日数を要した。それだけの短い時が流れる間に、物事は次々と動き始める。一つはキャステル使節団長殺害に関しての結末。


「昨日隊長・・・いや元隊長が、ここに来たっすね、ビルさん」


リオが私に話しかけてくる。私は朝礼に間に合うように、てきぱきと装備をつけている。新たに支給されたブリガンダイン。下に着るための厚手の下着も用意されている。


「そうなんですか?リオさん」


私は彼と出会ってから、先輩として立てることを忘れてはいない。例え彼が、どんなに私の事を尊敬の対象として見ていたとしても、言葉と態度は私が後輩であることを崩してはいけないと思っている。私はすぐ手元にあった彼のケルトハットを渡す。


「あ、サンキューっす。それで、その隊長の顔が、もう生きてるか死んでるか分からないような顔つきだったんっすよ」

「まあそうでしょうね。どういう審判が下ったかは詳しくは分かりませんが、結局部下の3人が皆責任を取って死罪となりましたからね」

「それでその3人の責任者の元隊長だけが、生きてるってことになっちゃってるっすよねね」


相変わらず口だけが動く先輩に、革製の手袋も渡す。


「あ、サンキューっす」


最後に装備するノーマンの片手剣は、自分で棚から取ってもらいたいものだ。


「結局ドゥペル審議官は全くの行方知れず。審議官抜きで裁決に入ったっていうんだから、世の中乱れてくると、いろんなことが起きるっすよね」


やれやれといった感じで、リオは腕組みをしている。なんだかこっちの方が『やれやれ』だ。私は片手剣を彼に渡して


「朝礼に遅れますよ」


と言いながら、自分の着替えをする。


「あああ、もう!俺はビルさんと治安兵として一緒に見回りだけしておきたかったのに、なんで十人も部下を持って、戦をやんなきゃいけないんですか」

「まだ戦が始まっているわけではないです」

「どう考えたってすぐ手前まできてますよね」

「備えあれば憂いなしです」

「オレたち備えになるんっすか?実戦もやったことない、ろくに訓練をしてないのに」


彼がグジグジ言っている間に、私は着替え終わった。


「リオさん、行きましょう」


大きなため息をつく彼を、私はおろしたての艶があるブリガンダインのレザーを叩き、早く行くように促した。


ガシャガシャガシャガシ


十人ずつ整列している前に、元治安兵の我々はバラバラに分かれ、それぞれの兵の前に立つ。街の巡回は午前と午後に分かれており、巡回を行ないほうのグループが、兵の訓練を行うことになっている。


私も装備をした十人の兵の前に立つ。装備といっても以前の我々よりも粗末なものである。頭はスカルキャップ、胴はギャンベゾン(布鎧)、手には彼らの背丈より少し出た短槍スピア。先端は鉄だが、柄は安価な木で、正直戦闘に入ったらいつ折れてしまうか分からない。いや、私がアカデミーで本格的な訓練をした経験上、すぐ折れるだろう。だが今彼らにそれを言うと不安になるだけなので、口にはもちろん顔にも出さない。『うちの部隊だけでも早めに手を打たなければ』頭にはそんなことがよぎる。


「おはよう」

「おはようございます」


十人が声をそろえ一斉に返事をする。彼らを訓練し始めて10日だが、ようやくこの辺りのことができるようになってきた。はじめ彼らは、決して舐めた態度をとっていたわけではないが、一つ一つの行動が明日の生死を分けることを、本当の意味で理解してもらうのになかなか簡単ではなかった。いや、おそらく彼らは今この時点でも、本当に必要とされる意識の1/10も満ちていないだろう。だがそれは仕方がない。本来であれば二年から三年訓練しなければいけないものを・・・しかもそれは兵士として専属で行うときのことである。彼らはこの訓練を受けた後、自らの従事する仕事に戻らなければならないのである。


「今日も訓練に参加しごくろう。君たちのその努力が、この街の命を一人でも救う」


私がそのように話している間に、なぜかリオとその部下十名が、私の部隊の後ろに整列している。


「あの・・・リオさん・・・?」

「あ、ビルさん気にしない。俺に訓練を受けるよりビルさんに指導していただいた方が断然いいっすから」


リオの後ろの十人も真面目な顔で頷く。まあ、兵の訓練、指導などその経験がないとできるわけはない。私だってアカデミーで士官ごっこしていたようなもんだ。たとえ現役の将軍から厳しい指導を受けていたとしても、実践のそれとは比べ物にならないだろう。


「では、いつものように訓練に入る前に質問を受ける」


まず一つは、部下に対しては必ず上からの言葉を使う。軍隊で上下関係が崩れたら終わりだ。次に訓練の前に必ず彼らから質問を受け付ける。一つは彼らの不満を溜めないため。次に訓練の能率を高めるため。そして最後にもう一つ、彼らと真摯に向かい合うという態度を示すことで、彼らに尊敬と感謝の念を私が持つため・・・・・戦になれば真っ先に命を落とすのは彼らだ。そんなことはわかっている。もちろんそれを避けるために私は全力で動く。我々が守備する場所を任された時、彼らが生きているのであれば、その場に居る彼らよりも弱い存在は必ず生きているからだ。


「ビル隊長!」


元気よく手を挙げたのはレオン、 20代後半で『髭なしレオン』と私が名付けた。はじめに徴兵されてきたときに、思いっきり髭がある状態で来た。剃るように言うと「剃らないとだめですか」と少し渋った。なので私は「髭があると兵の偉い奴だと思われて、真っ先に狙われるぞ」というと翌日には綺麗に剃ってきた。そんな貧祖な装備の男を、位が高い奴と思う人はいないだろうが・・・・


「レオン、なんだ」

「はい、他の部隊は既に武器を用いた訓練をしてますが、我々は武装して街中を走ってばかりです。これ大丈夫なのでしょうか」

「なぜだと思う」

「は?」

「正解を答えろというのではない。戦闘において頭を使うことは非常に重要だ。それも体と同じ訓練だ。間違っていていい。なぜだと思う?」


私は別の兵に向けても(リオの兵にも)大きく声をかけた。


「お前たちも考えろ。その理由を」


私はレオンに向き直った。


「レオン、なぜだと思う?」

「それは・・・やはり戦闘は体力がある方が強いからでしょうか」

「もちろん、体力はないよりもある方が強い。他には?」

「それは・・・相手よりも長く・・・動ける」

「その答えは、先ほどと内容がほぼ同じだ」


私は正面に向き直り、皆に聞こえるように言う。


「町中を走りこむのは体力をつけるとともに、街の地形を知り尽くことだ。敵と我々の全く違うところは、我々は自ら戦場となる場所でひたすら訓練を積むことができる。どこに橋がありどこに家がある。どこが袋小路になっており、どこの壁を登ることができる。これらを知り尽くしてる兵と、まったくわかってない兵がやりあうとほぼ勝負は決している。お前たちはこの街に何十年と住んでいるが、事細かいことまで把握している人はいないだろう。次にお前たちが、この街で兵の恰好をして走ることで、街の人々に良い緊張感をもたらす。敵に対して備える心持ができ、それに立ち向かうべく訓練をしているお前たちに、尊敬と感謝の気持ちを持つことが出来る。実際に戦が始まった時、彼の中でお前たちを信じる心が存在し、それは必ずお前たちの力にもなる」


なるほど・・・という表情で彼らは私を見つめる。さらに私は言葉を加える。


「そして何よりも戦いにおいては、逃げ足が大事だ」


その一言で皆が私に注目をする。


「絶対負けない方法、それは逃げ足が速いことだ。弓矢であれば多少距離を詰められるが、通常相手は接近しないと敵を殺すことができない。逆に言うと危ないと思って逃げまくれば、相手に追いつかない限り自分はやられない」


私の言葉を半分冗談と受け取っているのか、数人クスりと小さく笑う声が聞こえる。


「これは実際に物理的にそうだ。彼らが追いかけてくるのをやめれば、こちらも足を止めればいい。また追いかけて来たら逃げればいい。つまり相手に背中を見せず、常に相手を監視しながらその距離感を保てば、そのうち相手は体力を奪われる」

「隊長」


別の男が手をあげた。彼はカイル。ニヒルで少し人を馬鹿にしそうな感じ。私と話をするときも少し斜に構えている。この場に呼ばれていることはかなり納得してないみたいだが、折角やるなら・・・・という少し歪んだやる気に満ちている。ただ街を守ることに対していやな表情を見せておらず、現時点では部隊を運営するのに障害になっているイメージはない。


「そんなにどんどん逃げてもいいんですかね?そんなことやってたら街の人はどんどん殺されいっちゃうんじゃないですか?」


冗談のような返しだが、その意味は深く重いものがある。彼の質問に笑う者は居ない。いや、私だけが少し笑う。


「カイル、その通り。どんどん逃げていけばいい。自分が街の外に出てしまうぐらいに」


乾いた笑いがこの場を包む。カイルは笑ってない。


「自分の逃げてる向こうで女子供が殺されるんだ。老人なんて動きが鈍いから首を一刺し。あんた達の奥さんや子供、父親や母親が殺されるんだ。それでも逃げるんだ。あいつらの手が届かない所に」


誰も笑わない。


「そいつらは金と女に手を出し、やりたい放題やってくたくたさ・・・そこにお前たちが戻ってくるんだ。既に体力の尽きた敵を片っ端から皆殺しにして行くんだ。自分の妻や自分の子供、自分の親の屍を踏みつけながら奴らを殺してくんだ。今お前たちの中で私が言っていることが、どこかで空想めいたことだと思っている奴がいるだろう。だが違う。大事なことは『勝つ』ことだ。勝った後には何かが残る。運よく殺されなかった者、傷ついたが命を救われた者、なんとかこちらの反撃が間に合った者、必ず何かが、誰かが残る・・・・・だが負けたら何も残らない・・・・・・だから、必ず最後には勝つ『最低の勝利』から手に入れていくんだ。そこからさらに訓練を積むことで、『少しでもましな勝利』を手に入れるんだ。間違っても我々がやってはいけないことは『美しい敗戦』『名誉の敗北』——————なぜなら、どんなことがあっても歴史は勝者が作るからだ。負けたら何もない、慰めと見栄だけが残るからだ」


風が通る。静寂という風が・・・・


「全体!縦列!」


兵たちは一斉に縦に並ぶ。リオの兵たちも。リオも。


「全体!駆け足!」


皆武器を抱え、走り出す。アカデミーを思い出す。死ぬほど走らされたことを・・・・・


まずは大通りに出て左側に回る。朝、町が慌ただしくしている中、我々の兵は武器を高々と掲げ、駆け足で東へ進む。時々子供が手を振る。女性たちが頼もしく見ている。自分の息子たちが心配な親が、祈るように手を合わせている。今走ってる彼らにもそれが見えてるはずである。しかしその目つきは、昨日のそれとは違うだろう。


幾時か経って、部隊は西門の方まで来る。以前であれば皆とっくにへばっていたが、これだけ短い間に随分と体力がついてきたものだ。彼らには言わなかったが、もう一つの大きな目的として、武具を体にフィットさせるというものがある。しっかり体を動かすことで、今まで身につけたことのない武具たちを、自らの体の一部へと組み込んでいく。このことが戦場においての機敏さを生み、その紙一重ところで生死を分ける。


「全体!止まれ!」


はあはあはあはあはあ


西門で部隊に休憩を取らせる。へばってはいるが、目はまだ生きている。意外だったのが、リオの部隊もそれなりに頑張ってついて来たというところだ。


「水を一杯飲んでよし!」


私は彼らに大きな声で言う。彼らは腰に水筒を付けている。水は戦場で貴重なものになる。もちろん簡単に飲まないという訓練も必要であるが、民間兵にあまり過酷なことを強いても良いことがない。小さなコップにほんの一口分の水。それでもあるとないでは大違いである。


私は修繕中の西門を見た。ずっと壊れかけて、本当にここに門があったのかと思わせる状態であった。だが今は敵に備え(敵・・?本当に同盟を結んでいたノクティア領邦とやるのか?)急ピッチで改装工事が進んでいる。


壊されるために造る・・・・・


もう二度と見ることのない『形のない西門』・・・・いや、再び戦火になれば、そこにあるのは新しく崩れ去った西門・・・・・



ガシャガシャガシャガシャガシャガシャ


鎧の音が聞こえる。休憩をしていた兵達も音のする方を見た。


ガシャガシャガシャ


馬鎧チャムフロン、もちろん軽装であるが、その馬にまたがっていたのは、フェイスが上部に上がり、首の後ろがカバーされているサレット。胴は肩周りから 腰の下まで カバーしているラメラ―、手は革と鉄板のガントレット。今まさに戦が始まろうとしているような格好。


「・・・・・・」


それは明らかに私の方に近づいてきた。胸のエンブレムを見るとヴァルドリス王国の正規の上級士官だったので


「全体!整列」


すぐに号令をかけた。部隊は私の後ろに整然と(実は順番はバラバラだが相手には分からないだろう)並んだ。上級士官は馬を私の前で止めた。


「町中を走り回ってる兵がいると聞いたが、その隊長はお前か」


随分と不躾な質問・・・


「はい!」


私は下級の隊長っぽく返事をした。明らかに私の後ろでは、整列した兵たちに緊張が走っている。私はこの男がどんな人物かわからないが、気持ちの上では、今から引きずり下ろし首をかき切るシミュレーションをしていた。その時私の後ろに居る21人は、誰も動かないだろう。これはやはり、戦の兵としては、あと三つ四つ壁を越えなければいけない。


「お前は戦をパフォーマンスと思っているみたいだな」


なんと、表面図だけ見る男・・・・私はこの男にどう対応すればよいのか・・・・この町に来る前の自分、この街に来てからの自分・・・・


「はい」


馬上の相手が一瞬眉をひそめる。背中で21人の緊張の音が聞こえる。だが、私は「はい」としか答えてない。だいたい何がハイなのかよくわからない。だが、その男は馬の踵を返して


「お前はくだらなそうな男だな」


と言って、町の中央の方へ向かった。


「ビルさん・・・なんなんすかね、あいつ」

「さあ・・・」


間違いなく何か、私に用事があったと思われるが・・・・


「全体!駆け足!」

「え⁈」


皆が戸惑った様子を見せる。


そうだ、嫌がらせで、奴を後ろから追いかけてやろう。





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