第7話
◇ ◇ ◇
窓の無い、ランプが一つだけの薄暗い部屋。
その部屋に置かれたベッドに、1人の少年が横たわっていた。
「ん、んん……」
どうやら、目を覚ましたようだ。
体を起こして、目を擦りながら辺りを見回す。
「起きたか」
その動きは、壁際に座っていた男――ゲルフにも見えたようだ。
立ち上がってベッドのそばに寄る。
「……おじさん、だれ?」
「先に俺が聞くことに答えたら教えてやろう。良いか?」
「うーん……わかった」
少年は少し悩む素振りを見せるも、すぐに素直に頷く。
「よし、良い子だ。それじゃあ……お家はどこか覚えてるか?」
「うーん……わかんない」
先ほどと同じように少し悩んでから、今度は首を横に振る。
「そうか。じゃあ、自分の名前は覚えてるか?」
「なまえ?うーん……わかんない」
これも答えは変わらず否。
となると……。
「記憶喪失か?」
もしかしたら強いショックによって記憶を失ったのかもしれない。
そう思ったゲルフは、最後に一つ尋ねる。
「何か覚えていることはあるか?」
「おぼえてること?うーん……わかんない」
「そうか。悪かったな、坊主」
ゲルフは頭を軽く撫でて立ち上がる。
おそらく記憶喪失で間違いないだろう。
主からは協力的にならなかったら始末しろと言われているが、これは想定していなかったケースだ。
主人の指示を仰がなくてはならないだろう。
ゲルフは部屋から出て行った。
◆ ◆ ◆
足音が遠ざかるのを確認し、大きく息を吐いてベッドに倒れ込む。
どうやら、上手く騙せたみたいだ。
記憶は、残っていた。
突然襲撃を受けたことも、ひどく取り乱して醜態を晒したことも。
もちろん、チェスターさんが死んだことも。
幸いそれを思い出して泣き叫ぶようなことは無かったが、それらの記憶を受け入れ、飲み込むまでにかなり時間が掛かった。
当然涙も流したし、俺を見張っていた裏切り者のあの男への怒りもある。
自分の不甲斐なさを責める気持ちも。
それらを全て完璧に心の内に隠しておけるようになるまで、ずっと寝たふりをしていたのだ。
ここで記憶があることがバレたら、確実に消される。
黒幕が誰かは分からないが、チェスターさんの仇を討つためには生きてこの危機を脱しなければならないのだ。
――さあ、考えろ。
何故かは分からないが、このままならばおそらく殺されることはない。
もし問答無用で殺す気ならば、俺は目が覚める前に死んでいたはずだ。
今は雇い主の指示を仰ぎにいったんだろうが、何かの理由で目が覚めるまで殺すのを待ったということは……害を為すと判断されなければ、同じ理由で殺されはしないだろう。
何事もなく放されるとは思っていないが。
だが、何故殺さない?
自分にとって不利になる可能性が少しでもあるならば、ここで殺しておくべきだ。
記憶がいつか戻らない確証は無いのだから。
その理由は……駄目だ、判断材料が少なすぎる。
まずは今回起こったことを整理するか。
敵の狙いはラムソン商会に打撃を与えること。
この計画の1番の鍵は護衛に自分の手の者を雇わせることだ。
傭兵を斡旋する傭兵ギルドは信用が第一だから、背後関係なんかは細心の注意を払って調べているはず。
絶対的な信用を盾に不可侵を謳っているからどのように調査しているかは分からないが、あの傭兵ギルドが背後関係を掴めないとは……。
それだけ長い時間をかけて確かな信頼を築き上げてきたのだろう。
……待てよ?
ということは、あのクレソルさんが信頼できるだけの腕利きを何年もの間雇っていたのか。
しかも、裏切らないようにかなりの大枚を叩いて。
これだけの資金を使った計画を実行できて、なおかつラムソン商会にダメージを受けてほしいとなると……本命は勢力範囲が接している北のグレゴリウスか南のガリウム、次点でどこかの大貴族。
しかしいくらそれだけの資金力を持っていても、今回の計画ではリターンに見合わない出費をしたはず。
何故こんな費用対効果の低い計画を立てたのかは分からないが……黒幕は使った金を少しでも回収したいだろう。
死体など何の役にも立たないから、せめてどこかへ売り飛ばそうということか。
一度奴隷となってしまえば、そこからは簡単には抜け出せない。
仮に記憶が戻っても誰も戯言として取り合わないだろうし。
ほとんどが推測だから穴だらけかもしれないが、想定としては悪くない。
殺されることを除けば、奴隷かそれに準ずる扱いをされるのが想定できる中では最悪の状況だ。
そうなる前に逃げ出さなきゃいけないが……あの男がいるうちは成功しそうにないな。
取り敢えず、何も知らない子供を装って警戒を緩めることから始めるしかないか。
◇ ◇ ◇
リョウの予測は勘のようなものだったが、偶然にもほぼ的中していた。
その後リョウは奴隷商人に数枚の金貨を対価に引き渡されたのである。
奴隷はその証として、また行動を縛る鎖として首輪を嵌められる。
リョウもそのルールに違わずずっしりとした首輪を付けられた。
「見た通り見てくれは悪くないしそれなりに従順だが、こいつは訳ありだ。売るときもそこのところは十分留意しといてくれよ。でないと……貴様の首だけでは済まんぞ」
「も、もちろん分かっておりますとも、ええ。あのお方には色々と便宜を図っていただいておりますし、不利になるようなことはいたしませんとも」
「ならば良い。くれぐれも気をつけろ」
奴隷商人はそう言って去っていく男を揉み手をしながら見送り、見えなくなると唾を吐き捨てる。
「ふん、貴様なんぞに言われんでもそんなことは分かっておるわ。……ほら来い小僧ッ!」
「は、はい……!」
◆ ◆ ◆
奴隷商人に引き渡されて、今日で2週間。
ここまでとことん従順なふりをしてきた。
殴られても一切反抗心を見せずに従い、粗末な食事も甘んじて受け入れた。
そのおかげか、奴隷商人の警戒心はおそらく最低限まで下がっている。
――今日、決行しよう。
タイミングは、全員が寝静まった時。
見張りこそいるだろうが……今日の見張り番は普段から酒を飲んで暴れている奴だ。
見張りなど真面目にやっているはずがない。
チェスターさんの仇を討つためにも……何としても、ここから抜け出してやる……!
心の中でそう思いながら、俺は嘘の寝息を立て始めた。
◆ ◆ ◆
「……寝たか。おい、俺はもう寝る。見張りはやっておけよ」
「分かってますよ」
そのやり取りのあと、足音が遠ざかっていくのが聞こえる。
今の会話と奴隷商人のテントはここから離れたところにあることを考えると、奴隷商人はおそらくもう寝る。
あとは護衛だが……。
しばらく息を潜めていると、「あ〜あ、やってらんねーや」という声と共にガサゴソと音がして……「プハァー、やっぱこれがなきゃあな」という声がアルコールの匂いと同時に俺に届く。
よし、予想通り酒を飲んだ。
このまま待てば、チャンスが来る……!
――果たして、少しして見張りの男のいびきが聞こえてきた。
大きく息を吐き、呼吸を落ち着ける。
同時に、気持ちを鎮める。
――よし、行くか。
音を立てぬよう、こっそりとテントを出る。
火の近くを見ると、やはり見張りは気持ち良さそうに眠っていた。
まずは、この首輪を外さなきゃな。
鍵が奴隷商人のテントに置いてあるのは確認済み。
首輪に繋がる鎖が音を立てぬように、持ち上げながら慎重に忍び込む。
……あった。
鍵をそっと抜き取り、もう一度奴隷商人の方を確認する。
大丈夫、まだ寝てる。
テントから出ようと入口の方へ振り返っ――。
「――なにしてるんだ?坊主」
――顔から血の気が引いたのを感じた。
◇ ◇ ◇
その日以降の奴隷商人のリョウの扱いは、劣悪を極めた。
食事は1日に2度あれば良い方で、それもカビの生えたカチコチのパンがほとんど。
動きが鈍いと鞭で打たれたり殴られ蹴られ、何もなくても殴られることすらざらにあった。
扱いが酷いのは、奴隷商人の護衛も一緒だった。
ゴロツキのような見た目に違わず、酒ばかり飲んでは酔ってリョウを殴る。
今までは一応奴隷商人が止めていたのだが、今では殴る立場に回っているので当然止めるはずもなく。
リョウの体は、あっという間に痩せ細って痣だらけになった。
さらに悪いことに、どちらもリョウをサンドバッグのごとく殴るので、目を離している時がほとんどない。
これでは逃げ出すこともままならなかった。
そんな最悪の環境のまま何も出来ずに一ヶ月、リョウは奴隷商人の持つ拠点へと辿り着いた。
流石に生きる希望を失いかけていたこの時――。
「奴隷商人モルガンだな。奴隷法違反により、リースト伯爵から捕縛令が出ている。神妙にせよ」
――地獄に、救いの手が差し伸べられた。
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