第5話
普通、入りたての見習いというのはほとんどが力仕事をはじめとした雑用をやらされるそうだ。
しかし、残念ながら我が身は3歳児。
力仕事など出来るはずもなく。
仕方ないので割と重要度の低い手紙の配達やら情報の伝達といったメッセンジャーを任されることになったのだが。
これが結構勉強になった。
ラムソン商会では、効率を上げるために同じ分野を担当する人は、大抵が近い場所で仕事をしている。
そのため、伝えるのに人が必要な情報というのは、そのほとんどが分野を横断するものだ。
結果として、様々な範囲のことが学べるのだ。
また、それと並行してこの国で使われている字も学んだ。
俺自身が日本語と英語を少々しか出来ないので地球の何の言語に似ているかと言われるとなかなか厳しいのだが、比較的日本語に似ているように感じる。
少なくとも頭から順に読んでいくところとか、一つの音に一つの文字が対応しているのは日本語と同じである。
日本語と違って「平仮名」「片仮名」「漢字」などと何千種類も文字が無いのは助かるが。
数字はどうやら0の概念がまだ知られていないのかローマ数字に近いものが採用されていた。
俺が見る数字など桁数が多いものはそうないが、領主との取引なんかだと凄いことになっているんだろうな……。
ああ、今領主と言った通り、この国は国王を頂点に戴いた封建制を敷いている。
国の名前はアリスト王国。
俺がいるのは王国西部に位置するブルガ伯爵領にあるアイレンという街である。
――右も左も分からぬ状態で突如この街に放り出されてから早4年。
俺は、7歳になっていた。
◆ ◆ ◆
その日の夕方。
俺は支店長室の前に立っていた。
いつもならまだ仕事をしている時間だったが、朝のうちに、仕事が終わったら来るようにと言われていたのだ。
何の用かと思考を巡らせながらノックをする。
「リョウです」
「来たか、入れ」
「失礼します」
部屋に入ると、そこには支店長のクレソルさんと――。
「チェスターさん?」
「僕も呼ばれたんだよ」
2人同時にとは、本当に何の用だろうか。
不思議に思いながら支店長の方を向く。
「さて。君たちを呼んだのは他でもない。君たちには次の北ナシノ村への行商に行ってもらう」
その言葉にチェスターさんが目を見開く。
一方の俺は、チェスターさんがなぜそこまで驚くのかが分からなかった。
というか、この命令自体がよく分からなかった。
「行商ですか。突然なぜ……」
行商はいつも、うちの商会の傘下の中小商会に任せている。
それを、なぜ急に俺たちが……?
困惑している俺を見て、支店長がポツリと呟く。
「ふむ、リョウは知らないのか。チェスター、説明してやれ」
視線を向けられたチェスターさんが頷く。
「はい。行商自体は確かに流通部の管轄なんだけど、この北ナシノ村への行商だけは別なんだ」
「別?しかし、北ナシノ村に何か特別なものがあったとは記憶していませんが……」
記憶を探ってみるが、特にこれといったものは思いつかない。
「確かに北ナシノ村自体には特別な特産品とかはない。でも、ここは我がラムソン商会の現会頭モンタナ=ラムソン様が最初に行商に行った村なんだ。ラムソン商会がここまで成長してからは、そこに行商に行くことはある慣習となっているんだよ」
「慣習ですか?」
「将来の幹部候補と期待されている人が任されることになっているんだよ。支店長も昔一度行ったんですよね?」
「ああ。我がラムソン商会の数少ない慣習の一つだ。それが君たちに任命された。どういうことか分かるね?」
「はい」
それだけ俺たちに期待しているということか。
まあ、今回のメインはチェスターさんだろうが。
俺が納得したのを見て支店長が一つ頷く。
「よし。細かい話はまた後だが、今月の末には出発してもらう予定だ。準備はしておいてくれ」
「「分かりました」」
俺たちの了承を聞き、支店長は立ち上がる。
「では、話は以上だ」
「では、失礼しました」
「失礼しました」
お辞儀をして部屋を出た。
◆ ◆ ◆
2人して、そのままその足で食堂へと向かう。
「いらっしゃい!あら、チェスター坊にリョウの坊やじゃないか。注文は?」
「僕はシスティア牛のステーキと赤ワインを。リョウは……」
「エルーラ鶏のソテーをおねがいします」
俺たちの注文の内容に、メリダさんが訝しげに頷き、調理に入る。
「今日はなんかのお祝いの日だったっけ?」
何故メリダさんがそう思ったかというと。
俺とチェスターさんが頼んだシスティア牛とエルーラ鶏は、俺たち一般市民の手の届くものの中ではそれなりの高級品として知られているからだ。
雇われている側だと、こういうちょっとしたご褒美として食べられることが多い。
支店長なんかは普通に食べられるのだろうが。
ついでにチェスターさんは祝いの日でもないと滅多に酒を飲まない、というのもある。
「実は……僕たち、今度北ナシノ村の行商に行くことになりまして」
「へえ、それはおめでたいねえ!じゃあ、その二つはまけといてあげよう」
そう言いながら盆を持ってくる。
「ほいよ、チェスター坊がシスティア牛のステーキと赤ワイン、リョウの坊やがエルーラ鶏のソテー」
「有り難うございます」
「ありがとうございます。わあ、おいしそう!」
少し焦げ目が付くぐらいにこんがりと焼かれ、ジューシーな香りは食欲を誘う。
本当に美味しそうだ。
「じゃあ、いただきます」
この癖は未だに抜けない。
そう思いつつ小声で呟き、ナイフを手に取った。
◆ ◆ ◆
お互い会話をすることもなく食べ進め、気が付いたらペロリと食べとってしまっていた。
チェスターさんを見ると、流石にワインと一緒だからかゆっくりと食べてはいるが、それでも既に4分の3ほどが胃袋の中へと消えていた。
「メリダさん、おいしかったよ!ごちそうさま!」
「はいはい。お代は銀貨1枚だよ」
「いつもより2枚少ないけど、良いの?」
「言ったろう、お祝いだって」
「ありがとうございます!」
銀貨1枚はほんっとに安い。
これ、この味を外で食べようと思ったら銀貨5枚は出さなきゃいけないぞ?
いつもの3枚だって安いぐらいなのに。
ああ、良い機会なので貨幣の価値をざっと説明しよう。
この国の貨幣は全て硬貨であり、価値の低いものから順に賎貨、半銅貨、銅貨、半銀貨、銀貨、半金貨、金貨、白金貨がある。
交換比率はそれぞれが100枚で一つ価値が高い硬貨1枚分で、半が付くものは付かないものの半分の価値だ。
例えば賎貨100枚で半銅貨2枚、銅貨1枚と交換できる。
市井で最も流通しているのは賎貨と半銅貨、銅貨だろう。
普通に暮らしていると、これら以外はほとんど使わない。
少し立場が上がると、給料は銀貨単位になる。
しかし銀貨は普段の買い物では早々使わないので、ほとんどを銅貨や半銀貨で貰う。
金貨は主に大きい取引なんかに使うらしい。
俺も本物は早々見ることがないので分からないが。
白金貨はというと、これはもう王族とか大貴族レベルでないと触れる事もないほど希少だ。
その王族や大貴族だって、使う為ではなく貯める時に場所を取らないようにする為に用いるのだとか。
もはや雲の上の話なのでさっぱり分からない。
金貨が場所取るほど多いってどういうことだよ。
懐から財布を取り出して銀貨を1枚置くと、ちょうどチェスターさんも食べ終わったみたいだった。
「ごちそうさま。メリダさん、幾ら?」
「銀貨1枚と半分だね」
「おお、安い。それじゃありがたく……はい」
「毎度あり!」
メリダさんの元気の良い声を背に食堂を出ていった。
◆ ◆ ◆
チェスターさんと並んで、部屋への道を歩く。
「……チェスターさんって、将来の夢とかあるんですか?」
今日の行商の話を聞いてふと気になったことを尋ねる。
「それはあるさ。僕は世界を見てみたいんだ」
「世界ですか?」
「ああ。もう何年になるかな、僕がまだ商会に入りたての頃に会頭が話してくれたんだけれど。海っていうのは、見渡す限りどこまでも青く、広いんだって。夜明けに太陽の光を反射して輝く海は宝石よりも美しいとか。アリスト王国の北にあるガルシア帝国の北部では、雪っていう氷みたいなものが降るんだって。そういう見たことないものを、僕は見てみたいんだ」
そう語るチェスターさんの目は、子供のようにキラキラと輝いていた。
「そうですか……夢、叶うと良いですね」
「うん。その為にも、出世しなきゃね。偉くなれば、きっと外国にだって行ける」
口に出してみて、再び気を引き締めたのか。
気合を入れるチェスターさんだった。
――その夢が未来永劫叶わなくなることを、この時はまだ知らない。
お読みいただき、ありがとうございました。




