第64話 平和だ。
翌朝、星空ちゃんとロキ、爺を連れて、久しぶりに森の家へ転移した。
以前、一度きれいにした庭には多少の草が入り込んでいたものの、家そのものは無事だった。
問題は、結界の外である。
「……ジャングル?」
見覚えのある森はすっかり別物になっていた。木々は以前よりも高く成長し、太い蔓が幹から幹へと伸び、巨大な葉が幾重にも重なっている。
透明な結界を境に、内側は普通の庭なのに、外側は熱帯雨林も真っ青な状態だ。
「すごい……! これ、全部本物なんですよね?」
「うん。ちょっと肥料を撒いたら、こんなことになっちゃって」
「肥料で!?」
「効きすぎたみたい」
星空ちゃんは目を輝かせ、早速紙と鉛筆を取り出していた。
それにしても、よく育ったものだ。森の方は冒険者組合から手を出さないよう言われているので、どうしようもない。以前の時点ですでに、珍しい植物だけでなく、今まで周辺にいなかった魔物まで集まってきていたのだ。
そんな森を眺めていたところで、ふと思い出した。
「あ。そういえば、竜がいたんだった」
「今頃思い出したのか」
ロキが呆れた顔をする。爺まで苦笑していた。
そうだった。あの竜がいるから、町へ行くときの転移先も変更していたんだっけ。結界の外へ出たら、普通の人なら命が危ない。
「あの、竜ってドラゴンですか?」
「うん。すっごく大きいのがいるよ。見てみる?」
「見たいです!」
即答だった。
「じゃあ、ちょっと交渉してくるから待ってて」
◇
深森竜は、以前とほとんど変わらない場所で眠っていた。
巨大な身体を横たえ、周囲の木々に埋もれるようにしている。相変わらず居心地がよさそうだ。
「おーい、久しぶりー」
声をかけると、ゆっくり片目が開いた。
「ちょっとお願いがあるんだけど、モデルやんない?」
グランヴェルムは、じっと私を見つめている。
「絵を描きたい子がいるんだよね。終わったらまた好きなだけ寝てていいから。お願い」
しばらく動かなかったグランヴェルムは、やがて面倒くさそうに身体を起こした。
おお、引き受けてくれるらしい。
先に立って森の家へ戻ると、巨大な竜はゆっくりとついてきて、結界のすぐ近くに身体を横たえた。
そして、そのまま目を閉じる。
……もう寝るんだ。
「星空ちゃーん、連れてきたよー」
家から出てきた星空ちゃんは、結界の向こうに寝そべる巨大な竜を見て固まった。
「……これが、ドラゴン」
「うん。モデルやってくれるって」
しばらく呆然としていたものの、やがて真剣な顔になり、紙と鉛筆を手に竜がよく見える場所へ移動した。
どうやら、恐怖よりも描きたい気持ちが勝ったらしい。
「ロキ、爺。お茶にしよっか」
爺がお茶を淹れてくれる間に、庭へテーブルと椅子を出し、収納からお菓子を取り出した。
ロキは椅子に腰かけて本を開き、私はお茶を飲みながら星空ちゃんの様子を眺める。
目の前にはジャングル。その手前では巨大な竜が眠り、星空ちゃんが夢中になって鉛筆を走らせている。
うん。平和だ。
◇
星空ちゃんが満足するまで描き終えたところで、グランヴェルムにお礼を言い、私たちは町の近くへ転移した。
久しぶりの町は相変わらず賑やかで、通りには商人の呼び声が響き、店先には色とりどりの商品が並んでいる。
「せっかくだし、買い物してきたら?」
そういえば、食材や日用品もそろそろ買い足しておきたい。ただ、大量に購入するとなると荷物が大変だ。
……そうだ。
収納から地球産のエコバッグを取り出し、試しに家一軒分くらいの収納機能を付与してみる。
「あ、できた」
おお。便利。
「星空ちゃん、これ使って。収納をつけたから、家一軒分くらい入るよ」
「家、一軒……?」
星空ちゃんが不思議そうにバッグを覗き込む。
さらに、まとまったお金を渡した。
「食材とか日用品とか、しばらく買い物しなくて済むように大量にお願い。あと、自分の欲しいものも好きに買ってきていいから」
「えっ、でも、こんなに……」
「大丈夫。お金はあるから、遠慮しないでね」
嬉しそうに頷く星空ちゃんを見て、ロキと爺にも案内をお願いする。
「承知いたしました」
そう答えた爺が、星空ちゃんの持つエコバッグをじっと見ていた。
「……爺もいる?」
「よろしいのですか。でしたら、ぜひ」
妙に嬉しそうだ。
もうひとつ作って渡すと、爺は丁寧に礼を言い、大事そうに受け取った。
そんなに欲しかったんだ。
ロキと爺なら町の店もよく知っているし、星空ちゃんにはレムが用意してくれた翻訳機もある。
三人を見送った私は、冒険者組合へ向かった。
◇
「お疲れー」
「……来たか」
いつもの部屋を訪ねると、ギルは書類の山に囲まれていた。
ずいぶん疲れているように見える。
「王宮から問い合わせが来ている。新しく現れた異星人と聖女召喚についてだ。詳しく聞かせてくれ」
「うん。じゃあ、まず宇宙人の方からね」
椅子に腰を下ろし、北の海で宇宙船を見つけたことから説明を始めた。
「……待て。宇宙船が北の海に沈んでいたのか?」
「うん。引き上げて雪国に移したよ」
「お前、そんなこと一言も言ってなかっただろう!」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「宇宙人が増えたとしか聞いていない!」
そうだったかな。
まあ、今話しているからいいか。
ついでに亡くなった乗組員たちの安置所を雪国に作ったことと、整備主任のミラが宇宙船の修理を試みていることも伝えた。
ギルは額を押さえながら、必要な内容を書き留めていく。
「……お前の周りはどうなっているんだ」
「知らないよ。私が呼んだわけじゃないし」
実際、みんな向こうからやってきたのだ。
ギルは深いため息をつくと、次の書類を取り上げた。
「それで、聖女召喚だが……藤崎愛蘭が相変わらず星空の居場所を聞き出そうとしている」
「星空ちゃんは会いたくないって言ってるからね。居場所は教えないであげて」
「それは分かっている。ただ、聖王国も絡んでいる以上、王宮としては事情を把握しておきたいらしい」
「ああ、それならちょうどよかった。神様から詳しい話を聞いたんだよね」
ギルの手が止まった。
「……神?」
「うん。夢に出てきたの」
私は神様から聞いた聖女召喚の経緯を、ひと通り説明した。
ギルは途中から書き留める手を止め、眉間を押さえていた。
「……それで、その弟子はどうなったんだ?」
「資格も権能も翼も取り上げられて、恐竜大陸に追放されたって」
「……恐竜大陸?」
「あ、そこは今度でいい?」
ギルは何か言いかけたものの、結局黙って続きを促した。
「……確認するぞ。帰れるのは星空だけなんだな?」
「うん。でも、長くいると身体が魔物になっちゃうんだって」
「本人は知っているのか?」
「話したよ。帰れることも、身体のことも。それでも、もう少しこっちで絵を描きたいんだって」
「……そうか。佐藤と聖女の方は?」
「二人は帰れないって。身体をこっちの世界に適応させてあるから、地球には戻せないらしいよ」
「……それを、ほかに誰が知っている?」
「今のところ私だけかな。星空ちゃんにも、二人のことは話してないし」
「……お前なぁ」
両手で顔を覆ってしまった。
いや、私だって昨日知ったばっかりなんだけど。
「そういうことだから、王宮への報告よろしくね。聖王国との話は王宮に任せればいいでしょ?」
「……簡単に言うな」
「だって私、召喚とは関係ないし」
「俺だって関係ないんだが!? なんで冒険者組合の俺が、神の話を王宮に報告しなきゃならないんだ!」
あー、確かに。
ギルも関係ないよね。
でも、王宮から問い合わせが来てるんでしょ?
「じゃあ、王宮に伝えておいてね」
「……結局、俺なのか」
うん。よろしく。
ちなみに今後は蒼い小鳥を通じて神様と連絡が取れるらしい、と伝えたところ、ギルはとうとう天井を見上げてしまった。
星空ちゃんのことは私が面倒を見るけれど、国同士の問題まで引き受けるつもりはない。必要な情報は全部渡したし、あとは王宮に任せるのが一番だろう。
それにしても、ギルは本当に大変そうだ。
「ねえ、ギル。雪国に家作ってあげようか?」
「……家?」
「うん。温泉もあるし、静かでいいところだよ。休みの日にのんびりできるでしょ」
ギルは少しだけ表情を緩めた。
「……それはありがたいが、南の島じゃないのか?」
「え? だってギル、うるさいじゃん」
「誰のせいだと思ってるんだ!!」
ほら、うるさい。
まあ、ギルもそれなりの年齢だろうし、温泉は好きなんじゃないかな。見た目は私より若そうだけど。
エステに行きたければ、携帯で南の島にも行けるんだから十分でしょ。
「じゃあ、今度作ってあげるね」
「……好きにしろ」
ギルは疲れ切った顔で答えた。
よし。決まり。
◇
組合を出てしばらくすると、買い物を終えた三人と合流できた。
「おかえりー。買い物どうだった?」
「すごかったです……。市場に着いた途端、ロキくんを見つけた商人さんたちが、あちこちから集まってきて」
「あー……」
そういえば、以前はよくロキを連れて大量購入していたっけ。
「次々に商品を勧められるし、ほかの露店の人まで呼びに来るし、最初は何事かと思いました」
「おかげで買い物は早く済んだぞ」
ロキは平然としている。爺も、商人たちには大変親切にしてもらったと満足そうだ。
どうやら困惑していたのは星空ちゃんだけらしい。
「でも、すごく楽しかったです! 画材のお店も教えてもらえたので」
星空ちゃんがエコバッグから取り出したのは、大量の紙や筆、色とりどりの顔料が入った小瓶だった。
「こっちの絵の具、石とか宝石から作られてるんですって! 色によって材料が違うらしくて」
「へぇー。地球でも昔はそうだったよね。青い石から絵の具を作ったりとか」
「そうなんです! だから、色々買っちゃいました」
さらに、別の包みを取り出す。
「それと、こんなものも見つけたんです。光の絵筆っていう魔道具らしくて」
見た目は普通の筆だけれど、星空ちゃんが空中で動かすと、その軌跡に沿って光の線が浮かび上がった。
「おおっ!」
さらさらと動く筆先から光が伸び、あっという間に小さな竜の輪郭が現れる。さっき見てきたグランヴェルムによく似ていた。
「すごいね、それ!」
「でしょう? しばらくすると消えるらしいんですけど、面白くて」
さらに、見たものの色を記録して、絵の具で再現するための《色写しの魔石》まで買ってきたらしい。
そんな便利なものが売ってたんだ。
「帰ったら色々試してみたいです」
星空ちゃんは嬉しそうに魔道具をしまい、エコバッグを抱え直した。
私はこれまで、必要なものは大抵魔法でどうにかしていたから、町で売られている魔道具にはほとんど興味がなかった。
でも、探せば色々あるものなんだね。
「ねえ、星空ちゃん。今度、魔道具のお店も見に行こうか」
「いいんですか!?」
「うん。私もちょっと興味出てきた」
嬉しそうに頷く星空ちゃんの隣で、ロキまで興味を示したように顔を上げた。
久しぶりの町だったけれど、なかなか面白い一日になった。
……ギルにとってもいい一日だったかどうかは、考えないことにしよう。




