第62話 夢を見た。
真っ白な空間。どこまでも続く白い床に、見覚えがある。
あー、ここか。
確か、神様に会った場所だったよね。
そう思った途端、遠くからものすごい勢いで誰かが走ってきた。
「由美さまああああああ!!」
神様だった。
しかも、こちらへ向かって全力疾走してきたかと思うと、突然跳躍し、空中で両膝を折り曲げた。
そのまま両手を突き出し、額から床へ滑り込む。
「申し訳ございませんでしたああああ!!」
「おおー。ジャンピング土下座、初めて見たー」
思わず拍手してしまった。
すごい。見事な着地だった。
いや、着地っていうのか、これ。
「それで、聖女召喚の件?」
「ううう……ご迷惑をおかけして申し訳ございません……」
やっぱり。
「で? 何で夢にまで出てきたの?」
「じ、実はですね……先日、由美様のご様子を確認しておりましたところ、おそばに見知らぬ地球人がおりまして……」
「星空ちゃんね」
「はい……。それで、なぜ地球人がもう一人いるのかと調べてみましたら……」
神様はそこで言葉を詰まらせ、さらに額を床へ押しつけた。
「わ、私の弟子が……勝手に召喚を……!」
「あー、なるほど。神様も知らなかったんだ」
「知らなかったんですううう!!」
うわあ。
自分が知らないところで弟子が勝手に人間を三人も異世界へ連れてきて、しかも、それを発見したのが以前の被害者の様子を見ていたときって。
……神様も大変だなあ。
「まあ、とりあえず顔上げたら? そのままだと話しづらいでしょ」
「由美様……!」
神様は涙目のまま顔を上げると、どこからともなく現れた椅子に腰を下ろした。私の前にも同じものが現れたので、とりあえず座る。
さすが神様。家具の出し入れは自由自在らしい。
「三人来たんだけど、二人にはすごい能力があって、星空ちゃんだけ何にもないんだよね。あれってどういうこと?」
「そ、それについても、ご説明しなければならないことがございまして……」
神様は膝の上で両手を握りしめながら、召喚の経緯を話し始めた。
どうやら今回の聖女召喚は、セレス聖王国の神殿が行ったもので、神様の弟子が勝手に介入していたらしい。本来、人間を別の世界へ連れてくるような行為は勝手に許されるものではなく、神様自身も一切承認していなかったという。
「それで、どうして愛蘭ちゃんが選ばれたの?」
「……弟子が、地球にいた頃から気に入っていた藤崎愛蘭を、召喚対象に選んだようでして……」
話を聞いてみれば、その弟子は随分前から愛蘭ちゃんに目をかけていて、本人には気づかれないよう、周囲の出来事に少しずつ干渉していたらしい。
物事が都合よく進むように偶然を重ねたり、邪魔になる出来事を遠ざけたり。
そんなことまでできるんだ、神様の弟子って。
「でも、それってズルじゃない?」
「……はい。本来、神徒が個人の好みで人間の人生に干渉することは許されておりません」
「じゃあ、愛蘭ちゃんはずっと特別扱いされてたわけか」
なるほどねえ。
あの子が妙に自信満々だったのも、これまで大抵のことが自分の思い通りに進んできたからなのかもしれない。
もちろん、だからといって本人の言動まで全部その弟子のせいにはできないけど。
「それで、愛蘭ちゃんを聖女にしたんだ」
「はい……。弟子は召喚の前に藤崎愛蘭へ直接接触し、聖女としてこの世界に来る意思があるか確認していたようです」
「へえ、本人に聞いたんだ」
「はい。この世界にはすでに日本人がいることも伝えており、藤崎愛蘭自身が召喚に同意したそうです」
「ふーん。じゃあ、愛蘭ちゃんは自分で来るって決めたんだね」
「はい……。ですが、召喚の際に、予定外の方が二名巻き込まれまして……」
「星空ちゃんと佐藤さん?」
「はい。お二人には事前の説明も、同意の確認も一切ありませんでした。佐藤圭介には、巻き込んでしまった詫びとして、賢者の能力と、この世界に適応するための処置を施したようです」
なんだか聞き覚えのある話だなあ。
私も神様のお詫びで色々もらったわけだし。
「じゃあ、星空ちゃんは?」
そう尋ねた途端、神様の表情が変わった。
さっきまでおろおろしていたのに、急に口を閉じ、膝の上に置いた手をじっと見つめている。
「……高瀬星空という方については、故意だったようです」
「故意?」
「弟子は、藤崎愛蘭が高瀬星空に強く執着していることを知っておりました。そして、それを快く思っていなかったのです」
愛蘭ちゃんが星空ちゃんに執着しているのは、私も少し話しただけで何となく分かった。
「……この世界には、自然界に魔力が満ちております。地球人の身体は、その魔力を正常に処理できません。そのため、召喚の際には、この境界で肉体を適応させる必要があるのです。ですが、高瀬星空だけは……」
「……何もしてない?」
「はい。弟子は、彼女がいずれ魔力に侵食されると知りながら、あえて処置を行わなかったのです」
……は?
「ちょっと待って。それ、どうなるの?」
「地球人の身体では、長期間魔力を取り込み続けると、次第に肉体そのものが変質してしまいます。最終的には、人間としての姿も失い……魔物になります」
「…………魔物?」
「はい……」
思わず神様の顔を見た。
さっきまで涙目だった神様は、今はひどく沈んだ顔をしている。
「それ、星空ちゃんが魔物になるのを分かってて、放っておいたってこと?」
「……その通りです」
「……殺そうとしたのと同じじゃない?」
「はい」
神様は目を逸らさず、はっきりと答えた。
何も与えなかったんじゃなくて、わざと危険な状態のまま放り出したんだ。
「……その弟子、今どうしてるの?」
「すでに神徒としての資格を剥奪しました。権能も翼もすべて奪い、二度と人間の運命に干渉できないようにしております」
「あー、そりゃ仕方ないね」
「人間の命を、自らの感情で弄ぶなど……決して許されることではありません」
静かな声だった。
最初にジャンピング土下座を披露してくれた神様と同じ人とは思えないくらい、きっぱりとしている。
「それで、その弟子はどうなったの?」
「この世界の、とある大陸へ追放いたしました。神徒としての力を持たない、普通の肉体で生きることになります」
「ふーん。どこに?」
「地球の古代生物である恐竜という、非常に大型で凶暴な生物が多数生息する大陸です」
「……恐竜?」
「はい」
「えっ!? この世界、恐竜いるの!?」
思わず椅子から立ち上がった。
えっ、恐竜!? 本物!?
ティラノサウルスとか、トリケラトプスとか、そういうの!?
「すごーい! え、見たい! 恐竜いるんだ!」
「……あの、由美様。高瀬星空の件ですが……」
「あ、そうだった。星空ちゃんの話だ」
危ない危ない。完全に忘れるところだった。
座り直した私に、神様は少しだけ安心したような顔をした。
「それで、星空ちゃんはどうなるの? 魔物になっちゃうんでしょ?」
「直ちに危険というわけではございません。ただし、通常の魔力環境では、召喚からおよそ一年が限界です。それを超えると肉体への侵食が始まり、やがて魔物化が進行します」
「一年かあ……」
「ですが、ご安心ください。高瀬星空は肉体を改変されておりませんので、元の世界へ戻すことができます」
「えっ、帰れるの!?」
「はい。ご本人が希望されれば、いつでも帰還のための道をご用意できます。境界へ戻られたあとは、そのまま地球へお帰りいただくことになります」
「そっかー! ならよかった!」
「愛蘭ちゃんと佐藤さんは帰れないんだよね?」
「はい。お二人はすでに肉体がこちらの世界へ適応しておりますので、元の世界へ戻すことはできません」
うわあ。
佐藤さん、完全に巻き込まれただけなのに、帰れないんだ。
何だか気の毒になってきた。
「じゃあ、星空ちゃんが地球に帰ったら、もう自由なんだね」
「はい。弟子による干渉も完全に断たれております」
「ただし、帰還までこちらで過ごされる場合には、いくつか注意していただきたいことがございます」
「注意?」
「まず、高瀬星空の身体に、由美様の魔法を直接作用させないでください」
「え、なんで?」
「由美様の魔法は、自然界の魔力を利用するものです。身体に魔法を作用させれば、かえって侵食を早めてしまう恐れがございます」
「ええー……」
便利なはずの魔法が、まさかの逆効果。
まあ、私の魔法も結局はこの世界の魔力を使っているんだから、言われてみればそうなのかもしれない。
「あ、そういえばレムたちは? あの人たちも別の星から来たんだけど、普通に暮らしてるよ?」
「ウルタ星の方々ですね。あの方々は、着用している環境装甲によって保護されています」
「あー、あの銀色の服?」
「はい。未知の環境要因から身体を守る機能が備わっており、この世界の魔力も遮断しています。ただし、装備は着用者個人の生体情報と結びついているため、ほかの方には使用できません」
「ふーん。じゃあ、星空ちゃんには使えないんだ」
「はい。解除や再登録もできない構造になっておりますし、新たに製造するための設備も、現在の宇宙船では使用できないようです」
「あー、壊れてたねえ」
そうだった。ミラが一生懸命修理している最中だもんね。
しかもウルタ星の技術って、私にはさっぱり分からないものばっかりだし。《万能生産》だって、構造も素材も分からなければ作れない。
「また、帰還をすぐには希望されない場合、自然界の魔力が極端に薄い地域で過ごしていただく方法もございます」
「魔力の薄い場所なんてあるの?」
「はい。由美様が以前訪れた、穂月国のある大陸などがそうですね」
「あ、お米の国!」
「……はい。あちらであれば、魔力の侵食を大幅に遅らせることができます」
「どれくらい?」
「状態にもよりますが、召喚から最長で三年ほどでしょうか。ただし、あちらも魔力がまったく存在しないわけではございません。取り込む量が減るだけで、侵食そのものが止まるわけではありませんので……」
「なるほどねえ。まあ、星空ちゃんが帰りたいなら、そんなに長くいる必要もないしね」
結局は、本人がどうしたいかだ。
すぐ帰りたいなら帰ればいいし、もう少しここにいたいなら、期限を守って好きに過ごせばいい。
そのくらいの時間はあるんだし。
「分かった。星空ちゃんには私から話しておくよ」
「よろしくお願いいたします」
「そういえば、神様は星空ちゃんに直接話せないの?」
「はい。私が夢を通じてお話しできるのは、由美様だけなのです。由美様は私が直接こちらの世界へお送りした方ですので、つながりがございますが、あの三名を召喚したのは弟子でして……」
「あー、なるほど。それで私のところに来たんだ」
そういうことなら仕方ないね。
「とりあえず、星空ちゃんが帰りたいって言ったら、ちゃんと帰してあげてね」
「もちろんでございます!」
「じゃあ、神様にどうやって連絡すればいいの? 今日だって、神様が勝手に夢に出てきたんでしょ?」
「……あっ」
神様が固まった。
え、まさか考えてなかったの?
ちょっと不安になってきたんだけど。
「し、少々お待ちください!」
慌てて立ち上がった神様が片手を差し出すと、どこからともなく一羽の小鳥が飛んできた。
透き通るような蒼い羽を持つ、小さな鳥だった。
「わあ、綺麗! 青い鳥だ!」
「はい。この子をお預けいたします。私への連絡役ですので、高瀬星空が帰還を希望された際には、この子にお知らせください」
「へえー。神様って伝書鳩使ってるんだ」
「鳩ではございません……」
そう言いながら、神様は小鳥をこちらへ差し出した。
指先を伸ばすと、蒼い鳥は軽やかに飛び移り、小さく首を傾げる。
可愛いなあ。
「でも、この子どうするの? 夢の中に置いていくわけにもいかないでしょ?」
「ご安心ください。この子は由美様の夢に寄り添う存在です。夢の中で呼びかけていただければ、いつでも現れます。伝言を託していただければ、私へ届きますので」
「なるほど。寝てる間に連絡できるんだ」
「はい。現実の世界へ直接干渉することはできませんが、私へ知らせを届けることは可能です」
「分かった。じゃあ、よろしくね」
小鳥に話しかけると、返事をするようにチチッと鳴いた。
「それでは、由美様。高瀬星空のこと、どうぞよろしくお願いいたします」
神様は深々と頭を下げた。
今度は普通のお辞儀だった。
ちょっと残念。
せっかくなら、もう一回ジャンピング土下座を見たかったなあ。
そんなことを考えていると、指先に止まっていた小鳥がふわりと飛び立った。
真っ白な空間を、小さな蒼い影が軽やかに横切っていく。
その姿を目で追っているうちに、周囲の景色がゆっくりと薄れ始めた。
あ、そろそろ夢が終わるのかな。
さて。
起きたら星空ちゃんに話さないとね。
それにしても、恐竜かあ。
……見たいなあ。




