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46歳、異世界では絶対に働きません。  作者: Tomsug


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第60話 好きなだけ。

 転移した先には、見慣れた青い海が広がっていた。


 大神殿の石造りの建物から一転して、強い日差しと潮の匂いに包まれた星空は、しばらく何も言わずに辺りを見回している。


「ここ、私が住んでる島ね」


「……島」


「無人島だったんだけど、今はそこそこ人いるから、もう無人島って言っていいのか分かんないけど」


 言いながら歩き出すと、星空も慌ててついてきた。


 とりあえず住む場所が必要なので、そのままゲストハウスへ向かう。ミラは雪国へ移ったし、部屋なら空いている。


「ここ使っていいよ」


「ここ……全部ですか?」


「こっちの部屋ね。レムと教授もいるから、一人じゃないよ」


 少し安心したように見えた星空だったが、玄関を開けたところでちょうどレムが出てきた。


「戻ったか」


「ただいま。今日から一人増えるから」


 レムは私の隣にいる星空へ視線を向けた。


「ギルが騒いでいた地球人か」


「そう、そのうちの一人」


「……日本語?」


 星空が目を丸くする。


「あれ? レム、星空ちゃんと普通に話せるんだ」


「翻訳機が対応している」


「じゃあそれ、星空ちゃん用にも作れない?」


「作れる。船から持ってきた部品がある」


 もっと早く気づけばよかった。


 レムが持っていた部品をいくつか組み合わせ始めたので、星空は状況についていけないまま隣で見ている。しばらくして渡されたのは、機械というよりアクセサリーにしか見えない、細いマットシルバーのイヤーカフだった。


「これが翻訳機なんですか?」


「そうだ」


 レムが仕組みを説明し始めたけれど、音声だの解析だの変換だのと言われてもよく分からない。


「要するに、これつければ誰とでも話せる?」


「対応可能な言語であれば」


「なら大丈夫」


 星空が恐る恐るイヤーカフをつけると、レムは一度こちらを見てから、わざと現地の言葉へ切り替えた。


「聞こえるか」


 星空の目が大きくなる。


「……日本語に聞こえます」


「正常に機能している」


 星空は耳元に触れながら、確かめるようにレムを見る。


「本当に、日本語に聞こえる……」


 その顔を見ているうちに、ひとつ気になったのでイヤーカフを外してもらった。


「ちょっと貸して」


 手のひらに載せ、《万能魔法》で使用者を星空だけに限定する。これなら、他の誰かが持っていっても意味がない。


「はい。これで星空ちゃん以外がつけても使えないから」


「そこまでするんですか?」


「念のため」


 レムがイヤーカフへ視線を落とした。


「使用者を固定したのか」


「うん」


「そうか」


 理由を聞かないところがありがたい。


 星空は少し不思議そうにしていたものの、もう一度イヤーカフを耳につけた。


「これで私いなくても話せるね」


 そう言うと、星空は一瞬だけ黙ってから、小さく頷いた。


◇


 荷物らしい荷物もほとんどなかったので、部屋を決めたあとは島を軽く案内することにした。


 隣に住んでいるロキと爺のことや、ヴェラの家、私のヴィラをざっくり教えながら海沿いを歩き、最後に東屋へ向かう。


「あそこは水槽」


「水槽?」


「レムが作ったやつ」


 正確には私が水槽を作って、レムがいろいろ追加したものだけれど、細かいことはいい。


 東屋へ入った星空は、水槽を見た途端に立ち止まった。


 砂と岩の間を小魚の群れが抜け、その向こうを大きなクラゲがゆっくり漂っている。浅瀬には小さな生き物が集まり、深いところでは青白く光る何かが動いていた。水面近くでは飛魚が跳ね、そのさらに奥には、縮んでいるとはいえどう見ても普通ではない形の生き物がいる。


「……これ、水槽なんですか?」


「一応」


「一応……」


 星空はそのまま黙り込み、しばらく水槽の前から動かなかった。


 気に入ったのかなと思って横顔を見ていると、やがてこちらを向く。


「あの…これ、描いてもいいですか?」


「いいんじゃない?」


「本当に?」


「うん。紙いる?」


 星空が頷いたので、《無限収納》から紙と鉛筆に消しゴム、それから適当な雑誌を取り出して渡した。


「これ、下敷き代わりね」


「……雑誌?」


「うん」


 星空は表紙を見て、それから私を見る。


「これ、日本のですよね?」


「神様のお詫び」


「……お詫びで雑誌?」


「まあ、細かいことはいいんだよ」


 星空はまだ何か聞きたそうだったものの、とりあえず雑誌を膝に載せ、その上に紙を置いた。


 最初は水槽全体を眺めていたけれど、ほどなく鉛筆が動き始める。


 何度も水槽を見ては描き、少し消して、また描く。そのうち私が隣にいることも気にならなくなったらしく、すっかり集中していた。


「じゃあ私、戻るね」


「え?」


「好きなだけ描いてていいよ」


「あ……はい」


 そう言って、私はヴィラへ戻った。


◇


 しばらくして東屋へ戻ると、人数が増えていた。


 星空のそばにはロキがいて、その反対側から教授が紙を覗き込んでいる。レムも水槽の前に立っていて、なぜか全員で一枚の紙を囲んでいた。


「何してるの?」


「由美、見ろ」


 ロキが嬉しそうに紙を差し出してくる。


 そこには水槽の中にいる生き物が描かれていた。さっき星空が描き始めていたものだと思うけれど、私が見た時よりずっと細かくなっている。


 体の形だけじゃなく、ひれの付き方や模様まで分かる。


「上手いね」


「だろう」


 なぜかロキが得意そうだった。


「本に載っていないものもいるからな。これなら形が残せる」


 そう言って、ロキは自分が持ってきた本を開いた。いつものように、水槽と見比べていたらしい。


「レムの記録と合わせれば図鑑にできる」


「図鑑?」


「この惑星の生物記録としても有用だ」


 教授まで当然のように話へ加わっている。


 レムも否定する気はないらしく、星空の絵を見ながら頷いた。


「映像記録とは別に、特徴を抽出した図版があるのは悪くない」


 いつの間にそんな話になったのか知らないけれど、星空を見ると、三人に囲まれながら少し困ったような顔をしていた。


「星空ちゃん」


「はい」


「嫌ならやらなくていいからね」


 ロキがこちらを見る。


「嫌なのか?」


「本人に聞かないと分かんないでしょ」


 そう言うと、ロキも星空を見た。教授もレムも黙り、急に全員から注目された星空は少しだけ目を泳がせたものの、やがて手元の絵へ視線を落とす。


「……やりたいです」


「そっか」


「描きたいです。もっと」


 今度は、さっきよりはっきりしていた。


「じゃあ描けばいいんじゃない?」


 別に期限もないし、全部描かなきゃいけないわけでもない。好きな時に、好きなだけやればいい。


 ロキはすでに次に描いてもらう生き物を探すように水槽を覗き込み、教授とレムは記録をどうまとめるか話し始めている。


 星空はそんな三人を見てから、もう一度紙へ目を落とした。


 今度は、少し笑っていた。


***


 高瀬がいなくなったあとの部屋は、妙に静かだった。


 佐藤は向かいに座る藤崎を見ながら、先ほどまでとは違う空気を感じていた。


「まあ、少し離れたら星空も落ち着くと思います」


 藤崎はいつも通りの笑顔を浮かべている。


「田中さんも、そのうち困ると思いますよ。星空、本当に何もできないから」


「高瀬さんは、何もできないわけではないでしょう」


 そう返すと、藤崎は少し不思議そうな顔をした。


「でも、魔法もないですよ?」


「そういう意味ではありません」


「ああ……でも、こっちの言葉も分からないし」


 佐藤はそれ以上言わなかった。何を言っても、今の藤崎には伝わらない気がした。


 しばらくして神官が部屋へ入ってきて、机の上に飲み物を置く。藤崎はそちらへ手を伸ばしかけ、


「星空、それ――」


 途中で止まった。


 誰も答えない。


 藤崎は何事もなかったように自分で杯を取り、そのまま口をつけた。


「……大丈夫かな、星空」


 少しして、ぽつりと呟く。


「知らない人のところに行っちゃって。田中さんに迷惑かけてなきゃいいんですけど」


 そう言いながら、藤崎は親指を口元へ運んでいた。


 爪を噛んでいる。


「藤崎さん」


「なんですか?」


「爪、噛んでますよ」


「え?」


 指摘されて初めて気づいたらしく、藤崎は慌てて手を下ろした。


「あ……昔からの癖なんです」


 そう言って笑う。


 佐藤は何も言わなかった。


 話題はそのまま今後のことへ移り、神殿側から説明された聖女としての予定を確認していく。藤崎はいつも通り受け答えをしていたし、笑顔も崩れていない。


 ただ、しばらくするとまた、親指が口元へ上がっていた。


 高瀬のいなくなった部屋で、藤崎は無意識に爪を噛んでいた。

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