第56話 生きてた。
なんとなく温泉に入りたくなった。
そういえば、レムはまだ雪国の温泉へ連れていったことがない。
「温泉行くけど、レムも行く?」
東屋へ向かおうとしていたレムが足を止め、こちらを振り返る。
「温泉とは、地下から湧出する高温の地下水を利用した入浴施設か」
「たぶんそれ。うちのは魔力が濃いらしいけど」
「魔力?」
「竜脈に穴開けちゃったから」
レムがじっとこちらを見る。
「それは興味深い」
「じゃあ行く?」
「同行する」
温泉に入るだけなのに、研究へ行くみたいになった。
水着は向こうで作ればいいので、そのまま雪国温泉へ転移すると、南の島の景色が一瞬で白い雪原へ変わった。
その直後、隣にいたレムの端末が短い音を鳴らす。
「……信号を検出した」
足を止めたレムが端末を操作し始めたので、何の信号かと尋ねると、少しして顔を上げた。
「私が乗っていた船だ」
「宇宙船?」
「ああ」
この世界へ飛ばされたあとも、レムが乗っていた宇宙船の位置は分からないままだった。
「近くにあるの?」
「この位置なら信号を受信できる。南の島では届かない強度だ」
レムが方角を確認している横で、露天風呂には今日もリアがいた。縮んだ身体を仰向けにして、いつも通り気持ちよさそうにぷかーっと浮いている。
「リアー。久しぶり」
少しだけ頭がこちらを向く。
ひさしぶり。
それだけ伝えると、リアはまたゆっくり湯の上を流れていった。
相変わらずである。
その姿を見たレムの視線が、端末からリアへ移る。
「この生物は?」
「リア。私がテイムしてるから、獲らないでよ」
「まだ採取するとは言っていない」
「顔が言ってる」
レムは否定せず、湯に浮かぶリアへ視線を戻した。
「非常に珍しい個体だ」
「でしょうね」
そのまま眺めていたレムが、ふと海の方角へ目を向けると、リアもこちらを見た。
前に、なんか落ちた。
「落ちた?」
海。
「……もしかして、あっち?」
そう。
リアの声は私にしか伝わらないので、そのままレムへ伝えると、端末を操作していた手が止まった。
「この個体と意思疎通もできるのか」
「私にだけ伝わるみたい。テイムしてるからかな」
「興味深い」
今度はそこか。
「リア、その落ちたやつ、どこにあるか分かる?」
分かる。
「案内できる?」
できる。
温泉に入りに来ただけだったはずなのに、なぜか海へ行くことになった。
リアが湯から上がって先に向かったので、私とレムも海岸まで転移する。海へ入ったリアは、そのまま本来の大きさへ戻った。
隣でレムが止まる。
「……この大きさが本来の姿なのか」
「うん。リヴァイアサンだから」
レムは何も言わず、沖へ進んでいくリアを目で追っていた。
さっきより明らかに興味が増している。
私たちも周囲に結界を張ってリアのあとを追い、光の届かない深さまで降りた頃、前を泳いでいた巨体が速度を落とした。
下。
言われた方へ照明を向けると、暗い海底に大きな影が浮かび上がった。
砂と泥に半ば埋まりながら横たわるそれは、どう見てもこの世界の船ではない。
レムが動きを止めた。
「私の船だ」
「これ?」
「ああ」
しばらく船体を見つめていたレムは、端末を操作しながら近づこうとした。
「内部を確認する」
「ここで?」
「そうだ」
海底で巨大な宇宙船を調べるらしい。
できないことはないけれど、暗いし、水の中だし、何より面倒くさい。
「これ、上に出した方が早くない?」
振り返ったレムが一度船を見る。
「船をか」
「うん」
「可能なのか?」
「たぶん」
雪国なら人もほとんど来ないし、温泉の近くには何もない広い平原がある。
宇宙船全体を指定して転移させると、目の前から巨大な船体が消えた。
何もなくなった海底を見ていたリアから、ぽつりと伝わってくる。
なくなった。
「雪国に置いた」
そう。
納得したらしいリアは、そのままくるりと身体の向きを変えた。
「帰るの?」
おふろ。
どうやら仕事は終わったらしい。
私とレムも雪国へ戻ると、白い平原の真ん中に巨大な宇宙船が横たわり、船体から流れ落ちた海水が雪の上へ広がっていた。
「これなら調べやすいでしょ」
「……そうだな」
レムは宇宙船へ近づくと端末を操作し始めたが、しばらくしてその手が止まった。
「生命反応がある」
「え?」
「二つ」
中へ入ってみると、船内はかなり損傷していたものの、すべての機能を失っているわけではなかった。
レムが反応を追って進んだ先には、いくつもの装置が並ぶ区画があり、そのうち二基だけが動いている。
透明な蓋の向こうには、一人ずつ人がいた。
一人は女性で、もう一人は老人のようだった。
「生きてる?」
「生命維持状態にある」
私も《鑑定》と《万能解析》を使ってみたところ、二人とも生きていた。状態も安定しているようなので、わざわざこの場で起こす必要はなさそうだ。
「これごと持ってけばいいんじゃない?」
「ポッドごとか」
「その方が安全でしょ」
「同意する」
宇宙船はそのまま雪国へ置いて、二基のポッドだけを南の島へ転移させることにした。
砂浜に平らな床と屋根を作り、その下へ二基を並べていると、ほどなくロキと爺がやってきた。
「何それ」
「レムの宇宙船にいた人。二人とも生きてるみたい」
ロキが透明な蓋の向こうを覗き込み、その後ろから爺も静かに二基を確認する。
「坊ちゃま、まだどのような装置か分かりません。少々離れておきましょう」
「分かってる」
そう言いながら、ロキは離れなかった。
まあ、気になるよね。
レムが端末を接続して中の状態を確認し始めると、爺はそれ以上口を挟まず、ロキのそばに立ったまま様子を見守っていた。
◇
しばらくして、まず女性の入っているポッドが開かれた。
目を覚ました女性はしばらくぼんやりしていたものの、知らない場所にいると気づくとすぐに周囲を確認した。
その視線が私のところで止まった瞬間、首元の装置が淡く光り、聞き覚えのない短い電子音が流れる。
「ここは?」
「別惑星だ」
レムの説明は短かったが、女性は取り乱すこともなく、ゆっくり身体を起こす。
「私はレム=アーディス=ヴァル=セクター28。生物調査を担当している」
「ミラ=カーディス=レイ=セクター31。整備主任だ」
「田中由美」
どうやらレムとミラは、顔を合わせるのは初めてらしい。
ミラは自分の腕や身体の状態を確かめると、すぐに船のことを尋ねた。
「船は?」
「雪原へ移動させた。損傷の詳細はまだ確認していない」
短く息を吐いたミラは、自分の端末を起動する。
「空間異常が発生したあと、機関部の保全を優先した。航行系が落ちて、もう手がないと判断してポッドへ入ったところまでは覚えている」
最後まで船の対応をしていたらしい。
そのまま端末に残った記録の確認を始めたミラを横目に、今度はもう一基のポッドを開くことになった。
蓋が上がり、中にいる老人の顔がはっきり見えた瞬間、隣にいたレムが固まる。
「ノル=エルディア=ヴァス=セクター12……!」
いつもより明らかに声が大きい。
「なんてことだ。本人だ。宇宙生物学の第一人者が生存している。これは奇跡だ。彼の研究はウルタ星の生物分類体系そのものに――」
「レム、めっちゃ喋るじゃん」
「彼は――」
「うん、すごい人なのは分かった」
まだ本人は寝ているのに、レムだけがものすごく興奮している。
こんな姿を見るのは初めてだった。
それから少しして、老人がゆっくり目を開ける。
「……∴Λ≠※∫∆……」
何を言っているのか、さっぱり分からない。
けれどレムには通じたらしく、さっきまであれほど喋っていたのが、ぴたりと黙った。
教授はまだぼんやりしている様子だったものの、しばらくすると周囲を見回し、私のところで視線を止める。
その瞬間、身体につけられた補助装置の一部が淡く光り、短い電子音が鳴った。
「君は?」
「田中由美」
教授は少しだけ目を細めると、今度はレムへ視線を向けた。
「私はレム=アーディス=ヴァル=セクター28。生物調査を担当している。あなたの研究記録はすべて読んでいる」
「そうか」
温度差がすごい。
今度はこちらを見た教授に場所を聞かれたので南の島だと答えると、続けて惑星名を尋ねられた。
「知らない」
教授が少し黙る。
「私は地球人だから」
「地球人?」
「色々あってここにいるの」
説明すると長いので、それで済ませた。
「呼び方、教授でいい?」
「構わん」
それで決まり。
教授が身体を起こすと、ポッドに収められていた小型の移動補助装置が展開した。自力で立つことはできるようだが、長く歩くのは難しいらしく、慣れた様子で床すれすれに浮かぶ椅子へ移る。
座った途端、すーっと動いた。
「それ便利だね」
「移動補助装置だ」
「私も欲しい」
横にいたミラがこちらを見る。
「歩けるだろう」
「歩けるのと歩きたいのは別だから」
何も言われなかった。
教授はそんなやり取りには興味がないらしく、すぐにレムへ視線を戻した。
「この惑星の生物相は?」
「未分類個体を多数確認している。海洋生物の観察施設もある」
その一言で、教授の目が変わった。
「見せてくれ」
「もちろんだ」
あ。
この二人、絶対気が合う。
そのまま二人が東屋へ向かったので、私はようやく別の問題を思い出した。
ゲストハウスはもともと一人が泊まるために作ったもので、今はレムが使っている。当然、あと二人分の寝室なんてない。
その場で寝室を二つ増築してから東屋へ向かうと、教授は浮遊式の移動補助装置に乗ったまま、水槽へ張りつくように中を覗き込んでいた。
さっきまでポッドで眠っていたよぼよぼのお爺さんとは思えないほど、目がキラキラしている。
「この個体は?」
「アビスクラーケン。成体だ」
「成体をこの大きさまで縮小しているのか」
「ああ。こちらは深海性の――」
「興味深い。記録を見せてくれ」
「すべてある」
めちゃくちゃ元気じゃん。
巨大クラゲや大きなサメ、よく分からない深海生物が泳ぐ水槽を前に、教授の目はますます輝いている。
しばらく戻ってこなさそうなので、二人はそのまま放っておくことにした。
温泉に入りに行っただけなのに、宇宙人が二人増えた。
まあ、いいか。




