第6話 買い物に行きたくない
組合の二人が帰った日の夕方、晩ご飯を考えながら冷蔵庫を開け、しばらく中を眺めた。
「……ないな」
正確には、何もないわけではない。
卵が二個。使いかけの玉ねぎが半分。牛乳はコップ一杯あるかどうかで、葉物野菜はもうない。肉も魚もほとんど食べてしまい、冷凍庫に残っていた大容量のたこ焼きも、一食分には足りないくらいしか残っていなかった。
異世界へ来て七日目。最初の二日ほどは冷凍弁当や冷凍食品を食べ、その後も普通に三食使っているうえ、三日前からはロキが一人増えている。十歳児とはいえ普通に食べるので、一人暮らし用に買ってあった食料が減るのは当然だった。
《無限収納》を確認すると、米やパスタ、うどん、そうめんなどの乾麺はまだある。トマト缶やツナ缶、レトルト食品も残っているし、冷凍していたチーズや鰹節、調味料の類もしばらく困らない。
生きてはいける。
ただ、このままだとそのうち炭水化物に缶詰を乗せて食べる日々になる。
「それは嫌だな」
せっかく働かなくていい生活になったのに、食事まで貧しくする必要はない。森で採った果物はまだあるものの、卵も野菜も肉も欲しいし、できれば牛乳も補充したかった。
ダイニングテーブルにいたロキへ目を向ける。
「明日、町行こうか」
突然言われたせいか少し驚いた顔をしたものの、嫌そうではなかった。
「食べ物なくなってきたから、買い物したいんだよね。ついでに昨日言ってた身分証も作ればいいし」
町へ行くなら何を着ようかと考えながら収納を開きかけ、そこで手が止まった。
「……あ」
ロキがこちらを見る。
財布はあるし、現金も多少入っている。ただし、全部日本円だった。
「お金ないじゃん」
異世界の通貨は一枚も持っていない。
今まで金を使う機会がなかったので、完全に忘れていた。
日本から持ってきた物を売る手もあるにはあるが、こちらでは二度と補充できない物ばかりなので、最初から手放したくはない。
「何か売らないと駄目か」
収納の中を見ても、売って惜しくない物は思いつかなかった。
ふと、窓の外を見る。
森がある。
「ロキ。この森って、食べられる魔物いる?」
「いる」
「倒せる?」
「倒せる」
迷いのない返事が返ってきた。
そういえば魔族なのだから、魔法くらい使えるのかもしれない。
「じゃあ、一匹お願いしていい?」
ロキは少しだけ首を傾げたものの、そのまま頷いた。
日が暮れるにはまだ時間があったので、二人で森へ入ることにした。自分とロキの周囲に防虫結界を張り、昨日バルドから聞いた話を思い出しながら木々の間を進んでいく。
奥へ行くほど魔物が増えるらしいので、わざわざ深くまで行く必要はない。ロキは迷う様子もなく先を歩き、ときどき足を止めて周囲を見ながら方向を変えていた。
しばらくすると、その背中が止まった。
「いる」
「どこ?」
示された先を見る。
最初は木の陰かと思ったが、黒っぽい塊がゆっくり動き、太い脚が見えたところで、それが生き物だと分かった。
猪に似ている。
ただし、大きさがおかしい。
四本の脚で立っているのに背中は私の胸よりずっと高く、頭まで含めれば小型車くらいありそうだった。口元から伸びた二本の牙も、包丁どころではない。
「……でかくない?」
隣を見ると、ロキは特に驚いていなかった。
「普通」
「魔物ってこんな大きいんだ」
初めて見たので基準が分からない。
あれを肉にするのかと思いながら眺めていると、向こうもこちらに気づいたらしく、低い唸り声を上げて地面を掻き始めた。
「来る?」
「来る」
そう言ってロキが一歩前へ出た。
逃げなくていいのかと思った直後、小さな手の前に黒紫色の光が集まり、そのまま細い槍のように伸びる。
何が起きたのか分からないうちに魔物の頭へ突き刺さり、巨体が横へ倒れた。地面がどすんと揺れ、舞い上がった枯れ葉がゆっくり落ちていく。
「……早いね」
ロキは当たり前のような顔をしている。
魔族というのは、結構魔法が得意なのかもしれない。
近づいて《鑑定》を使うと食用可能と表示され、肉だけでなく皮や牙、骨、内臓の一部にも素材としての利用価値があり、体内には魔石まであるらしい。
「へえ」
これはかなり使える。
死体へ直接触るのは嫌なので、そのまま《無限収納》へ入れて《万能生産》を使う。
解体と血抜き、可食部位の分別に加え、皮は洗浄して鞣し、牙や骨、魔石なども用途別に分けるよう指定すると、しばらくして収納内の表示がきれいに整理された。
肉だけで百キロを軽く超えている。
「……一匹でよかったな」
むしろ多い。
収納内では時間が止まっているので腐る心配もなく、これだけあれば肉については当分買わずに済みそうだった。
鞣しまで終えた革もきれいに畳まれている。《万能生産》で加工可能なものを確認すると、鞄や財布、靴、ベルト、衣類までいくらでも候補が出てきた。
「バッグも作れるじゃん」
作る必要があるかは別として。
今欲しいのはバッグではなく金である。
「こういうのって、町で売れる?」
倒れた魔物がいた場所を指しながら聞くと、ロキは頷いた。
「組合で買う」
「冒険者組合?」
また頷く。
昨日ギルが来た場所なら、ちょうど身分証も作れる。肉だけ残して、皮や牙、骨、魔石などは全部売ればいい。
帰り道では夕食にどこの肉を使おうか考えながら歩き、家へ戻る頃には明日の予定も決まっていた。
身分証を作って、素材を売り、その金で生鮮食品を買う。
やることはそれだけなのだが、家に入ってソファを見ると、一気に外出したくなくなる。
「……買い物、行きたくないな」
とはいえ、卵も牛乳も野菜も向こうから歩いては来ない。
◇
翌朝、いつもより少しだけ早く起きたものの、ソファでコーヒーを飲んでいるうちに、このまま今日は行かなくてもいいのではないかという気持ちは順調に育っていた。
「……行くか」
昨日の冷蔵庫を思い出して諦める。
朝食を済ませ、ロキと一緒に家を出た。結界を閉じて森を抜けていくと、やがて木々の向こうに石造りの壁が見えてくる。
初日に遠目では見ていたものの、中へ入るのはこれが初めてだった。
入口には門番らしい人がいたが、出入りする全員を止めているわけではなく、こちらも軽く見られただけでそのまま通された。
中には石や木でできた建物が並び、道沿いには店が続いている。荷車を引く人や荷物を抱えた人、剣を下げた人まで混ざっていて、森とは違ってかなり賑やかだった。
今のところ観光する予定はない。
「組合、どこだろ」
昨日ギルから大体の場所は聞いていたので、大きな通りを進んでいくと、それらしい建物はすぐに見つかった。
扉を開けると中にはいくつか受付が並び、武器や防具を身につけた人たちが出入りしている。場違いな気はするものの、買い物をするにはまず金がいる。
空いている受付へ向かおうとしたところで、奥から見覚えのある男が出てきた。
「あれ、昨日の」
「由美さん?」
ギルだった。
「来たんですね」
「食料がなくなってきたので」
「……なるほど」
何か別の理由を想像していたような顔をされた。
「身分証を作りたいのと、素材ってここで買い取ってもらえるんですよね?」
「ええ。冒険者登録をしなくても、素材の買い取りはできますよ」
それは助かる。
冒険者になる気はない。仕事になるから。
ギルに案内され、まず身分証の手続きを始める。名前や年齢などを確認されたものの、出身地については少し困った。
「遠いところです」
嘘ではない。
かなり遠い。というか世界が違う。
ギルは一瞬こちらを見たものの、それ以上は聞かなかった。
簡単な手続きを終えたところで発行料が必要だと言われ、まだ一枚も金を持っていないので、先に素材を買い取ってもらうことになった。
「何をお持ちですか?」
「昨日、森で大きい猪みたいなのを一匹」
《無限収納》から牙を取り出して受付の机へ置くと、ギルの動きが止まった。
「……これを?」
「はい」
「一匹?」
「一匹です」
続けて魔石を出すと、近くにいた別の職員までこちらを見る。
「皮もあります。あと骨とか、そのほか使える素材も全部あります」
まとめて買い取ってもらえるなら、その方が早い。
肉以外は全部売ることにすると少し広い場所へ案内され、鞣しの終わった革や牙、骨、魔石、そのほか《万能生産》が素材として分けてくれたものを順番に並べていった。
途中からギルが黙った。
呼ばれてきた買い取り担当らしい男性も、革を持ち上げて裏側まで確認したあと、しばらく何も言わなかった。
「……処理済み?」
「はい」
「誰がこれを?」
「私です。というか、能力で」
男性は今度は牙や骨まで確認しながら、何度か小さく息を吐いた。
「傷がほとんどない。鞣しも均一ですし、ほかの素材も状態がいい。このまま全部買い取れます」
「じゃあ、お願いします」
「全部ですか?」
「使わないので」
必要になれば、また材料を手に入れればいい。今欲しいのは革ではなく金だった。
査定を待つ間、隣に立っているロキを見る。
「これで野菜買えるかな」
「買えると思う」
「牛乳も?」
「たぶん」
その程度買えれば十分である。
しばらくして提示された金額を聞いたものの、この世界の物価を知らないので多いのか少ないのか分からなかった。
「これって、食料どれくらい買えます?」
ギルが少し考える。
「普通の食材なら、かなり余裕がありますよ。しばらくは困らないと思います」
「そんなに?」
思っていたより金になるらしい。
肉を残したうえでこの額なら十分だった。
「……魔物ってお金になるんだ」
身分証の発行料をそこから引いてもらい、残った硬貨は《無限収納》へ入れる。
これでようやく買い物ができる。
組合を出ると、通りには野菜や果物を並べた店がいくつもあった。卵を見つけ、その近くで牛乳らしきものを確認すると、さっきまでの面倒くささが少しだけ薄れる。
「あるじゃん」
野菜も見覚えのあるものと初めて見るものが混ざっているが、《鑑定》すれば食べ方は分かる。葉物や根菜、卵、牛乳、パン、乳製品を順番に買い、果物もいくつか追加した。
家には米も乾麺も缶詰もあるうえ、肉は大量に確保してあるので、今回は足りなくなっている物だけでいい。一週間分ほど揃えたところで、買い物はだいたい終わった。
「他に食べたいものある?」
ロキは少し迷ってから、店先へ目を向けた。
視線の先には焼き菓子が並んでいる。
「買おうか」
小さく頷いたので二つ買い、一つをその場で渡す。自分の分もかじってみると、蜂蜜らしい甘さが広がった。
「……おいしい」
そういえば、これを求めて森へ果物を探しに行ったのだった。
甘いものを探しに出て、ロキが増え、魔物を一匹倒して、ようやく町で焼き菓子を買っている。ずいぶん遠回りした気がする。
買った物をすべて《無限収納》へ入れ、そのまま門へ向かう。町そのものが嫌なわけではないし、食べ物も甘いものもある。ただ、人が多い。
「帰ろっか」
「うん」
肉はあるし、野菜も卵も牛乳も一週間分は買えた。生活費もまだかなり残っているので、とりあえずしばらくは困らない。
そのことが、今日一番うれしかった。




