第54話 ちょっとそこまで
テラスから海の方を見ると、水槽の前にヴェラがいた。
いつ来たんだろう。
近づいていくと、椅子に座って水槽の中を泳ぐ巨大魚を眺めている。隣には酒まで置いてあった。
「来てたんだ」
「ああ。少し前にね」
ヴェラはグラスを傾けながら、水槽の中へ目を戻した。
「相変わらずすごいねえ、ここは」
「なんか増えてる?」
「増えてる気もするけど、もう分からないよ」
「私も」
最近はほとんど確認していない。
結界の中で勝手にやっているなら、それでいい。
「レムは?」
「なんか採りに行った」
「何をだい?」
「知らない」
朝から何か装備を持って出ていったので、そのうち帰ってくるだろう。
ヴェラも特に気にしなかった。
しばらく二人で水槽を眺めていたものの、天気もいいし、海も穏やかだった。
「どっか行く?」
なんとなく聞くと、ヴェラがこちらを見る。
「いいねえ。どこへ?」
「決めてない」
「じゃあ海でも見て回るか」
「そうしよう」
行き先はそれから決めればいい。
私は適当に海の上へ転移した。
◇
いくつか島を見て回ったあと、ちょうど良さそうな小島を見つけた。
砂浜はほとんどなく、岩と草地が広がっている。中央には低い木まで生えていて、遠くから見れば普通の無人島だった。
「ここでいい?」
「静かでいいじゃないか」
島へ降り、日除けと椅子とテーブルを出す。
ヴェラは当然のように酒を置いた。
「昼だけど」
「休みなんだろ?」
「うん」
「なら問題ない」
そういうものらしい。
せっかくなので私も飲み物を出し、海を眺めながらだらだらする。
風も気持ちいい。
人も来ない。
何もしなくていい。
いい場所を見つけたかもしれない。
しばらくして、ヴェラが海の向こうを見ながら首を傾げた。
「由美」
「ん?」
「あの島、さっきより遠くないかい?」
言われて見る。
少し離れたところに見えていた小さな島が、確かにさっきより遠い。
「……ほんとだ」
「潮か?」
「そんなに流される?」
「普通は島は流されないねえ」
それもそうだ。
立ち上がって周囲を見ると、反対側にあった陸地の位置まで変わっている。
島が動いていた。
「動いてるね」
「動いてるねえ」
一応、《万能解析》を使う。
目の前に情報が表示された。
少し読む。
もう一度読む。
「……ヴェラ」
「なんだい?」
「これ、島じゃない」
「そうなのかい」
「亀」
ヴェラの手が止まった。
「亀?」
「うん。古代海獣だって」
二人で足元を見る。
土がある。
草も生えている。
木まである。
どう見ても島だった。
「ずいぶん大きい亀だねえ」
「昔、大陸支えてたみたい」
今度こそ、ヴェラがこちらを見た。
「大陸?」
「小人族の大陸」
解析結果をもう少し読む。
この亀は昔、巨大な象たちごと小人族の大陸を支えていたらしい。
今は後継に役目を譲り、引退して海を漂っている。
「……引退したって」
「そうかい」
「今は隠居中」
「長く働いたんだろうねえ」
「たぶん」
ヴェラはしばらく足元を見たあと、海へ視線を戻した。
「危なくはないのかい?」
「ないみたい。大人しいし、潜る予定もないって」
「ならいいか」
グラスを持ち直す。
「飲もう」
「いいの?」
「何がだい?」
「大陸支えてた亀の上だけど」
「もう引退してるんだろ?」
「うん」
「じゃあ今はただの亀じゃないか」
「ただの亀かなあ」
私より受け入れるのが早い。
ヴェラは別に非常識な人ではない。
むしろ普段はかなりまともな方だと思う。
ただ、どうにもならないことが起きると、まず飲む。
「せっかくだ。動くなら景色も変わるだろ」
「あ、それはそうかも」
「観光船だと思えばいいさ」
「亀だけど」
「似たようなもんだ」
絶対違う気がする。
でも、景色は悪くない。
亀はゆっくり海を進み、さっきまで見えていなかった島々が少しずつ現れてくる。
私は椅子へ座り直した。
「じゃあ、もう少しいる?」
「ああ。酒もまだある」
結局そのまま、元・大陸支え亀の上で夕方近くまで過ごした。
帰る頃になって、ふと思う。
「これ、引退したってことはさ」
「ん?」
「今もどこかに現役がいるってことだよね」
ヴェラが酒を飲む。
「いるんじゃないかい」
「小人族の大陸も?」
「たぶんねえ」
少し気になった。
気にはなったけれど、探しに行くほどではない。
「まあ、いっか」
「そうだねえ」
今日はもう十分遊んだ。
椅子とテーブルを片づけ、ヴェラと一緒に南の島へ転移する。
ちょっとそこまで出かけただけなのに、元・大陸支え亀に乗って帰ってきた。
まあ、そんな日もある。




