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46歳、異世界では絶対に働きません。  作者: Tomsug


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第51話 水槽です。

次の日。


 東屋の水槽は、昨日より明らかに賑やかになっていた。


 海藻の間を小さな魚の群れが横切り、水面近くでは細長い魚が勢いよく飛び出している。岩陰には蟹が何匹か集まり、その向こうを大きなサメ――だったらしいものがゆっくり泳いでいた。


 水槽の真ん中には、いつの間に作ったのか小さな浮島まである。


「島まであるんだけど」


「水面付近の生態も必要だ」


 レムは普通に答えた。


 必要なのか。


 よく分からないけど、昨日より水槽らしくなくなったことだけは分かる。


 ロキは朝からまた水槽の前にいて、その後ろには爺がいる。フックも少し離れたところで、釣ってきたらしい魚をじっと見ていた。


 また入れる気だ。


 まあ、好きにすればいい。


 私はソファへ戻ろうとしたところで、携帯が反応した。


『由美』


 ギルだった。


「なに?」


『今からエステへ行く』


「どうぞ」


 連絡はそれだけだった。


 わざわざ言わなくても来ればいいのにと思ったものの、たぶん気を使っているんだろう。


 少しして島に現れたギルは、今日は仕事ではないらしく、いつもの組合の格好より少し軽い服装をしていた。


「おはよ」


「ああ」


 そのまま隣島のエステへ向かうのかと思ったが、途中で足が止まる。


 視線の先には東屋があった。


「……あれは何だ」


「水槽」


「水槽?」


 ギルは怪訝そうな顔のまま、ゆっくり近づいていった。


 その時点では、まだ普通だった。


 東屋へ入り、水槽を覗き込むまでは。


「…………由美」


「なに?」


「これは何だ」


「水槽」


「そうじゃない」


 ギルは水槽の中を凝視していた。


 アビスクラーケンが岩の上で触手を動かし、その頭上を巨大クラゲの縮小個体が漂っている。奥ではサメが小魚の群れを避けるように泳ぎ、浮島の近くでは飛魚がぴょんぴょんと水面を飛び越えていた。


 その横では、ロキが本を開いたまま水槽を眺めている。


「これ、全部魔物か?」


「普通の魚もいるよ」


「そういう問題じゃない」


 そうかな。


 ギルはアビスクラーケンへ顔を近づけ、しばらく観察してから眉をひそめた。


「……幼体か?」


「成体だけど」


 動きが止まった。


「今、何て言った?」


「成体」


 そこへ水槽の向こうからレムがやってきた。


「正確には縮小した成体だ」


 ギルの目が、今度はレムへ向く。


「……誰だ」


「あ、まだ会ってなかったね。レム」


「レムだ」


「昨日拾った宇宙人」


 ギルが私を見る。


 レムを見る。


 もう一度、私を見る。


「……宇宙人って何だ」


「あ」


 そうか。


 そこからか。


「別の星から来た人」


「別の星?」


「うん。レムはウルタ星から来たんだって」


 ギルが空を見上げた。


 たぶん星を探している。


「……星って、夜に見えるあれか?」


「そう。ああいうののどっか」


「人が住んでるのか?」


「レムのところにはね」


「待て待て待て待て」


 ギルが片手を上げた。


 まだ水槽の説明すら終わっていないのに、もういっぱいいっぱいらしい。


「なんでお前は普通に分かってるんだ」


「私も地球から来たし」


 ギルが止まった。


「…………何?」


「地球」


「何だそれ」


「私がいたところ」


「いたところ?」


「この世界に来る前に住んでた世界」


 しばらく何も返ってこなかった。


 やがてギルが、ものすごくゆっくり私を見る。


「お前、この世界の人間じゃないのか?」


「うん。異世界人」


「初耳だ!!」


「言ってなかったっけ」


「聞いてねえよ!」


 そうだったらしい。


「ロキたちも昨日初めて知ったのよ」


「昨日!?」


「聞かれなかったし」


「聞くわけねえだろ!」


 確かに。


 普通は人に会って、どこの世界から来ましたかとは聞かない。


 ギルは頭を抱えたまま、一度水槽を見て、レムを見て、最後に私を見た。


「待て。整理するぞ」


「うん」


「この水槽には、成体の海洋魔物が入ってる」


「入ってるね」


「そいつらは小さくされてる」


「うん」


「そこの女は、別の星から来た宇宙人」


「そう」


「お前は、別の世界から来た異世界人」


「そうだね」


「待て待て待て待てーぃ!」


 今度は両手が上がった。


「一個ずつにしろ!!」


「私に言われても」


 全部もう起きている。


 レムはギルの反応など気にした様子もなく、水槽の中を確認していた。


「で、縮小したって何だ!」


 やっと水槽へ戻った。


「そのままの意味だ」


 レムが水槽を示す。


「内部では縮小状態を維持している。外へ出せば本来の大きさへ戻る」


 ギルの顔色が変わった。


「……全部?」


「ああ」


 水槽を見る。


 アビスクラーケン。


 サメ。


 クラゲ。


 蟹。


 よく分からない深海生物。


 そのほか、いろいろ。


 ギルが一歩下がった。


「これ全部出たらどうなる」


「元に戻る」


「災害じゃねえか!」


 声が大きい。


 ロキはちらっと見ただけで、すぐ水槽へ視線を戻した。


「大丈夫だよ。結界かけてるし」


「そういう問題じゃない!」


「縮小維持装置にも多重保護がある」


「だからそういう問題じゃない!」


 レムまで同じことを言われていた。


 爺は少し離れたところで静かに見守っているし、フックに至ってはギルの声など気にせず、また魚を水槽へ入れている。


 ぽちゃん。


 小さくなった。


 フックの肩が落ちる。


「何してるんだ、あいつは」


「昨日からあれ」


「止めろよ!」


「楽しそうだから」


 ギルが頭を抱えた。


 そんなに大変なことだろうか。


 私はもう一度、水槽を見る。


 小魚の群れが海藻の間を抜け、その後ろを別の群れが横切っていく。浮島の下には小さな甲殻類が集まり、深い方では青白い光がいくつも瞬いていた。


 昨日より、ずいぶん海っぽくなった。


 レムも同じことを考えていたらしい。


「生態系が安定し始めた」


「作る気だったの?」


「いや」


「作る気なかったんだ」


 ギルが勢いよく顔を上げた。


「そこに驚け!」


 その時、今度はヴェラが島へ現れた。


 私たちが東屋の前に集まっているのを見ると、そのままこちらへ歩いてくる。


「おや、ギルもいたのかい」


「ヴェラ」


「エステかい?」


「ああ。いや、その前に――」


 ギルが何か言いかけたところで、ヴェラの視線がレムへ向いた。


「そっちは?」


「レム。宇宙人」


「宇宙人?」


「別の星から来た人」


「へえ」


 終わった。


 ギルがヴェラを見る。


「へえ、で終わるのか!?」


「だっているんだろ?」


「いるけど! その前に宇宙人が何なのか疑問に思え!」


「別の星から来たんだろ?」


「今聞いただけで納得するな!」


 ヴェラはそれ以上気にする様子もなく、水槽へ近づいて中を覗き込んだ。


「ずいぶん集めたねえ」


「分かるの?」


「全部じゃないけどね」


 ヴェラは浮島の下を指した。


「あの蟹は岩礁帯にいるやつだ。船の錨綱を切ることがある」


 レムがそちらを見る。


「生息域は?」


「この辺なら島の南東側だね。潮が弱い時間に岩陰へ入るよ」


「参考になる」


 そのまま話が始まった。


 ギルが横で固まっている。


 ヴェラは今度はサメへ目を向けた。


「そのサメは外洋の方だね。もっと大きいのもいるよ」


「もっと大きい個体がいるのか」


「ああ。北へ少し行けばいる」


「採取する」


「増やすな!」


 ギルの声が響いた。


 ロキが顔を上げる。


「大きいサメ?」


「いるよ」


「見たい」


「坊ちゃま」


 爺が静かに止めた。


 珍しい。


「昨日も長時間こちらにおられましたので、今日はほどほどになさってくださいませ」


「……あとで帰る」


「昨日も同じことを仰いました」


 ロキが黙った。


 そこは爺の勝ちらしい。


 一方、ヴェラとレムはもう別の生き物の話をしていた。


「深いところなら、光るやつも多いよ。私も直接見たことはほとんどないけどね」


「観測範囲を広げる」


「なら西側の海溝も面白いかもしれない」


「ヴェラ」


「なんだい?」


「レムに教えると増えるよ」


「そうなのかい?」


「増える」


 ヴェラはしばらく水槽を眺めた。


「まあ、面白いからいいんじゃないかい」


 ギルが両手で顔を覆った。


 味方がいないらしい。


 でも、何か問題があるわけでもない。


 水槽は壊れていない。


 生き物は逃げない。


 ロキは楽しそう。


 レムは観察できる。


 フックも魚を入れている。


 ヴェラも興味がある。


 困っているのは、ギルだけだった。


「……由美」


「なに?」


「俺が変なのか?」


 少し考える。


「たぶん一番まとも」


「なら止めろ!」


「私、水槽作っただけだよ」


「お前が作るからだ!」


 それはちょっと理不尽だと思う。


 私は二メートルくらいの水槽を作っただけである。


 中に海を作ったのは、私じゃない。

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