第50話 熱帯魚じゃなかった。
昨日、しばらく出かけないと決めたので、今日は朝からソファにいた。
予定はないし、何もしない。
素晴らしい一日である。
そんなことを考えながらだらだらしていると、ゲストハウスからレムがやってきた。
「水槽を作れるか」
「水槽?」
「ああ。この惑星の海洋生物を観察したい」
宇宙人からすれば、この世界の生き物はどれも珍しいんだろう。南の島なら海もすぐそこなので、カラフルな魚とか変な貝でも集めるつもりなのかもしれない。
「どれくらいの?」
聞くと、レムが両手を広げた。
思っていたよりでかい。
「二メートルくらい?」
「その程度あればいい」
それだけ大きいなら、それなりに場所を取る。どうせなら外から見られるようにしておけば、ロキたちも勝手に見られるだろう。
海に近い場所を選び、《万能生産》で屋根付きの東屋を作った。壁はなく、日差しと雨だけ防げる程度にして、その中央へ大きな水槽を置く。海水を入れ、砂と岩、それから海藻も適当に配置すると、それなりに水槽らしくなった。
「こんな感じ?」
「十分だ」
レムは水槽の周りを一周すると、白銀の装甲から小さな板のようなものを取り出した。
「少し手を加えていいか」
「壊さないなら」
「壊さない」
ならいい。
あとは本人に任せて、私はヴィラへ戻った。
こっちは水槽を作った。
仕事は終わりである。
◇
しばらくして、海側の結界に何かが触れた。
昨日は宇宙人が降ってきたので、今日はもう何も来なくていい。
そう思いながら外へ出ると、結界の向こうにレムが浮いていた。
その横には、もっと大きなものがいる。
「……は?」
海面の上に巨大な触手が何本も垂れている。
見覚えがあるどころではなかった。
「それ、アビスクラーケンじゃん」
「ああ。最初の観察対象にする」
「水槽に入らないけど」
「問題ない。眠らせてある」
「問題そこじゃない」
二メートルの水槽に、どう見ても数十メートルあるクラーケンを入れようとしている。
どうするつもりなのか見ていると、レムが手に持った小さな装置を向けた。
淡い光が広がり、巨大だったクラーケンがみるみる縮んでいく。
最後には手のひらほどになり、レムがそのまま受け止めた。
「……何したの?」
「縮小した」
「そんなことできるの?」
「できる。ただし、この装置では長時間維持できない」
だから巨大なまま、わざわざ結界の近くまで連れてきたらしい。
小さくなったクラーケンを抱えたレムが、そのまま結界を抜けてくる。
「入れるんだ」
「縮小すれば、脅威度も下がる」
「便利だね、それ」
宇宙人だった。
そうだった。
もうそれでいい気がしてきた。
レムについて東屋まで行くと、水槽の中には朝にはなかった細い光の輪がいくつも浮かんでいる。
「これ何?」
「縮小状態を維持するための場だ。未処理の生体が入れば自動で縮小するが、すでに縮小処理されたものには作用しない。無機物と植物は対象外だ」
「へえ」
レムが手のひらサイズのアビスクラーケンを水槽へ入れると、それはゆっくり底へ沈み、しばらくして触手を動かし始めた。
「起きた」
「覚醒させた」
小さい。
見た目だけなら、ちょっと変わったタコである。
元の大きさを見ていなければ。
「……熱帯魚じゃなかった」
「魚ではない」
「そこじゃない」
レムはそのまま水槽を眺めていた。
逃げられても困るので、念のため水槽には私の結界もかけておく。
これでたぶん大丈夫だろう。
たぶん。
◇
その日の午後、東屋の前を通ると、水槽の中身が増えていた。
アビスクラーケンの上を、傘の内側が青白く光る透明なクラゲがゆっくり漂っている。その下では、棘だらけの蟹みたいなものが岩の陰へ潜ろうとしていた。
「増えてるし」
「観察対象は複数あった方がいい」
クラゲは元が十二メートル、蟹は七メートルほどらしい。
朝に水槽を作ったときには、こんなものが入る予定ではなかった。
翌朝になると、さらに知らない生き物が増えていた。岩陰には細長い何かが潜み、海藻の間には薄く発光する魚らしきものが泳いでいる。
その水槽の前にはロキがいた。
しゃがみ込んで中を覗き込み、横には本まで置いている。その少し後ろには、当然のように爺もいた。
「朝から何してるの?」
「見てる」
「それは分かる」
ロキは本と水槽を見比べながら、アビスクラーケンやクラゲなら知っていると言ったものの、岩陰にいる細長い生き物を指して首を振った。
「でも、あれは知らない」
「私も知らない」
そこへレムがやってきて、水深四千八百ほどの場所から採取したものだと説明すると、ロキの目が明らかに変わった。
本にも載っていないらしい。
そこからは、レムが観察したことを話し、ロキがこの世界で知られている海洋魔物の話をするという、よく分からない勉強会が始まった。
爺は黙って見守っていたものの、しばらくするとロキへ声をかける。
「坊ちゃま。そろそろお食事のお時間でございますが」
「あとで」
「冷めてしまいます」
「あとで」
爺がほんの少し眉を下げた。
元魔王だろうが宇宙人と深海生物を観察していようが、爺にとっては十歳の坊ちゃまらしい。
完全に自由研究に夢中の子供と、それを迎えに来た保護者である。
規模はかわいくないけど。
邪魔をする理由もないので、そのままヴィラへ戻った。
◇
昼食を済ませてから再び東屋の前を通ると、今度は見覚えのある骸骨がいた。
「フック?」
釣り小屋にいるはずのマリンスケルトンが、水槽を覗き込んでいる。
片手には魚を持っていた。
どうやら釣ってきたらしい。
フックは水槽と魚を見比べると、迷うことなく中へ放り込んだ。
ぽちゃん。
入った瞬間、魚が縮んだ。
「……ちっさ」
三十センチくらいはあったはずなのに、海藻の間へ入った途端、探さないと分からないほど小さくなる。
フックも同じことを思ったのか、水槽を覗き込んだまましばらく動かなかった。
やがて肩を落とすと、そのまま海へ戻っていく。
「……そんなにしょんぼりする?」
返事はない。
まあ、釣った魚を入れたかったんだろう。
そう思っていたら、一時間もしないうちに戻ってきた。
今度は二匹持っている。
「増やしたんだ」
ぽちゃん、ぽちゃん。
二匹とも縮んだ。
海藻の向こうへ消えた。
フックの肩がまた落ちる。
そして海へ戻った。
「……また行くんだ」
次は三匹だった。
全部入れた。
全部縮んだ。
それでも諦めなかった。
夕方になる頃には、何往復したのか分からなくなっていたものの、最初は探さないと見つからなかった魚も、数が増えればそれなりに目立つ。海藻の間には小さな群れができ、岩の隙間にも別の魚が入り込んでいた。
そこへレムも新しい生き物を追加していく。
薄く光る深海魚のようなものが増え、その上を縮小された巨大クラゲがゆっくり漂っている。
「なんか賑やかになってきたね」
「観察対象が増えた」
レムは満足そうでも不満そうでもなく、レムはレムだった。
一方のフックは、まだ足りないらしい。
また釣り竿を持って海へ向かっている。
「まだ入れるの?」
振り返りもしない。
そのまま行ってしまった。
水槽の前ではロキが相変わらず座り込み、その後ろにはやっぱり爺がいる。
今度は椅子まで持ってきていた。
長期戦になったらしい。
「そんなに面白い?」
「うん」
即答だった。
しばらく水槽を眺めていたロキが、ふと思いついたようにレムを見る。
「次はサメがいい」
「分かった」
「分かっちゃうんだ」
爺も止めない。
フックは魚を増やし、ロキは次に入れるものを考え、レムは海へ採りに行く気満々である。
朝にはただの水槽だったはずなのに。
どうしてこうなった。
海藻の間を泳ぐ小さな魚の群れを眺めながら、まあ逃げなければいいかと思うことにした。
たぶん明日には、もっと増えている。




