第45話 虫は無理。
※虫回です。苦手な方は即バック推奨。
最近、よく寝ている。
元々眠るのは好きだけれど、釣り小屋ができてからは昼寝まで増えた。釣れなければ椅子に座ったままぼんやりして、飽きたらソファに転がり、夜になればヴィラへ戻って普通にベッドで寝る。
何も問題はない。
ただ、これだけ寝るのなら、もっと寝心地がよくてもいいんじゃないかと思えてきた。
「もっといい寝具、作れないかな」
今使っているものだって十分柔らかいし、枕も自分好みに作ってある。それでも世界が違うのだから、地球にはなかった素材くらいありそうだ。
柔らかくて、軽くて、潰れにくい。
そんなものがあれば、マットレスにも掛け布団にも使えるし、ついでに身体が沈むくらい大きなクッションなんかも作れる。
いつものように映像球へ条件を送ろうとして、ふと手が止まった。
「今飛んでるやつにも、あとから指示できる?」
試してみると、普通にできた。
「できるんだ」
なら話は早い。
「寝具に向いてる素材。柔らかくて、軽くて、潰れにくいやつ探して」
手元のモニターに映る景色が次々と切り替わり、しばらくすると一つの場所で止まった。
「……浮いてる」
映っていたのは山岳地帯の上空に浮かぶ大きな島で、緑に覆われたその一角には、淡い銀白色の綿毛をつけた植物が群生している。
《天綿草》
《高濃度のマナを含む特殊な浮遊土壌でのみ生育》
《繊維は極めて軽く、高い弾性と復元性を持つ》
「これだ」
絶対いい。
その浮島でしか育たないらしいので、持ち帰って増やすのは難しそうだけれど、寝具を作る分だけあれば十分だ。
さっそく場所を指定して転移する。
――はずだった。
「あれ?」
景色が変わらないので、もう一度試してみたものの結果は同じだった。
「結界?」
映像球の情報を確認しても、それらしい反応はない。試しに島の少し上を指定すると、今度はあっさり景色が切り替わった。
「行けた」
そう思った直後、身体が落ちる。
「わっ」
慌てて足元に平らな結界を作り、透明な床のようになったそこへ着地してから、ようやく気づいた。
「……飛べないんだった」
浮島だからといって、私まで浮けるわけではない。
改めて下を見ようとしたところで、ぶうん、と低い音が聞こえた。
「ん?」
黒いものがこちらへ飛んでくる。
横切るわけではなく、まっすぐ顔へ向かってくるそれは、近づくにつれて二本の触角と羽、それから見覚えがありすぎる形がはっきりしてきた。
大きさは五十センチくらいある。
「ぎょえっ!?」
《万能魔法》
反射的に消した。
目の前から黒い影がなくなったあとも、私はしばらく動けなかった。
「…………Gじゃん」
でかい。
無理。
これは無理。
今すぐ帰りたい。
けれど、視線の先には天綿草がある。
「…………」
布団は欲しい。
仕方なく結界の上から浮島を見下ろすと、草むらが動いた。
その隣も動いた。
木の幹には黒いものが何匹も張りつき、岩の隙間からは触角が覗いている。
あちこちが、もぞもぞしていた。
「……無理」
《万能解析》
浮島全体へ範囲を広げると、成体、幼体、卵と、同じ魔虫の反応が次々に表示された。
雑食性で植物も動物も食べるうえ、群れで狩りをするため、大型の生き物すら餌になるらしい。
それ以前に、数が多すぎる。
「全部消そ」
考える必要もなかった。
《万能魔法》
浮島に存在する同種の魔虫をまとめて指定すると、一瞬で反応が消えたので、もう一度解析する。
いない。
卵もない。
念のため、もう一度確認した。
「……いないね」
ようやく島へ降りようとして、そこでさっき転移できなかった理由に気づいた。
島の地表近くには、ついさっきまで生体反応が隙間なく密集していたのだ。
「……お前らのせいだったの」
結界でも何でもなく、単純に転移する場所がなかっただけらしい。
「嫌すぎる」
今度こそ地面へ降りたものの、静かになった島を歩いていても落ち着かない。
カサ、と聞こえた気がして振り返る。
何もいない。
少し歩けば、またカサカサと聞こえた気がする。
「…………」
《万能解析》
反応なし。
分かっている。
もういない。
それでも、いる気がする。
「早く採って帰ろ」
天綿草の群生地へ向かおうとして、そこでようやく島そのものの状態が目に入った。
ひどく荒れている。
木の根は食い荒らされ、地面にはあちこち穴が空いており、土を支えていた植物までなくなったせいか、島の縁も崩れ始めていた。ところどころ大きく欠け、今も細かな土や石が下へ落ち続けているうえ、天綿草の群生地も途中からごっそり消えている。
《万能解析》
確認してみると、このまま放っておけば崩落はさらに広がるらしい。
「せっかく残ってるのに」
天綿草まで落ちたら困るので、穴を埋め、亀裂を塞ぎ、崩れかけた縁を補強していく。食べられた植物まで元通りにするつもりはなかったため、残っている根がこれ以上流されない程度に土を整えると、ようやく島全体が落ち着いた。
「こんなもんかな」
足元の天綿草へ手を伸ばす。
銀白色の綿毛は、指先が沈むほど柔らかいのに、手を離した途端ふわっと元へ戻った。
「おお」
これはいい。
絶対いい。
「クッションにもしたい」
かなり大きいやつ。
座ったら身体が埋まるくらいの。
自分の分だけじゃなく、ロキと爺にも作ってあげよう。
そうなると問題は、これを勝手に持って帰っていいものなのかということだった。
人が住んでいる地域なのは映像球で分かっているので、さすがに人の土地から黙って採って帰るのもよくない。そこで下に見えていた人影の近くへ転移した。
◇
景色が切り替わると、何人もの人が揃って空を見上げていた。
「何してるんですか?」
声をかけると、全員がびくっと振り返る。
その中にいた白い衣をまとった女性が、私と浮島を交互に見ながら目を見開いた。
「……今、あちらから?」
「はい」
「あの黒喰虫は……」
「消しました」
女性の動きが止まり、周囲の人たちも何も言わなくなった。
「全部、ですか」
「たぶん。卵も消したので」
また静かになったので、私は浮島を指差した。
「あそこにある綿みたいな草、もらってもいいですか?」
「……天綿草を?」
「それです」
女性はしばらく言葉を失っていたものの、やがて浮島を仰ぎ見てから深く息を吐いた。
「あれは、我らが祭礼に用いる聖草でございます」
「あ、ダメなやつ?」
「いえ!」
女性は慌てて首を振ると、そのまま深く頭を下げた。
「聖地を蝕んでいた災厄を退け、そのうえ崩れかけた島までお救いくださった方に、惜しむものなどございません。どうぞ、お好きなだけお持ちください」
後ろにいた人たちまで一斉に頭を下げる。
「……そうですか」
なんか大げさだなとは思ったけれど、もらえるならありがたい。
「じゃあ、ちょっと多めに」
マットレスと掛け布団と枕。
大きいクッション三つ。
予備も欲しい。
必要な量を考えていると、女性が顔を上げた。
「天綿草を加工なさるのでしたら、共に用いられてきた素材がございます」
「あるの?」
もっといい寝具になる。
それは欲しい。
「どこですか?」
女性が湖の向こうを指差したので、そちらへ目を向ける。
山に囲まれた湖は底まで見えそうなくらい澄んでおり、水面もほとんど揺れていない。その中央には小さな島が一つだけ浮かび、一面に真っ白な花が咲いていた。
「……綺麗」
思わず見入っていると、水面の下を魚影が横切る。
「釣れそう」
今日はやらない。
今日は寝具。
でも今度来よう。
改めて女性が指した先を見ると、湖の向こう側に岩壁があり、その一部に大きな洞窟が口を開けていた。
「あちらにお住まいになる御使いより賜る糸でございます。大変穏やかな御方ですので、どうぞご安心ください」
穏やかなら問題ない。
私はそのまま洞窟の前へ転移した。
中は暗く、何がいるのかは見えない。
少し待っていると、奥から音がした。
カサ。
「…………」
今日はその音、もう聞きたくない。
それでも暗闇の奥から、カサカサと何かが近づいてくる。
やがて一本の長い脚が現れた。
続いて、もう一本。
私は黙ってそれを見上げた。
どう見ても蜘蛛だった。
「…………帰りたい」




