44話 釣れた。
ヴェラが倒れてから十日ほど経った。
命の危険はもうないらしく、起きている時間も少しずつ長くなっている。まだ好き勝手に歩き回れるほどではないものの、先生に支えられながらコテージの中を歩くくらいには回復していた。
おかげで私も、ようやく普通に過ごせるようになった。
先生は静かな人だった。必要以上に話しかけてくることもなく、ヴェラの様子を見に行っている時間の方が長い。それでも朝になればキッチンで顔を合わせることがあり、夜になれば同じ風呂を順番に使う。
別に嫌ではない。ヴェラを助けてもらったし、今も毎日診てもらっているので感謝している。
ただ。
「……人いるな」
ソファに座ったまま、自分の家を見回す。
先生が悪いわけではない。私が泊まってくれと頼んだのだから当然なのだが、それとこれとは別だった。
外へ出ると、少し離れたところにヴェラのコテージが見えた。先生は日に何度もそこへ通っているので、その近くに空いている場所を見つける。
「客用の家、作ればいいか」
今後また誰かを泊めなければならなくなるかもしれない。できればそんな機会は少ない方がいいけれど、今回みたいなことがないとも限らない。
《万能生産》で、寝室とリビング、キッチン、風呂、トイレを備えた小さめの家を建てる。洗濯と食器洗いは放っておけば終わるようにして、時間停止のパントリーもつけた。
食事も用意すると言ったので、パンやスープ、肉や魚料理なんかをまとめて作り、果物や飲み物と一緒にパントリーへ入れておく。途中で足りなくなり、そのたびに用意する方が面倒だ。
完成したところで先生を呼んだ。
「先生、今日からこっち使ってください」
「……これを?」
「はい。ゲストハウスです」
先生は家を見上げ、それから私を見る。
「いつの間に……」
「さっき」
中へ案内すると、寝室や風呂を見ていた先生が、パントリーの前で足を止めた。
「食事はここに入ってます。好きなの食べてください」
「……ずいぶんありますね」
「途中でなくなる方が面倒なので」
洗濯と食器も勝手に終わると説明すると、先生は何とも言えない顔をしながら頷いた。
その日のうちに荷物を移してもらい、自分のヴィラへ戻る。
「……静か」
別に昨日まで騒がしかったわけではない。
それでもソファへ寝転がると、やっぱり自分の家は、自分しかいない方が落ち着いた。
◇
それから数日すると、ヴェラは一人でコテージの外へ出られるようになった。
まだ長く歩くのは禁止されているらしく、椅子に座って海を眺めていることが多い。私が顔を出した時も、赤い髪を風に揺らしながら、ぼんやり水平線を見ていた。
「暇?」
「暇だな」
「だよね」
私なら寝ていればいいけれど、ヴェラはそうでもないらしい。
先生もいるし、ロキと爺もいる。ヴェラの状態も安定してきたので、私がずっと近くにいる必要もなくなった。
最近、人が多い。
そう思ったので、島の反対側へ行くことにした。
以前、幽霊船があった辺りだ。船はもう解体してしまったので、今は岩場と海しかない。
波の音を聞きながら歩いていると、浅いところを銀色の魚が何匹か横切った。
「……釣れるかな」
急に釣りがしたくなり、《万能生産》で竿と仕掛けを作る。
魚を捕まえるだけなら魔法でどうにでもなる。
でも、それは釣りじゃない。
岩場に座って糸を垂らしていると、思ったよりすぐに浮きが沈んだ。
「お」
竿を上げると、手のひらより少し大きい青い魚が跳ねたので、《鑑定》してみる。
《食用可能》
「よし」
そのまま《無限収納》へ入れた。
二匹目は細長い黄色い魚だった。
《観賞価値が高く、希少性のある――》
「食べられる?」
《食用には適さない》
「じゃあいいや」
針を外して海へ戻す。
何匹か釣っているうちに、だんだん面白くなってきた。魚がかかるまで何もしなくていいし、座っていられるし、釣れれば食べられる。
「……いいな、これ」
翌日も来た。
その次の日も来た。
毎回椅子を《無限収納》から出すのが面倒になったので置きっぱなしにすると、今度は釣った魚を捌く場所が欲しくなり、流しを作った。トイレのためだけにヴィラまで戻るのも面倒だったので、そのうち小さな建物まで増える。
中にはソファとトイレ。外には屋根付きの釣りデッキと魚を処理する台を置き、周囲はいつもの結界で囲った。
出来上がったところへロキが来た。
「また家を作ったのか」
「釣り小屋」
中を覗いたロキの視線が、ソファで止まる。
「寝るのか」
「昼寝するかもしれないし」
「家で寝ればいいだろう」
「ここ静かだよ」
ロキはしばらく私を見ていたが、それ以上は何も言わなかった。
◇
釣り小屋ができて数日後、大きな当たりが来た。
竿がぐっと曲がる。
「お、でかい?」
かなり重い。
途中で岩にでも引っかかったのかと思ったが、少しずつ上がってくるので、そのまま巻き続ける。
やがて海面に白いものが見えた。
「……白身?」
ざばっと水から出てきたのは、骨の手だった。
「…………」
さらに巻くと、頭蓋骨が出た。
肩が出て、そのまま引き上げていくと、最後には全身がぶら下がった。針は肋骨の隙間に引っかかっている。
デッキまで引き上げて針を外すと、骸骨はその場に座り込み、海水をぽたぽた落としながら私を見上げた。
《鑑定》してみる。
どうやら、以前の幽霊船にいた骸骨と同じものらしい。
「あの船にいたの?」
こくこくと頷く。
「落ちた?」
また頷いた。
「いつから?」
両手を広げた。
「分かんないか」
とりあえず、このままにしておくのも何なので《ティム》を使う。
契約が成立すると、骸骨は立ち上がって頭を下げた。
「好きにしてていいよ」
そう言ったのだが、どこにも行かなかった。
翌日もいた。
私が釣り小屋へ行くと、竿がきれいに並べられ、仕掛けまで整えられている。
「……できるの?」
骸骨は頷くと、私の仕掛けを受け取った。細い糸を骨の指で器用に結び直し、竿へ戻してくる。
「じゃあお願い」
そのまま任せることにした。
ただ、いつまでも骸骨では呼びにくい。
「釣り針に引っかかってたし、フックでいい?」
骸骨が頷いた瞬間、全身が光った。
「え?」
白い骨を淡い光が走り、そのまま身体全体を包み込む。
《個体名:フック》
《進化条件を満たしました》
《スケルトンからマリンスケルトンへ進化しました》
「……進化?」
やがて光が消れた。
見た目は、骨が少しつやつやしたくらいだった。
「骸骨って進化とかすんの?」
フックが胸を張る。
もう一度《鑑定》してみると、水辺への適応に魚類識別、漁具の扱い、魚の処理まで、見事なくらい海関係に偏っていた。
「海特化すぎない?」
フックはさらに胸を張った。
本人が満足ならいいか。
◇
翌日、釣り小屋へ行くと、エステの骸骨たちが揃っていた。
「……なに?」
骸骨たちはまずフックを見る。
フックが手を上げると、全員が手を上げ返した。
「知り合い?」
一斉に頷く。
「もしかして、海に落ちてたの知ってた?」
全員が目を逸らした。
「知ってたんだ」
さらに逸らした。
フック本人は特に気にしていないらしく、もう釣り道具を並べ始めている。
それならいいかと思ったのだが、骸骨たちは帰る様子もなく、今度は揃って私を見た。
「……なに」
じっと見てくる。
「…………」
まだ見てる。
「圧がすごいのよ」
いつの間にか来ていたロキが、骸骨たちとフックを見比べた。
「名を欲しがっているのではないか」
「全員?」
骸骨たちが一斉に頷く。
「やだよ。何体いるかも分かんないのに」
無言の圧が増した。
「見てもダメ」
さらに増した。
◇
そんなことをしている間にも、ヴェラは順調に回復していった。
釣り小屋へ通い、フックが勝手に仕掛けを整え、時々エステの骸骨たちから無言の圧をかけられているうちに、あの日から一か月が経った。
「もう、私が付き添っている必要はありません」
先生がそう言った日、ヴェラは自分の足でコテージから歩いてきた。
腕の方はまだ無茶をしないよう言われているものの、普段の生活なら問題ないらしい。
「じゃあ、そろそろ戻るかな」
「もう大丈夫?」
「いつまでもここにいるわけにもいかないだろ」
それはそうだ。
ヴェラにはヴェラの生活がある。
先生には約束していた診療代を払い、ギルのところへ送った。ヴェラも荷物をまとめ、自分が戻りたい場所を聞いて転移させる。
「また来る」
「うん」
それだけ言って、ヴェラは消えた。
島が少し静かになった。
私はそのまま裏側の釣り小屋へ向かう。
フックはもう竿を用意していた。
「今日、何釣れるかな」
フックが海を指す。
「食べられるやつね」
竿を振り、糸を海へ落とす。
隣ではフックが黙って座っている。
やっぱり、ここはいい。




