第43話 ……いらないな
南のヴィラでソファに寝転がっていたところ、庭の方から鈍い音がした。
何かが落ちたような音だったので身体を起こし、窓の外を見る。
「……え?」
テラスの向こうに人が倒れていた。
見覚えのある赤い髪が目に入り、慌てて外へ出る。
「ヴェラ?」
横向きに倒れたヴェラは動かず、服はあちこち裂け、脇腹から脚にかけて血で濡れていた。片手には、以前渡した携帯を握ったままだ。
「ちょっと、ヴェラ」
返事がない。
《万能解析》を使うと、身体のあちこちに深い傷があり、左腕は折れ、肋骨にも損傷が出ていた。出血量もかなり多い。
「頑張って! 今、助けるから!」
《万能生産》で清潔な布と包帯、固定に使えそうなものを作り、出血のひどいところから押さえていく。
声を聞きつけたのか、隣の家からロキと爺も駆けてきた。
「由美、どうした」
「ヴェラが――爺、ここ押さえてて」
「承知いたしました」
爺はすぐに膝をつき、言われた場所へ手を当てる。ロキも血だらけのヴェラを見て顔を強張らせたものの、邪魔にならないよう少し離れた。
傷口の汚れを落とし、折れた腕を固定して、ひとまずこれ以上出血がひどくならないところまで処置する。
呼吸はある。
でも、これは私がどうにかしていい状態じゃない。
《万能魔法》で身体を揺らさないよう来客室のベッドへ運び、毛布をかけた。
「私、医者連れてくる。二人ともヴェラ見てて。何かあったらすぐ携帯で連絡して」
「分かった」
「お任せください」
二人の返事を聞くなり、ギルのところへ転移した。
仕事中だったらしいギルは、突然現れた私を見て顔をしかめる。
「今度はなん――」
「医者。今すぐ。できれば女の人」
私の手や服についた血を見た途端、ギルの表情が変わった。
「誰だ」
「ヴェラ。死にそう」
ギルはそれ以上何も聞かずに立ち上がると、近くにいた職員へ何か指示を出し、そのまま外へ出ていった。
待っている時間がやたら長く感じたものの、実際にはそれほど経っていなかったと思う。やがて戻ってきたギルの隣には、大きな鞄を持った女性がいた。
「医者だ」
「ありがとう。先生、こっち」
「え?」
説明している時間も惜しいので、そのまま女医と南の島へ転移した。
突然景色が変わったことには驚いていたものの、来客室へ案内すると、先生はすぐにヴェラの診察を始めた。爺が場所を譲り、それまでの状態を簡潔に伝える。
私は邪魔にならないところへ下がり、必要なものを言われるたびに清潔な布や湯、容器を出した。足りないものは《万能生産》で作って渡しているうちに、先生も私が何を出しても気にしなくなった。
しばらくして玄関の方で物音がしたので様子を見に行くと、ギルが立っていた。
「来たの?」
「携帯で来られるようにしたのはお前だろ」
「あ、そっか」
何か言いたそうな顔をしたものの、ギルはそれ以上何も言わず、そのまま来客室へ向かった。
ベッドの上のヴェラを見るなり、眉間に深い皺が寄る。
「何があった」
「分かんない。来た時にはこうだった」
「本人は?」
「一回も起きてない」
ギルは黙ったまま、しばらくヴェラを見ていた。
かなりの時間が経ってから、先生がようやくこちらを振り返る。
「ひとまず、今できる処置はしました。ただ、かなり血を失っていますし、頭も強く打っています。今夜は特に目を離せません」
「助かる?」
先生は少しだけ間を置いた。
「今は、何とも言えません」
返事が出なかった。
「じゃあ、先生ここにいて」
「はい?」
「治るまで。部屋余ってるから」
元々爺が使っていた予備室は、今は空いている。
「食事も必要なものも全部用意するし、診察代も払うから。ここに泊まってて」
先生はヴェラへ目を向けると、すぐに頷いた。
「この状態でしたら、その方がいいでしょう」
「お願い」
ギルはしばらく残っていたものの、ヴェラの状態が落ち着いているのを確認すると仕事へ戻った。ロキと爺も一度自分たちの家へ戻ったが、その日は何度か様子を見に来た。
私は夜中になっても落ち着かず、何度も来客室を覗いた。
ヴェラは一度も目を開けなかった。
◇
翌日になっても、その次の日になっても、ヴェラは眠ったままだった。
先生がずっと見ていてくれるので任せるしかないものの、リビングにいても落ち着かず、気づけばまた来客室を覗いている。
三日目の昼過ぎ、ベッド脇に座っていた時だった。
閉じていた瞼が、ゆっくり開く。
「ヴェラ?」
焦点の合わない目がわずかに動き、こちらへ向いた。
「……ゆ、み……」
「うん。ここにいるよ」
声が聞こえたのか、ヴェラの瞼がゆっくり閉じると、そのまままた眠ってしまった。
「ヴェラ?」
「大丈夫です。今は休ませてあげてください」
「……うん」
結局、何があったのかは分からない。
あのヴェラが、転移しようと思うくらい追い詰められ、死にかけた状態でここへ来た。
「絶対なんかあったでしょ」
その夜、リビングへ戻ると映像球をテーブルに置いた。
前は見たい場所を探す程度に使っていたけれど、《万能解析》と《鑑定》を足せば、調べ物にも使えるかもしれない。
「ヴェラが怪我した件の手掛かり、探せるようにして」
《万能生産》に任せると、球の表面に薄い模様が増えた。
「できた?」
返事はない。
まあいい。
「じゃあ、ヴェラの怪我に関係あるもの探してきて」
映像球が浮かび上がり、そのまま消えた。
しばらくすると、テーブルの上に映像が浮かび上がる。
映っていたのは港だった。
桟橋の脇には一隻の船が停まっており、船縁は大きく砕け、甲板の一部も潰れている。その近くには、壊れた大きな檻が置かれていた。
「何これ」
映像球が移動すると、倉庫の前に何人かの男たちがいた。腕や頭に包帯を巻いている人もいる。
そのうちの一人が、壊れた船を見ながら吐き捨てるように言った。
「屋敷の池で飼いたいなんて理由で、あんなもん捕まえに行かせやがって」
「……池?」
そばにいた男の話では、珍しい海魔獣の幼体だったらしい。
公爵家の息子がその見た目を気に入り、屋敷の池で飼いたいと言い出した。親が近くにいるから危険だと止められたものの聞かず、幼体を捕らえようとしたところへ親が現れ、船が襲われたという。
「…………」
映像球へ、公爵家の息子を探すよう指示する。
しばらくすると、大きな屋敷の一室が映った。
若い男がソファに座っている。
《鑑定》すると、公爵家の息子と出た。
隣には両親もいる。
「結局、あれは捕まえられなかったな」
父親が眉を寄せる。
「しばらくは大人しくしていろ。今回は怪我人が多すぎる」
「船主には十分な金を渡したのでしょう?」
母親が茶を飲みながら言うと、父親が頷いた。
「負傷者にも渡す。余計なことを話させるな」
息子は不満そうな顔をしただけだった。
「……は? ヴェラ、これで死にかけたの?」
池で飼いたかったから。
「……バカなの?」
映像球を見る。
「こいつ、他にもやってない?」
今度は少し時間がかかったものの、やがて片手を庇うようにして歩く男が映った。
《鑑定》を重ねると、公爵家の息子が起こした狩りの事故で怪我をした人物らしい。
映像が切り替わり、今度は店先を修理している商人が映る。
その次は、元使用人らしい男。
さらに別の人物。
「……いるじゃん」
まだ切り替わる。
「結構いるな」
そこで、前に落とし物を探すために作った小さな魔道具を思い出した。
「あ、あれ使えるじゃん」
今映った人たちに関係する公爵家の記録や証拠を指定し、小さな魔道具を飛ばす。
しばらくすると、帳簿を一冊引っ掛けて戻ってきた。
「お、きた」
続いて書類の束。
また一束。
さらに帳簿。
「……いや、多いな!」
まだ来る。
「どんだけやってんの」
テーブルが埋まったところで、ようやく止まった。
一つずつ中を確認していくと、出てくるのは狩りに付き合わされて怪我をした者への金、息子が壊した店への修繕費、気に入った馬を譲らなかった持ち主へ怪我をさせたことへの支払い、辞めさせた使用人への口止め料。
似たようなものが、まだある。
「親もか」
《鑑定》では、公爵というのは王族を除けばかなり上の立場らしい。
「……いらないな」
先生に少し出ると伝え、公爵邸へ転移した。
映像で見た通り、やたらと大きな屋敷だった。
「でか」
《万能解析》で中を確認し、公爵一家以外の人間をまとめて敷地の外へ転移させる。
「これ、いらないよね」
《万能魔法》を使うと、屋敷の端がさらさらと塵へ変わり始めた。
「なんだ!? 何が起きている!」
奥から怒鳴り声が聞こえる。
「父上!」
「外へ出ろ!」
しばらくして、公爵夫妻と息子が玄関から飛び出してきた。
その間にも屋敷は端から消えていき、壁も柱も屋根も家具も塵になって風に散っていく。
最後には、何もない地面だけが残った。
「よし」
「貴様、何をした!」
「ヴェラ知ってる?」
息子の顔が止まった。
「あ、知ってるんだ」
父親が何か言い始めたものの、聞く気はなかった。
《万能解析》で、人の住んでいない小さな島を探す。
真水がある。
食べられる実もある。
魚もいる。
危険な大型魔獣はいない。
歩けば二時間ほどで一周できる。
「ここでいいや」
「何を――」
三人を転移させた。
あとは王様に任せればいい。
映像球に王様のいる場所を探させると、執務室らしい部屋が見つかったので、回収した帳簿や書類をまとめて机の上へ転移させる。
紙を一枚だけ添えた。
『公爵一家の件です。証拠置いときます。あとはお願いします』
「帰ろ」
南の島へ戻ると、ヴェラはまだ眠っていた。
◇
四日目になると、ヴェラは時々目を開けるようになった。
ただ、こちらを見ているのかもよく分からない。
先生が飲み込めることを確認し、身体を支えながら薄いスープを少しずつ口元へ運ぶと、何口かは飲んだものの、すぐにまた眠ってしまった。
五日目、六日目も似たような状態が続いたものの、目を開けている時間は少しずつ長くなり、スープや柔らかくした食事も口にするようになった。
◇
七日目の朝、来客室を覗くと、ヴェラが天井を見ていた。
「起きてる?」
今度は、はっきりこちらを見る。
「ああ」
声はまだ弱いものの、いつものヴェラだった。
「腹減った」
「あ、戻った」
先生に診てもらうと、まだしばらく安静にするよう言われたので、食べられるものを用意した。
「しばらくゆっくりしてなよ」
「そうする」
それでいい。
さらに何日か経ち、部屋の中なら歩けるようになったところで、先生から移動しても問題ないと言われた。
ヴェラ専用のコテージへ移し、先生もまだしばらく様子を見ることになった。
ある日コテージへ行くと、ロキと爺が先に来ていた。
「もう大丈夫なのか」
「まだ寝てろって言われてる」
「当然でございます。まだお顔の色も戻りきっておりません」
「爺は医者か」
「違います」
爺はそう言いながら、持ってきた果物をベッド脇へ置いた。
しばらくすると、今度はギルが来る。
「生きてたか」
「残念ながらな」
「なら早く治せ」
見舞いの品を置いたあと、ギルがこっちを見た。
「何?」
「……いや」
まだ見ている。
「何よ」
「何も言ってないだろ」
そう言って、ギルは帰っていった。
***
公爵と息子が島を歩き始めてから、二時間ほど経った。
砂浜を進み、小さな林を抜け、真水の湧く場所を見つけ、そのまま歩き続けた結果、最初にいた場所へ戻ってきた。
島には鳥や小さな獣がいる程度で、危険そうな魔物は見当たらない。木には実がなり、浅瀬には魚も泳いでいる。
「船は?」
息子が海を見回す。
少し離れたところで待っていた妻が立ち上がった。
「迎えは来るのでしょうね?」
公爵は水平線を見た。
どこにも船はなかった。




