第4話 何もしなくていい
異世界へ来て五日目、私は暇を持て余していた。
何もしなくていい生活は、間違いなく最高だった。好きな時間に起き、腹が減ったら食べ、眠くなれば寝る。風呂へ入っても浴槽は家が勝手にきれいにし、脱いだ服は錬成庫へ放り込めば元通りになる。皿も床も、自分で片づける必要はない。
一日目は素晴らしかったし、二日目も十分に楽しめた。
ただ、三日目ともなると少し話が変わってくる。
「……暇だな」
ソファに寝転がったまま窓の外を見る。木々の間を時折鳥が横切るくらいで、相変わらず静かだった。
スマートフォンは圏外なのでネットも動画配信も使えない。テレビも電源こそ入るものの放送は映らず、保存してあった動画や本にも一通り目を通してしまった。
念願だったはずの暇も、実際に手に入れてみると案外扱いに困るらしい。
何か食べようかと《無限収納》を検索する。昼にはまだ早いので、欲しいのは食事ではなく甘いものだった。
「なんかないかな……」
検索結果を眺めているうちに眉が寄る。
ない。
あずきバーは異世界へ落ちる直前に食べていた一本が最後で、菓子類もいつの間にかなくなっていた。
「え、もう?」
暇になるたび何かしら口へ入れていたのだから、当然といえば当然である。
砂糖はあるので作ろうと思えば作れるものの、今からケーキだのプリンだのを作るほどのやる気はない。
もう一度窓の外を見ると、どこまで続いているのか分からない森が広がっている。これだけ木があるのなら、果物くらいはありそうだ。
「……探しに行くか」
暇つぶしにもなるし、甘いものが見つかればなおいい。
適当な服に着替えてスニーカーを履き、家を出る。自分の周囲へ防虫結界を張ってから飲み物も持っていこうとして、《無限収納》そのものを持ち歩いていることを思い出した。
「便利すぎるな」
今さら感心しながら木々の間へ入っていく。
家を建てた場所からまともに離れるのは初めてだった。道らしい道はないものの、足場の悪い場所や避けた方がよさそうな方向は何となく分かるので、歩くこと自体には困らない。
やがて低い木に赤い実を見つけ、《鑑定》してみる。
食用。毒性なし。酸味強め。
一粒摘んで口へ入れた。
「……っすっぱ」
予想以上だったので、そのまま食べるのは諦めた。ジャムには使えそうだから少しだけ採って収納へ入れ、その後も目についた果実を試していくものの、渋かったり、香りのわりに味が薄かったりして、なかなか当たりが出ない。
暇つぶしの散歩だったはずなのに、こうなると意地でも甘いものを見つけたくなってきた。
「絶対どっかにあるでしょ」
しばらく進んだ先で、周囲とは少し葉の色が違う木が目に入った。低い枝には、黄色と橙色の間くらいの丸い実がいくつも下がっている。
《鑑定》。
食用。毒性なし。甘味が強い。
「いた」
一つ取ってかじると、柔らかな果肉から果汁が広がった。桃ほど柔らかくはないが梨より味が濃く、少し柑橘に似た香りがある。
「……うま」
ようやく当たりを引いた。
もう一口かじったところで視線を感じ、顔を上げる。
少し離れた木の根元に子どもがいた。
背は低く、服はかなり汚れている。頬や手には土がつき、髪もぼさぼさだったが、それより目を引いたのは頭に生えた小さな角だった。
こちらではなく、私が持っている果物を見ている。
「食べる?」
返事はなかったものの、視線は動かない。
木からもう一つ取って少し離れた場所へ置き、そのまま自分の分を食べていると、しばらくして子どもがゆっくり近づいてきた。こちらを一度窺ってから実を拾い、小さくかじる。
次の瞬間、食べる速度が上がった。
「お腹空いてたの?」
やはり返事はない。
果物はあっという間になくなったので、もう一つ渡すと、今度は迷わず受け取った。
どうしてこんなところに一人でいるのかは気になったものの、今のところ話す気はなさそうなので聞かないことにして、食べている間に目当ての果物をいくつか採って収納へ入れる。
「じゃ、私は帰るね」
子どもが顔を上げた。
そのまま来た道を戻り始めると、しばらくして後ろで枝を踏む音がする。
振り返ると、さっきの子どもがいた。
歩けばついてくるし、止まれば向こうも止まる。
「家、こっちなの?」
首が横へ振られた。
「じゃあ、どこ行くの?」
今度は返事がない。
しばらく顔を見たものの、それ以上聞いたところで答えてくれそうにもなかった。
「……まあ、いいか」
ついてくるなと言う理由もないので、そのまま家へ戻る。
木々の向こうに自宅が見えてきても子どもは離れず、玄関までついてきたので扉を開けて振り返った。
「入る?」
少し迷ってから中へ入ってくる。
そこで名前すら知らないことを思い出した。
「名前は?」
しばらくして、小さな声が返る。
「……ロキ」
「ロキね。私は由美」
それだけ確認して靴を脱ごうとした瞬間、視界の端に見慣れない文字が浮かんだ。
《従魔契約が成立しました》
動きが止まる。
「……は?」
表示を見て、ロキを見る。
普通に喋る。どう見ても子どもである。
「これ、人型もいけんの?」
説明してくれる神はここにはいない。
考えても答えは出なさそうなので、とりあえず玄関の明かりの下でもう一度ロキを見ると、森にいた時以上に汚れて見えた。髪はところどころ絡まり、頬や手には土がつき、服も泥と埃で本来の色が分からない。
そのまま視線をラグへ落とす。
「……先にお風呂入ろうか」
意味を測るように見上げられたものの、嫌がる様子はなかったので浴室へ連れていき、シャンプーとボディソープ、シャワーの使い方をひと通り説明する。温度は触らなくていいように設定し、タオルを渡したところで着替えがないことに気づいた。
「服もいるか」
ひとまず自分のTシャツと、紐で調整できる部屋着のパンツを脱衣所へ置く。どう考えても大きいだろうが、今は仕方ない。
水音が聞こえ始めたところでリビングへ戻り、さっきの表示を思い出した。
「従魔って言われてもなあ……」
犬や猫ならともかく、ロキは普通に言葉を話す。
気になって《万能解析》を使うと、個体名ロキ、種族は魔族、年齢は十歳と表示された。
「魔族なんだ」
その先にも情報は並んでいたが、そこで閉じる。本人が話していないことまで、わざわざ全部見る必要はない。
それより今は服だった。
収納からもう着ないTシャツやスウェットを何着か出し、《万能生産》で子ども用へ作り替える。形と大きさを変えるだけなのであっという間に終わり、洗い替えまで用意した頃、浴室の方から物音がした。
出てきたロキは予想どおりぶかぶかで、Tシャツの袖は肘より下まで落ち、裾は膝近くまである。ただ、汚れを落とした姿は森で見た時とはずいぶん印象が違っていた。絡まっていた髪には艶が戻り、土の下から現れた顔立ちも整っている。
「……結構きれいな顔してたんだ」
特に反応はなかったので、作った服を差し出す。
「こっち着てみて。サイズ変えたから」
服とこちらを見比べたあと、ロキはまた脱衣所へ戻り、今度はちゃんと身体に合った姿で出てきた。
「苦しくない?」
首が横に振られる。
なら、それでいい。
「まだお腹空いてる?」
少し間を置いて頷いたので、ご飯と冷凍してあったハンバーグを温め、簡単なスープと野菜を添えた。
「ハンバーグ食べられる?」
知らない言葉を聞いたような顔をされたので、「肉」と言い直すと反応があった。
二人分をテーブルへ並べても、ロキはすぐには手を出さず、こちらが食べ始めるのをじっと見ている。
「食べていいよ」
ようやくフォークを取り、一口食べたところで動きが止まった。
続けてもう一口。
そこから速度が上がる。
「気に入った?」
小さく頷いたので、それ以上は聞かずに自分も食事を続けた。
食べ終わると、家が勝手に皿を片づけ始める。ふわりと浮いた食器がきれいになり、そのまま棚へ戻っていく様子をロキが無言で目で追っているのを眺めながら、そういえば今夜どこで寝かせるのか決めていなかったことを思い出した。
「部屋、いるよね」
今ある寝室にベッドを追加する手もなくはないが、自分だけの場所があった方が落ち着くだろう。
「ちょっと待ってて」
家の構造を意識すると間取りが頭の中に浮かび上がったので、寝室の隣へ小さめの個室を追加する。窓とベッドを置ける広さ、それから机と服をしまう場所があれば十分だ。
決定すると家の奥から低い振動が伝わり、壁の向こうで木材が組み上がっていく。前に家を建てた時の余りが収納から使われたらしく、数分もしないうちに音は止まった。
「できたっぽい」
廊下の突き当たりには、さっきまでなかった扉が増えていた。
六畳ほどの部屋に予備の寝具を出し、ベッドと机、小さな棚まで置いて振り返ると、ロキが入口に立ったまま中を見ている。
「ここ使っていいよ。服はあっちに入れとけばいいから」
すぐには動かなかったものの、やがて一歩だけ部屋へ入った。
そこで、脱衣所に置いたままの古い服を思い出す。
「それもきれいにしとくね」
本人の物を勝手に捨てるわけにもいかないので錬成庫へ放り込み、処理が終わってから取り出してみると、思っていたよりずっとまともな服が現れた。
「……これ、結構いいやつじゃん」
生地は薄いのにしっかりしていて、襟や袖には細かな刺繍が入っている。胸元にも見慣れない模様が縫い込まれていた。
ロキを見ると、ほんの少し表情が硬くなった気がした。
「捨てないで取っとく?」
小さく頷いたので、服はそのまま収納へ入れる。着たくなったら出せばいい。
まだ中を見回しているロキへ「ベッド、合わなかったら言って。大きさ変えられるから」と伝え、そのままリビングへ戻ろうとした。
「……私は、何をすればいい」
珍しく後ろから声をかけられ、振り返る。
「何って?」
ロキは少し迷うように視線を落とし、それから部屋や服の入った棚を見た。
「ここにいるなら、何か……」
最後まで聞かなくても何となく分かった。
食事をして、風呂に入り、服をもらい、そのうえ部屋まで用意されたので、何か返さなければならないと思っているらしい。
「別に何もしなくていいよ」
ロキが顔を上げる。
「掃除も洗濯も家がやるし、ご飯も一人分増えたところで大したことないから。やりたいことがあるならやればいいし、ないならそのままでいいんじゃない?」
しばらく返事はなかった。
「何もしなくても?」
「うん。私もできれば何もしたくないし」
今度こそ黙ってしまったものの、少しだけ肩の力が抜けたように見えた。
それ以上話すこともなさそうなので部屋を出ようとすると、背後から小さな声が届く。
「……分かった」
「うん。じゃ、適当にしてて」
リビングへ戻り、いつものソファへ身体を沈める。
一人増えたところで、生活はそれほど変わらない。部屋を一つ足して食事を一人分増やしただけで、掃除も洗濯も片づけも家が勝手にやってくれる。
しばらくすると、廊下の向こうで新しくできた扉が静かに閉まった。
それを聞きながらクッションを抱え直し、目を閉じる。
甘いものを探しに出ただけだったのに、なぜか子どもが一人増えた。
「……まあ、いいか」
何もしなくていい場所も、一人分増えたらしい。




