第3話 家事はまとめて消したい
目を覚まして、しばらく天井を見上げていた。
知らない天井だった。
とはいえ、昨日自分で作った家なので、知らないのは当然である。
「……あ」
異世界だった。
そこまで思い出したところで、ソファで寝ていたことにも気づいた。寝室にはちゃんとベッドを出したはずなのに、眠くなった場所でそのまま寝たらしい。
「何のために出したんだろ」
身体を起こして窓の外を見ると、雨はすっかり上がっていた。濡れた木々の葉が朝の光を反射し、森全体が昨日より少し濃い色に見える。
家の周囲に水が溜まっている様子もなく、昨夜の雨はきれいに流れている。
「ちゃんと仕事してる」
家が。
私ではない。
大変よろしい。
キッチンへ行き、冷蔵庫から水を取り出したところで、自分の格好が昨日からほとんど変わっていないことに気づいた。
Tシャツに短パン。
異世界へ落ち、森を歩き、家まで建て、そのまま寝た。
「風呂入ろ」
さすがにこれは入った方がいい。
浴室へ行き、蛇口をひねってみる。
水だった。
「だよね」
昨日作ったのは給水設備までで、お湯のことは完全に忘れていた。
とはいえ、今さら火を焚いて湯を沸かす生活を始める気はない。
温度を指定して出せないかと考えると、《万能生産》がすぐに反応したので、給水設備へ加熱機能を追加し、浴室の壁に温度設定の操作板を付けた。
三十八度。
もう一度蛇口をひねると、今度はほどよく温かい湯が出た。
「よし」
シャンプーもボディソープもタオルも、昨日まで使っていた物がそのままあるので、風呂に関しては異世界感がほとんどない。
湯船へ身体を沈めれば、むしろ自宅より静かなくらいだった。
「これ、悪くないなあ……」
窓の向こうには朝の森が広がり、人の声も車の音もしない。
しばらくぼんやり浸かっていたものの、腹が減ってきたので上がることにした。
収納から着替えを出し、髪を乾かす。ドライヤーも普通に動いた。
そこまでは良かった。
問題は、脱いだ服だった。
Tシャツと短パンを手にしたまま止まる。
「……洗濯」
洗濯機はある。
洗剤も柔軟剤もある。
水も出る。
普通に洗濯はできる。
できるのだが。
洗濯機に入れる。終わったら取り出す。干す。乾いたら取り込む。畳む。しまう。
そこまで頭の中で再生した時点で、嫌になった。
「……毎回これやるの?」
一人分とはいえ、異世界へ来てまで洗濯物を干したくない。
乾燥機付きにしたところで、取り出して畳む作業は残る。
脱いだTシャツを見つめる。
「全部勝手に終わらないかな」
《万能生産》が反応した。
「できるんだ」
だったら話は早い。
水で洗う必要すらないらしく、汗や皮脂、汚れ、臭いだけを取り除き、シワを伸ばして、傷んだ部分まで軽く直せるという。
ならば、と人が一人入れそうな縦長の装置を作った。
服はハンガーに掛けたまま入れ、靴下や下着はケースごと放り込む。扉を閉めれば、あとは全部勝手に終わる。
昨日着ていたTシャツと短パンを入れてみると、しばらくして軽い音が鳴った。
「電子レンジみたい」
扉を開ければ、臭いもシワも消えている。
そのままハンガーごとクローゼットへ戻した。
「……これでいいじゃん」
洗濯機はいらなかった。
少なくとも服には。
朝食は食パンと卵にした。目玉焼きを作り、パンを焼いて、ヨーグルトも一緒にローテーブルへ運ぶ。
「いただきます」
異世界へ来て初めて作った料理が目玉焼きというのも、ずいぶん普通な話だった。
世界を渡り、万能魔法を持ち、家まで数分で建てられるようになったのに、朝食はトーストと目玉焼き。
まあ、食べたい物を食べればいい。
窓の外は晴れている。
食べ物も水も家もある。
洗濯までしなくてよくなった。
「……今日も町、行かなくていいな」
神がわざわざ徒歩十分の場所へ町を用意してくれたことなど、すっかり優先順位が下がっていた。
朝食を食べ終え、皿を持って立ち上がる。
そこで足が止まった。
シンクには、使い終わった皿とフライパンがある。
「……」
しばらく眺める。
「今度は皿か」
洗えばいい。
皿一枚とフライパン一つなら、大した手間でもない。
ただ、さっき洗濯を消したばかりなのに、今度は皿を洗うというのが妙に納得できなかった。
皿を洗えば、次はテーブルを拭く。
床には髪の毛や埃が落ちるし、風呂を使えば浴槽を洗う。洗面台も汚れるし、窓もそのうち曇る。
ゴミも出る。
シーツも替える。
冷蔵庫の中だって、放っておけば汚れる。
「……これ、一個ずつやるの馬鹿らしいな」
そこまで考えたところで、結論は早かった。
「家ごと勝手にやってくれないかな」
《万能生産》が反応した。
少し黙る。
「……できるの?」
できるらしい。
ならば話はもっと早い。
ソファへ戻り、座ったまま必要なものを考えることにした。
まず掃除。
床、壁、窓、家具についた埃や汚れは勝手に除去。浴室、トイレ、洗面台も使用後に自動で洗って、カビや水垢も発生する前に処理する。
「風呂の排水口も」
あれは絶対に触りたくない。
追加。
キッチンでは、使い終わった食器や調理器具を置けば自動で汚れを落とす。
せっかくなら、元の場所へ戻してほしい。
「できるなら戻して」
設計が更新された。
次はゴミ。
食品の包装や容器、生ごみなどは自動で分別し、使える物は資材として再利用する。ただし判断できない物は勝手に消さない。
「それ大事」
大事な物まで処分されたら困る。
寝具も、シーツも、枕も。
冷蔵庫もキッチンも。
窓も玄関も。
床下まで指定したところで、一度考える。
「……外は?」
家の周りに落ち葉が積もるくらいなら別にいい。
森なのだから、そこまで掃除する必要はない。
「家の中だけでいいや」
最終決定すると、家全体が淡く光った。
壁や床の中へ魔力の経路が広がり、給水設備や照明、排水処理とつながっていく。
見た目は何も変わらない。
ただ、家そのものが一つの大きな魔道具になったらしい。
目の前に表示が浮かぶ。
《住居自動管理:稼働》
「……終わり?」
試しに、さっき使った皿とフライパンをシンクへ置く。
淡い光が走り、汚れが消えた。
水滴すら残らないまま、皿がふわりと浮いて食器棚へ収まり、フライパンも定位置へ戻っていく。
「最高じゃん」
床へ視線を落とせば、さっきまであった小さなパンくずも消えていた。
念のため浴室を覗いてみると、朝使った浴槽はすでに乾いていて、鏡にも水滴一つない。
「……もう掃除しなくていい?」
《住居自動管理:正常稼働中》
答えの代わりに表示が返ってきた。
「よし」
満足してリビングへ戻り、ソファへ身体を沈める。
朝食は食べた。
風呂にも入った。
洗濯物もない。
洗い物もない。
掃除する場所もない。
「……暇だな」
口にした瞬間、少し考える。
そして笑った。
「最高」
暇になるために、ここまでやったのだ。
異世界生活二日目。
世界を救う準備は、一つも進んでいない。
その代わり、家事はほぼ滅びた。




