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46歳、異世界では絶対に働きません。  作者: Tomsug


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第35話 ルーがない

 今日、なに食べようかな。


 南のヴィラのソファに寝転がりながら考えていると、開け放った窓の向こうでは海がきらきら光っていた。天気はいいし、風も気持ちいい。こういう日は何もしないのが一番なのだが、残念ながら腹は減る。


 朝はパンだったので、昼もパンという気分ではない。麺でもない。肉はあるし、米も心許ないがまだある。


「……カレーにしよう」


 そう思った途端、もう口がカレーになった。


 ソファから起き上がって《無限収納》を検索すると、じゃがいも、玉ねぎ、人参はある。肉も以前仕留めた猪がまだかなり残っているので問題ない。肝心のカレールーも見つかったものの、残っていたのは半箱だけだった。


「半分か」


 三人分なら足りるだろう。


 キッチンへ向かうと、ロキは窓際で本を読んでおり、爺はその近くで何かを片付けていた。


「今日カレーにするけど、食べる?」


「カレーとは何だ」


 そういえば、二人とも知らないのか。


「ご飯にかけて食べる、ちょっと辛くて香辛料がいっぱい入った料理」


 食べたことがなければ説明したところで分からないだろうと思い、それ以上は言わずに材料を取り出した。玉ねぎに人参、じゃがいも、それから猪肉。カレーくらいなら普通に作っても大した手間ではないと思ったものの、いざ包丁を持つと全部切るのは面倒だったので、そこだけ《万能生産》に任せる。


 鍋で肉と野菜を軽く炒め、水を入れて煮込んでいると、匂いにつられたのかロキが近くまで来て鍋を覗き込んだ。


「まだカレーじゃないよ」


「そうか」


 それだけ答えたくせに、ロキはその場を離れなかった。


 野菜が柔らかくなったところで火を弱め、残っていたカレールーを全部入れる。茶色い塊がゆっくり溶けるにつれて、いつもの匂いが広がった。


 やっぱりカレーはいい。匂いだけで腹が減る。


 爺も興味深そうに鍋を見ていたが、何も言わずに食卓を整え始めたので、私は炊いておいた白いご飯へたっぷりカレーをかけ、三人分を並べた。


「はい。カレーライス」


 二人とも皿を見たまま少し警戒しているので、私は先に一口食べる。するとロキもようやくスプーンを取り、少量を口へ運んだところで一度止まったものの、すぐにもう一口、その次も続けて食べた。


「どう?」


「……うまい」


 短いが、食べる速度は明らかに上がっている。


 爺の方は慎重に口へ運び、しばらく味わってから目を細めた。


「これは、随分と複雑な味でございますな。辛味だけではなく、甘味もあり、香りも幾重にも重なっております」


「いろんな香辛料入ってるからね」


 爺が真面目に分析している横で、ロキの皿はいつの間にか空になっていた。


「もう一杯」


「気に入ったんじゃん」


「悪くない」


 その言い方で二杯目を要求するのはどうなんだと思いながらも、おかわりをよそう。私も追加で食べ、結局鍋の中はほとんど空になった。


 食後、満足して食器を片付けながら、何となく空になったルーの箱を手に取ったところで気づいた。


「……あ」


 箱をひっくり返してみる。当然、何も出てこない。


 念のため《無限収納》を検索した。


 カレールー。


 該当なし。


「……ない」


 もう一度検索する。


 該当なし。


「ちょっと待って」


 三回目。


 やっぱりない。


 私の声に、ロキが本から顔を上げた。


「何がだ」


「カレーが今後食べられない」


「それだけか」


「それだけじゃないよ」


 何を言っているんだ。


 カレーが食べられないのである。


 クラーケンが出ても何とかなったし、海に巨大な龍が来てもどうにかなったが、収納の中にカレールーが一つもないのは普通に困る。


 とはいえ、いつまでも落ち込んでいても増えるわけではないので、鍋の底に少しだけ残ったカレーへ《万能解析》をかけてみる。


 油脂、小麦粉、複数の香辛料、塩、糖分、そのほかいくつもの材料と、おおよその配合がずらずら表示された。


「……作れるじゃん」


 一気に気分が上がった。


 さすが万能。


 これなら市販のルーがなくても何とかなる。


 必要な材料を確認する。


 小麦粉。ある。


 塩。ある。


 砂糖もある。


 油脂。


 足りない。


 香辛料。


 足りない。


「……」


 もう一度見た。


 やっぱり足りない。


「……作れないじゃん」


 上がった気分が、そのまま元の位置まで戻った。


 日本から持ってきた胡椒や七味程度ならあるものの、カレーを作るための香辛料は揃っていない。料理用の油も多少は残っているが、今後ルーをまとめて作るには心許なかった。


 私はキッチンカウンターへ手をつきながら考える。


 ここは南の島だ。


 海がある。


 港がある。


 交易船も来る。


「……あるじゃん」


 顔を上げた。


 香辛料なんて、むしろ港に集まっていそうなものだ。


「ちょっと買い物行ってくる」


 今からか、とロキが呆れたように言ったが、一度気づいてしまった以上、収納の中にカレールーが一つもない状態でのんびりしていられない。


 ◇


 港へ転移すると、潮と魚、それに香辛料が混じったような独特の匂いがした。船から荷を下ろす者、樽を運ぶ者、露店へ商品を並べる商人が行き交っており、改めて見れば食材の種類もかなり多い。


 香辛料を扱う店はすぐに見つかった。袋や木箱には赤、黄色、茶色、黒と、見たことのない粉や種が並んでいる。


「これ、ちょっと見ていい?」


 店主へ断ってから、一つずつ《万能解析》をかけていく。名前を聞いてもどうせ覚えられそうにないので、見るのは性質だけでいい。


 爽やかで少し苦味のある香り。土っぽく温かい香り。甘みのある香り。強い辛味。鮮やかな黄色が出るもの。


 いくつか確認しているうちに、カレールーへ使えそうなものが次々と見つかった。


「あ、これいる。これも。これもください」


 一種類ずつ少量を買って試すことも考えたものの、また来るのは面倒だ。いつか使うなら今買っても同じなので、使えそうなものはまとめて買うことにした。


「これ、全部ください」


 店主が一瞬黙った。


「……全部?」


「はい」


 何かおかしいだろうか。


 必要だから買うだけである。


 香辛料を確保したあとは油を探し、別の店で植物から搾った油や動物の脂を見せてもらった。こちらも解析し、ルーに使いやすそうなものを選ぶ。


「これください」


「どのくらいだい?」


 店主の後ろには瓶や壺がいくつも並んでいる。


「そこにある分、全部」


「……全部?」


「はい」


 今日はよく聞き返される。


 香辛料も油もかなりの量になったが、《無限収納》へ入れてしまえば荷物にもならない。最後に小麦粉も見つけたので、ついでに必要な分をまとめて買い、これでしばらく港へ来なくて済むと満足してヴィラへ戻った。


 ◇


 キッチンの作業台へ買ってきた材料を並べ、さっき解析したカレールーを基準に《万能生産》へ任せる。


「さっきのに近い感じで」


 しばらくすると、現地の香辛料と油を使ったルーが出来上がった。


 少量を溶かして味を見る。


「……辛い」


 配合を少し変えて、もう一度。


「今度は香りが弱い」


 さらに調整して作り直す。


 何度か繰り返しているうちに、横で見ていたロキと爺まで試食する流れになった。


 ロキは一口食べて首を傾げ、爺は先ほどのカレーを思い出すようにゆっくり味を確かめる。二人の反応を見ながら香辛料の比率や甘みを少しずつ変えていき、ようやく納得できるところまで近づいた。


「……これだ」


 ロキへ渡すと、今度は素直に頷いた。


「うまい」


 爺も味を確かめ、満足そうに目を細める。


「先ほどのものより、私はこの方が好みかもしれません」


「ほんと?」


 それはちょっと嬉しい。


 市販のルーをそのまま再現するつもりだったのに、現地の香辛料で調整しているうちに、少しだけ私好みの味になっていた。


 配合を《万能生産》へ登録し、そのまま大量に作る。出来上がったルーは使いやすい大きさに分けて《無限収納》へ入れた。


 検索する。


 カレールー。


 大量。


「よし」


 これで安心だ。


 ようやくソファへ戻って身体を沈めると、一気に力が抜けた。


「……私、今日かなり働いてない?」


 近くで本を読んでいたロキが、顔も上げずに言った。


「魔法が作っただろう」


「材料買いに行ったし」


「転移で」


「……味見もした」


 そこでようやくロキが本から目を上げた。


「食べていただけだろう」


 私は黙った。


 確かに。


 ほとんど魔法がやっている気もする。


 まあ。


 美味しいもののためだから、しょうがない。

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