第35話 ルーがない
今日、なに食べようかな。
南のヴィラのソファに寝転がりながら考えていると、開け放った窓の向こうでは海がきらきら光っていた。天気はいいし、風も気持ちいい。こういう日は何もしないのが一番なのだが、残念ながら腹は減る。
朝はパンだったので、昼もパンという気分ではない。麺でもない。肉はあるし、米も心許ないがまだある。
「……カレーにしよう」
そう思った途端、もう口がカレーになった。
ソファから起き上がって《無限収納》を検索すると、じゃがいも、玉ねぎ、人参はある。肉も以前仕留めた猪がまだかなり残っているので問題ない。肝心のカレールーも見つかったものの、残っていたのは半箱だけだった。
「半分か」
三人分なら足りるだろう。
キッチンへ向かうと、ロキは窓際で本を読んでおり、爺はその近くで何かを片付けていた。
「今日カレーにするけど、食べる?」
「カレーとは何だ」
そういえば、二人とも知らないのか。
「ご飯にかけて食べる、ちょっと辛くて香辛料がいっぱい入った料理」
食べたことがなければ説明したところで分からないだろうと思い、それ以上は言わずに材料を取り出した。玉ねぎに人参、じゃがいも、それから猪肉。カレーくらいなら普通に作っても大した手間ではないと思ったものの、いざ包丁を持つと全部切るのは面倒だったので、そこだけ《万能生産》に任せる。
鍋で肉と野菜を軽く炒め、水を入れて煮込んでいると、匂いにつられたのかロキが近くまで来て鍋を覗き込んだ。
「まだカレーじゃないよ」
「そうか」
それだけ答えたくせに、ロキはその場を離れなかった。
野菜が柔らかくなったところで火を弱め、残っていたカレールーを全部入れる。茶色い塊がゆっくり溶けるにつれて、いつもの匂いが広がった。
やっぱりカレーはいい。匂いだけで腹が減る。
爺も興味深そうに鍋を見ていたが、何も言わずに食卓を整え始めたので、私は炊いておいた白いご飯へたっぷりカレーをかけ、三人分を並べた。
「はい。カレーライス」
二人とも皿を見たまま少し警戒しているので、私は先に一口食べる。するとロキもようやくスプーンを取り、少量を口へ運んだところで一度止まったものの、すぐにもう一口、その次も続けて食べた。
「どう?」
「……うまい」
短いが、食べる速度は明らかに上がっている。
爺の方は慎重に口へ運び、しばらく味わってから目を細めた。
「これは、随分と複雑な味でございますな。辛味だけではなく、甘味もあり、香りも幾重にも重なっております」
「いろんな香辛料入ってるからね」
爺が真面目に分析している横で、ロキの皿はいつの間にか空になっていた。
「もう一杯」
「気に入ったんじゃん」
「悪くない」
その言い方で二杯目を要求するのはどうなんだと思いながらも、おかわりをよそう。私も追加で食べ、結局鍋の中はほとんど空になった。
食後、満足して食器を片付けながら、何となく空になったルーの箱を手に取ったところで気づいた。
「……あ」
箱をひっくり返してみる。当然、何も出てこない。
念のため《無限収納》を検索した。
カレールー。
該当なし。
「……ない」
もう一度検索する。
該当なし。
「ちょっと待って」
三回目。
やっぱりない。
私の声に、ロキが本から顔を上げた。
「何がだ」
「カレーが今後食べられない」
「それだけか」
「それだけじゃないよ」
何を言っているんだ。
カレーが食べられないのである。
クラーケンが出ても何とかなったし、海に巨大な龍が来てもどうにかなったが、収納の中にカレールーが一つもないのは普通に困る。
とはいえ、いつまでも落ち込んでいても増えるわけではないので、鍋の底に少しだけ残ったカレーへ《万能解析》をかけてみる。
油脂、小麦粉、複数の香辛料、塩、糖分、そのほかいくつもの材料と、おおよその配合がずらずら表示された。
「……作れるじゃん」
一気に気分が上がった。
さすが万能。
これなら市販のルーがなくても何とかなる。
必要な材料を確認する。
小麦粉。ある。
塩。ある。
砂糖もある。
油脂。
足りない。
香辛料。
足りない。
「……」
もう一度見た。
やっぱり足りない。
「……作れないじゃん」
上がった気分が、そのまま元の位置まで戻った。
日本から持ってきた胡椒や七味程度ならあるものの、カレーを作るための香辛料は揃っていない。料理用の油も多少は残っているが、今後ルーをまとめて作るには心許なかった。
私はキッチンカウンターへ手をつきながら考える。
ここは南の島だ。
海がある。
港がある。
交易船も来る。
「……あるじゃん」
顔を上げた。
香辛料なんて、むしろ港に集まっていそうなものだ。
「ちょっと買い物行ってくる」
今からか、とロキが呆れたように言ったが、一度気づいてしまった以上、収納の中にカレールーが一つもない状態でのんびりしていられない。
◇
港へ転移すると、潮と魚、それに香辛料が混じったような独特の匂いがした。船から荷を下ろす者、樽を運ぶ者、露店へ商品を並べる商人が行き交っており、改めて見れば食材の種類もかなり多い。
香辛料を扱う店はすぐに見つかった。袋や木箱には赤、黄色、茶色、黒と、見たことのない粉や種が並んでいる。
「これ、ちょっと見ていい?」
店主へ断ってから、一つずつ《万能解析》をかけていく。名前を聞いてもどうせ覚えられそうにないので、見るのは性質だけでいい。
爽やかで少し苦味のある香り。土っぽく温かい香り。甘みのある香り。強い辛味。鮮やかな黄色が出るもの。
いくつか確認しているうちに、カレールーへ使えそうなものが次々と見つかった。
「あ、これいる。これも。これもください」
一種類ずつ少量を買って試すことも考えたものの、また来るのは面倒だ。いつか使うなら今買っても同じなので、使えそうなものはまとめて買うことにした。
「これ、全部ください」
店主が一瞬黙った。
「……全部?」
「はい」
何かおかしいだろうか。
必要だから買うだけである。
香辛料を確保したあとは油を探し、別の店で植物から搾った油や動物の脂を見せてもらった。こちらも解析し、ルーに使いやすそうなものを選ぶ。
「これください」
「どのくらいだい?」
店主の後ろには瓶や壺がいくつも並んでいる。
「そこにある分、全部」
「……全部?」
「はい」
今日はよく聞き返される。
香辛料も油もかなりの量になったが、《無限収納》へ入れてしまえば荷物にもならない。最後に小麦粉も見つけたので、ついでに必要な分をまとめて買い、これでしばらく港へ来なくて済むと満足してヴィラへ戻った。
◇
キッチンの作業台へ買ってきた材料を並べ、さっき解析したカレールーを基準に《万能生産》へ任せる。
「さっきのに近い感じで」
しばらくすると、現地の香辛料と油を使ったルーが出来上がった。
少量を溶かして味を見る。
「……辛い」
配合を少し変えて、もう一度。
「今度は香りが弱い」
さらに調整して作り直す。
何度か繰り返しているうちに、横で見ていたロキと爺まで試食する流れになった。
ロキは一口食べて首を傾げ、爺は先ほどのカレーを思い出すようにゆっくり味を確かめる。二人の反応を見ながら香辛料の比率や甘みを少しずつ変えていき、ようやく納得できるところまで近づいた。
「……これだ」
ロキへ渡すと、今度は素直に頷いた。
「うまい」
爺も味を確かめ、満足そうに目を細める。
「先ほどのものより、私はこの方が好みかもしれません」
「ほんと?」
それはちょっと嬉しい。
市販のルーをそのまま再現するつもりだったのに、現地の香辛料で調整しているうちに、少しだけ私好みの味になっていた。
配合を《万能生産》へ登録し、そのまま大量に作る。出来上がったルーは使いやすい大きさに分けて《無限収納》へ入れた。
検索する。
カレールー。
大量。
「よし」
これで安心だ。
ようやくソファへ戻って身体を沈めると、一気に力が抜けた。
「……私、今日かなり働いてない?」
近くで本を読んでいたロキが、顔も上げずに言った。
「魔法が作っただろう」
「材料買いに行ったし」
「転移で」
「……味見もした」
そこでようやくロキが本から目を上げた。
「食べていただけだろう」
私は黙った。
確かに。
ほとんど魔法がやっている気もする。
まあ。
美味しいもののためだから、しょうがない。




