第34話 お湯増えてない?
久しぶりに温泉へ行こうと思った。
特に理由はない。南の島も快適だが、雪を見ながら広い風呂に浸かるのもいいし、リアもあっちにいるので、ついでに様子を見ておこうと思っただけだ。
「温泉行く?」
「行く」
朝食のあとロキに声をかけると、その横で食器を片づけていた爺もぴたりと手を止めた。
「私もお供いたします」
「うん。じゃあ爺の水着も作るね」
「水着……でございますか?」
「温泉で着るやつ」
「承知いたしました」
よく分かってはいなさそうだが、爺は素直だった。《万能生産》で落ち着いた形のものを作って渡し、そのまま三人まとめて雪国へ転移する。
景色が切り替わり、白い雪原と温泉施設が現れた。冷たい空気を吸い込みながら露天風呂へ目を向け、私は首を傾げる。
「……お湯増えてない?」
前に来た時より、明らかに水位が高い。浴槽の中央では、見慣れた短い身体が腹を上にして浮いていた。
ぷかーっ。
「リア。お湯増えた?」
増えた。
「やっぱり」
そういえば、前に一度北の海へ戻っていたはずだ。
「最近、北の海には行ってるの?」
行ってる。
「ちゃんと?」
仕事。
「えらいね」
終わったら帰る。
「ここに?」
ここがいい。
どうやら北の海は放置していないらしい。必要な時は向こうへ行き、終わったら温泉へ帰ってくる。
完全にここを家だと思っている。
まあ、いいか。
お湯が増えた理由を調べようとしたところで、今度は雪原に緑が混じっていることに気づいた。雪を押し退けるように草が伸び、小さな花まで咲いている。
「前からあった?」
「なかった」
ロキの返事を聞きながら近づこうとすると、巨大な三段雪だるまがこちらを向いた。
ぶんぶん。
「……あれ、動いてた?」
「動いてない」
続いて巨大な狼が駆け寄ってきたが、襲うどころか頭を低くし、私の手へ鼻先を押しつける。その反対側からはユニコーンまで首を擦り寄せ、一歩進むたび、蹄の周囲に雪の結晶をかたどった小さな草花が咲いていった。
さらに巨大な猫まで寄ってきたので、両手で顔を撫でる。その向こうでは熊が座り、ドラゴンが大きな頭をこちらへ下げていた。
全部、私が作った雪像だった。
「あ」
少し離れたところには、ロキもいる。
正確には、ロキの雪像が。
本人より妙に凛々しい雪像ロキは、私を見つけると無駄に格好よく片膝をついた。
「なぜこいつはそんな動きをする」
「知らない。作った時から格好よかったし」
「作ったのはお前だろ」
後ろで爺が小さく息を呑んだ。
「坊ちゃま……」
「何だ」
「少々、こちらへ」
「嫌だ」
しかし爺はめげず、今度はこちらを向いた。
「由美様、記念に一枚お願いできますでしょうか」
「いいよ」
「よくない」
ロキの抗議は聞かなかったことにして、爺が本人を雪像の横へ立たせ、自分もその隣へ並ぶ。雪像ロキは空気を読んだのか、すっと立ち上がると、本物の隣で無駄に格好いい姿勢を取った。
本物ロキは不機嫌。
雪像ロキは妙に凛々しい。
爺は満足そうだ。
「撮るよ」
一枚撮ると、爺はすぐにこちらを見た。
「由美様もぜひ」
「私は撮る人なんだけど」
「記念でございます」
「またそれ?」
断るほどでもないかと思い、スマホを浮かせて撮影するよう設定すると、今度は私も並んだ。
由美、ロキ、爺、雪像ロキ。
三人と一雪像。
背景では巨大雪だるまが枝腕を振り、ドラゴンが首を伸ばし、巨大猫までこちらを覗き込んでいる。さらにユニコーンが歩いた跡には、雪の結晶みたいな小さな草花が咲いていた。
「いい写真だね」
「次回もお願いいたします」
「次もあるのか?」
スマホをしまったところで、雪の城の入口がひとりでに開き、内部に淡い光が灯った。周囲には細かな雪片まできらきらと舞っている。
「……増えてない?」
よく見ると、前にはなかった塔と部屋がある。
「増築されてるな」
「勝手に?」
「お前がしてないなら」
「してない」
城まで自力で育つようになったらしい。
便利そうなので放っておこう。
その時、雪の上から猿の頭が出ているのが見えた。
「…………」
温泉に浸かる姿で作った猿の雪像だ。肩まで雪の中へ沈み、そのまますーっと移動している。
「入ってるつもりなんだ」
「つもりだな」
さらに後ろから、白い腹が近づいてきた。
ぷかーっ。
リア雪像だった。
本物と同じ姿勢のまま身体を雪へ沈め、雪面をゆっくり進んでいる。それに気づいた本物リアが、温泉から顔を上げた。
「リア、あれどう?」
私。
「そっくりでしょ」
そっくり。
満足しているらしい。
なんだか楽しくなってきたが、お湯が増えた理由くらいは調べておいた方がいい。《万能解析》を使ってみると、周辺のマナ濃度が以前よりかなり高くなっていることが分かった。
地下には大きな龍脈が流れており、どうやら温泉を掘った時、私はそこへつながる出口を作ってしまっていたらしい。
「……これ、龍穴になってるんだ」
「何だそれは」
「龍脈の力が出てくる場所みたい」
しかも、その龍穴は以前より広がっている。湯とマナが長期間流れ出した結果、周辺では植物が育ち、私の雪像に残っていた魔力まで刺激されたようだ。
「穴が自然に広がるとは思わないじゃん」
「お前が開けたんだろ」
「そうなんだけど」
すると背後から、低い声が響いた。
「お前か! こんなところに龍穴を開けたのは!」
「うわ」
振り返ると、岩と土でできた小柄な老人のようなものが立っていた。髪や肩には苔が生え、目だけが淡く光っている。
「いつからいたの?」
「お前たちが来る前からだ!」
ずっと待っていたらしい。
地の精霊だというその老人は、温泉、植物、動き回る雪像、勝手に増築している城、そして温泉でぷかーっと浮いているリアを順番に見回した。
「……お前は何をした」
「温泉掘っただけだけど」
「これのどこが『だけ』だ!」
怒られた。
話を聞くと、このまま龍穴が広がれば、さらに周囲へマナが漏れ出してしまうらしい。
「じゃあ塞ぐ?」
「いきなり塞ぐな! 流れが乱れる!」
「あ、そっか」
なら、必要な分だけ温泉へ流せばいい。
《万能解析》で龍脈の流れを確認しながら、《万能生産》で流量調整用の設備を作り、余分なマナは地下へ戻して、温泉に必要な分だけ通すようにする。しばらくすると、湧出量も周囲のマナも少しずつ落ち着いていった。
「これでいい?」
精霊が設備と龍穴を見比べた。
「……なぜ作れる」
「万能だから?」
「何がだ」
「いろいろ」
説明すると長い。
そこへ温泉のリアから意思が届いた。
減った。
「適量になったの」
前の方がいい。
「増やすな!」
精霊が即座に割り込んだ。
リアは気にした様子もなく、そのままぷかーっと流されていく。
「じゃあ雪像は?」
雪だるまはまだ腕を振り、狼は私のそばに座り、ユニコーンは歩くたびに小さな花を咲かせている。猫もドラゴンもそのままだし、雪像リアは雪の中を相変わらず漂っていた。
「一度自律したものは、マナ濃度が下がったからといって、すぐ元へ戻るとは限らん」
「そうなんだ」
しばらく待ってみたが、雪だるまはまた腕を振った。
危ない感じもしないし、ここには人も住んでいない。
「じゃあ、まあいっか」
「よくはない」
「でも誰も困ってないよ?」
精霊が黙った。
その後はせっかくなので温泉へ入り、爺は当然のようにロキのそばへ陣取った。リアはいつもの場所でぷかーっと浮かび、雪原では雪像たちが好き勝手に動いている。
帰る頃には、精霊も少し離れた岩の上で諦めたように座っていた。
「また来るね」
雪だるまが大きく手を振り、雪像ロキは格好よく胸に手を当てる。
本物ロキは見なかったことにしている。
「次回も写真をお願いしてよろしいでしょうか」
「いいよ」
「やめろ」
そういえば、さっき撮った写真はどうなっただろう。
スマホを取り出し、まず爺とロキ、雪像ロキの三人で撮った方を見る。爺は満足そうで、ロキは不機嫌、雪像ロキだけが無駄に格好いい。
次に、私も入った四人の写真を開いた。
「ん?」
背景に妙な色が混じっている。
拡大する。
もう少し。
「…………」
地の精霊だった。
遠くの岩陰から、こっちを見ている。
「……最初からいたんだ」
「だからそう言っただろう!」
ゾンビといい、地の精霊といい、最近こういうのばっかりだな。
温泉の湧出量は安定した。
龍穴もこれ以上広がらない。
雪像たちは動き、城は勝手に増築しているけれど、人のいない場所だ。




