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46歳、異世界では絶対に働きません。  作者: Tomsug


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第33話 物語が始まらない

封鎖都市から戻って数日。


 幸い、南の島は今日も平和だった。空は晴れ、海は青く、波も穏やかなので、朝食を食べたあと、そのまま砂浜へ降りることにした。


 泳ぐほどの気分ではない。ただ裸足で波打ち際を歩き、暑くなったら戻って昼寝する。それくらいがいい。


 ロキも少し離れたところを歩いているが、爺はヴィラに残っている。爺まで来ると何かにつけてロキの世話を焼き始めるので、散歩くらいなら二人でちょうどいい。


 そんなことを考えながら歩いていると、少し先の砂浜に何かがいた。


「……亀?」


 大きい。


 普通の亀よりずっと大きく、大人が一人くらいなら背中に乗れそうだ。ひっくり返っているわけではないものの、甲羅の脇に絡みついた太い海藻が岩へ引っかかっており、海へ戻ろうとしては前脚を空回りさせている。


「これか」


 絡んだ海藻をちぎってやると、亀はようやく自由になり、のそのそと海へ向かっていった。


 よかったよかった。


 そう思い、踵を返しかけたところで背後から声がした。


「お待ちください」


 止まった。


 ロキも止まったので、私はゆっくり振り返る。


 亀がこっちを見ていた。


「……喋るんだ」


 魔物だったのかと思い、試しにテイムを使ってみる。


《対象:従魔契約不可》


「できないんだ」


 亀が一歩だけ後ずさった。


「……今、何をなさったのですか?」


「ちょっとテイム」


「…………」


「できなかったから大丈夫」


 亀はしばらく黙っていた。


 最初に助けたよね、という顔をしている。


 たぶん気のせいだ。


 やがて気を取り直したように姿勢を正すと、亀は改めてこちらへ頭を下げた。


「助けていただいた御礼をさせてください。海の底に、美しい宮殿がございます。ぜひそちらへ」


 海の底。


 宮殿。


 亀。


 なんか嫌な組み合わせだな。


「どれくらい?」


「時を忘れるほど楽しい場所でございます」


「じゃあ、いい」


 亀が固まった。


「……よろしいのですか?」


「今日はそういう気分じゃないから」


 宮殿が嫌なわけではないし、美味しいものが出るなら多少は気になるものの、今日はそこまでの気分じゃない。


 そもそも、時を忘れるほど楽しい場所なんて怖い。


 私は再び歩き出した。後ろで亀が何か言いたそうにしていたものの、ロキも特に気にする様子はなく、そのままついてくる。


 少し進んでからなんとなく振り返ると、亀はまだこちらを見ていた。


 ごめんね。


 今日は無理。


◇


 昼前になり、少し暑くなってきたので、帰る前に足だけ海へ浸けることにした。


 浅瀬の水はひんやりして気持ちよかったが、そのまま何歩か進んだところで、口元に跳ねた海水を舐め、私は眉を寄せた。


「しょっぱ」


 海だから当然なのだが、それにしてもしょっぱい。場所を変えて確かめてみても、この一帯だけ明らかに塩気が強いので、《万能解析》を使うと、原因らしきものはかなり深い海底にあるらしい。


「……また海の底か」


 さっき断ったばかりなんだけど。


 潜るのは面倒なので、海を左右へ押し退ける。


 轟音とともに海面が大きく割れ、水が巨大な壁となって左右へ持ち上がった。遥か下まで海底が露出し、その中央に一本の道ができる。


 ロキが黙ってそれを見ていた。


「何?」


「いや」


 何もないならいい。


 さすがに全部歩いて降りる気はないので、海底までの道が見えたところで、ロキごと下へ転移する。


***


 海底の宮殿では、戻ってきた亀が深々と頭を下げていた。


「申し訳ございません。恩人をお連れすることはできませんでした」


 玉座に座る海神が、不思議そうに眉を寄せる。


「断られたのか?」


「はい。今日はそういう気分ではない、と」


 宮殿に微妙な沈黙が落ちた。


「……そういう気分?」


「はい」


 その時だった。


 地鳴りのような音が宮殿全体を震わせ、外から悲鳴が上がった。


「海が!」


「海が割れております!」


「何!?」


 一斉に窓へ駆け寄った者たちの向こうでは、本来なら海水に満たされているはずの景色が巨大な壁となって左右へ押し退けられ、海底が露出していた。


 その中央に、一人の女と小さな魔族が現れる。


 亀は黙った。


 あの女だ。


「何者だ、あれは」


 海神に問われたものの、亀はすぐには答えられなかった。


 恩人ではある。命を助けてもらったのも間違いない。


 ただ、助けた直後に自分を従魔にしようとし、宮殿への招待を断った数刻後には、海そのものを割っている。


 亀はようやく口を開いた。


「……あの方です」


***


 海底へ降りると、少し離れたところに大きな建物があった。


 珊瑚や貝殻で飾られた、ずいぶん立派な宮殿だ。


「あ、なんか建物ある」


 ロキがそちらを見た。


「さっきの亀が言っていた宮殿じゃないか」


「ああ。近かったんだね」


 なら、わざわざ連れてきてもらわなくても来られたらしい。


 まあ、今日は行かないけど。


 目的の反応は宮殿とは反対側にあったので、そのまま岩場の方へ向かうと、古びた石臼が転がっていた。


 上の石は誰も触れていないのにぐるぐる回り続け、その隙間から白い粒を延々と吐き出しており、周囲にはすでに小さな山までできている。


「塩?」


 鑑定すると、そのままだった。


 かなり古い魔道具らしく、材料もなしに塩を作り続けているうえ、現在は停止命令を受け付けていない。


「止まらないの?」


 石臼は答えず、黙々と塩を吐いている。


 直そうと思えば直せるかもしれないが、そのためにここで作業するのも面倒だ。


「じゃあ、収納」


 石臼が消えた。


 無限収納の中は時間が止まっているので、これ以上塩が増えることもない。


 海底に残った塩だけ適当に散らしてから元の場所へ転移し、左右に分けていた海も戻すと、巨大な水の壁が崩れ、海は何事もなかったように元へ戻った。


 ロキが波打ち際を見ながら聞いてくる。


「捨てないのか」


「なんかに使えるかもしれないし」


「止め方が分からないんだろ」


「収納から出さなきゃ止まってるよ」


 問題ない。


 たぶん。


◇


 午後はヴィラへ戻り、昼食を食べてからテラスで寝転がっていた。


 今日はもう十分外に出た。


 そう思っていたのだが、しばらくすると沖に小さな舟が見えた。


「……なんで人いんの?」


 ここ、無人島なんだけど。


 身体を起こして確認すると、舟は結界の外側にいるので、侵入されたわけではないらしい。男が一人、舟の縁から何度も海を覗き込んでおり、帰る様子もなく、ずっと同じ辺りを探しているのがなんとなく気になった。


「ちょっと見てくる」


 船上へ転移すると、突然現れた私を見て男が思いきり仰け反った。


「うわっ!」


「ごめん。何してるの?」


 男はしばらく固まっていたものの、どうにか息を整えると、申し訳なさそうに海を指した。


「釣り針を落としまして。兄から借りた大切なもので、この辺りで糸が切れたのですが、どうしても見つからず……」


 なるほど。


 私は海を見る。


 広い。


 釣り針は小さい。


 普通に探したら大変だろう。


「ちょっと待って」


 残った釣り糸を見せてもらい、《万能解析》で対象を絞ると、反応はすぐに見つかった。


「あった」


「本当ですか?」


「うん。でも深いね」


 本人をそこへ飛ばすのは簡単だが、海の中へ直接転移させたら普通に溺れる。


 なら、こっちへ持ってくればいい。


 収納から適当な素材を出して《万能生産》へ放り込み、落とした物の情報を指定して、それだけを回収して戻ってくる小さな魔道具を作る。


 出来上がったものを海へ落とすと、ぽちゃんと沈み、そのまま真っ直ぐ海底へ向かっていった。


***


 海底の宮殿では、海神の前に多くの魚たちが集められていた。


 海へ落とされたという一本の釣り針を探すため、大小あらゆる魚を調べた末、ようやく一匹の鯛の喉に刺さっていることが分かったのである。


 慎重に抜き取られた釣り針が、海神の前へ運ばれる。


「ようやく見つかったか」


 海神が手を伸ばした。


 その瞬間。


 釣り針が消えた。


「…………」


 海神の手だけが宙に残る。


 周囲に控えていた者たちも動かなかった。


 海神は空になった台を見て、それからもう一度、自分の手を見る。


「…………」


 誰も何も言わなかった。


 少し離れたところにいた亀だけが、そっと目を閉じた。


***


 しばらくすると、海面から小さな魔道具が飛び出してきた。


 その先端には一本の釣り針が引っかかっている。


「これ?」


 男へ渡すと、目を見開いて何度も頷いた。


「それです! 間違いありません!」


「よかったね」


 男は何度も礼を言っていたが、見つかったならもう大丈夫だろう。


 私は魔道具を回収し、そのままヴィラへ戻った。


 これ、使えるな。


 今度何か落とした時にも使おう。


◇


 夕方。


 夕飯の前にもう一度だけ浜辺を歩いていると、今度は波打ち際に壺が落ちていた。


 大きめの壺で、表面には見たことのない模様が刻まれている。かなり古そうだが割れてはおらず、蓋には封印らしきものまで施されていた。


「今日はよく拾うな」


 ロキの言葉に頷きながら、壺を持ち上げる。


 嫌な感じはしない。


「開けてみる?」


「なぜ聞く」


「なんとなく」


「好きにしろ」


 では好きにしよう。


 封印を外して蓋を開けた瞬間、壺の中から黒い煙が勢いよく噴き出した。


 煙は空へ伸び、渦を巻きながら巨大な人影を作っていく。


 筋骨隆々。


 腕を組み、いかにも偉そうな顔をした男が砂浜を見下ろした。


「我を封印より解き放ちし者よ!」


 声がでかい。


「長き時を経て、ついに我は自由を――」


「帰って」


 男の口が止まった。


「……何?」


「帰って」


「待て。我が何者か分かっているのか」


「知らない」


「我は偉大なる魔人にして、古き時代より――」


「ごめん、もう夕飯だから」


 壺を向けると、魔人の身体が煙へ戻り始めた。


「待て待て待て! まだ何も話しておらぬ! 願いの一つや二つくらい聞けるぞ!」


「今ない」


 それでも魔人は諦めず、富や権力、果ては永遠の命まで次々に持ち出してきたが、富はあるし、権力はいらない。永遠の命も長すぎるのはちょっと困る。


「では何なら欲しいのだ!」


 少し考える。


「働かなくていい生活?」


「それは我でも説明が――」


「じゃあいいや」


「待てえええええ!」


 最後の煙まで壺へ吸い込まれたので、蓋を閉めた。


 静かになった。


 収納しておこう。


 ロキがしばらく何も言わなかったので、私は壺を片づけ、そのままヴィラへ戻る。


 今日は亀に宮殿へ誘われ、海底で止まらない石臼を拾い、なくした釣り針を探し、壺から魔人まで出てきた。


 それでもゾンビに追いかけられたり、街が封鎖されたりしたわけではない。


 十分平和だ。


「お腹すいたね」


 ロキが一度だけ海を振り返った。


「……そうだな」


 夕飯は何にしよう。


 私はそれだけ考えながら、ヴィラへ戻った。

※今回のモチーフ


・『浦島太郎』

・『塩ふき臼』

・『海幸彦と山幸彦』

・『千夜一夜物語』「漁師と鬼神との物語」


でした。


全部、由美のせいで物語が始まりませんでした。

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