第32話 封鎖都市 vol.3
翌朝、朝食を済ませた私たちは研究所へ向かった。
宿に残る七人には結界から出ないよう伝え、案内役として研究員だけ同行してもらっている。本人は昨日からずっと嫌そうな顔をしていたが、場所も内部構造も知らない私たちだけで行くよりは早い。
「本当に行くんですね……」
「行きたくないって昨日から言ってるよ」
帰れないから行くのである。
研究所は街の北側にあり、遠目には大きな病院か大学のように見えた。白い石造りの建物がいくつも連なり、門にはこの数日の騒ぎで壊れたらしい魔導灯がぶら下がっている。
問題は、その周辺をうろついている数だった。
「多くない?」
「研究所から最初に広がったのなら当然だろう」
ロキは冷静だが、私は嫌だ。
服が汚れる。
臭そう。
数えるのも面倒なので、昨日と同じように結界を広げ、研究所の入口まで一本の通路を作った。左右から感染者たちが群がって透明な壁を叩き始めたものの、届かないならただの景色である。
「……ぁ……う゛……」
「見学通路みたいになったね」
「見るものが最悪だがな」
研究員はもう何も言わなかった。
順応が早くて助かる。
◇
研究所の中は、外よりひどかった。
割れた瓶や書類が床へ散乱し、壁には黒ずんだ血の跡が残っている。奥の廊下には倒れた机まで転がっていた。
「うわ。汚い」
私は入口で収納から長靴を出して履き替え、全員まとめて結界で囲った。
正解だった。
思わずクリーンをかけようとしたところで、研究員が慌てて声を上げた。
「待ってください! 記録や痕跡まで消えるかもしれません!」
「あ」
危なかった。
「先に言って」
「普通は研究所に入って最初に掃除しようと思わないんです!」
なるほど。
言われてみればそうかもしれない。
仕方なく汚れた床を避けながら奥へ進むと、研究員が職員用の魔導錠をいくつか解除してくれた。ところどころ開かない扉もあったが、そこは私が魔法でどうにかした。
三つ目の扉を開けたところで、突然奥から声が響いた。
「誰かいるんですか!?」
全員が止まった。
「います! いますよね!? 助けてください!」
「うわ、びっくりした」
「人だ」
声は廊下脇の小さな封鎖室から聞こえていた。
研究員が扉へ駆け寄ったが、緊急封鎖が掛かっているらしく開かない。
「解除できないのか?」
「できません! もう何日もここに……!」
「じゃ、どいて」
扉ごと外した。
重そうな石と金属の板が横へずれると、中から若い男が這うように出てきた。
まだ二十歳そこそこだろうか。髪はぼさぼさで、頬もこけている。
男は私たちを見たあと、外された扉を見た。
「……扉」
「開いたよ」
「開いたっていうか……」
細かいことはいい。
水を渡すと、男は一気に半分ほど飲み、それからようやく落ち着いたらしい。
研究所へ入ってまだ大して進んでいないのに、生存者が一人増えた。
◇
若い男は、地下研究区画の助手だった。
助手と聞いて多少身構えたものの、本人の話を聞いてみると、研究に参加していたというより、試料を運んだり、記録を整理したり、培養槽を掃除したりする雑用係だったらしい。
「重要な研究だから、そばで学べるって言われたんです」
「で、掃除?」
「……はい」
「騙されてるね」
「今なら分かります」
悲しい。
事件が起きた時も、この封鎖室へ備品を運ばされていた。その途中で廊下の向こうから悲鳴が聞こえ、研究員同士が襲い合っているのを見て、慌てて中へ逃げ込んだらしい。
非常用の水と保存食があったので今日まで生き延びたものの、扉は開かず、通信も繋がらなかった。
「事故の直前、先生たちがものすごく喜んでたんです」
「何を?」
「実験体の再生が安定したって。傷も塞がるし、毒にも病気にも強くなったって……それで、成功したって」
助手は暗い顔で廊下の奥を見た。
「俺も……成功したんだと思ったんです」
私は、床に残った血痕を見た。
割れた培養瓶を見た。
さっき廊下の向こうを歩いていた元研究員らしきゾンビを思い出した。
「どこ見て?」
「いや、俺じゃないです! 先生たちが!」
「でも成功したって聞いたんでしょ?」
「聞きましたけど、今は失敗だって分かってます!」
分かっているならよろしい。
研究員が深いため息をついた。
「お前、地下の配置は分かるか?」
「途中までなら。毎日荷物運ばされてましたから」
雑用も役に立つことがある。
助手を加え、今度は五人で地下へ向かった。
◇
地下へ下りるほど、研究所は不気味になっていった。
厚い扉の向こうには割れた培養槽が並び、中には濁った液体だけが残っている。壁には研究記録らしき紙が貼られ、助手と研究員が必要なものだけ拾いながら内容を確認していた。
どうやら彼らが作ろうとしていたのは、本当に「神に選ばれた肉体」だったらしい。
病まず、毒されず、傷ついても再生し、死すら乗り越える身体。
そのために、再生能力の高い魔物から採取した組織を人間へ適応させ、魔力経路を無理やり活性化する研究を繰り返していた。
肉体の再生には成功した。
問題は、それ以外だった。
「脳や精神の損傷まで正常に戻るわけじゃない……」
研究員が記録を読みながら顔をしかめる。
「それでも肉体だけは動き続ける。しかも変質した魔力が体液を通して他人へ侵食する……」
「はい、ゾンビ完成」
「その呼び方でまとめないでください」
「分かりやすいじゃん」
分かりやすさは大事だ。
さらに奥へ進む途中、助手が足を止めた。
「この先、培養区画です」
「通らないとダメ?」
「中央制御室へ行くなら」
「別の道は?」
「ありません」
私は横の壁を見た。
「壁壊したら?」
研究員と助手が同時にこちらを見た。
「は?」
「向こう側、制御室の方なんでしょ?」
「そうですが……」
「じゃあ近道じゃん」
壁に少しだけ穴を開けて確認し、そのまま人が通れる大きさまで広げた。
培養区画を丸ごと迂回できた。
助手が呆然と穴を見ている。
「毎日あそこ通ってたのに……」
「お疲れさま」
今日から通らなくていいよ。
◇
中央制御室の手前には、まだ一人、生きている人間がいた。
正確には、人間と呼んでいいのか少し迷った。
白衣を着た初老の男だったが、腕から首にかけて黒い筋のようなものが浮かび、片方の目は不自然な色に変わっている。それでも理性は残っているらしく、私たちを見ると静かに笑った。
「外から来た者か」
助手が息を呑んだ。
「主任……」
どうやら偉い人らしい。
男は自分の腕を切ると、傷口が見る間に塞がっていった。
「見ろ。病も毒も、もはや我々を脅かすことはない。肉体は死を超えた。我々はついに、神に選ばれる器を」
「でも外ゾンビだらけだよ?」
男が止まった。
「……ぞんび?…あれは適応できなかった者たちだ」
「街ほぼ全員じゃん」
「完成には犠牲が」
「多すぎない?」
横でロキが小さく息を吐いた。
主任は私を睨みつけ、突然、机の上にあった瓶を床へ叩きつけた。
紫色の煙が広がったものの、こちらは最初から結界の中なので、透明な壁の向こうでもやもやしているだけだった。
「それ何?」
「侵食剤だ。触れればお前たちも同じ末路を辿る」
「ふーん」
さっきから散々言っている、神に選ばれた肉体とやらを思い出す。
「じゃあ、これ効かなかったら神に選ばれた肉体ってこと?」
「何?」
結界の外へ手だけ出した。
「由美」
ロキが眉を寄せたが、全身で浴びる気はない。
「手だけだから」
紫色の煙が指先から手首までを包む。
しばらく待ってみた。
何も起きない。
「ほら」
手をひらひらさせる。
「効かないけど」
「何だ……?」
主任の顔から余裕が消えた。
「なぜ侵食されない」
「状態異常効かないから」
「そんな肉体が……存在するはずがない」
「あるよ」
主任が食い入るように私を見る。
「誰が作った」
「別に誰かに作られたわけじゃないけど」
「ならば、なぜ」
「色々あって」
主任が黙った。
「……色々?」
「うん」
何年研究したのか知らないが、主任は私の手と自分の腕を何度も見比べている。
「病も毒も侵食も受け付けず、それでいて理性を失わない……そんな肉体が、すでに存在していたというのか」
「知らないよ」
勝手に完成形みたいな扱いをされても困る。
「お前は……何者だ」
「観光客」
「ふざけるな!」
「本当だよ」
私は旅行に来ただけなのだ。
「で、これ止める方法ある?」
主任はなおも何か言おうとしていたが、宗教観について語り合うつもりはない。
私は帰りたい。
◇
主任に逃げられても困るので結界で包んで端へ置いておいた。
「あとで偉い人に説明してね」
「私を誰だと」
「知らない」
本当に知らない。
研究員と助手は中央制御室の記録を調べ始め、やがて一つの資料を見つけた。
暴走した再生反応を抑える中和剤。
実験段階ではあったものの、侵食の進行を止め、異常な再生能力を失わせる効果が確認されていたらしい。
「これが作れれば……」
研究員が資料を握りしめた。
「材料ある?」
「研究所内にあります。ただ、この量を街全体へ使うとなると何か月かかるか」
「材料あるんだね?」
「ありますが」
「じゃあ大丈夫」
必要な素材を集めてもらい、《万能生産》へ放り込む。
中和剤。
大量。
できるだけ大量。
数十秒後、容器いっぱいの薬液が並んだ。
研究員と助手が黙った。
「できた」
「…………」
「どうしたの?」
「何か月……」
「かからなかったね」
助手が壁へ手をついた。
「俺たち、何してたんだろう……」
「研究?」
「慰めになってません」
難しい。
中央制御室には、事故の際に浄化剤を街全域へ散布する設備もあった。
そこへ中和剤を投入し、研究員が操作する。
やがて研究所の外から低い音が響き、街の各所へ白い霧が広がり始めた。
完全に侵食された者を元へ戻すことはできない。
壊れた精神や身体まで、何もなかったことにはならない。
ただ、異常な再生と感染性は止まる。
街を歩き回っていた者たちは一人、また一人と動きを止めていった。
しばらく待ってから街全体を鑑定し、感染の拡大が止まったことを確認する。
「じゃ、封鎖解除して」
研究員が中央装置を操作した。
重い音が地下へ響く。
空間を覆っていた圧迫感が、ふっと消えた。
試しに南のヴィラを思い浮かべる。
今度は、ちゃんと繋がった。
「帰れる!」
今回一番嬉しい情報だった。
◇
宿へ戻ると、生存者たちは私たちの顔を見るなり駆け寄ってきた。
封鎖が解除されたこと、感染はこれ以上広がらないことを伝えると、泣き出す人までいた。
研究員と助手は残って事情を整理するらしい。
主任も置いていく。
あとは外の人たちに任せよう。
私の仕事ではない。
そもそも仕事として引き受けた覚えもない。
「じゃ、帰るね」
研究員が目を丸くした。
「もうですか?」
「帰れるようになったし」
「この街を救ったのに……?」
「旅行だったんだけど」
そう言うと、研究員はまた額を押さえた。
この三日で癖になったのかもしれない。
私とロキ、爺は門の外へ出た。
初日に写真を撮った場所だ。
ふと思い出してスマホを取り出し、あの時の写真を確認する。
門の前で私が普通に笑っている。
次の写真には、嫌そうな顔のロキと妙に姿勢のいい爺。
「いい写真じゃん」
拡大してみる。
その後ろ。
門の影。
遠くに、小さな人影が立っていた。
首が妙な方向へ傾いている。
「……この時もういたじゃん」
ロキが画面を覗き込んだ。
「いたな」
「教えてよ」
「俺も今見た」
私はスマホを収納へ戻した。
今回の旅行で使った金額。
ゼロ。
買った土産。
ゼロ。
得た思い出。
ゾンビ。
「次は普通のとこ行こ」
切実にそう思いながら、南のヴィラへ転移した。




