第30話 封鎖都市 vol.1
町から森の家へ戻ったあと、私は買ってきた焼き菓子を摘みながら、居間のソファでぼんやりテレビを眺めていた。
観測球の映像を流しているだけなので、番組があるわけではない。山だったり森だったり、どこかの町だったりと、映る場所はころころ変わる。
特に目的もなく眺めていると、石造りの大きな町が映った。
整然と並んだ建物の間を広い通りが伸び、その先には巨大な門がそびえている。門というより記念碑に近く、何本もの太い柱の上に大きな装飾が載り、壁面には細かな彫刻まで刻まれていた。
「へえ。おしゃれ」
観光地っぽい。
広場には噴水があり、道沿いには店も多い。行き交う人の服装も、この辺りの町より少し華やかに見えた。
この時はそれだけだった。
残っていた焼き菓子を口へ放り込み、次に映った雪山を眺めた。
◇
その日のうちに南のヴィラへ戻り、爺には空いていた部屋を使ってもらうことにした。
本人はロキの近くならどこでも構わないらしく、荷物も大してなかったので話は早かった。それから一週間ほど、特に何も起きなかった。
朝は好きな時間に起き、腹が減ったら食べる。爺がロキのために作る料理は自然と私の分もあったので、それをありがたくいただき、気が向けば海へ入り、飽きたら昼寝をした。
たまに隣の島のエステへ行き、ヴェラが来れば一緒に茶を飲む。
実に素晴らしい一週間だった。
そんな日の昼下がり、私は財布を開いて中身を確認した。
ある。
この前、不用品を売ったおかげで、ちゃんと金がある。
さらにチャックの技術登録までしたので、今後も何か入ってくるらしい。
「……旅行行くか」
思いついたら急に行きたくなった。
どうせ働かないなら、遊ぶしかない。
さて、どこへ行こうと考えたところで、一週間前に森の家のテレビで見た町を思い出した。
大きな門があったところだ。
あそこ、よさそうだったな。
「ロキ、旅行行かない?」
窓際で本を読んでいたロキが顔を上げた。
「急だな」
「金あるし」
我ながら完璧な理由だった。
ロキはしばらく私を見ていたものの、やがて本を閉じた。その様子を少し離れたところで見ていた爺も、坊ちゃまが行くなら当然自分も行く、という顔をしている。
行き先を説明すると、ロキも爺も知らない町らしかった。
ならちょうどいい。
三人とも観光客だ。
◇
いつもなら目的地の真ん中辺りへ適当に転移するところだが、今回は少し手前に出た。
理由は単純。
「おおー」
目の前に、あの門があった。
テレビで見るよりずっと大きい。
淡い灰色の石で造られた巨大な門は、近くで見ると壁面いっぱいに人や翼のある獣らしき彫刻が刻まれており、中央のアーチ部分だけでも三階建ての建物くらいの高さがある。
これは写真を撮らねばならない。
収納からスマホを取り出すと、ロキがちらりとこちらを見た。
「今度は何だ」
「写真撮るやつ」
「しゃしん?」
そりゃ知らないか。
「見たものを、そのまま残せるの。ほら」
画面を向けると、そこには目の前の巨大な門が映っている。ロキは少しだけ眉を寄せたものの、驚いたというより、また変なものが出てきたな、くらいの顔だった。
最近こいつも慣れてきた。
「これを私に向けて、ここ押して」
「これか?」
「そうそう」
スマホを渡し、門の前まで行って適当に立つ。ロキが言われた通りに画面へ触れると、一枚目が撮れた。
撮れたものを確認してからロキに見せる。
「これが写真」
「……なるほど」
それだけだった。
もう少し何かないのかと思ったが、魔法で家を建てたり、知らない道具をぽんぽん出したりする女を見慣れてしまえば、今さらなのかもしれない。
その横から、爺が静かに画面を覗き込んだ。
「これは……その時のお姿を、残しておけるのでございますか」
「そうだよ」
「では、坊ちゃまのお姿も残しておけるのでございますか」
「もちろん」
爺の目が輝いた。
「坊ちゃま、ぜひ一枚」
「なぜだ」
「旅の記念でございます。さぁさぁ、もう少し中央へ寄ってくださいませ」
「爺」
「そこです。いえ、もう半歩ほど右へ。門も綺麗に入りそうでございます」
早い。
仕組みを知ってから一分も経っていないのに、もう撮る側の注文が始まっている。
仕方なくスマホを構えると、ロキは完全に面倒くさそうな顔をしながらも、爺に言われた場所へ立った。
「坊ちゃま、少々顎をお引きくださいませ」
「もういいだろう」
「まだ一枚も撮っておりません」
オカンだな。
「はいはい、撮るよー」
一枚撮って画面を見せると、爺は満足そうに頷いた。
「素晴らしい」
「よかったね」
「念のため、もう一枚お願いいたします」
「何の念だ」
ロキが嫌そうな顔をしたが、爺はまったく気にしていない。
結局もう一枚撮ったところで、せっかくなので爺にも声をかけた。
「爺も一緒に撮れば?」
「坊ちゃまと、でございますか」
また目が輝いた。
「爺」
ロキが即座に止めようとしたが、もう遅い。
爺はものすごく自然な動きで坊ちゃまの隣へ立った。
今度は私がスマホを構えると、爺だけ妙に姿勢がいい。ロキは完全に諦めた顔をしていた。
「はい、もう一枚いくよー」
「一枚で十分だ」
「坊ちゃま、せっかくでございますので」
「さっきも聞いた」
旅行開始五分で、いい写真が何枚も撮れた。
たぶん帰ったら爺に見せろと言われる。
そのうち飾りたいとか言い出しそうだなと思いつつ、満足して門をくぐった。
その時点では、少し静かな町だな、くらいにしか思わなかった。
一週間前の映像では、この辺りにもかなり人がいたはずだ。
今日は休日なのだろうか。
大通りを少し進むと、道の端に荷車が止まっていた。積んでいたらしい果物が地面へ散らばり、いくつかは踏み潰されている。
もう少し先では、店の扉が開いたままになっていた。
人はいない。
向かいの建物は窓が割れている。
「……なんかあった?」
誰に聞くでもなく呟くと、ロキが周囲を見回した。
「少なくとも普通ではないな」
爺も黙ったまま辺りを警戒している。
さっきまで旅行気分だったのに、雰囲気がよろしくない。
こういうのは深入りしないに限る。
「帰る?」
「俺もそれがいいと思う」
意見が合った。
踵を返そうとした、その時だった。
「……ぁ……」
路地の奥から、かすれた声が聞こえた。
「……う゛……ぁ……」
嫌な声だな。
そう思った直後、建物の影から一人の男がよろめき出てきた。
服は破れ、片腕が妙な方向へ垂れている。顔色は悪いなんてものではなく、灰色がかった肌には黒ずんだ血がこびりつき、口元から何かが糸を引いていた。
それでも歩いている。
ふらふらと身体を揺らしながら、こちらへ向かってくる。
「うぇー……ゾンビじゃん!」
知ってる。
これは知ってる。
映画とかゲームとかで散々見たやつだ。
「臭そう」
絶対近寄りたくない。
ロキが男から目を離さないまま、わずかに眉を寄せた。
「ゾンビとは何だ」
「だいたいああいうの」
説明している場合でもないので、とりあえず鑑定する。
人族。
そこまではいい。
表示された状態がよくなかった。
重度侵食。
理性反応、著しく低下。
肉体再生、異常亢進。
「え、人なの?」
魔物じゃない。
見た目は完全にゾンビなのに、種族欄は人族のままだった。
試しにテイムを使ってみたが、当然ながら何の反応もない。
「テイムも無理か」
「試したのか」
「一応」
できたらできたで困る。
ゾンビを従魔にしてどうする。
「……ぁあ……!」
男が急に大きく口を開き、こちらへ手を伸ばした。
「うわ、やだやだ。来ないで」
速度は大したことがないものの、近くで見ると余計に汚い。しかも口元から垂れているものが何なのか、考えたくもない。
「ロキ、触らないでね」
「分かっている」
「斬るのもなし。絶対飛び散るから」
ロキが一瞬こちらを見た。
「そこを気にするのか」
「そこ大事でしょ。服についたら最悪じゃん」
私は男との間に結界を一枚張った。
どん、と鈍い音を立てて男が透明な壁へぶつかる。それでも止まらず、爪を立てるように結界を掻きながら、低い呻き声を漏らしていた。
「……ぁ……う゛ぁ……」
「うわあ。無理」
旅行で見るものではない。
「帰ろ」
改めて転移を使った。
南のヴィラを思い浮かべる。
何も起きない。
「ん?」
もう一度。
動かない。
森の家。
駄目。
雪国温泉。
駄目。
「……転移できない」
ロキの顔つきが変わった。
「この町、空間が閉じられているのか」
「聞いてない」
観光案内があれば絶対に書いておいてほしい。
外へ出られません、と。
結界の向こうでは、さっきの男がまだこちらへ来ようとしている。さらに声や物音に反応したのか、別の路地からも人影が出てきた。
「……ぁ……」
一人。
「う゛……ぁ……」
二人。
さらに奥から、もう一人。
「増えてる増えてる。やだ、もう宿探そ」
「この状況でか?」
「だって帰れないし」
立っていても仕方がない。
私は感染者たちとの間に結界を追加し、近づけないよう通りを区切りながら歩き出した。
できれば綺麗な宿がいい。
旅行なんだから。
十分ほど進んだところで、比較的大きな宿らしき建物を見つけた。入口の扉は半分開いていたが、中に動くものはいない。
鑑定で人の反応がないことを確認してから中へ入り、まず建物全体を結界で囲った。窓と入口も外から侵入できないようにしてしまえば、外でいくら呻かれても問題ない。
「よし。要塞完成」
「宿ではなかったのか」
「安全な宿」
部屋は多少荒れており、床には土埃が入り込んでいる。寝台そのものは使えそうだったが、この状況で誰が寝ていたのかも分からない布団へそのまま入る気にはなれない。
「そういえば、掃除の魔法とかないのかな」
万能なんだから、たぶんあるだろう。
試しに宿全体をきれいにするつもりで魔力を流してみる。
「クリーン」
一瞬、淡い光が建物の奥まで走った。
床の埃が消え、寝台も布団もカーテンも、さっきまでの薄汚れた感じがきれいさっぱりなくなった。廊下も階段も、使っていない部屋までまとめて綺麗になり、妙に籠もっていた臭いまで消えている。
「あるじゃん」
便利。
なんで今まで使わなかったんだろう。
考えてみれば、家では自動で掃除させていたし、服には全自動衣類錬成庫がある。使う必要がなかっただけか。
収納から水と食料、菓子、飲み物、タオルや着替えを出す。
これで十分だ。
窓の外では、さっきの連中が通りをふらふら歩いている。
「……ぁ……う゛……」
室内にはお茶がある。
菓子もある。
ベッドは清潔。
結界もある。
ロキがしばらく室内を眺め、それから私を見た。
「……ここで暮らす気か?」
「帰れるまでね」
爺は何も言わず、坊ちゃまが使う寝台の状態を念入りに確認していた。
よし。
観光初日は予定とだいぶ違ったが、とりあえず寝る場所は確保した。
旅行先が少し壊滅しているくらいで、野宿する必要はない。




