第28話 久しぶりの最初の町
翌朝、リビングへ行くと、爺が台所に立っていた。
「おはようございます」
「おはよー」
朝食でも作っているのかと思ったが、鍋もフライパンも出ていない。爺は冷蔵庫を開けたまま、中を眺めていた。
「何してるの?」
「朝食をご用意しようかと思ったのですが、食材がございません」
「あ」
そうだった。
森の家には冷蔵庫そのものはあるものの、最近ほとんど帰ってきていなかったので、中身はほぼ空だ。食べ物は基本的に私の収納へ入れてある。
「何いる?」
「では、卵とお肉、それからお野菜を少々。パンもございましたら」
「はいはい」
言われたものを収納から出していく。
卵。肉。野菜。パン。ついでに果物と牛乳、チーズ、調味料も追加した。
冷蔵庫へ入れている途中で、ふと思う。
これ、毎回やるの面倒だな。
「……よし」
冷蔵庫へ手を向け、中に入れた食品が劣化しないよう魔法を付ける。
時間そのものを止めると冷蔵庫なのに冷えなくなりそうなので、止めるのは腐敗や酸化、乾燥なんかの劣化だけ。冷蔵も冷凍も普通に働く。
これならまとめて入れておけばいい。
「爺」
「はい」
「これから食材、ここに入れとくから。好きに使って」
「よろしいので?」
「そのために入れたんだから」
残っていた肉や野菜、卵、乳製品なんかも適当に追加しておくと、爺は冷蔵庫の中を確認して満足そうに頷いた。
「承知いたしました」
これで朝ごはんのたびに私が食材係をしなくて済む。
素晴らしい。
しばらくすると、パンと卵、焼いた肉に野菜、それから果物まで並んだ。
「坊ちゃま、そちらもお召し上がりください」
「朝から多い」
「育ち盛りでございます」
「昨日も聞いた」
爺は気にした様子もなく、ロキの皿へ野菜を追加した。
朝からオカンだった。
私は空いている席へ座りながら、窓の向こうに広がる森を眺めた。せっかくこっちまで戻ってきたのだから、このまま南の島へ帰るのも少しもったいない。
「今日、町行かない?」
ロキが野菜を避けながらこちらを見る。
「何をしに」
「特に何も。久しぶりだし」
最初に来た町へは、南の島へ移ってから一度しか行っていない。用事がなければ行く必要もなかったが、だからこそ久しぶりにぶらつくくらいなら悪くない。
「坊ちゃまがお出かけになるのでしたら、私も」
「来なくていい」
「承知いたしかねます」
昨日からずっとこれだった。
結局、三人で町へ向かうことになった。
森を抜けて町が見えてくると、景色は以前とほとんど変わっていなかった。門をくぐり、人の流れに混じって通りを歩いていると、懐かしいというより、ああこんな感じだったな、くらいの気持ちになる。
最初に目についたのは市場だった。
「ちょっと見てく?」
「見るだけならな」
ロキの言い方が妙に引っかかったが、そのまま市場へ足を向けた。
通りへ入ってすぐ、果物を並べていたおじさんと目が合う。
一瞬止まった。
次の瞬間、顔がぱっと明るくなる。
「おお! 久しぶりじゃないか!」
「久しぶりー」
「ちょっと待ってろ!」
何を待つのかと思っているうちに、おじさんが隣の店へ声をかけた。
「来たぞ!」
何が。
さらに隣、そのまた隣へと声が飛んでいく。
「例の姉ちゃん来たぞー!」
「奥のやつ出せ!」
「今日売れるぞ!」
市場が急に騒がしくなった。
「……何これ」
「実績だろう」
ロキは冷静だった。
「今日はそんな買わないよ?」
そう言ったのに、誰も聞いていなかった。
最初のおじさんが、籠いっぱいの赤い果物を持ってくる。
「これ、今朝入ったばっかりだ。甘いぞ!」
「へえ。じゃあ少し」
「こっちも見てけ! 前に買ってった干し肉、また入ってる!」
「あ、それ美味しかったやつ」
「新しい香辛料もあるよ!」
「それ気になる」
気づけば両手が塞がっていた。
もちろん収納があるので、すぐ全部入る。
空いた。
そしてまた渡される。
「これ、南の方じゃ見ない魚だぞ!」
「へえ」
「酒もある!」
「ヴェラ好きそう」
買った。
「この菓子、坊ちゃんくらいの年なら好きだぞ!」
「ロキ食べる?」
「いらん」
「じゃあ買っとこ」
「なぜ聞いた」
横から爺が菓子を見る。
「こちらは甘さ控えめでございますな。坊ちゃまにはよろしいかと」
「いらんと言っている」
「じゃあそれも」
「増やすな」
そのうち、売り手側までロキの好みを探り始めた。
「坊ちゃん、肉は好きか?」
「普通だ」
「野菜は?」
「いらん」
「ございますな?」
爺だけが反応した。
「では、そちらもいただきましょう」
「誰が食べると言った」
「坊ちゃまが」
「言っていない」
市場を一周するだけのつもりだったのに、途中から完全に買い物大会になっていた。
果物、肉、魚、パン、菓子、調味料、酒、布、食器、それに用途のよく分からない小物まで、見ていると欲しくなるものはいくらでもある。
「これ、南の家に置いたらよさそう」
「それも買うのか」
「うん」
「さっきから全部そう言っているぞ」
気のせいだと思う。
やがて、市場の端まで来たところで、小さな焼き菓子の店が目に入った。
「これ一個ちょうだい」
「はいよ!」
財布を出し、中を見る。
「……あれ?」
もう一度見る。
振ってみる。
何も増えない。
「どうされました?」
爺が覗き込んできた。
「お金ない」
ロキがこちらを見る。
「ない?」
「全部使ったっぽい」
少し離れたところで、さっきの果物屋のおじさんが満足そうに腕を組んでいる。
「今日も景気よかったな!」
周りの店も妙に機嫌がいい。
なるほど。
全部ここに置いてきたらしい。
「見事な使い切りでございますな」
「褒めてないよね?」
「もちろんでございます」
たぶん褒めている。
ロキはため息をついた。
「だから見るだけにしておけと」
「言ってないじゃん」
「言わなくても分かるだろう」
分からなかった。
焼き菓子は諦めた。
食べ物自体は収納に山ほどあるし、家もあるので困るわけではない。ただ、今この瞬間、目の前のお菓子を買えない。
これは少し困る。
「……お金ないと買い食いできないね」
「そこなのか」
「大事でしょ」
ロキには分からないらしい。
市場を出たあと、そのまま冒険者組合へ向かった。
久しぶりに扉を開けると、中は以前と変わらず騒がしかった。受付の奥を見ていると、見覚えのある顔がこちらを見つけて固まる。
ギルだった。
「……お久しぶりです」
「久しぶりー」
ギルの視線が私からロキへ移り、その横の爺で止まる。
「……増えてませんか?」
「爺」
「説明になっていません」
爺は一歩前へ出ると、きっちり頭を下げた。
「坊ちゃまがお世話になっております」
「坊ちゃま?」
ギルがロキを見る。
ロキはすぐに顔を逸らした。
「聞くな」
「元魔王なんだって」
「お前は軽すぎる」
ギルが止まった。
「……元?」
「魔王」
「誰がですか」
「ロキ」
ギルはしばらく何も言わなかった。
その間に爺が静かに補足する。
「先代魔王でございます」
「補足しなくていい」
ギルは額を押さえた。
「私は今、聞かなかったことにしてもいいですか」
「いいんじゃない?」
「よくないだろう」
ロキだけが律儀だった。
そのまま近くの席へ移ると、ギルは爺についていくつか聞いたものの、途中で諦めたらしい。爺がロキの幼少期から仕えていた執事だと分かると、少しだけ安心した顔をした。
ただ、その直後。
「坊ちゃま、先ほど市場でお野菜も購入しておりますので、今夜は」
「言うな」
ギルの表情が微妙に変わった。
「……ずいぶん、面倒見のいい方ですね」
「オカンだよ」
「執事でございます」
「どちらでもいいです」
そう言いながら、ギルは私の前に置かれた財布へ目を向けた。
「ところで、それは?」
「空」
「空?」
「お金なくなった」
ギルは一度、私を見る。
それから市場がある方向を見る。
そしてまた私を見る。
「……何をしたんですか」
「買い物」
「全部?」
「全部」
しばらく沈黙したあと、ギルは深く息を吐いた。
「あなた、少し前までかなり持っていましたよね」
「持ってたね」
「どうして全部使うんですか」
「欲しいものいっぱいあったから」
我ながら分かりやすい理由だった。
ギルはもう一度ため息をつき、椅子にもたれた。
「普通は、所持金が減ってきたら仕事をします」
「働きたくない」
「知ってます」
即答だった。
「依頼を受ければ稼げますよ」
「働くじゃん」
「だから仕事だと言ってるんです」
それは困る。
せっかく異世界まで来て、働かなくていい生活をしているのに、ここで普通に依頼を受けたら負けた気がする。
「じゃあ、働かないでお金ほしい」
ギルがしばらく私を見た。
「……物でも売ればいいでしょう」
「物?」
「収納に色々あるんじゃないですか」
ある。
かなりある。
食料も素材も、何に使うか分からないものも、そういえば色々入れたままだ。
「いっぱいあるわ」
「嫌な予感しかしませんが、必要なものまで売らないでくださいね」
「分かった」
「本当に分かってます?」
「たぶん」
ギルはまた額を押さえた。
その横で爺が静かに頷いている。
「では、坊ちゃまのお召し物で不要なものを」
「出すな」
「まだ何も出しておりません」
「考えるな」
ロキは今日も大変そうだった。
私は空になった財布を閉じながら、収納の中身を思い出す。
働くのは嫌だ。
でも、お金は欲しい。
だったら、売ればいい。
簡単だった。




