第26話 人によります
雪国の温泉を出る頃には、ヴェラもすっかり出来上がっていた。
二週間も海王種を追いかけていたところへ雪見酒まで入ったのだから、このまま再び調査へ戻すのもどうかと思い、南の島へ帰るついでに声をかける。
「ヴェラも来る?」
「どこに」
「家。南の島」
ヴェラは一瞬だけ私を見たものの、特に理由を聞くこともなく頷いた。
「行く」
ほんと楽だな、この人。
ロキと一緒に転移すると、雪と氷に囲まれていた景色が一瞬で南国へ変わった。青い海と白い砂浜、椰子の木の向こうには見慣れた家が建っている。
ヴェラは潮風の中で周囲をゆっくり見回した。
「ここに住んでるのか」
「うん。森にも家あるけど、最近ほとんど帰ってない」
「そうか」
それで終わった。
ヴェラは荷物を肩から下ろすと、潮風を吸い込むように大きく息を吐いた。
二週間も海の上や雪の中を動き回っていたなら、さすがに疲れているだろう。
「エステ行く?」
「エステ?」
「隣の島にあるよ」
「あるのか」
「骸骨がやってる」
そこで初めて、ヴェラの動きが止まった。
ほんの少しだけ。
「……骸骨?」
「うん」
雪国で海王種が温泉に浮かんでいるところまで見たせいか、彼女はしばらく考えたあと、小さく息を吐いた。
「まあ、今さらか」
受け入れが早い。
◇
隣の島に移ると、エステ施設は今日も普通に営業していた。
受付の骸骨にヴェラを任せると、最初こそ骨だけの手を眺めていたものの、施術が始まってしまえば抵抗はなかったらしい。私はロキと休憩スペースで飲み物を飲みながら待っていたが、一時間ほどして出てきたヴェラは、明らかに入る前より顔色がよかった。
「どうだった?」
「いいな、これ」
「でしょ?」
ヴェラは肩を回しながら、施術室の方を振り返った。
「骨しかないのに、どこで力加減してるんだ」
「知らない」
「お前が作ったんじゃないのか」
「ティムしただけ」
「そうか」
また納得した。
ロキが横で妙な顔をしている。
「……お前たち、会ってまだ一日も経ってないよな」
「そうだっけ?」
「そうだ」
言われてみればそうだった。
◇
その夜は家へ戻り、ヴェラには以前ギルが泊まった予備室を使ってもらった。
夕食を食べながら少し酒を飲み、海の話を聞いていたものの、二週間分の疲れはさすがに残っていたらしい。早い時間に「寝る」と言って部屋へ引っ込んだので、私も特に引き止めなかった。
翌朝、朝食を済ませる頃にはいつもの調子に戻っており、荷物をまとめたヴェラが玄関へ向かう。
「じゃあ、私は戻る」
「もう行くの?」
「まだ見ておきたい海域がある」
仕事熱心だ。
私には真似できない。
ただ、このまま帰すのも何となく不便なので、昨夜のうちに作っておいた小さな板状の魔導具を収納から出して渡した。
「これ持ってて」
「なんだ?」
「携帯」
「携帯?」
「私に連絡できるし、ここにも来れる」
指先で触れれば私へ連絡が飛び、本人が望めば南の島への転移口も開けるようにしてある。ヴェラ以外が持っても動かないので、なくしてもたぶん困らない。
ヴェラは掌の上でそれを裏返しながら眺めた。
「……いいのか?」
「うん。ヴェラなら」
しばらく私を見たあと、彼女は携帯を懐へしまった。
「じゃあ遠慮なく使う」
「どうぞ」
それだけだった。
そのくらいがちょうどいい。
転移でヴェラを送り出したあと、静かになった玄関で何となく予備室の方を見る。
次に来た時も、またあそこを使うことになるのか。
「……家作っとこ」
「誰のだ」
「ヴェラ」
ロキが振り返る。
「本人はもう帰ったぞ」
「また来るでしょ」
「来るだろうが」
「じゃああった方が楽じゃん」
家から少し離れたところに、小さな一人用のコテージを作ることにした。
寝室と小さなリビングにキッチン、シャワーとトイレ。それだけでは少し味気なかったので、小さな風呂も付けた。キッチンには時間停止付パントリーと最後に酒を置ける棚を作っておく。大きすぎても掃除が面倒なので、一人で過ごすには十分なくらいにした。
完成したコテージを眺めていると、ロキが隣で腕を組んだ。
「……どれだけ気に入ったんだ」
「気が楽なんだもん」
それだけ言って、私は満足して家へ戻った。
本人にはまだ言っていない。
まあ、次に来た時でいいだろう。
◇
昼過ぎ、海の方から妙な音が聞こえた。
最初は船でも来たのかと思ったが、しばらくするとまた音がして、その少しあとにも聞こえる。
「何してるんだろ」
テラスから海を見ると、少し沖に立派な船が停まっていた。
その船が、ゆっくり島へ近づいてくる。
途中で止まる。
少し横へ移動する。
また近づいてくる。
止まる。
今度は反対側へ回る。
「……入れないんじゃないか」
ロキが海を眺めながら言った。
「そりゃ結界あるし」
船はなおも諦めなかった。
しばらくすると小舟まで下ろし、数人がこちらへ漕いでくる。しかし結界へ触れたところで進まなくなり、向きを変えて別の場所を試し始めた。
それでも無理だったらしく、小舟は船へ戻っていく。
「入口探してるのかな」
「ないだろ」
「ないね」
その後、今度は魔法らしき光まで見えた。上から越えようとしたらしいが、もちろん無理だった。
私はしばらく眺めていたものの、いい加減何をしたいのか気になってきたので、結界越しに声が届くようにする。
「何か用?」
船上が一気にざわついた。
やがて甲板の前へ、恰幅のいい男が出てくる。上等そうな服と、その後ろに控える護衛たちを見る限り、たぶん貴族だろう。
「ようやく出てきたか!」
「出てないけど」
私はテラスにいる。
男は少し黙ったが、すぐに立て直した。
「娘に対する非礼について話がある! まずはこの結界を解き、我々を中へ通せ!」
娘。
非礼。
しばらく考えて、心当たりが一人浮かんだ。
「ああ、エステで帰した人?」
「帰しただと? 娘は無礼にも施設から追い出され、挙げ句の果てに強制的に転移させられたと言っている!」
「うん」
「うん、ではない!」
やっぱりあの人の父親らしい。
「話ならそこで聞くけど」
「客人を船上に置いたまま話をする気か!」
「客じゃないし」
男の顔が険しくなる。
「我が娘は、正当な扱いを求めただけだ!」
「お金払わないでエステ受けようとして、貸し切りにしろって言って、うちに泊まるって言って、骸骨も連れて帰るって言ってたけど」
甲板の空気が一瞬止まった。
男の後ろにいる護衛の何人かが、微妙に視線を逸らした気がする。
「娘は高貴な身分だ!」
「へえ」
「身分ある者には、それに相応しい待遇というものがある!」
「じゃあ別のところ行けばいいんじゃない?」
あそこは元々、私がエステを受けるために作った場所だ。骸骨たちが勝手に営業しているだけなので、貴族向けの高級店にした覚えはない。
男は何か言い返そうとしていたが、少し考えたあと、急に態度を変えた。
「……ならばいい。施設を我が家専用として貸し切ろう。相応の金は払う」
「やだよ」
「なぜだ!」
「私が使いたい時使えなくなるじゃん」
「ならば時間を決めればいい!」
「面倒」
隣でロキが小さく息を吐いた。
「……親子だな」
「ほんとだね」
「聞こえているぞ!」
聞こえるように話しているので当然だ。
男はなおもしばらく何か言っていたものの、島へ入れろ、施設を貸せ、娘へ謝罪しろと、結局話はそこから動かなかった。
途中からだんだん聞くのが面倒になってきた。
「もう帰って」
「まだ話は終わっていない!」
「私は終わった」
そのまま船ごと転移させる。
一瞬で海から船が消え、波だけが残った。
静かになった。
「……最初からそうすればよかったのではないか」
ロキが言う。
「一応、何しに来たのか聞こうと思って」
「聞いた結果は?」
「親子だった」
海は元通り静かだった。
私はテラスの椅子へ座り直し、冷たい飲み物を手に取る。
午前中にはヴェラの家を建て、午後には知らないおじさんを船ごと追い返した。
人によって扱いが違いすぎる気もするけれど、仕方ない。
気が楽な人は近くにいてもいい。
面倒な人は遠くにいてほしい。
それだけだ。




