第24話 温泉掘っただけだけど
静かな暮らしが戻ってきた。
隣の島では相変わらず骸骨たちのエステが繁盛しているらしいものの、こちらまで船が押し寄せることはなくなり、庭から見える海にもようやく平穏が戻った。朝起きてプールに浮かび、気が向けば昼寝をして、美味しいものを食べる。これぞ私が求めていた異世界生活である。
そんなある日の午後、プールサイドのデッキチェアで寝転がっていた私は、ふと思った。
「温泉入りたい」
近くで果物を食べていたロキが顔を上げた。
「風呂ならあるだろう」
「違うの。温泉。外が寒くてさ、雪が積もってて、その中で露天風呂に入るやつ」
想像しただけでいい。真っ白な雪を眺めながら肩まで熱い湯に浸かり、できれば足を伸ばせる広さがあって、寝転がれる浅い場所も欲しい。腰や背中に当たるジェットまであれば文句なしだ。
そこまで考えたところで、私は身体を起こした。
「よし。作ろう」
ロキは何も言わなかった。最近、この程度で止めようとしても無駄だと学んだらしい。
◇
転移を繰り返して探した結果、気に入った場所は意外と早く見つかった。
一年中雪が残っているらしい山々の麓で、その先には暗い色をした海が広がっている。人里は見当たらず、雪をかぶった森と岩場ばかりで、遠くの海面には白い氷まで浮かんでいた。
寒い。
ものすごく寒い。
でも、それがいい。
「ここにする」
必要な範囲を整え、雪景色を邪魔しないよう建物は最低限にした。海と山を眺められる大きな露天風呂を中心に、脱衣所と休憩室、それから飲み物や果物を置ける小さなラウンジを作り、湯船の一部は浅くして寝転がれるようにする。
ロキも入るので、ここは水着着用にした。
そして一番大事なのがジェットである。
背中、腰、ふくらはぎ、足裏。それぞれ狙ったところへ当たるよう噴出口を作り、強さまで変えられるようにしておいた。あとは肝心のお湯だけなので、地下から引けばいいだろうと魔法で探ってみると、かなり深いところに熱を持った水がある。
そこまで道を通した途端、足元から低い振動が響いた。
枝に積もっていた雪がぱらぱらと落ち、しばらくすると湯船の底から熱い湯が勢いよく噴き出してくる。温度もちょうどよく、変な臭いもしないので満足していると、ロキが湯船へ近づき、湯面に手を触れたまま眉を寄せた。
「……由美。これはただの温泉じゃないぞ」
「え? お湯でしょ?」
「魔力が濃すぎる」
そう言われても、見た目は普通のお湯だった。ちゃんと熱いし、入れないほど妙な感じもしない。
「まあ、温泉ならいいんじゃない?」
ロキは何か言いたそうな顔をしていたものの、原因までは分からないらしく、それ以上は何も言わなかった。
湯が溜まるまでには少し時間がかかりそうだったので、私は周囲を見回した。
雪がある。
しかも、見渡す限り。
「……カマクラ作ろ」
そう思ったら早かった。
最初は本当に、二人くらい入れる普通のカマクラを作るつもりだった。ところが、せっかく魔法があるのに小さく作る必要もない気がして少し広げ、入口をちゃんと作ったら壁も欲しくなり、その壁を伸ばしているうちに二階ができた。
階段もつけた。
バルコニーもつけた。
なんとなく尖塔まで生やした。
「ふふふーん♪」
楽しくなってきたので鼻歌混じりに雪を固めていると、横にいたロキが怪訝そうな顔をした。
「……何の歌だ?」
「え? 雪といえばこれでしょ」
「知らん」
「だよね」
そのまま作り続け、最後に表面を滑らかに整えてから少し離れて眺めてみる。
立派な雪の城ができていた。
ロキもしばらく無言で見上げていたが、やがて城と私を交互に見た。
「カマクラを作ると言ってなかったか?」
「作ったよ」
「城だろ」
「でっかいカマクラ」
中に入れるんだから似たようなものだろう。
せっかくなので雪だるまも作った。ただの雪だるまでは物足りなくなり、三段にして大きくしたら、ほぼ雪像になった。
そこまで来ると、昔テレビで見たさっぽろ雪まつりを思い出した。
行ったことはない。
だから作ることにした。
雪を圧縮しながら、巨大なドラゴン、狼、ユニコーンを並べていき、途中で意味もなく巨大な猫まで追加した。ついでにロキも作ってみたところ、本人より妙に格好いい雪像が完成した。
「……これは俺か?」
「そう」
「こんな格好はしたことがないぞ」
「いいじゃん。似合ってるよ」
実物よりマントを派手にして、腕まで組ませてある。雪像くらい盛っても誰も困らない。
気づけば温泉の周りには雪の城と巨大雪像が並び、何もなかった雪原がすっかり祭り会場のようになっていた。
満足したところで、急に寒さを思い出した。
「寒っ!」
「当たり前だ」
「温泉入ろ」
私はさっさと城を置き去りにして脱衣所へ向かった。
水着に着替えて湯へ入ると、冷えきっていた身体が一気にほどけていく。肩まで沈みながら腰のジェットを動かしてみると、ちょうどいい位置に強い水流が当たり、思わず息が漏れた。
「あー……これこれ」
少し離れたところで湯に浸かったロキが、こちらを見る。
「温泉に必要なのか、それ」
「必要」
そこは譲れない。
雪が静かに降る中、目の前には白い城と巨大な雪像、後ろには暗い海が広がっている。思いつきで来た割には、なかなかいい場所を作ったものだと満足していた、その時だった。
遠くで何かが割れる音がした。
最初は流氷でもぶつかったのかと思ったものの、音は一度では終わらず、海の向こうからこちらへ近づいてくる。
バキッ、と大きな音を立てて氷が割れ、その下から黒い何かがせり上がった。
最初に見えたのは巨大な角で、次に頭、そのあとから長い首が続き、海面そのものが持ち上がったように大きく波打つ。
私は湯船の縁に腕を乗せたまま、それを見上げた。
「……でか。景色返して」
返事はない。
海から現れたそれは、蛇とも竜ともつかない長い身体を持ち、青黒い鱗の隙間を淡い光が流れていた。頭だけでも家より大きいうえ、こちらを覗き込んでいるせいで、せっかくの海がほとんど見えない。
隣ではロキが完全に固まっている。
「……海王種だ」
「へえ」
「へえ、ではない。リヴァイアサンだぞ」
名前くらいは聞いたことがある。詳しくは知らないけれど、とにかくものすごく強そうなのは見れば分かる。
ただ、襲ってくる様子はなく、巨大な鼻先をわずかに動かしながら、こちらの湯船をじっと見ていた。
「……あんた、入りたいの?」
大きな目がこちらを向いた。
どうやら当たりらしい。
しかし、この大きさでは困る。入れる以前に、近づかれたら温泉ごと潰されそうだ。
「あんた、小さくなれないの?」
ロキが何か言いかけたものの、その前で巨大な身体が淡い光に包まれた。
海面を埋めていた巨体がみるみる縮み、しばらくして岩場へ上がってきたのは、大型犬くらいになった水竜だった。長い尻尾を引きずりながらこちらへ歩いてきて、当然のように湯船の前で止まる。
「できるんじゃん」
私は少し横へずれた。
「小さくなれるなら温泉入れてあげる」
「……入れるのか」
「だって入りたそうじゃん」
許可を理解したのか、水竜はそのまま湯へ入ってきた。
そして数秒後。
私がさっきまで使っていた腰用ジェットの真正面に陣取った。
「……そこ、私の場所なんだけど」
動かない。
目まで閉じた。
「ちょっと。ジェット独占すんな」
やっぱり動かないので、仕方なく隣にもう一つ噴出口を増やした。
しばらくして、妙に静かだと思って横を見る。
ぷかーっ。
さっき氷海を割って現れた海王種が、腹を上にして浮いていた。
「…………」
尻尾だけが湯の中でゆらゆらしている。完全に力が抜けていて、あれだけ威圧感のあった顔まで妙に間の抜けたものになっていた。
ロキも同じものを見ていたらしく、長い沈黙のあと、ぽつりと呟いた。
「……海王種だぞ」
「いま完全に温泉のおっさんだけど」
海王種は聞いているのかいないのか、そのままぷかーっと流されていった。
◇
数日経った。
温泉へ来るたび、あいつはいる。
朝もいる。昼もいる。夜もいる。
海へ帰っているところを一度も見ていない。
今日も雪が静かに降る中、いつものジェットの前でぷかぷかと腹を出している。
「……あんた、まだいるの?」
片目だけ開いた。
「住んでんの?」
今度は目すら開かなかった。
私はしばらくその姿を眺めてから、増設したジェットに腰を当てた。
「……野生どこいった」
海王種は今日も、ぷかーっと浮いていた。




