第21話 ついでだから
カニ尽くしの夕食を終えても、嵐はまるで衰える気配がなかった。
結界の向こうでは相変わらず海が荒れ狂い、暗闇の中で白い波頭だけが浮かび上がっている。食べ終わった皿が片づいていくのを眺めていると、ギルが立ち上がった。
「そろそろ戻せ」
「え、今から?」
「俺は仕事の途中だったと言っただろう」
確かに言っていた。でも外はこれである。
転移なら濡れずに戻せるとはいえ、こんな時間から職場へ帰って書類仕事を再開する気らしい。真面目なのは結構だけど、私には理解できない。
「明日でよくない?」
「よくない」
即答されたのでロキを見ると、こちらも外へ目を向けてから首を傾げた。
「この嵐の中、わざわざ戻って働く必要があるのか?」
「お前まで何を言っている」
なぜかギルだけが間違っているような空気になった。
せっかく部屋も余っているし、朝になれば嵐も収まっているかもしれない。そう言って泊まっていけばいいと勧めると、ギルはしばらく渋っていたものの、結局は大きなため息をついた。
「……一晩だけだぞ」
「はいはい」
「軽いな」
泊まると決まれば、あとは勝手に使ってもらえばいい。着替えや必要なものは《万能生産》で用意できるので、私は先に風呂へ入り、そのままいつも通り寝た。
外でどれだけ海が暴れていたのかは知らない。
結界の内側は静かだったので、朝までぐっすりだった。
◇
翌朝。
カーテンを開けると、昨日までの空が嘘みたいに晴れていた。
「終わったかー」
外へ出ると、結界の中だけは昨夜とほとんど変わっていない。庭もプールも光遊草も無事で、砂浜も結界の内側に入っていた部分だけきれいに残っている。
問題は、その先だった。
「……うわ」
海水は引いていたものの、砂浜の形が変わっている。
流木や海藻、大小の貝殻に魚、よく分からない魔物の一部まであちこちに転がっていて、その間には箱や壺のような人工物まで混ざっていた。
少し遅れて出てきたギルが、その光景を見て眉間を押さえる。
「昨夜だけでこれか」
「宝探しみたいじゃない?」
「帰るぞ」
「ちょっと待ってよ。せっかくだし見てこうよ」
「俺は仕事がある!」
それは昨日からずっと聞いている。
どうせ送るのは私なのだから、少しくらい付き合ってもらっても問題ないだろう。
ロキと砂浜へ降り、まず近くに落ちていた大きな貝殻を拾ってみる。使えそうなものは収納へ入れ、腐っているものや明らかにいらないものは避けながら進んでいると、半分砂に埋まった木箱が見つかった。
引き出してみれば、側面には見覚えのない印が焼きつけられている。
「これ何?」
後ろからついてきたギルが一目見るなり顔をしかめた。
「商会の荷箱だ。印も残っている」
「じゃあ勝手にもらっちゃダメなやつ?」
「当たり前だ」
「そっか」
私は箱をギルの横へ置いた。
「じゃあ、これお願い」
「なぜだ!」
「持ち主分かりそうだし」
「そういう問題ではない!」
でも私が持っていても困る。
少し先では金属製の箱も見つかり、そちらにも紋章らしきものがついていたので、同じ場所へ運んでおいた。さらに割れていない小型の魔道具らしきもの、誰かの荷物らしい革袋と続き、ギルの横には徐々に山ができていく。
「これもお願い」
「待て。なぜ全部俺のところへ持ってくる」
「ついでだから」
「何のついでだ!」
ちょうど町へ帰るのだから、持っていけばいいと思う。
本人は納得していないようだったけれど、持ち主がいる物を私がもらうわけにもいかないので仕方がない。
そのまま先へ進んでいると、ずいぶん遠くの砂浜に、やたら大きなものが横たわっているのが見えた。
「……何あれ」
近づくほど、それが魚らしいことは分かってきた。
細長い身体の先に、大きく伸びた尖った嘴。見た目はカジキマグロに近いものの、大きさだけがおかしい。
「でっか……」
昨日飛んでいた魚も大概だったけれど、目の前のものはさらに大きい。横にダンプカーでも置けばちょうど同じくらいではないだろうか。
ロキが身体の側面を見ながら、その名らしきものを口にした。
「食えるぞ」
「まだ聞いてない」
「聞くだろうと思ってな」
よく分かっている。
食べられるなら話は早いので、《万能生産》で解体を指定すると、巨大な魚体があっという間に処理されていった。
頭や骨、内臓などが分けられ、食べられる部分は切り身や柵の状態へ整えられていく。
ただ。
「……多いな」
魚がダンプカーくらいあったのだから当然なのだけれど、解体しても量がまったく可愛くない。
収納には入るものの、全部うちで食べる必要もない。
そこで、まだ後ろで荷箱の山に文句を言っているギルを振り返った。
「ギルー」
「今度はなんだ」
「これ、ちょっと持ってく?」
切り身を一つ見せると、ギルがこちらを見る。
「魚か?」
「うん。解体済みだよ?」
しばらく考えたあと、ギルは肩をすくめた。
「まあ、それくらいならもらっておく」
「じゃあ決まり」
昨日のお礼もあるし、面倒なものを持っていってもらうのだから、少しくらい多めに渡しておこう。
ひと通り砂浜を見て回ったところで、さすがにギルが限界らしく、今度こそ帰すことにした。
「じゃあ、その辺の荷物も一緒に送るね」
「待て。この量を全部か?」
「だって持ち主探すんでしょ?順番に送るよ?」
「お前な……」
「魚もあるよ」
「分かったから早く戻せ」
急かされたので、ギルと荷物を組合へ転移させる。
これで面倒なものも片づいたし、魚も無駄にならない。
なかなか効率がいい。
◇
「さて」
戻ってきて砂浜を眺める。
まだ細かい漂着物は残っているけれど、急いで片づけるほどでもない。《万能生産》や《万能収納》に任せればそのうち終わるだろう。
そう思ってヴィラへ戻ろうとしたところで、ロキが突然上を見た。
「まだ何かいるぞ」
「え?」
つられて見上げる。
結界の上に、黒いものが引っかかっていた。
最初は大きな布かと思ったものの、よく見れば人だった。
「……何あれ」
「魔女だな」
黒いローブの女が、折れかけた箒ごと結界の上にしがみついている。
どう見ても昨夜からそこにいたような有様だった。
「あー……ギル送っちゃったよー」
一拍置いて、舌打ちが出た。
「ちっ」
「聞こえているわよ!」
上から声が降ってきた。
仕方なく結界を一部だけ通れるようにすると、女は箒と一緒に降りてきた。長い髪は絡まり、ローブもぐしゃぐしゃだったものの、本人は意外と元気そうだった。
「助かったわ。安心して、私はいい魔女よ」
「自分でいい人って言う奴ほど信用できないんだけど」
「あら、ひどい」
魔女は本気で心外そうな顔をした。
話を聞けば、昨日の嵐で飛んでいる途中に巻き込まれ、箒の制御が利かなくなったらしい。降りようにも島の周囲は海水に呑まれ、ようやく見つけた安全な場所がこの結界だったという。
つまり、本当にただ避難していただけだった。
「箒、壊れてる?」
「ええ。このままでは帰れないわね」
「じゃあ直せば帰れる?」
「直せるならね」
「分かった」
《万能生産》に任せると、折れていた柄も傷んだ部分もすぐに元へ戻った。
魔女は目を丸くして箒を何度も確かめたあと、ぱっと表情を明るくした。
「まあ! すごいじゃない!」
「じゃ、気をつけて」
「待って」
帰そうとしたのに、止められた。
「助けてもらった上に箒まで直してもらったもの。何かお礼をしなくちゃ」
「いらないよ」
「遠慮しなくていいの。私はいい魔女よ」
それを聞くたびに不安になるのはなぜだろう。
「本当にいいから」
「大丈夫。きっと喜ぶわ」
「だからいらな――」
言い終わる前に、魔女が杖を振った。
淡い光が身体を包み、そのまま吸い込まれるように消えていく。
「……何したの」
「一週間、毎朝すっきり目覚められる祝福よ。疲れも残りにくくなるし、昼間も眠くならないわ」
嫌な言葉が聞こえた。
「……これ、いつまで?」
「一週間よ」
「嫌がらせ?」
「恩返しよ?」
魔女は本気で分からないらしい。
「昼寝は?」
「必要ないわ」
「必要かどうかじゃないの。したいの」
「でも、とても健康にいいのよ?」
「だから何」
話が通じない。
ロキを見ると、しばらく魔女を眺めたあとで頷いた。
「悪意はないな。本当に善意らしいぞ」
「それが一番たち悪いのよ」
魔女は最後まで納得していない顔をしていたけれど、直った箒へ跨がると、すぐに笑顔へ戻った。
「それじゃあ、また会いましょうね。私はいい魔女よ」
箒がふわりと浮かび上がる。
「……二度と来んな」
「聞こえてるわよー!」
楽しそうな声だけを残して、魔女は空の向こうへ飛んでいった。
***
ギルが組合へ戻ったとき、昨日途中で放り出した書類は当然ながらそのまま残っていた。
それだけならまだよかった。
由美から押しつけられた商会の荷箱や漂着物が続々と届く。それぞれを確認し、担当へ回しているうちに、最後の荷物が届いた。
魚だった。
解体され、切り身と柵にまで整えられた魚が、山になっている。
「…………」
ギルは黙ってそれを見た。
近くを通りかかった職員も足を止める。
「ギル。それ何だ?」
「魚だ」
「それは見れば分かる。全部か?」
「……らしい」
「全部もらったのか?」
「俺は『ちょっと』だと聞いた」
その言葉を聞きつけた別の職員まで寄ってきた。
「ちょっと?」
「俺が聞きたい」
そこへ海洋魔物に詳しい職員が顔を出し、柵の一つを見た途端、目の色を変えた。
「待て、これかなりいいやつじゃないか?」
その一言で空気が変わった。
仕事をしていたはずの者たちが次々と集まり、あっという間に魚の山を取り囲む。誰かが今日中に食べた方がいいと言えば、厨房から料理人まで飛び出してきた。
「こんな量、いつもの食堂じゃ出ないぞ!」
「焼くか?」
「揚げろ、絶対うまい!」
「煮てもいいだろ!」
「生でいけるところは?」
「こっちの柵ならいける!」
気づけば、誰がどの料理を担当するかまで勝手に決まり始めていた。
ギルが止める間もない。
「おい、仕事はどうした」
「食材が悪くなる方がもったいないだろ」
「そういう問題では……」
「ギル、ありがとな!」
「俺じゃない!」
聞いている者はいなかった。
昼を過ぎる頃には食堂から香ばしい匂いが漂い始め、焼いた魚に揚げ物、煮込みまで次々と並び、普段なら時間をずらして食事を取る連中まで集まっていた。
完全に宴会である。
「うまっ!」
「これ本当にタダでいいのか?」
「ギルが持ってきたんだろ?」
「昨日仕事放り出したと思ったら、とんでもない土産持って帰ってきたな!」
「だから俺じゃないと言っている!」
誰も聞いていない。
厨房では追加の切り身が焼かれ、食堂では皿が空くたびに歓声が上がる。仕事中だった者まで浮かれ、いつの間にか酒まで持ち込まれていた。
一方、ギルの机の上には、昨日から残っている書類に加え、漂着した商会の荷箱、魔道具、革袋、それぞれの所有者確認に必要な書類が積み上がっていた。
魚を食べる手より、書類をめくる手の方が忙しい。
「ギル! この焼いたやつうまいぞ!」
「置いとけ!」
「揚げたのも食え!」
「あとでだ!」
返事をしながら、また一枚書類をめくる。
背後では笑い声が上がり、誰かが「今日は当たり日だな!」と叫んでいる。
ギルにとっては、まったく当たっていなかった。
その様子をしばらく眺めていた同僚が、料理の載った皿を片手にやってきた。
「……大変だったな」
ぽん、と肩を叩かれる。
ギルは書類から顔を上げ、魚で盛り上がる組合員たちを見渡した。
「何が一番腹立つかわかるか」
「何だ?」
「本人は善意なんだ」




